「安倍カラー」で空洞化する大学——入口から出口まで
2018年5月21日

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近、「安倍カラー」という言葉を聞かなくなった。この国全体がすでにその色に染まり、「安倍一強」という言葉に吸収されてしまったからだろうか。長期間続いた佐藤、中曽根政権のもとでも、「佐藤カラー」「中曽根カラー」という言葉は存在しなかった。安倍晋三という政治家が首相になると、なぜか「色」(カラー)が強調される。11年前に「安倍カラー発揮」を強調したきな臭い評論を見つけた(『産経新聞』2007年2月15日付)。この「カラー」は、「ねじれ解消」というフェイクによって2013年参院選に勝利するや、一気に広まっていく(直言「安倍色カラーに染まる日本—「ねじれ」解消の果てに」)。中身が「空」(カラ)であるがゆえに「色」(カラー)を過度に強調する指導者が権力を握ると、どの時代でも、どこの国でも、大学の自治や学問の自由への介入を強めてくる傾向にある。最近の例を挙げよう。

先週末、「2025年の大学入試に「情報科目」を追加—首相方針」という記事が出た(『読売新聞』5月18日付)。安倍首相が17日の「未来投資会議」(安倍議長)で、プログラミングなどに関する「情報科目」を国語や英語と並ぶ基礎的科目として大学入試に追加する方針を表明したというのだ。理由は、情報技術(IT)分野で優れた人材を育てるためだそうで、政府は、大学入試センター試験に代わり2021年に始まる「大学入学共通テスト」のなかに、2025年1月から「情報科目」を導入するという。その「未来投資会議」の「議員」とやらは、官邸ウェブサイトを見ると、大半が自民党の大臣・関係者であり、他に5人の経済界の「議員」の中にはIT企業人もおり、「情報科目」で利益を得る者であろう(実質的に大学人は1名しかいない)。首相は、AI(人工知能)や情報処理は、「これからの時代の『読み・書き・そろばん』。文系、理系を問わず理数の学習を促していく」と述べて、文科相に改革案の検討を指示したという。小学校から大学までの16年間、入学試験というものを受けたことがない「トータル・エスカレーター人生」の安倍首相が、大学入試についてあれこれ指示している。もう、いい加減にしてほしい。大学人にとっては迷惑極まりない。入試制度は、大学人にとって悩みの種であり、大学内でもずっと検討が続いている。だが、国があれこれと注文を受けてくるたびに、そのツケは大学にまわってくる。

カリキュラムや日々の授業などにも連動する。教員の負担は増えるだけでなく、学生にとって利益になるのかも怪しい施策が次々に押しつけられてきた。2004年に国立大学の独立行政法人化が始まったが、法学部にとって決定的な転換は、法曹養成に特化した法科大学院の発足だろう。アカデミックな世界に違った価値観が注入され、異物(Fremdkörper)が組み込まれた。法学部を3年で卒業して、法科大学院に入学するコースも作られた。長期にわたって行われてきた専門3—4年ゼミにも影響が及び、3年卒業者のために2年次後期から専門ゼミを始めるというカリキュラム改革が行われた。そのやり方が、法科大学院の全国的凋落のなかで再見直しが行われ、2011年から3—4年ゼミをしっかりやるという方針にもどった。その間、水島ゼミ10期から14期までの運営は大変で、その間のゼミ長たちには苦労をかけたのを覚えている。だが、再び、法学部教育をめぐって不穏な動きが出てきた。

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大学入試に続いて、法学部教育についてもさらなる介入が企図されている。この写真は、『毎日新聞』5月18日付夕刊の1面記事である。司法試験の受験資格取得期間を短くするため、法学部「3年卒」を導入するというのだ。小見出しには、「法科大学院「失敗」に危機感」とある。2004年に発足したこの制度について、当初、法学部関係者の多くは積極的ではなかったが、「国策だから」と賛成に転じていった。私自身も忸怩たる思いがある。当初、法科大学院は74校も設置されたが、いま、募集停止・廃校に追い込まれるところが増え続けている。この制度の発足にあたっては、「戦犯」がいる。だが、その誰も責任をとっていない。そうしたなか、文科省はこの2月に法科大学院の「改善案」を出してきた。それは、法学部の学部3年、法科大学院の2年と合わせて5年で終わる促成栽培のような設計である。私の学部にも「3年卒業」はある。この「「飛び級」は例外的措置だったが、政府・与党はこれを制度化することによって、「法科大学院離れ」に歯止めをかけたい考えだ。」と『毎日』の記事にある。「3年卒業」の制度化。これで、また法学部のカリキュラムに大きな影響が出てくる。法科大学院の発足以来、法曹の量は増えたが、その質の低下が指摘されている。誰も幸せにならない、改革のための改革にふりまわされてきた感が強い。法科大学院制度の根本的総括が必要である。

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安倍首相が大学に介入するとき、その際立った特徴は、憲法改正と強引に結びつける点にある。3月25日の自民党大会では、憲法を改正して幼児から大学までの教育を無償化するという方針が確認された。だが、給付型奨学金の大規模な増加や、授業料の減免制度の拡充などで対応できることで、法律の制定・運用で十分可能なことである。憲法改正の問題ではない。しかも、幼児から高等教育まですべて無償にするとなると、4兆円を超える財源が必要といわれている(『朝日新聞』2017年3月28日付)。重要な問題は、無償化のために大学に支払われる支援金について、政府が条件をつけていることである。企業などで実務経験のある教員を採用することや、外部の人材を理事に起用して運営に関わらせること、さらに成績評価の厳格な管理、財務・経営情報の開示などである。大学の運営費交付金を削減して金欠状態にしておいて、「金がほしければ言うことを聞け」とばかりに餌をぶら下げる。なんというさもしさだろう。

さすがの国立大学も、「高等教育無償化」について、7割が反対の姿勢を示したという。先週17日の『毎日新聞』の独自アンケート調査の結果である。「無償化」と外部人材登用との関連を疑問視する意見が目立ち、実務教員の人数が増えることが基盤的研究力の低下を加速するなどの意見も出ている。すでに、国立大学協会の山極寿一会長(京都大学長)は「自治への介入」にあたるとして、批判を強めている(同3月5日付社説)。

安倍政権の大学介入政策の特徴は、ネトウヨも活用しながら、教育内容に露骨に踏み込んでくることである。教育勅語についての扱いなどから、直言「「安倍学校」の全国化」に警鐘を鳴らしたが、個々の大学の授業内容や教員人事にもさまざまな形で圧力をかけている(例えば、直言「学問の自由が危ない—広島大学で起きたことへの憲法的視点」)。最近では、研究費や研究内容にまで踏み込もうとする傾きが見られる。

産経新聞社の雑誌『正論』2018年6月号に、「大学政治偏向ランキング」という文章が掲載された。「受験生も保護者も、会社人事部も必読!」という副題がいやらしい。筆者はメディア工学の専門家。「安全保障関連法に反対する学者の会」のホームページを使って署名者の名前と所属大学をカウントしたもので、実に安易で簡易な手法。結論も薄っぺらで、短絡的である。ただ、これを根拠にして、「偏向大学」というレッテルをはって、受験生や保護者、会社人事に向けて、いわば大学の「入口から出口まで」影響を与えようというのだから、実に陰湿である。読売新聞政治部の「憲法学者意向調査」と同様、この種の書き手や編集者が、安倍首相が喜ぶようなものを出そうと競っているかのような企画である。

安倍チルドレンの杉田水脈議員は、2月26日の衆院予算委分科会で、文科省の科学研究費助成事業(科研費)について質問した。そのなかで、特定の大学教授の実名をあげ、「徴用工問題が反日プロパガンダとして世界にばらまかれている」などと指摘。「日本の科研費で研究が行われている研究の人たちが、韓国の人たちと手を組んで(反日プロパガンダを)やっている」という、トンデモ質問を行った。ネトウヨに委員会が乗っ取られたような風景である。

学問の自由と大学の自治の危機は、安倍政権のもとで深く、広く、濃く進んでいる。失われるものの大きさを考えるとき、大学の変質は世代を超えた被害となり得る。「直言」でもさまざまな警鐘をならしてきたが、とりわけ4年前の直言「「学長が最高責任者だ ! 」—学校教育法改正で変わる大学」をこの機会にお読みいただけると幸いである。また、私の大学論について詳しくは、6年前に書いた直言「大学の文化と「世間の目」」を参照されたい。

《付記》
冒頭左の写真は、中央自動車道「初狩」サービスエリア(上り)から見える富士山と、逆走警告の看板を並べて撮影したもの。途中の1枚は、山口県下関市のスーパー「ハローデイズ」海峡ゆめタワー店に掲げてある名士の絵
(2018年3月31日撮影)
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