1997年から14年間、NHKラジオ第一放送「新聞を読んで」のレギュラーをやった(放送内容はすべてここから読める)。3カ月に1回、担当する1週間分の新聞を読んで、ラジオで語る仕事である。12分30秒与えられたので、けっこういろいろなことを語ることができた(直言「雑談(35)「新聞を読んで」余滴」)。ラジオという媒体の独特の存在感もあった(直言「雑談(78)ラジオよもやま話」)。
中間まとめのつもりで、放送の12年分をまとめ、時代背景を書いた解題を付して、『時代を読む—新聞を読んで1997-2008』(柘植書房新社、2009年)を出版した。紙媒体の新聞を読んで、ラジオで語り、それをネットにアップして、書物にするという珍しい形をとった。ほとんど注目されなかったが、メディア関係者の一部には好評を得た琉球新報の(前泊博盛氏と、ジャーナリスト会議の小鷲順造氏の書評)。
この番組では、時の政権の施策や政治家の言動に批判的なコメントを続けた。たまたま防衛事務次官のA氏が朝ラジオを聴いていて、部下の課長補佐クラスを私の研究室に「ご説明」によこすということもあった。このように、政府には愉快でない解説を多く語ったが、局側が私の語る内容に関して注文をつけるということは一度もなかった。歴代の担当ディレクターとは快適な仕事ができたと思っている。ただ、2009年になって風向きが怪しくなってきた。その年の4月に放送時間が8分間に減らされた。4分30秒減で話す内容が3分の1減になった。放送時間帯も、土曜夜と日曜朝の2回から、土曜早朝5時38分1回に変更されるなど、徐々に「冷遇」されていった(直言「ラジオで新聞を語って12年」参照)。「辛口評論」を嫌う上層部の意向を忖度するなら、私をレギュラーから外せばいいものを、2011年3月、58年続いた長寿番組を、ついに番組ごと廃止してしまった。
私は、直言「さようなら「新聞を読んで」」を出してこう書いた。 「・・・「新聞をラジオで語る」という二重にアナログ的な手法は「古い」のかもしれない。でも、人々がすべて地デジやネットに向かうわけでもない。「多種多様化」しているからこそ、最も「古い」タイプのものが存在する意味があるのではないか。半世紀以上続いたこの番組を廃止するにあたって、新聞の「古さ」を念頭に置いたNHK上層部の判断には疑問が残る」と。
「地デジ」がこれからという時代の文章である。さらに7年が経過して、ますます紙の新聞を読む人は少なくなった。私は講義の冒頭10分を必ず新聞を使って1週間の「事件」の解説をする。学生に紙の新聞を読んで、その切り抜きを持参するように35年間求めてきた。この写真は2011年のオープンキャンパスのシーンである。だが、デジタル化が進行し、特にスマホの普及で、ここ数年は紙媒体を読ませるのに一苦労である。それでも、私の授業を受けた学生のなかには、紙の新聞を読むのが癖になったという者も少なくない。
ところが、安倍晋三首相とその周辺は、本当に紙の新聞が嫌いである。麻生太郎財務大臣は、首相時代から、読むのはマンガで、「新聞は見るだけで、読まない」というので有名だったが、今年6月、新潟県新発田市での講演のなかで、「はっきりしていることは10代、20代、30代前半、一番新聞を読まない世代だ。新聞読まない人たちは全部、自民党(支持)だ。新聞取るのに協力しない方がいいよ」と言い切った(『読売新聞』6月24日付)。
米国誌にかつて「フェイスブック宰相」と書かれた安倍首相は、昨年12月、若い世代は、「SNSなどが発達した時代に多様な情報を集め自分で判断している」と述べ、その一方で、60代からの〔自民党〕支持率が比較的低いことを挙げて、「同年代に嫌われたと悲しい思いがする。新聞の愛読者層ではないか」と語った(『朝日新聞』2017年12月16日付)。2人に共通しているのは、「新聞をよく読む人は安倍政権に批判的になる」という認識である。だが、これは間違ってはいない。
新聞をしっかり読んで、自分の頭で思考し、他の論調にも触れて比較することのできる人は、安倍政権の施策や政権運営に問題や疑問を感じ、少なくとも積極的支持ということには躊躇するだろう。統計をとることは困難だが、ネット上の「アベシンジャー」はほとんど紙の新聞を購読しておらず、購読していても産経新聞ということなら、これ以外の新聞を読んでいれば、「安倍流統治手法」に疑問を抱く可能性は自然に高くなる。
そもそも産経新聞は一般紙ではない。私は「安倍官邸機関紙」と呼んでいる。大学の授業に、権力になりかわって介入したこともある(直言「学問の自由が危ない—広島大学で起きたことへの憲法的視点」)。だから、かつては長文インタビュー記事に協力したこともあるが(例えば、2012年10月26日付)、最近は取材に応じていない。発行部数は5大紙で最低で、150万程度。だが、早期参入したネットには強く、Yahooニュースは指定席で、iRONNAを通じてネトウヨ言説の発信源になっている(私についても岩田温のデマ記事あり→反証はここから)。
さて、読む新聞によって安倍政権支持の度合が変わるという調査(6月29日、JX通信社)をネット上で見つけた。この調査では、「紙面やニュースサイトなどを通じて、最もよく読んでいるのはどの新聞社の記事ですか?」という質問が加わっている。その結果、最も政権支持率が高い産経新聞読者層では、「強く支持する」または「どちらかと言えば支持する」と答えた人の合計だ72%という。これに対して、東京新聞読者層では「強く支持する」「どちらかと言えば支持する」の合計が14%だった。85%は不支持である。日本経済新聞読者では支持が51%、不支持が46%、読売新聞読者では支持が50%、不支持が44%と拮抗している。毎日新聞読者は支持23%、不支持74%、朝日新聞読者は支持23%、不支持72%という数字である。これらの数字を総合すれば、産経以外の新聞を読む人が安倍政権を支持する可能性は高くなるとはいえまい。もっとも、紙媒体の読者が減少していることもあり、有効回答1037というサンプル数は多くはない。また、ネット依存の若い世代の声が反映しにくいということもある。ただ、この調査から、少なくとも、安倍・麻生ラインがなぜ新聞を嫌うのかは見えてくるだろう。
9月20日の総裁選で3選を果たして、安倍首相の続投が続くのか。「地方の反乱」が起きるのか。それはまだ、わからない。ただ、確実にいえることは、安倍政権の5年8カ月によって、日本のメディアが大きく変質したことである。権力をチェックするという、どんなメディアにも共通する、自明の前提が、迎合と忖度の構造のなかで失われている。
安倍政権のメディア操縦の手法は徹底していている。トップの安倍首相自身、懐柔と恫喝を得意としており、それは2001年1月のNHK番組改変問題で遺憾なく発揮された。慰安婦問題をテーマにしたETV特集の内容に怒った安倍官房副長官(当時)はNHK幹部を呼び出し、内容の修正を迫った。しぶるNHK幹部に安倍が吐いた言葉が、「勘繰れ、お前」だった。「勘繰れ」とは「忖度せよ」である。すごい言葉である。当時安倍は46歳。まだ若かった。2012年に首相に返り咲いてからその「才能」を遺憾なく発揮して、「モリ・カケ・ヤマ・アサ・スパ」問題をはじめとして、「構造的忖度」と「構造的口利き」のシステムを作り上げたのである。
安倍首相のメディア操縦は、一方における「懐柔」、すなわち「首相と飯食う人々」を通じて忖度をメディアの内部に浸透させていくことである。他方において、人事や放送免許などのメディアの弱みにつけ込んだ恫喝である。政権に批判的なキャスターの「粛清」はここ数年で完成した。
新聞については、安倍政権の主要打撃の方向は朝日新聞である。日本のメジャー新聞たる朝日をたたけば、他は右にならえと踏んで、ちょっとしたミスを使って、猛烈な攻撃を行ったことは記憶に新しい(直言「歴史的逆走の夏—朝日新聞「誤報」叩きと「日本の名誉」?」)。そのため朝日を脅す「赤報隊」は不要になった。安倍政権の赤報隊化が進んでいるからである。その一方で、議員に向かって「読売新聞をよく読め」といった。国会答弁で特定新聞社を名指しするような首相はかつていなかった。そして、ネットの普及で部数減が続く新聞社に対して、安倍首相が先頭になって「嘘つき新聞」というレッテルをはって追い込んでいく。『週刊ポスト』7月13日号の特集は、新聞メディアの危機を煽っている。
最後に、8月13日の「直言」で紹介した日航123便事件に関する新著に関連して、私が18年前の2000年8月13日のNHKラジオ第一放送「新聞を読んで」のなかで、「日航機事故から15年」として語ったことを、簡略化して紹介しよう。そこでは、この問題に対する私の問題意識が初めて公に表明されている。この事故の再調査が必要である。いま、これが大きく問われている。そのことを確認する意味で、18年前にNHKラジオで語ったことを、以下再現しておこう。
「今年〔2000年〕の日航機事故への関心は例年と少し違います。ボイスレコーダーの音声記録が初めて公開されたからです。・・・運輸省の航空事故調査委員会が、資料の保存期間が切れたことを理由に、日航機事故関係の1トン近い資料を廃棄していたことを伝えました。遺族のなかには、機体後部の圧力隔壁の破壊で起きる急速な減圧を示す現象はないとして、調査報告書の結論を疑問視する声もあり、資料の廃棄は「再調査への道を閉ざす行為」と批判しています。・・・ただ、今回、新聞ではなくテレビがこのボイスレコーダーの音声を初めて表に出しました。・・〔8月〕11日のTBS「ニュースの森」とテレビ朝日「ニュースステーション」は、このボイスレコーダーの音声を紹介。警報・アラームの連続音のなか、機長、副操縦士らの緊迫したやりとりが、音声によってリアルに伝えられました。・・・520人のかけがえのない命が失われた事故の貴重な記録。昨年11月に裁断され、焼却されてしまいましたが、このテープは廃棄を免れて、15年の歳月を経て生の音声を聴くことができるようになりました。「ニュースステーション」に出演した日航の同僚パイロットたちは、実際の音声と報告書との違いを指摘し、仲間のパイロットにこの音声記録を聴かせたら、これで急速な減圧があったと言う人は一人もいないだろうと述べていたのが印象的でした。事故調査報告書への疑問がこういう形で出てきた以上、やはり再調査の必要があるのではないでしょうか。新聞もこの問題をもう一度詳しく取材することが必要でしょう。」
「新聞は読むな」という政権に対して、「新聞をしっかり読む」ということは、実はささやかで、しかし重要な知的抵抗なのである。
なお、トランプが、批判的メディアのことを「国民の敵」(The enemy of the people)としたことに対して、全米の400を超える新聞がトランプ批判の社説を一斉に出して、報道の自由を訴えた(『朝日新聞』8月18日付)。「米国の偉大さは、権力者にも真実を突きつける自由な報道機関に支えられている」(ボストングローブ紙)。日本の新聞も、「新聞を読むな」という圧力に抗して、安倍政権に対するチェックをしっかり行うべきだろう。