大災害と「大災相」——北海道胆振東部地震
2018年9月10日

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9月6日午前3時8分頃、北海道胆振地方中東部を震源とするマグニチュード6.7の地震が発生し、厚真町では最大震度7が観測された。1980年代、北海道の大学に務め、札幌近郊の北広島市(当時は札幌郡広島町)で生活していたので、かつての同僚や町内会を一緒にやった近所の方に何度も電話するもつながらない。自動音声が流れるだけである。大変なことになっているのでは、避難所にいるのだろうかと落ちつかず、夜中に2度も目がさめてしまった。重大な被害を受けた胆振、日高の地域も車でよく走ったので、冒頭右側の写真(朝日、東京、毎日7日付より)にあるような山肌が赤くむき出しになった光景に言葉を失った。

翌7日も北海道の知人・友人に電話を続ける。つながらない。7日昼前の時間帯、NHKが北海道ローカルをずっと放送していたのが印象的だった。応急給水所の設置場所が、里塚緑ケ丘公園前、上野幌東小学校、東月寒中学校、厚別西公園・・・という形で、懐かしい地名とともに甦ってくる。家族もじっと避難所や給水所の開設などの文字ニュースを見つめている。おそらくNHKが全国に北海道の状況を流し、停電でテレビが見られない人々のために、知り合いにSNSなどの手段で知らせることを期待してのことだろう。思えば、阪神淡路大震災以来、テレビ、ラジオは全国放送で、被災地域の状況を細かく伝えるようになった。

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今回の大地震の特徴は、建物の倒壊などは少なかったが、北海道内295万戸すべてが停電したことである。阪神大震災でも東日本大震災でも、これだけの大規模な停電はなかった。北海道電力によれば厚真町の苫東厚真火力発電所が、地震に伴い緊急停止し、これによって電力の需給バランスが崩れて、水力発電所を含むすべての発電所が連鎖的に停止したということである。これが一般に流されているが、泊原発の再稼働がらみで複雑な問題が介在しているようであり、原因や北電の責任の問題などは、今後重大な論点になっていくだろう。なお、泊原発の外部電源の喪失が6日午前3時45分に確認され、非常用ディーゼル発電機に切り替えられたそうである。地震大国日本になぜ原発なのかということが再び問われてくる(他方で、泊原発が稼働していたら全道停電は防げたという世論操作も今後なされていくだろう)。経済産業大臣は「計画停電」の予定は今のところないというが、2011年の悪夢が思い出される(直言「電気事業法27条と大学」)。

ところで、この全道停電の影響で、新千歳空港は国内・国際線全便が欠航。JRの各線、札幌の地下鉄も運転見合わせとなった。また、インターネットも使えなくなり、携帯電話やスマホのバッテリー切れが深刻な問題になった。札幌市役所などに充電できる場所が設置され、人々の長い列が出来ている光景がテレビニュースで伝えられた。これまでの災害では、水や食料を求める行列はあったが、スマホ充電の行列というのはこの地震の特徴だろう。NHKが全国放送でテロップを流して、充電出来る場所の情報や、バッテリーをもたせる方法などが繰り返し画面に出てきた。バラエティー番組やドラマの最中でも、「スマホ画面の上の方を軽く触って下に動かす アイコンをタップ」といった、スマホの節電方法の事細かな伝授が画面上部に次々に出てきた。こんなことはかつてないことだった。スマホ時代になり、お年寄りでも節電できるようにという配慮からだろう。

8日の昼過ぎになって、北海道の知人・友人10人ほどに電話をかけたところ、ほとんどすべてが通じた。8日未明から午前中に電気が復活し、電話も若干遅れて使えるようになったとのことである。北海道庁に務める札幌学院大時代のゼミ生に電話すると、胆振支庁に関わる仕事をしていて、多くの犠牲者を出した厚真町の人々とも交流があったとのことで、ショックを受けているようだった。同じくゼミ生で水産会社に務める人からは、停電で冷凍庫、冷蔵庫が停止して魚がすべてだめになり、その対応にあたっている最中だった。札幌市清田区に住む「直言」読者(大学教員)に電話すると、液状化の被害は受けなかったけれど、当該地区はひどい状況とのことだった。

以下、8日夜になって、江別市に住む読者(札幌学院大時代の同僚)からメールが届いた。本人の了解が得られたので、個人的な事柄を除いて紹介しよう。

「・・・地下から突き上げる大地震(震度7)が起き、素足で中庭に飛び出ました。自宅から直線で80kmほどの太平洋側にある厚真(あつま)町が震源地でした。震源地際にある、道内最大の「北海道電力苫東厚真発電所」(火力、165万kw)のタービンとボイラーが破損し、それと同時に北海道全域、稚内・根室から函館までが停電となり、人口548万人の道民生活の電源がすべて失われました。これによって、通常の公共交通機関、鉄道、地下鉄、バスが止まり、空港への快速列車も止まりました。札幌だけでも市民196万人と観光客の足が奪われました。電力会社の事故による大規模な停電で、各自治体の応急対策も間に合わず、全道各地で断水が発生し、札幌市厚別区や江別市などでは夜間にわたる応急給水が施されました。もとより、パソコン、スマホ、携帯も電波の受発信、充電もできず、またガソリンスタンドも給油できず、ATMなどすべて使用できなくなりました。バスが動かないのは道路の信号機がすべて停止したからです。酪農家では、乳牛の搾乳ができず、大きな損失が出ました。

苫東厚真発電所の機能が一部回復し、併せて東京など本州から電力を救援してもらい、やっと本日8日午前には、停電が99パーセント回復したと報じられていますが、震源地周辺の大規模な土砂崩れが起きた現場では、行方不明になった被災者への必死の救出活動が今も続けられています。避難所にはまだ、近隣の6000人が留まっているようです。・・・

ただ、この大地震が冬の厳冬の積雪期でなかったこと、そして日本海側にある小樽市に近い、北海道電力の「泊原子力発電所」が検査で停止中であったこと、全道の農作物の被害が僅少だったことを不幸中の幸いと思い、本当に神仏に感謝しています。しかし、この度の被災で、“一私企業”である「北海道電力株式会社」に、北辺道民の生命、生活のすべてを丸投げしている国政の実態に触れて、事の重大さを痛感させられました。」

台風21号で停電が続く大阪・関西方面の生活がいかに大変かは、この全道停電の経験からも容易に想像がつく。メディアの報道が北海道一色になってしまったが、この関西方面の停電が一刻も早く解消されることが求められる。なお、今後、泊原発が再稼働して、泊周辺の断層帯で大地震が起きた場合、Nord-Japanに人が住めなくなり、農作物が大打撃を受ける可能性がある。江別市の読者が指摘するように、北電という、利益を追求する「一私企業」に道民生活のすべてを左右させてよいのか。ドイツの新聞に「フクシマ」を起こした東電が「スキャンダル企業」と書かれたことが想起される。この3月に福島の「帰還困難区域」に行ったが、北海道の明日の姿にならないようにするためにも、「泊再稼働」はあってはならない。

さて、冒頭左側の写真をご覧頂きたい。地震当日の『北海道新聞』6日付夕刊と翌7日付朝刊である。さきほど紹介した札幌市清田区の読者がスマホで撮影したものである(後日、研究室には現物が届くとのこと)。

6日付夕刊は見開き1頁だけだったが、災害中心の紙面構成。宅配で可能な限り届けられた。新聞記者も販売店の人々も大変だったろうが、災害における情報の重要性は、停電によりテレビもネットも使えないなかで、被災当日の夕刊は大きな励ましになったと、読者の方は私の電話に対して語っていた。翌7日付は16頁で、1面の題字をあえて左側に寄せて、最終面を合わせてぶちぬき見出しの1枚紙面としてこの大災害を記録しようという気迫を感ずる。担当デスクの見事な判断である。なお、北海道新聞紙面ビューアーもあるが、紙の新聞の迫力にはかなわない。紙の新聞には、大災害(事件)の衝撃的な記憶を保存する記録としての役割が期待できるのではないか。

そこで思い出したのが、東日本大震災の時の『石巻日日(ひび)新聞』のことである。7年前の直言「大震災の現場を行く(3) —石巻と大船渡:被災地における新聞の役割」で書いたが、地震と津波で社屋が被災し、輪転機が動かなくなったなかで、印刷用のロール紙に油性ペンで手書きした壁新聞を発行。避難所に張り出し、震災翌日から6日間、これを出し続けたのである。『ワシントンポスト』紙が報じたところ、これを読んだ「ニュージアム」(ニュース総合博物館、ワシントン)の職員が「困難を乗り越えて発行された歴史的な紙面」として、これを米国の博物館に展示した。

この壁新聞について、当時「直言」ではこう書いた。「輪転機がまわらない、携帯もつながらない。いま何をすべきかを議論して、結局記者たちがやったことは、現場を取材すること、それを書くことだった。足で歩いて集めた情報を、手書きで伝える。「瓦版(かわらばん)」の原点だろう。この「あたりまえ」のことがなかなかできない。彼らがやったことは、ジャーナリストの原点だったと言えよう」と。

全道停電のなかで発行された『北海道新聞』6日付夕刊と7日付朝刊は、非常電源をもつ大手ブロック紙とはいえ、取材から宅配まで全道停電の困難な状況のなかでやりとげたという意味ではきわめて意義深い。

救助、救急、救命、救護、救難、救援に関わるさまざまな機関や組織の活動は貴重である。西日本豪雨から台風21号(関空閉鎖、関西停電)、北海道胆振東部地震と、わずかな期間に自然災害が続いているが、それに対応する政府、とりわけトップがあまりに情けない。この首相は、災害に弱い。突然姿が見えなくなる。もちろん、関係閣僚会議などには出てくるものの、気合がこもっていない。下を向いたまま、メモを早口で、滑舌悪く読み上げるだけ。カメラをしっかりみて、自分の言葉で、被災者に訴えかける指導者の役割を十分に果たしていない。山梨の豪雪(2014年2月)の時は高級料亭で天ぷら、熊本大地震(2016年4月)の時は、酒を飲んだ後の赤ら顔でぶら下がり記者会見、大阪府北部地震(2018年6月)の際は赤坂の料亭で高級しゃぶしゃぶ、西日本豪雨(同7月)の時はご存じ「赤坂自民亭」、台風21号(同9月)の時は、総裁選のための新潟訪問へ。この首相は大規模災害における初動がなっていない。直言「「危機」における指導者の言葉と所作(その2)—西日本豪雨と「赤坂自民亭」」を再度お読みいただきたい。

特に今回の大地震は、総裁選の真っ只中。安倍首相本人は石破茂候補と論争をしたくないので逃げ回り、外遊を入れたりして選挙運動期間の短縮を図ろうとしていた矢先、この地震が起きて、「渡りに舟」のように、自民党は7日告示の総裁選について、3日間の活動自粛を申し合わせた。告示日は届け出のみ、候補者共同記者会見等は延期。しかし、20日の投開票は予定通り行うということで、石破氏との討論の機会がさらに減って、内心はホッとしているのではないか。投票日を延期して、しっかり議論すべきだろう。

安倍首相は災害が起こる度に各種の会議を開いて、自らさまざまな指示を細かく出している。小心で狭量なこの俗物を活用するために、取り巻きたちはこの首相と政権の「やってる感」をひたすら演出している。しかし、トップの無知と無能から生ずるボロは隠せない。この首相の場合、本を読まないために、自分の言葉がきわめて少ない。いきおい紋切り型になり、しかもくどい。いくつか例を挙げよう。

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NHKの9月7日9時50分のニュースは、「安倍首相16人死亡・・・」というテロップで、地震関係閣僚会議で「安倍首相は、・・・16人が死亡し、・・・と発表した。」と伝えた(『朝日新聞』デジタル同10時00分も同じ)。なぜ首相が死者数を発表するのか。役所にやらせればいいことを、自ら最新の情報として発表したがる。この首相の幼稚さが、今回さらに傷を広げた。神妙な顔をして死者数を発表したものの、これはフライングどころか、間違いだった。この時刻、警察庁は死者9人、心肺停止者7人としていた。菅官房長官はその日午後の記者会見で、心肺停止を死者数にカウントした誤りを認め、「申し訳ないと思う」と訂正し、陳謝した(『東京新聞』9月8日付)。実は6日の段階でも、警察庁が死者5人、心肺停止4人としているのを、安倍首相は関係閣僚会議で「9人が死亡した」と述べていたのである。人の死は、心停止、呼吸停止、脈拍停止、瞳孔散大の4基準をもとに、医師のみが決める医療行為であり、首相といえども勝手に死亡宣言をすることは許されない。蘇生の可能性を信じて待つ家族に対して、安倍首相自身が謝罪すべきである。この点について、ネット上では安倍首相への批判が目立つ

この首相の言葉の貧困さは、側近らの刷り込みに忠実にしゃべるため、発せられる言葉の浮遊感は否めない。例えば、台風21号が9月4日に上陸して大きな被害をもたらす可能性があるなかで、安倍首相は3日午後の非常災害対策本部で、「空振りを恐れず、早めに避難措置を取るなど、先手先手の対策を講じてほしい」と指示を出した(時事通信9月3日19時28分)。「空振りを恐れず」とは、避難指示を出して住民が避難したが、急に雨がやんでその必要がなくなったという場合などが考えられる。避難所まで行ったが無駄足だったと住民に言われても、避難しないで被害を出すことを考え、関係機関は人命第一で思い切った決断をすべきだということであって、それ自体は正しい。しかし、安倍首相の「空振りを恐れず」という言い方には違和感がある。それを何度も使うので、耳にさわるのである。まだ死亡が確認されていない人を「死者」にカウントしてしまうという「空振り」を繰り返しているのは、安倍首相自身ではないか。

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首相がここ数日、繰り返し使う言葉で私の耳にさわるのが「切れ目なく」である。8日午前の関係閣僚会議で、首相は、「被災者の命と生活環境を守るため、水、食料などの生活物資などを切れ目なく届くようプッシュ型で供給する」と述べた(『毎日新聞』9月8日付夕刊)。2014年の、集団的自衛権行使を可能にする「7.1閣議決定」のなかに「切れ目のない」安全保障法制の整備という形で出てくる。米軍用語の「切れ目のない」(seamless)からきているようである。今回の地震での使い方とは少し異なるが、響きがいいので多用しているのだろう。この首相らしい浅薄さがよく出ている。

それにしても、被災地支援に予備費を活用すると、金を動かせる中央政府の優位性を誇らしげに語りつつ、「被災自治体の要請を待たずに物資を届ける「プッシュ型支援」に充てる」という。私はこの言い方にも猛烈な違和感を感ずる。

7月の西日本豪雨の時も、官邸機関紙の『産経新聞』7月10日付は、「安倍首相「プッシュ型支援」強化を指示 11日に岡山県を視察へ」と書いた。平成30年度予算の予備費(20億円)を活用して、被災地からの要請を待たずに食料やエアコン、仮設トイレなどの物資を送る「プッシュ型支援」を強化するよう首相が指示し、岡山を皮切りに被災地を視察するというのである。「プッシュ型支援」は、大規模な地震や水害などの発生時、被災自治体が必要な物資や量などを正確に把握することは難しいため、国の判断で必要不可欠と見込まれる物資を送るシステムで、東日本大震災で支援物資が迅速に行き渡らなかった反省を踏まえ、2012年6月の改正災害対策基本法に盛り込まれた仕組みである。しかし、上から目線の首相が、これが必要だといって、地方の要望を無視して、あれこれ送り込めば、「大きなお世話」に超えて「大きなお節介」になりかねない。そうした支援をして、自ら視察に乗り込む。これこそ、警備や現地の応対などの負担を考えれば、災害の現場には「大きな迷惑」である。

災害対策基本法によれば、災害対策の基本は自治体である。市町村長や都道府県知事が災害対策本部を立ち上げて対応にあたる。現場の要望に対して、中央政府は的確な支援を行う。複数の地方にわたる大規模な災害については、非常災害対策本部を立ち上げ、国も関わるが、あくまでも主体は地方自治体である。西日本豪雨、台風21号被害、北海道胆振東部地震でも、なぜ、メディアは、官邸の非常災害対策本部やら関係閣僚会議やらの、背広姿の大臣たちしか映さないのか。もっと現場の知事や市長たちの活動や指示の仕方などを伝えるべきだろう。そこから、中央の支援の方向と内容、規模も決まってくる。20億使って、要請がなくてもいろいろと送れとかっこよく首相に指示させる。「やってる感」満載であり、住民、被災者への目はそこにはない。総裁3選のための「みてくれの指導力」の演出である。なぜ補正予算をくんで、本格的な被災地支援を行う姿勢を見せないのか。予備費程度でお茶を濁す安倍流政治はもはや害悪でさえある。

繰り返しになるが、10年前の直言「人命救助の思想と行動」で書いたように、内閣官房が大規模地震などの事態の初動体制についてマニュアルを作成しているが、首相の対応については規定がない。なぜか。それは、首相は最高責任者として、マニュアルに定めのない判断が求められるからである。日本の「危機管理」の致命的弱点は、システムの問題よりも、それを運用できない人と政治にある。とりわけ安倍首相の場合、その存在そのものが災害である。日本の国のもっているさまざまな機能が私物化され、政権維持のために費消されている。災害対応も、国と地方の力(直言「大災害と公務員」)と民間の力を含めて、この国のもてる力を出せば、東日本大震災の復興もとっくに出来ていただろう。この政権の5年8カ月は歴史的な喪失である。どさくさにまぎれて、緊急事態条項を導入する憲法改正を押し出しているが、これこそナオミ・クラインにならって言えば、「惨事便乗型改憲」の典型だろう。

この機会にもう一度、直言「大宰相か、「大災相」か—「安倍3選」というカタストロフ」をお読みいただければ幸いである。

(2018年9月8日脱稿)

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