2018
2018/1/1:憲法存亡の年のはじめに――直言更新1110回
2018/1/8:年のはじめに武器の話(その1)――空母、爆撃機、ミサイル
2018/1/15:年のはじめに武器の話(その2)――変わる自民党国防部会の風景
2018/1/22:歴史的退歩のトランプ政権1年――「100%支持」の安倍首相
2018/2/5:わが歴史グッズの話(42)対人地雷禁止条約20周年と自衛隊
2018/2/12:安倍流統治手法と名護市長選挙――ポスト「壁」の28年にも触れて
2018/2/26:なぜ日米地位協定の改定に取り組まないのか―「占領憲法」改正を説く首相の「ねじれ」
2018/3/5:憲法改正のアベコベーション――「フェイク改憲」
2018/3/12:「地球儀を俯瞰する外交」の終わり――トランプと「100%一致」の末に
2018/3/19:「フェイク改憲」に対案は不要――「改憲論戯」からの離脱を
2018/3/26:「いくらなんでも」政権の終焉へ――首相の「責任」とは
2018/4/2:東日本大震災7年の福島と憲法――「帰還困難区域」にも
2018/4/9:安倍政権の終わり方――「アッキード事件」と「日報」問題
2018/4/16:安倍首相が壊した「もう一つの第9条」――森友学園問題と財政法
2018/4/23:「膿の親」は誰か――イラク日報問題と自衛官暴言事件
2018/4/30:わが歴史グッズの話(43)朝鮮戦争「休戦」から「終戦」へ
2018/5/7:読売マッチポンプの罪――安倍流「憲法改ざん」と前木政治部長
2018/5/14:歴史改ざん主義に抗して――映画「否定と肯定」と
2018/5/21:「安倍カラー」で空洞化する大学――入口から出口まで
2018/5/28:武蔵野の空襲と防空法――「わろてんか」の「建物疎開」にも触れて
2018/6/4:「アベランド」――「神風」と「魔法」の王国
2018/6/11:歴史における個人の役割――「翼賛体質」がもたらすもの
2018/6/18:米朝首脳会談の先に見えるもの――東アジアの歴史的転換へ
2018/6/25:米朝「共同声明」をどう診るか――「体制の保証」か「安全の保証」か
2018/7/2:「安全保障環境が変わった」――辺野古移設と陸上イージスの中止を
2018/7/9:「ゆがめられた行政」の現場へ—獣医学部新設の「魔法」
2018/7/16:「危機」における指導者の言葉と所作(その2)――西日本豪雨と「赤坂自民亭」
2018/7/30:ゆがめられた選挙法――総裁3選の手段に?
2018/8/06:わが歴史グッズの話(44)番外編・グッズの可能性とリスク
2018/8/13:「遺物」から迫る日航123便事件――隠蔽、捏造、改ざんの連鎖
2018/8/20:大宰相か、「大災相」か――「安倍3選」というカタストロフ
2018/8/27:「新聞を読むな」という政権――「新聞を読んで」の今は昔
2018/9/3:雑談(117)音楽よもやま話(24)音楽における「帝王」?
2018/9/10:大災害と「大災相」――北海道胆振東部地震
2018/9/17:ケムニッツの警告――「水晶の夜」80周年(北ドイツ・デンマークの旅(その1))
2018/9/24:水島ゼミ沖縄合宿の20年――知事選下の沖縄へ
2018/10/01:「外交の安倍」は「国難」――プーチンとトランプの玩具
2018/10/08:憲法政治の危機のなかで――今関源成『法による国家制限の理論』
2018/10/15:イージス・アショアの「もったいない」――「大根派」的発想のこと(その2)
2018/10/22:キール軍港水兵反乱100年の現場へ――ヴァイマル憲法100周年への道程(北ドイツ・デンマークの旅(その2))
2018/10/29:デンマーク系少数派住民の政党(SSW)と5%条項――(北ドイツ・デンマークの旅 (その3))
2018/11/05:首相の「改憲扇動」の違憲性――「憲法改正の歪曲」
2018/11/12:災害における新聞の役割――衝撃的な記憶を記録
2018/11/19:「総理が「平成30年4月開学」とおしりを切った」から――歪められた行政の現場へ(その2)
2018/11/26:「過去の克服」のかたち――ノイエンガンメ強制収容所 (北ドイツ・デンマークの旅(その4・完))
2018/12/03:権力者が「寄り添う」――安倍流統治言語
2018/12/10:秋篠宮発言をどうみるか――天皇・皇族の憲法尊重擁護義務
2018/12/17:国政の「放漫運営」――高額兵器の「爆買い」が国を滅ぼす
2018/12/24:教育デジタル化のために憲法改正――ドイツ基本法第63次改正の迷走