「末は博士か大臣か」という言葉がある。誰が言い出したのかは諸説あるが、優秀な子どもについて、将来が楽しみだというニュアンスで使われていたと思う。しかし、少なくとも「大臣」については、ほめ言葉にならなくなって久しい。まともに漢字が読めない(総理)大臣、から「友だちの友だちがアルカイダ」と発言した法務大臣、「(共謀罪審議で)私の頭脳というんでしょうか、ちょっと対応できなくて申し訳ありません」と答弁した別の法務大臣、答弁不能で涙ぐむ防衛大臣に至るまで、およそ「大臣」が子どもたちの理想や目標になることは、おそらくないだろう。私が「憲法違反常習首相」と呼ぶ安倍晋三首相に至っては、世論調査における「不支持」の理由として、「総理の人柄が信頼できないから」が急増しているという(日本テレビ調査結果から)。「末は大臣か」は、ほめ言葉の逆になってしまったかもしれない。
では、「博士」はどうか。東大社研とベネッセ教育総合研究所の共同調査(2015年)によれば、「子どもの将来なりたい職業」は「研究者、大学教員」が、小学校4~6年生男子で3位、中学生男子で4位にランクしている。2018年1月には、第一生命保険が「大人になったらなりたい職業」の調査結果を発表したが、そこでは、男の子は「学者・博士」が15年ぶりに1位になった(『西日本新聞』2018年1月5日電子版)。
ドイツの政治家には博士がたくさんいる。肩書にDr.がつく。法学博士が多い。メルケル首相は理学博士である。そのドイツでは、博士論文の剽窃問題で大臣が辞任する問題も起きている。右の写真は、大臣辞任につながった博士論文の現物である。直言「コピペ時代の博士号―独国防相の辞任」をお読みいただきたい。この国防相辞任事件以来、政治家の剽窃をあら探しすることがブームになってしまった(直言「政治家の剽窃―ドイツでも政治不信が深刻」)。冒頭の写真は、ドイツの博士論文剽窃探索サイトのものである。剽窃部分が50%以上、75%以上と色分けされて明確になる。
これはこれで情けないことなのだが、しかし、こういう言い方をしては何だが、ドイツの政治家の辞任理由の方が、日本のそれよりはるかに知的レベルが高いとは言えまいか。そもそも日本の政治家、国会議員で博士号をもつ者はきわめて少ない(「法務博士」(JD)は与野党にいるが、これは専門職学位であって、アカデミックの意味における博士号とは全く別種のものなので論外)。
博士論文の剽窃以前の問題で、大学を卒業していないのに卒業したと偽る議員もいた。2004年に古賀潤一郎という衆院議員が、米国の大学を卒業したと履歴に書いて辞任に追い込まれた。今回、それについて書いた14年前の直言「小さな嘘と大きな嘘」を読み返してみて、古賀氏が少し気の毒に思えてきた。いまなら、東京都知事から総理大臣に至るまで、外国留学や学歴をめぐる「嘘」が発覚しても知らん顔。誰も辞任する人はいない。古賀氏が誠実だったというよりも、当時の国会には批判力や緊張感があり、世論の感覚もまだ健全だったということだろうか。安倍政権の5年半で、「無知の無知の突破力」を軸とする「安倍的なるもの」の毒素が、社会の隅々にまで攪拌し、浸潤・浸透してしまったということである。
1991年の大学設置基準の大綱化(規制緩和)により、大学卒の「学士」は29種から500種を超える数に、修士号も28種から400種を超える数になっている。博士号の位置づけも変わり、「課程による博士」を多く出すことになった。加えて、「大学院重点化」のなかで、文科省や「世間」から大学に対して、とにかく学位を出せという要請が年々高まっている。「国際化」のなかで、留学生には何としても学位を出せというプレッシャーも年々強まり、学問の結果としての学位ではなく、「手段としての学位」、さらに「目的としての学位」の傾向が生まれている。「薄利多売」ならぬ「博士多売」の世界である。
近年の大学院教育のさらなる「規制緩和」により、いずこの大学においても、出願資格や受験資格は相当緩められている。大学卒でなくても大学院に入れるルートが開拓され、私の大学でもけっこうその種の入学者が増えている。複雑な思いだが、「社会のニーズ」に大学がこたえるという要請、あるいは端的にいって定員割れ状態を「改善」するための策という狙いもあって、社会人や留学生を受け入れる仕組みが拡大されている。これが「社会に開かれた大学、国際化する大学」という大義名分の背後にある事情の一つである。そうした大学が置かれている状況のなかで、私の身近でも、2013年と2014年に連続して2つの研究科において博士論文不正問題が起きた。前者では「学位記の返還」、後者では「学位取り消し」(世間では「スタップ細胞」事件として知られる)が行われた。
なお、どこの大学でも、2004年以降、「専門職大学院」なるものが増えている(一覧表2015年現在)。修士論文は課されず、学問研究を目的とした本来の大学院とは異質な理念と制度設計によるので、ここでは立ち入らない。
この30年間、大学院担当教員として、たくさんの修士論文や博士論文の審査をしてきたが、学位を出す「現場」の負担は年々重くなっている。社会人や留学生をたくさん受け入れろという政策を、政府(「世間」の形をとった経済界)は求めてくるが、それは「現場」に、かつてよりも時間と労力を要求し、重い負担となってのしかかっている。もちろん、社会人や留学生が大学に入ってくることは、大学の発展にもなってきた。しかし、それは学問内在的な発展を伴うことが前提であり、外からの圧力や「経営の論理」によって押しつけられるものではない。ここ15年ほどの大学の変化のなかで、学位を出す論文審査の「現場」にも、さまざまな負担が及んでいることを、現場の教員以外はほとんど知らない。いつも何かに追われているような、息苦しい空気が大学を覆ってきた。その大学の変質については、直言「大学の文化と「世間の目」」を参照されたい。
さて、今回問題にしたいのは、博士号ではなく、修士号である。普通なかなかとれない修士号も、近年では容易にとれてしまう。これは、国の「規制緩和」の政策により、ほとんどの大学が、大学院の入口(受験資格)と出口(学位認定)の基準を緩和してきた結果でもある。そうしたなか、この「直言」でも繰り返し指摘してきたように、「公人ではなく私人である」(内閣答弁書)とされる「総理大臣夫人」が、周囲に巨大な「忖度の構造」を作り出し、さまざまな問題の「原因」そのものになってきた(直言「「アベランド」―「神風」と「魔法」の王国」)。かつて彼女は、「元総理大臣夫人」として大学院に2年間在学して、修士学位(Master of Business Administration in Social Design Studies)を取得していた。
安倍昭恵『「私」を生きる』(海竜社、2015年)のことはすでに一度紹介した。サイン入りの同書が手元にあるが、そこに、「学歴コンプレックス」を何とかしようと、まずは、「実家である松崎の家が曾祖父〔森永製菓創業者〕から弟の子どもまで、五代続けて学んでいる学校」である「立教〔大学〕なら、入れてもらえるかもしれない」と思ったが、「実際は甘くありません。「聖心の専門学校の単位は、立教では受け入れていません。編入はダメです」と断られてしまいました」と書かれている(16-17頁)。結局、大学院の社会人入試を受けることになり、2009年4月、立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科比較組織ネットワーク学専攻修士課程(厳密には博士前期課程)に入学する。
当該研究科の出願資格は、「大学を卒業した者と同等以上の学力があると認められた者」という形で、研究科教授会が承認すれば、大学卒業者でなくても入学を認めている。つまり昭恵氏は大学卒をすっ飛ばして、大学院修士課程修了という肩書を得て、「学歴コンプレックス」を吹き飛ばそうとしたわけである。
出願資格を(研究科教授会で)認定された上で、さてこの研究科修士課程の受験資格ということになると、それは次の2つのいずれかを満たす者とされている。① 教育・福祉・宗教・国際協力・ボランティア・芸術文化・環境保全・まちづくり、その他何らかの社会的実践活動を入学時以前に1年以上経験しており、入学時に満23歳以上の者、② 学校・官公庁・団体・企業などで、入学時以前に1年以上の就業経験があり、入学時に満23歳以上の者。選考方法は書類審査と口頭試問の成績である。「第1次安倍内閣の総理夫人」という経験を研究科教授会がどのように判断したかはわからないが、昭恵氏は合格した。
昭恵氏は、民主党政権下の2年間、この研究科で、のびのびと学んだ。だが、当時、元総理夫人であることは、同期生も教授も知らないものはいなかった。それは20年前に早大教育学部に有名女性タレントが入学してきた時のことを思えば想像がつく。そういえば、このタレントも、難関の一般入試ではなく、「自己推薦入試」という迂回路を通って入学してきたはしりだった。
修士号をとるには修士論文を執筆しなければならない。学校教育法68条の2「修士の学位」と学位規則3条に定められ、各大学の学位規則に基づき審査し、授与を決定する。一般に、博士論文と違い、研究科教授会での3分の2の多数による議決は必要とされないが、主査と副査(通常2名)との合議による一致が前提となる。
前掲の『「私」を生きる』22-23頁に、「膨大な量の資料に当たったり、何度も現地に足を運んで学校を訪れたり、政府の教育関係者に直接会ったりして、調査を重ねました。とても大変な作業でしたが、先生を独り占めのようにして教えていただきながら、何とか仕上げることができました。」とある。
大学のホームページには、2011年度修士課程修了者の修士論文題目として、安倍昭恵「ミャンマーの寺子屋教育と社会生活- NGOの寺子屋教育支援」が掲載されている。この論文テーマであるミャンマーの寺子屋教育支援には、メコン総合研究所(Greater Mekong Initiative、GMI)が深く関わっている。メコン地域の若者の未来を応援するために2006年に設立された特定非営利活動法人(NPO法人)で、ミャンマー、中国西南部、ラオス、タイ、カンボジア、ベトナム等のメコン河流域の国・地域を活動対象としている。ホームページには、「名誉顧問」として安倍昭恵氏の名前が掲載されていた(国会で問題となって以降は削除)。別のサイトは消すことができず、はっきりと「名誉顧問」と残っている。
昭恵氏の修士論文は、このメコン総合研究所の現地サポートを受けて、論文に必要な関係者へのインタビューや統計、現地のさまざまな事例の調査などをもとに書かれているが、論文執筆について事情を知る大学関係者によると、昭恵氏本人は、「現地では、私は子供たちと一緒に遊んでいただけ」と語っていたという。
このメコン総合研究所の「2015年度事業報告書」(PDFファイル)の中程には、昭恵氏が寄付を行った旨の文言が掲載されていた(現在は削除)。また、すでに削除されているが、この2015年度の事業報告書の「その他」事項の最後の欄には、「学校法人加計学園との連携」という文言があった。昭恵氏自身、「ミャンマーに寺子屋をつくる事業」に関わって、「主人と親しくしている岡山の加計学園の理事長」の名前をはっきりと挙げ、現地に一緒に視察に出かけましたと記している(『「私」を生きる』89頁)。ちなみに、2015年9月から「モリ・カケ」問題が発覚するまでの期間、昭恵氏は、加計学園御影インターナショナルこども園の名誉園長も務めていた。
この研究所の寺子屋支援活動については、2007年1月開校のものから、昭恵氏が頻繁に寄付を行っていることがホームページに記録されている(これはまだ削除されていない)。論文を完成させるにあたっては、指導教授との関係を、昭恵氏自身、「先生を独り占めのようにして教えていただきながら」(『「私」を生きる』23頁)と記していることからも、普通の論文指導とはかなり異なっていたようだ。指導教授は一度、昭恵氏のミャンマー現地調査に同行したことがわかっている。
昭恵氏の修士論文については、手続上の不自然さもある。2010年7月に行われた修士論文中間発表会(修士論文審査過程で必須の手続)は、これに関わった大学関係者の言葉を借りると、「尋常ではなかった」。主査の教授と副査の教授2名のほか、研究科の院生たちも参加する公開形式であった。通常は主査、副査からの質問に、論文執筆者が答える。ところが、この日、副査が昭恵氏に質問すると、主査の教授は、昭恵氏が答える前に、一人ですべて答えた、というのである。論文執筆者が質問に答えないで主査の教授が答えるという、およそ普通の院生の修論審査過程ではあり得ぬ光景に、この関係者は違和感を覚えたという。論文執筆者であれば、そういう場において質問に答えることは当然のことであり、執筆者の昭恵氏本人に一度も発言させないというのは、きわめて異例であり、不自然の域を超えていると言わざるを得ない。以上のような経過をたどって、昭恵氏の修士学位は認定された。
他大学の研究科内のことについて、このようなことを書くのは「同業者」としては実は心苦しいことなのである。私の大学でも、大学院の「入口」と「出口」の「規制緩和」はここ15年でかなり進んでおり、それに関わる私自身の思いも複雑である。もし、この人物が、私の大学のどこかの研究科を受験していたら、同様の問題が絶対に起こらなかったと言い切れるかと自問すると、なおのこと複雑な気持ちになるのである。その意味で、私はこの問題を決して「他人事」として書いているのでないことだけはご理解いただきたい。
先々週の「直言」で、大学設置認可に関わって、きわめて不公正かつ不公平な扱いがされた加計学園の獣医学部の現地レポートをアップした(直言「「ゆがめられた行政」の現場へ―獣医学部新設の「魔法」」)。そこでも書いたように、およそ大学設置・学校法人審議会の審査をクリアするには無理のあった学部が、「魔法」にかけられたように認可されてしまった。加計学園よりもはるかに魅力的で現実的な獣医学部設置構想を出していた京都産業大学が、「後出しジャンケン」のような新たな規制を加えられて、不自然な形で排除された。
最近、文科省の「私立大学研究ブランディング事業」という支援事業に関連して、同省の局長が受託収賄罪で東京地検に逮捕された。ここまで無理をして獲得した東京医大の補助金が3500万円であったのに対して、加計学園グループに対して交付された補助金は、千葉科学大が3752万円、岡山理科大が4121万円と、東京医大を金額的に上回っているだけでなく、同一学校法人で2大学は他にはない。これも「総理案件」ということが強く推測されている。
修士論文の問題は、執筆時においては「元総理夫人案件」だが、論文のテーマに関わって、なぜかここでも「加計学園」が随所に登場するのは単なる偶然だろうか。
2017年12月14日、安倍首相は官邸にミャンマー連邦共和国のティン・チョウ大統領を招き、首脳会談を行ったが、その際、首相は挨拶のなかで、「私の妻もミャンマーにおける寺子屋の研究で修士論文を出しました。」とおおらかに語っている。
安倍夫妻をめぐるさまざまな問題の「点と点」を結んでいくと、何本もの「線」が錯綜してのびていき、やがてそれらがつながって、「疑獄の膿」の立体映像が見えてくる。今回指摘した修士論文問題の背後にも、政権発足前とはいえ、すでに「構造的忖度」が機能していたのではないか。それは、厳格な手続を飛ばして認可や地位などを「権力の親密圏」に配分する「戦略特区」的思考と手法のはしりと言えなくもない。学位をめぐる規制緩和の「効果」である。