いま、長年にわたって維持されてきた「平和国家」日本のブランドが名実ともに崩壊しようとしている。「憲法9条と自衛隊」という、本来両立し得ないものが、政府解釈の「自衛のための必要最小限度の実力」という巧みな概念によって定着させられてきた。この矛盾的併存状態は、戦後日本の一つの「奇跡」といえなくもない(水島朝穂編『立憲的ダイナミズム・日本の安全保障3』(岩波書店、2014年)序論参照)。だが、それがこの間、2つの方面から掘り崩されている。一つは「自衛のための必要最小限度の実力」概念から導き出される「集団的自衛権行使違憲」の政府解釈が、4年前の「7.1閣議決定」によって覆され、安全保障関連法によって法的根拠を創出させられた(拙著『ライブ講義 徹底分析! 集団的自衛権』(岩波書店、2015年)参照)。もう一つは、安倍首相が昨年5月3日に唐突に提起した憲法9条に「自衛隊を明記する」という加憲的裏技が、1年もしないうちに党の正式の方針に格上げされたことである。この国の憲法と政治をめぐる状況は一変した。
安倍政権はメディアとネットを巧みに操縦して、「フェイク政治」を普遍化させている。2012年に安倍政権が復活してまもなく、直言「SF政治(催眠政治)にご用心――アベノミクスとTPP」をアップした。そこでは、高齢者などに羽毛布団や高額商品を売りつける「SF商法」(催眠商法)から類推した「SF政治」という言葉で安倍政権の手法を特徴づけた。「なぜ、人々の生活にとって有益なのか。それが問題解決にとって有効なのかといった検討は脇に追いやられる。とりわけ「バスに乗り遅れるな」は、「SF政治」(催眠政治)の常套句である。それを無批判に垂れ流すメディアの責任は重い。・・・」(前掲「直言」より)。
安全保障の問題は、安倍政権によって「安心保障」にすり替えられ、メディアやネットを通じて人々の頭に日々刷り込まれている。いうまでもなく、「安全」と「安心」は別物である。「安全」の対語が何かを考えればわかるだろう。「危険」や「脅威」である。どのような危険や脅威が存在しているのか。具体的なデータや事実に基づいて客観的に確定した上で、対応措置を考える。これが安全保障である。これに対して、「安心」の対語は「不安」である。不安とは主観的なものであり、何に対して、どのような不安を、どのように感ずるかは人によって異なる。主観的な不安感に依拠した対応措置の設計は、いきおい過剰なものとなる。人の不安感はとどまるところがないからである。
対外的な安全保障の場合、ある国が、危害を加える能力や意図をもっているかを客観的に確定することが重要である。まず、北朝鮮という国の場合、日本とまだ平和条約を締結していないことに注意すべきである。その意味では、北朝鮮にとっても日本は「脅威」であり続けている。それでも、北朝鮮のミサイルが日本を直接の標的にしておらず、むしろ、米国に対して、「体制保証」を求めるやせ我慢的手段として使われていることは、米国も認識済みである。弾道ミサイルの「寸止め」的使用が「瀬戸際政策」をとってきたこの国の常套手段であり、基本的な路線は変わらないとみるべきである。「寸止め」のため、際どい時期が何度かあったが、平昌冬季五輪を契機にミサイル問題は急速におさまった。北朝鮮のミサイルが「日本上空」(実は宇宙空間)を飛んでも、Jアラートを鳴らして「避難訓練」をさせる日本政府のやり方は、ミサイルが日本にとってどのような客観的な「脅威」となっているかを隠して、人々の「不安」感をことさらに煽ってきた。まさに「不安の制度化」の手法である。
そもそも北朝鮮に日本侵略の「意図」はあるだろうか。2002年9月17日の日朝平壌宣言には、「双方は、国際法を遵守し、互いの安全を脅かす行動をとらないことを確認した」という文言が盛り込まれた。これ以降、いわゆる不審船問題はなくなる。政府は、「不審船、工作船、これについては、〔金正日国防委員長は〕一回目の会談で今後このような問題は一切発生をさせないということを言われたわけですけれども、その後発生をしていない」(参院外防委 2004年5月27日川口外務大臣)と答弁している。2006年、「北朝鮮が・・・今我が国を攻めるという・・・意図があるか・・・はややまだ疑問で・・・、脅威としては実感をしていない」(同年11月7日衆院安保委 久間防衛庁長官)と答弁している。当時の政府は冷静だったことがわかる(直言「集団的自衛権行使はいかなる「結果」をもたらすか」をよく読んでほしい)。
安倍政権になって、北朝鮮ミサイル問題を「安心保障」とする傾向が格段に進んでいる。メディアのアナウンス効果も大きい。南北首脳会談や米朝首脳会談の動きがどんなに進んでも、「やはり北朝鮮は信用できませんね」という調子でメインキャスターが語ってしまう。北朝鮮の動きや狙いをもっと客観的かつ冷静に伝えれば、日本の対応措置も客観的に決まってくる。ところが、主観的な「不安」感を煽ることで、結局、対応は、「ミサイルを撃ち落とす」というところに帰着させられてしまう。
ここ数年で「安全保障環境」の最たる可変要素は米国だろう。トランプ政権が安全保障を商取引の問題に特化し、日本に対しても、猛烈に兵器ビジネスを展開し始めている。北朝鮮が突然変わったわけではない。米国の北朝鮮への一見「融和政策」は、イランや欧州への強い圧迫政策との関係で微妙に変化していく。
直言「トランプ・アベ非立憲政権の「国難」―兵器ビジネス突出の果てに」でも書いたように、トランプの兵器売り込みに対して、前のめりなのが安倍首相である。まるで米軍需産業のエージェントのような口ぶりである。「アジア太平洋地域の安全保障環境が厳しくなる中、日本の防衛力を質的、量的に拡充していかなければならない。イージス艦の量・質を拡充していくため、米国からさらに購入していく。ミサイル防衛システムは日米で協力して対処するもの。迎撃の必要があるものについては迎撃していく」(『東京新聞』2017年11月7日付)。イージス艦の「量」にまで言及したことは、防衛計画にもない追加の装備を米国の軍需産業から買う約束をしたことを意味する。安倍首相はトランプに「防衛計画の大綱」と中期防衛力整備計画(中期防)を前倒しで改定するという考えを示したともいわれている(『朝日新聞』2017年8月19日付)。やりすぎである。一国の安全保障政策の基本を内閣や国会できちんと段取りを踏んで決める前に、首相が勝手に、「防衛力整備計画」にないものまで買う約束をしてしまう。「どんな脅威に対して、どんな装備が適切かという議論も経ないで、ひたすらトランプの要求に先回りでこたえる安倍の姿勢は、もう「忖度」を超えている。「後年度負担」という「リボ払い」を活用して、高額の兵器をたくさん買い、5兆円以上の借金を追加していく。・・・」(前掲「直言」より)。
昨年の今頃なら、「イージス・アショア」って何?である。ところが、いまはそれを何基買うか、どこに置くかという具体的実施計画の話になっている。こういう装備を買う必要があるのかという議論がまったくなされていない。当初見積もりでは1基800億円だった。ところが、最新鋭レーダーLMSSR搭載で1340億円となり、2基購入で2679億円に跳ね上がった。海上保安庁の年間予算は2112億3100万円(平成30年度)と比較しても、とてつもない金額であることがわかる。しかも、これを実際に稼働させるには、本体以外にも施設整備費が数百億円、維持・運用費が30年で1954億円、教育訓練費31億円、新型迎撃ミサイルSM-3 Block ⅡAは1発30億円以上する。SM-3の迎撃実験(2002年12月∼17年7月)の成功率は88%とされ、多数のミサイルを同時に発射する「飽和攻撃」を仕掛けられた場合、これをすべて撃ち落とすのは「極めて困難」というのは防衛省幹部も認めているという。設置予定自治体の山口県阿武町長が配備反対を表明した。
だが、イージス・アショアの導入は既定路線にされてしまっている。本来、内閣の安全保障政策を決める上で、その前段階で実質的な役割を果たしてきた自民党国防部会が変質してしまった。昨年12月12日の自民党国防部会・安全保障調査会合同会議は象徴的だった。直言「変わる自民党国防部会の風景」でも触れたように、党内手続も国会での審議も軽やかにはぶいて、首相官邸主導(手動)で、多額の予算を必要とする米国製兵器の導入が決まっているが、議員たちからは、「概算要求なしに予算が通るというのは時代の流れを感じるね」という皮肉る言葉が出たほか、「〔国防〕部会での事前報告がないというのはどういうことか。スタンドオフミサイルとイージス・アショアはどこで決まったのか」という野次が出たという。議員が、「スタンドオフミサイルは一発いくらで、どのくらい買うのか。」と質問したところ、省側は、「防衛上の理由で申し上げられない。何発もっているか北朝鮮側に把握されてしまうので。」と答弁。「いくらかわからないのに、我々が予算承認しなければならないのか。・・・国民の税金だということをいま一度考えろ。」という厳しい意見も出されたという。
トランプ押し売りに、日本は言い値で買わされる。イージス・アショアなど最近の米国製兵器は、「対外有償軍事援助」(FMS)という米国武器輸出管理法に基づく方式で、購入国は、米国側の価格見積もりや、代金の原則前払い、米国側が一方的に契約解除できる等々、米国ファーストの条件を受け入れなければならない。ところが、安倍首相は「トランプ大統領と100%一致する」ということで、何の留保もつけずに、国民の貴重な税金が垂れ流されている。重要なことは、「防衛計画の大綱」や中期防衛力整備計画にない装備が導入されることで、「安全保障政策の下克上」と呼ばれる現象が生じていることである。
「こんなものいらない」の典型がイージス・アショアだろう。貴重な国民の税金を、トランプのご機嫌とりに使う。まさに国を売る行為である。かつて陸上自衛隊富士学校長(陸将)が部内誌に、“F15が1機110億円だから、1本100円の大根が1億1000万本も買える”というようなことをいう連中は「大根派」だと書いたことがある(『富士』198号〔1996年6月〕)。家計でいえば、火災保険の保険料で、ドラ焼が○○個買えるという比較は無意味だろう。だが、火災保険については、それに地震や水害の特約を付けて保険金額がかさんでも、家族の理解は得られる。これに対して、イージス・アショアの必要性については、国民の理解は得られていない。
10年前に「大根派」的発想のこと―新型戦車の「もったいない」」を書いた。当時、東京消防庁などのドーファン・消防ヘリは、1機12億5000万円。対戦車ヘリ「アパッチ」は62機。最低価格83億円としても、消防ヘリが411機も購入できる計算だ。これを全国の消防本部に配備すれば、どれだけの人命が救えることか。費用対効果の点からも、納得がいく。「大根派」の発想をもっと広めていく必要があるのではないか(水島朝穂『武力なき平和―日本国憲法の構想力』(岩波書店、1997年)240?241頁)。
いま、「大根派」的発想からすれば、「全地形対応」をうたう、日本でたった1台しかない消防車両のことが想起される。その名も「レッドサラマンダー」。愛知県岡崎市消防本部に配備されているが、荒れ地や泥濘路、がれきや溝も乗り越え、水に浮いて進むことも可能である。消火活動や災害救援活動などあらゆる場面で活動できる。前部4人、後部に6人が乗れる。最高速度、時速50km、最大登坂能力50%、最大乗り越え段差60cm、最大溝乗り越え幅2m、水深1.2mまで走行可能で、気温マイナス30度にも耐えうるという。高額なオスプレイを買うよりも、これを主要な消防本部に配備した方がはるかに役にたつ。「オスプレイは災害派遣にも役に立つ」という詐術にひっかかってはならない。直言「人命救助の思考と行動」を読めば、東京消防庁と政令指定都市のレスキュー隊を中心に組織された「国際消防救助隊」(IRT-JF)のことが出てくる。1987年の国際緊急援助隊法の成立以降、国際救急医療チームと連携をとりつつ、地道な活動を蓄積してきた。阪神・淡路大震災を契機に緊急消防援助隊が生まれ、各種災害に出場している。自衛隊も災害派遣活動に経験を蓄積してきた。イージス・アショアに投ずる金を、これらの救助組織の強化などに使ったら、どれだけ有益か。西日本豪雨から台風21号以降の連続被害、突然の線上降水帯の出現による各地の豪雨被害、北海道胆振東部地震など、「いま、そこにある危機」は大自然の突然の豹変である。いまからでも遅くない。イージス・アショアに投じられる金を、全国の老朽化したダムや道路、河川などを再整備していくことに投じられればどれだけ有益か。それこそが真の「国防」(国土防衛)だろう。これこそ、サブタイトルを、「「大根派」的発想のこと(その2)」とした所以である(その1は、ここから)。
冒頭右側の写真は、ドイツの平和研究所機関誌にあった軍民転換のビジュアル化である。ユーロファイター戦闘機180機で、21万戸以上の社会住宅がつくれる。戦闘へり80機で、介護施設(70平米)が1000戸も建てられる、等々。これが「大根派」的発想の応用である。「大砲よりバター」である。その逆の「バターより大砲を」はドイツ第三帝国も同じだった。これは、『アサヒグラフ』(朝日新聞社)1937年3月17日号の記事である。安倍政権の前のめりの新兵器買いはこれを目指すのか。
最後に、5年前にSF政治について書いた結論部分を引用しよう。安倍政権が繰り出すSF商法にだまされない方法がある。「それは一度立ちどまって考えることである。SF商法でも、契約を結ぶ前に誰かに相談する。一日待ってもらう。とにかく頭を冷やして、じっくり考えてから答えを出す。「今でしょ!」って言われたら、「なぜ、今なの?」って聞く。「だから、今でしょ!」って強く言われたら、「だから、なぜ、今なの?」って聞く。「今しかないんだよ!」って言われたら、「じゃ、考えさせてもらいます」って答える。これが最も効果あるSF商法の撃退法であり、「SF政治」(催眠政治)からの覚醒法である」(前掲「直言」参照)。