人類の半分は女性である。しかし、周囲をみまわすと男性ばかりで、私にとって一番身近な職場も例外ではない。23年前に着任した時、専門科目の女性教員は1人だった。2018年度で、法学学術院教授会(法学部・法学研究科・法務研究科)構成員のうち女性は14人(専門7、語学教養7)。女性比率は12.5%である(学部だけだと15.7%)。女性の教員はまだまだ少ない。
3月5日に列国議会同盟(本部ジュネーブ)が発表した各国の女性議員の割合を示す報告書(2018年)によれば、日本の女性議員の比率は衆議院が10.1%、参議院が20.7%で、193国中165位である。先進7カ国(G7)では、日本以外に100位台の国はなく、G20でも日本は最下位という(『東京新聞』2019年3月6日付夕刊)。現在の第4次安倍改造内閣の女性閣僚は、くだんの片山さつき氏だけである。内閣府特命担当大臣(「男女共同参画」「女性活躍」等担当)というから、これはジョークそのものだ。昨年5月16日、「男女候補者均等法」が参議院本会議において全会一致で可決・成立した。男女の候補者数が「できる限り均等」になるよう目指すという法律で、その効果が具体的にあらわれるのには、時間とさらなる努力と発想の転換が必要だろう。
実は、女性が有権者となってまだ100年しかたっていないのである。19世紀英国における3次にわたる選挙法改正によっても、女性参政権にまでは至らなかった。この間、ミリセント・フォーセットの婦人参政権協会全国同盟(NUWSS)などの運動が展開され、デビッド・ロイド・ジョージ内閣のもと、1918年の第4回選挙法改正で国民代表法(Representation of the People Act)が成立し、さまざまな制限をつけて、30歳以上の女性に選挙権が与えられた。男性は21歳以上の普通選挙権だったので、なお不平等は残ったが、10年後の1928年の第5回選挙法改正で、男女平等の普通選挙権が実現した。60年間、運動にかかわったフォーセットは、その翌年、82歳で死去した。
ロンドンの英国議会前広場では、昨年4月24日、フォーセット像の除幕式が行われた(冒頭左の写真参照、BBC)。像には「Courage calls to courage everywhere」(勇気はいたるところで勇気に呼びかける)というスローガンが掲げられている。テリーザ・メイ首相も参加して、「彼女がいなければ私がここに立つことはなかった」と演説した。なお、女性参政権運動を描いた映画『未来を花束にして』(原題 Suffragette、英国 2017年)はまだみていないので、機会を見つけて鑑賞したいと思う。
ドイツにおける女性参政権は、1918年の11月革命(ドイツ革命)がきっかけである。キールの水兵たちの政治要求には、女性参政権も含まれていた(直言「キール軍港水兵反乱100年の現場へ―ヴァイマル憲法100周年への道程」)。フィリップ・シャイデマン(社会民主党(SPD))が議会の窓から「共和国誕生」を宣言したその3日後の11月12日、SPDと独立社会民主党(USPD)の臨時政府は、男女の普通選挙権の導入を決定した。女性が参加した最初の選挙は1919年1月19日に行われた。
アメリカでは、女性参政権を導入する合衆国憲法修正19条が成立するのは1920年のことである。フランスはさらに遅れた。男性の普通選挙権はフランス革命期の1792年9月に比較的早く導入されたが、女性参政権については、第2次世界大戦後の1945年4月である。イタリアも1945年である。スイスは1971年まで、女性参政権が存在しなかった。
日本では、1924年、市川房枝らが婦人参政権獲得期成同盟を結成した。1925年の普通選挙法により、25歳以上の男性に選挙権が与えられた。女性参政権は、第二次世界大戦後の1945年12月の選挙法改正で導入され、満20歳以上の男女による平等な選挙制度となった。1946年4月10日の第22回総選挙では、女性議員が39人当選した。ここで成立した議会で、日本国憲法が制定された。
この総選挙当日について報ずる『朝日新聞』1946年4月11日付は実に興味深い。今と違って翌日開票のため、一面の記事は選挙当日の状況が中心である。見出しは「投票の成績は大体順調 大勢判明は今夜半 各地、婦人の出足は良好」。冒頭右の写真をご覧いただきたい。東京杉並区の妙法寺の投票風景である。「一票を初行使 婦人も出足よくぞくぞく投票所ヘ」のキャプション。託児所という紙が木に貼られ、学校の椅子が5脚置かれ、子どもたちが遊んでいる。列に並ぶのは8割方が女性という構図で、この選挙を象徴させようとしている。
『朝日新聞』の記事はまた、「民主日本の運命を決定する第22回衆議院議員総選挙の投票は世界を挙げての注視の裡に」という形で、世界が注目する、敗戦後最初の民主的総選挙だったことを改めて思い起こさせる。他方で、「婦人の棄権率の増大が危惧されていた」が、「婦人投票率は婦人参政の試金石として、最も注目を集めていたところ、各方面の危惧に反して、各地とも出足は頗る好調を伝えられ、地域によっては男子の投票率を凌ぐ成績を見せ、仙台市の如きは投票者の約八割を占めている模様である」。「〔東京〕区部では朝の家事に追われて出足鈍く午前九時までは男子の三分の一しかなかったが、昼から午後にかけて調子を上げ区部、農村とも午後三時過ぎの概況は各地で男女ともほとんど同率、“台所から政治する”婦人の政治意欲は高く買われてよいだろう」。「新有権者の婦人また世評を蹴飛ばして好調」(東京郡部)」。「浦和市の如きは婦人の投票率は男子より二割良い」等々、女性が初めて選挙に参加したことを、男の視線と目線で伝えている。
この日の社説は、この総選挙の特徴として「婦人参政権の最初の行使の機会」「治安警察法、治安維持法などの悪法によって妨害されない選挙」を挙げる。「欧州も見守る選挙の結果」としてチューリヒ特派員の記事が掲載され、そのなかで「『家庭奴隷』と批評された日本婦人が如何に選挙に反応するかが注目されている」と書く。
戦争が終わってまだ8カ月。冒頭の写真にあるように、「託児所」に子どもをあずけて、投票所に並ぶ女性たちの笑顔が印象的だ。こうした雰囲気のなかで、憲法施行記念の切手に、子どもを抱く女性の絵が使われたのだろう(直言「わが歴史グッズの話(23)憲法施行60年」参照)。
この戦後最初の総選挙から73年。政治家たちの劣化がとまらない。安倍トモの女性政治家も同様である。例えば、「次期首相候補」ともてはやされた(正確には、安倍首相一人が「もてはやした」)女性政治家がいる。議員3期目で大臣ポストがころがりこみ、やった仕事は内閣人事局の奇抜な文字の看板だけ。続いて防衛大臣に任命されるも、まともに答弁も記者会見もできず、それでも頭のなかは、改憲一直線と教育勅語礼賛のアナクロニズムで、安倍首相と一体を見せつける。別の首相肝入りの若い女性議員は、LGBTの人たちのことを「生産性がない」と発言して物議をかもすとともに、文科省の科学研究費に関連して、特定の大学教授の実名をあげ、「徴用工問題が反日プロパガンダとして世界にばらまかれている」といったトンデモ質問を行っている。
なぜこういうことが起こるのか。それもこれも、「安倍一強」と呼ばれる「ねじれ解消」の結果にほかならない。女性の政治参加をもっと進めていくためにも、まずは「ねじれ解消」の解消が求められる。日本より先にそれを達成したのが米国である。
2018年11月6日の米国中間選挙は画期的だった。上下両院で共和党が多数を占め、合衆国最高裁もトランプによる裁判官任命が続いて、保守派が過半数を制して「トランプ一強」状況が続くなか、下院では民主党が多数を占め、まさに「ねじれ」がうまれたのである。『毎日新聞』11月8日付は「下院は民主ねじれに」の横大見出し、『東京新聞』も「ねじれ議会」と縦見出しを打った。
その米国で、この2月5日にトランプの一般教書演説の際、民主党のナンシー・ペロシ下院議長をはじめ、同党の女性議員がそろって白のスーツで議場に登場した。米国では、20世紀初頭に女性参政権運動が起きた際、女性たちが白い服を着ていたことから、白は女性の政治参加を象徴する色とされている。今回の呼びかけ人のロイス・フランケル下院議員は、「女性の参政権を象徴する白い服を着ることで、女性たちへ連帯のメッセージを送る。女性の権利を手放さない宣言だ」と述べたという(『東京新聞』2月6日付夕刊)。
日本では、2013年参院選の際、「ねじれ解消」というキャッチフレーズのもと、安倍自民は衆院に続いて参院も制した(直言「「ねじれ解消」と「3分の2」の間―2013年参議院選挙」)。参議院を「決められない政治の元凶」とする「印象操作」が行われ、「決められる政治」へと誘導された。その結果が、「安倍一強」である。自らを「立法府の長」と言い間違えても不自然でないというところまできた。私は2年前の直言「「ねじれ解消」からの脱却」で、たくさんの「ねじれ」を生み出していく必要性を説いた。
「二院制の重要な「ねじれ」が消えてしまった結果、参議院がまったく機能しなくなった。だったら、まずは中央と地方の「ねじれ」をあちこちにつくる。安倍政権の言うままにならない自治体を増やす。そして、官邸と官僚の「ねじれ」をつくる。行政を私物化する安倍一党に対して、まともな公務員のしたたかな抵抗がすでに始まっている。それを国民が支えることが大切である。三つ目は官邸とメディアの「ねじれ」をつくる。御用メディアからの離脱である。メディアの批判力はいま、少しずつ回復しつつある。」と。
2年たってみて、どうだろうか。不正統計問題では厚生労働省から総務省まで「汚染」は広がっている。「内閣人事局」の威嚇効果もあって、「構造的忖度」は霞が関に深く、広く、濃く定着したかのようだ。安倍首相は「5回選挙に勝っている」と、質問する野党議員に野次を飛ばすが、勝ったといっても、有権者の半分は選挙に行っていない。「二人に一人しか投票しない「民主主義国家」である。「低投票率」が意識的につくられている節すらある。
米国の中間選挙に続いて、日本でも「ねじれ」を生み出す必要がある。そのためには、「垂直型権力分立」、すなわち中央政府(安倍政権)・都道府県・市町村の「三権分立」が重要である(直言「垂直の「ねじれ」をつくれるか」)。まずは4月7日の統一地方選挙(前半戦)で、中央と地方の「ねじれ」をつくれるかが課題となる。とりわけ注目されるのは、大阪である。維新の会の知事・市長の「暴走」(任期前に辞任して、入り代わり立候補による突然の選挙)に対して、大阪自民に立憲、共産、国民の各党が自主支援を決定することで、「自共」協力という現象が生まれた。これは維新と密接な関係を維持する安倍政権のなかに「ねじれ」が生まれたことを意味する。
そして、「本番」が7月21日の参議院選挙である。前回の2016年選挙のとき、私はドイツのボンで在外研究をしていた。英国の「EU離脱」をめぐる国民投票も現地で目撃した。私は「EU離脱」が決まった翌週の直言「「大後悔」の一票にしないために―参議院「国権の再考機関」の選挙」で、英国の生々しい状況を念頭に置きながら次のように書いた。
あれこれの政策の是非を議論する以前に、議論の土台とルールを破壊する者たちを相手にしていることを忘れてはならないだろう。「民意の暴走」に対してあえて「地方(ラント)の声」を絡ませて、抑制と均衡によって国の行方を誤らないようにする仕組みが〔ドイツ〕連邦参議院の存在意義だとすれば、日本の参議院は、半数改選という3年に一度の「民意の定時観測」によってそれを行うものとはいえまいか。国権の最高機関たる国会のなかで、参議院は、衆議院が決めたことをもう一度しっかり考え直させる、まさに国権の「再考機関」である。有権者の賢明な選択を期待したい。
「女性参政権100年」を経過して、いま、男女ともに「参政権をとりもどす」ことが大切である。「安倍首相の代わりがいないから」とか、「民主党政権の悪夢を繰り返すな」といったことは理由にならない。これは思考停止でしかない。選挙というのは選ぶことである。「安倍首相の代わりいない」という理由でその存続を支持することは、選択しない選択をしていることになる。また、民主党政権はたった3年である。安倍政権の6年3カ月は「悪夢」どころか、もはや「大惨事」(カタストローフ)である(直言「「大災害」と「大災相」」)。
冒頭の写真を再度ご覧いただきたい。投票所に並ぶ女性たち。全国各地で、女性たちが投票所に向かい、自らの判断で一票を投ずれば日本は変わる。女性参政権による最初の選挙を描写した『朝日新聞』1946年4月11日付の記事を再度引用しておこう。
婦人の棄権率の増大が危惧されていたが、・・・各地とも出足は頗る好調を伝えられ、地域によっては男子の投票率を凌ぐ成績を見せ、仙台市の如きは投票者の約八割を占めている模様である・・・。