安倍政権の「影と闇」――「悪業と悪行」の6年
2018年12月31日

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倍政権誕生の個人的思い出から始める。それは、笹子トンネル崩落事故と関係している。2012年12月2日。総選挙の投票日2週間前というので、NHK「日曜討論」は、「総理のスシ友」として知られる島田敏男解説委員(当時)の司会で、この選挙に立候補した12の政党の代表が討論していた。議員の発言中、司会の島田氏が突然、「ここでニュースです」と割って入った。発言者が多い選挙前の討論会ではあり得ない展開に、何があったのかと画面を見つめていると、ヘリの映像が入ってきた。トンネルから煙が出ている。中央自動車道の笹子トンネル(山梨県)で崩落事故が起き、複数の車が巻き込まれ火災が起きている。八ヶ岳の仕事場を予定通りに出ていれば、崩落の前後に現場を通過していた可能性が高い。背筋に冷たいもの走った(直言「焼き切れたタイヤキャップの思い出」の最初のリンク参照)。2012年は上り線の崩落箇所を20回通過し、その日は21回目になるところだった。このトンネルの不自然に低い天井に圧迫感を感じてきたが、まさかその天井板が130メートルにわたって落下してくるとは。

2週間後の第46回総選挙の結果は、笹子トンネル事故に続く、まさかの地殻変動であった。自民党は比例区での得票率27%(絶対得票率16%)で、しかも前回より219万票も減らしながら、小選挙区で大勝して、議席占有率61%という絶対過半数を獲得した。「小選挙区比例代表偏立制」と私が呼ぶ選挙制度の欠陥を最大限に活かすとともに、多党乱立の漁夫の利を、自民党が得たということである(直言「政治の劣化と選挙制度――2012年総選挙」)。

そもそも、2012年9月の自民党総裁選で安倍晋三総裁が復活したのが、この国の不幸のはじまりだった。1年あまりで政権を投げ出した人物がゾンビのようによみがえったのだ。「在任中、国務大臣の特命職務として「再チャレンジ担当大臣」を新設。再チャレンジ担当室も設置したが、安倍退陣で立ち消えになった。この施策で残ったのは、自分の再チャレンジだけだった」。

思えば6年前の総裁選でも、第1回投票では、議員票で石原伸晃58票に対して、安倍54票、地方票では石破茂165票に対して安倍87票と、ともに第2位だった。決選投票でも19票差の辛勝だった。今年9月の二度目の総裁選でも、地方票では石破氏が45%を獲得した。いま、法務省内に貼られている安倍首相揮毫のポスターには、「再犯防止 立ち直りを支える地域の力」とある(冒頭の写真参照)。私も他人のことはいえないが、すごい字である。この写真を送ってくれた人のメールには、「「再犯防止」は、第一次政権を投げ出した自分自身に言っているかのようです。「立ち直りを支える地域の力」も45%は石破さんに行ってしまったわけですが。」という一言が添えられていた。

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まもなく「平成」が終わる。泉佐野市が「勤労感謝の日」の前日、都内4箇所で無料配付した「平成、お疲れさまでした。」の泉州タオルを入手した。「平成」の期間に首相をやった17人の顔が並ぶ(安倍首相だけ2回)。どんな政権を論ずる際にも、その「光と影」、あるいは「功罪」という角度から論じ、少なくとも何か「いいことをしてはいないか」と探すものである。その点でいえば、対人地雷禁止条約に日本が加わる上で小渕恵三首相の果たした役割は大きい。クラスター弾禁止条約における福田康夫首相の役割も同様である。福田氏は公文書管理法制定においても重要な役割を果たした。短命ながら、それぞれの政権には「功罪」を語れる面があった。しかし、安倍政権6年の特徴は、「光と影」ではなく「闇と影」、「功と罪」ではなく「悪行と非行」としかいいようがない(それを象徴するのがロイター通信2017年10月22日の写真だろう)。

国会議員にも地方党員にも人望がいま一つの人物が総裁になって、さらに首相に返り咲いたわけだが、その「再チャレンジ」には相当な負荷がかかっていた。知力が劣り(小泉元首相によれば、「判断力悪い」)、体力に不安があり、胆力が致命的に欠けていて、共感力はないに等しい。こんなキャラをトップに据えた政権を維持し続けるには、特別の努力と方策が必要となる。つまり、持続的に「何かをやっている」ということを見せなくてはならない。この振付師と宣伝屋が相当優秀でないと、これはむずかしい。その「苦労」を正直に書いている本に出会った。

山口敬之『総理』(幻冬舎、2016年)。古書店のサイトで57円(配送料256円)で買って読んだ。安倍晋三という政治家と「出会った当初からウマが合った」この記者は、「至近距離」で付き合い、政権投げ出しで落ち込む安倍衆院議員を励ます。そして、安倍の「外面の復活」を演出した官僚たちのことを書く。重要なきっかけが2012年4月、安倍の高尾山登山だという。これに同行したメンバー、今井尚哉(経産省)、北村滋(警察庁)らが総裁選に向けて、安倍を対外的闘争モードに変えていく。この高尾山登山メンバーが、いま、安倍官邸の中軸を形成している(97 –100頁参照)。その一人、北村内閣情報官が、準強制性交等罪容疑で逮捕状執行直前のこの本の著者を、警視庁刑事部長を動かして救った。その過程を生々しく、かつリアル描いたのが、警察キャリアがペンネームで書いた「92%が現実」と自称する「告発ノベル」、幕蓮『官邸ポリス—総理を支配する闇の集団』(講談社、2018年)である(特に第4章「御用記者の逮捕状」96 –122頁参照)。

この「官邸ポリス」(永田町1丁目で「エイワン」と略称。中央合同庁舎8号館)が、前川喜平元文科事務次官の「出会い系バー」問題をはじめ、政治家・官僚の私生活に対する情報収集活動を行って、官邸による「人心掌握」のカードに用いられているようである。そして8号館5階にある内閣人事局が、粘着質で執拗な官僚統制機能を発揮している。6年前に復活した安倍政権を支えているのは、与党国会議員と官僚に対する、疑心暗鬼と相互監視、公安・特捜・税務などの権力装置を武器にした恐怖支配である。これに、メディアへの執拗で粘着質の介入(個々のキャスターへの個人攻撃を含む)や、特定新聞社への長期にわたる攻撃(安倍政権の「赤報隊」化)、さらには、大学教育への「多角的な」介入などが加わる。「そこまでやるか」という予測不可能性を伴う恐怖支配が、「平成」30年間における他の16人の首相たちにはなかった、安倍政権6年の特徴の一つといえよう。

安倍政権6年の特徴の第2は、知性と論理を打ち捨てて、ひたすら憲法改正に前のめりの姿勢をとっていることである。それぞれの時期に応じて濃淡はあれども、憲法改正への猪突猛進性は他の政権にはみられない。6年前の今日(12月31日)「直言」のタイトルは、「「憲法突破・壊憲内閣」の発足」だった。憲法改正の発議には、衆参両議院の総議員の3分の2以上の賛成を必要とすると定める憲法96条に手をつけ、「3分の2以上」を「過半数」に変えようとした。すぐに憲法研究者を中心に「96条の会」が発足。この「憲法改正の裏口入学」と唾棄される手法を暴き、私も直言「憲法デマゴーグ」の96条改正論」を出して批判した。半年もしないうちに、安倍首相の口から「96条改正」は消えた。内閣法制局長官の首をすげ替え、政府解釈を強引に変更して「集団的自衛権行使合憲」の解釈改憲路線を1年半続け、安保関連法を成立させるや、今度は「お試し改憲」路線に移る。

そして、2017年5月3日、唐突に「9条加憲」提案(9条2項をそのままにして自衛隊を明記)を行うに至った。党議拘束をかけた自民党憲法改正草案(9条2項削除で国防軍とする)とは別の総裁提案が、1年もしないうちに今年3月、党の方針となった(直言「「フェイク改憲」に対案は不要」)。安倍政権の機関紙と化した『読売新聞』の援護射撃を受けて、安倍首相は改憲への動きを加速させようとするが、しかし、なかなかうまくいかない。そこに焦りも生まれている(直言「首相の「改憲扇動」の違憲性」)。

今年秋の臨時国会に向けて、首相側近を憲法改正関係の要所につける人事をやったものの、これがかえって裏目に出た。最側近(下村博文)を憲法改正推進本部長に据えてスピードをあげようとしたが、その傲慢な発言が野党を怒らせ、「改憲4項目」の国会提示も来年以降に持ち越されてしまった。これには既視感がある。11年前の憲法改正国民投票法をめぐっても、安倍官邸の焦りが強行採決へとつながった。「議員立法の提案筆頭者が座る席に安倍首相が座って、答弁している姿は、日本立法史上の「汚点」として残るだろう」。安倍首相の「判断力の悪さ」(小泉元首相の言葉)は、とりわけ改憲をめぐる焦りとなって繰り返されている。

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安倍政権6年の特徴の第3は、すさまじいばかりの「権力の私物化」である。安倍晋三という類まれなる「大災相」をトップにいただき、その配偶者の突き抜けた奔放さが矛盾と傷口を拡大している。森友問題の泥沼は、「国政不全「安倍夫妻」の大罪」(『選択』2017年4月号48 –50頁)とされ、さらに、「日本を腐らす「総理のご意向」」(同6月号48 –50頁)は森友問題から加計学園問題まで一貫している。森友問題では、公文書の改ざんが行われ、財務省近畿財務局の職員から自殺者まで出している。「書いて消せるマグネットシート」を3月の党大会で記念品として配ってしまうセンスもすごい。加計学園問題について私は、「歪められた行政」の現場と情報公開を駆使した今治市民の活動について二度の現地取材を行って書いている。この森友・加計問題について安倍首相自身は、今年9月3日、「私の不徳の致すところからさまざまな批判があり、それを、皆さんがかぶっていただき、大変だったと思います」と言ってのけた。「かぶっていただき」という表現がすごい。自殺した職員も「かぶらされた」一人だろう。「ニュース23」の当日の映像がネットでみられる(10分25秒あたりからご覧ください)「無知の無知の突破力」のなせるわざといえよう。

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安倍政権6年の特徴の第4は、国会の機能不全をもたらしたことである。これは第183回国会(常会・2013年1月28日∼6月26日)から第197国会(臨時会・2018年10月24日∼12月10日)まで、この国の「国会史上における汚点」として記憶されるべき異様な事態である。安保関連11法案や働き方改革関連8法案など、内閣提出の重要法案のほとんどが「一括処理」され、国会審議軽視の乱暴な手法が頻繁にとられた(「「国会劣化」こそ最大の国難」『選択』2018年3月号56 –57頁)。実質的な移民につながる入管法改正案が衆参合わせて審議時間わずか38時間というのも驚きである。国会「議事」堂ではなくは国会「表決」堂であるという尾崎行雄の批判が激しくあてはまる。

安倍首相の答弁姿勢言語能力のひどさは閣僚にも伝播し、閣僚の答弁姿勢の劣化は、国会史上に例をみない惨憺たるものである。安倍政権6年を象徴するダブルスピーク(二重言語)が、「寄り添う」の多用といえよう。すでに多くの国民が忘れてしまっているが、露骨な憲法無視の例が、憲法53条による臨時国会召集義務の黙殺である。かつての自民党はそこにはない。国会はもはや安倍首相に過剰忖度する審議しか行わない。だから、繰り返し「私は立法府の長」と「失言」を続けるのである。この国の民主主義はすでに壊死の段階に入っているのではないか。国民がそれに気づかないで慣れてしまっていることが危機的である。

安倍政権の本質を「国家先導主義」という観点から分析した3年前の本を、この「直言」のために再読した(柿崎明二『検証 安倍イズム—胎動する新国家主義』(岩波新書、2015年)。いろいろと発見があった。「胎動」がこの3年で本格的に開花している。経済、財政、労働、福祉、教育、安全保障、治安などのすべての分野での検証の必要を感ずる。「直言」のバックナンバーをご覧いただけば、そのヒントはいろいろと出てくるだろう。だが、年末になってとんでもないことが起きた。最後にそれについて書いておく。

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国会が閉幕し、年末のあわただしさのなか、世間がクリスマスムードになっている12月25日、安倍政権は、国際捕鯨委員会(IWC)からの脱退を閣議決定した。官邸のホームページにはそのことが記載されていない。当日の記者会見でも触れずに、26日になって公表した。そして26日、国際捕鯨取締条約からの脱退を通告した。閣議決定してもそれを一定期間公表しない案件を「件名外案件」と称して、慣例として行われているというのだが(『東京新聞』12月27日付)、国際機関からの脱退というのは、国政の重要事項である。臨時国会中になぜ「脱退」を準備していることを報告しなかったのか。相手があるから公表は後日でいいと考えているとすれば、憲法73条3号ただし書きを無視するものだ。外交関係の処理(同2号)を含め、対外関係については内閣の判断が重視される。憲法もそれは認めつつも、条約という国家間合意、あるいは国際機関への加入条約については、「但し、事前に、時宜によつては事後に、国会の承認を経ることを必要とする。」と定めている。国際機関からの「脱退」もまた、国会がきちんと関わるべきである。国会承認は「時宜によつては事後」と憲法にあるが、IWCからの脱退が緊急を要するものとはとうてい思えないので、「時宜」には該当しない。

なぜ、通常国会が始まってから、農林水産委員会などで議論してからにしなかったのか。ここに、安倍政権の憲法無視の姿勢が端的にあらわれている。国の政策の大転換なのに、首相の選挙区である下関と、二階俊博自民党幹事長の選挙区の和歌山県太地町が捕鯨の拠点であるということ以外に理由が見つからない。二階幹事長は「食文化の違い」を云々しているが、IWCの主張をリットン調査団に重ねて、国際連盟から離脱した時の政府の姿勢とよく似ているではないか。菅義偉官房長官は「脱退」に関する記者会見で、「鯨資源の持続的利用の立場と保護の立場の共存が不可能である」と述べたが、この論でいくと、場合によっては国連脱退もあり得ることになる。意見が違ったら話し合う。それを放棄する姿勢を全世界に見せてしまった。安倍政権の直近の最大の罪は、憲法98条2項の「国際協調主義」から離脱して、トランプに便乗して、「日本ファースト」を旗幟鮮明にしたということである(ただし、米国だけには主張しない)。攻撃型空母をもつ国に変わることと、これは同時に進行している。このことをしっかり記憶しておこう。

「情報隠し」、「争点ぼかし」、「論点ずらし」、「友だち重視」、「異論つぶし」の安倍流「5つの統治手法」を駆使して、「前提くずし」という究極の手に出てきたわけで、国際機関からの脱退を行い、パリ協定(地球温暖化対策)やINF条約(中距離核全廃条約)からの離脱を表明したトランプと「100%一致」したい強引な姿勢を見せたかったのだろうか(ただし、アメリカはIWCの加盟国で条約寄託国)。

なお、仕事場にかかってきた電話一本でコメントしたら、思わぬ大きな扱いを受け、ネットでも反響が大きいので驚いた。『東京新聞』12月27日付2面(総合面)に掲載されている。写真がカラーなのでよく見たところ、2014年夏に特定秘密保護法関連のコメントをしたときの写真のようである。私が手にもっているのは、特高警察のマニュアル『特高必携』昭和7年版と昭和8年版である。昭和8年(1933年)版が大改訂で厚くなって、内偵すべき団体が一気に増えていることを記者に示して、1933年に特高の活動が活発化したことを説明している写真である(直言「わが歴史グッズの話(40)—「特高」を必要とする「共謀罪」法」。日本史を学んだ人ならば記憶している通り、昭和8年(1933年)は国際連盟脱退の年である。手に載せた『特高必携(昭和8年版)』でそれを連想させようとしたとすれば、担当記者か担当デスクのセンスはかなりいい。 以下、『東京新聞』の電話インタビューのコメントを下記に掲げる。

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最後に、「安倍的なるもの」に取り込まれないのはどういう人か。講演などで市民に対して、「安倍的なるもの」にだまされない秘訣を伝授するとして話していることを下記に掲げておく。

(1) 紙の新聞をよく読んで、ネット情報もチェックして、物事を比較しながら、関連づけて考えることのできる人。
(2) 「この道しかない」「唯一の選択肢」「私だけ」といったわかりやすい言い方に対して、「ちょっと待って」と立ち止まって迷う人。
(3) 「日本だけがすばらしい」「中韓は嫌い」といった、「友と敵」があまりにもはっきりした主張に安易にのらない人。

少なくとも上記の3点を守っていれば、「安倍的なるもの」とは距離をとることが可能である。そして、何よりも、有権者としての「1票」が決定的に重要である。安倍政権6年間の栄養は、半ば恒常化した低投票率である。「二人に一人しか投票しない「民主主義国家」」が定着したのが安倍政権の6年だった。史上最低の投票率を更新しつつ、日本はどこへ行くのか。「二人に一人しか投票しない「民主主義国家」」からの離陸が求められている。

「安倍政権を支持しているわけではない。他に代わりがいないから。」 こういう消極的支持者が安倍政権を支えている。そんなひとへ向けて、「ほんとに代わりはいないの?」、「もう、さすがに新しく変わる必要はないの?」、「誰かを支持していなくても、今を変えたいなら、投票に行かなくては?」と問うてみてはどうか。少なくない学生たちはいま、「憲法なんてどうでもいい(必修単位取得を除けば)」、「憲法より内定だ」という考えなのか。就職率の改善は現政権ではなく団塊世代退職によるところが大きいし、それでも就職活動が時期変更も含めて厳しいのは政治の影響ではないのか。内定までは分からない就職後の過労死など、ブラック労働は政治の影響ではないのか。憲法上の権利とかかわることではないのか。「自由と立憲主義からの逃走」がもたらすものは何かを真剣に考える必要があるだろう。

最後に、安倍政権の改憲の本質を見抜いた人を紹介しておこう。森友学園問題で長期勾留された籠池泰典理事長夫人である。「アメリカの傭兵として終わる」など、安倍政権の目指す改憲の方向と内容について学んだことを書きながら、「安倍さんの正体を見抜けて本当によかった」と晴々と書いている(籠池諄子『許せないを許してみる—籠池のおかん「300日」本音獄中記』(双葉社、2018年)272頁)。安倍シンジャーズのマインドコントロールから脱するためには、ものごとをしっかり考え、書きとめていくことである。独房という不幸な「場」が彼女にとってはその機会になったのだろうか。

2018年の「直言」を毎週1回、52回を更新することができた。この最後の回は安倍政権の「影と闇」のため、書いている方も読む方もあまり気分がよくないと思うが、2019年はそこに「光」がさしてくることを祈って、またそのために私も努力することを誓って最後の「直言」を結びたい。

読者の皆さん、来年も「直言」をどうぞよろしくお願いします。

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