雑談(119)「断捨離」と「終活」——「緑寿」を契機に
2019年4月15日

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4月に入り、内外ともに大きな事件が続く。4月1日の新元号の公表に続き、9日には「令和6年」(2024年)に刷新する紙幣を、麻生太郎財務大臣が「私が指示した」として唐突に発表した。なぜこのタイミングなのか、疑問は尽きない。新元号関連の新聞号外も次々に届いている。『神奈川新聞』だけが菅義偉官房長官の姿を使っていないことに気づいた。菅氏が神奈川2区選出の衆議院議員のため、号外が選挙に使われるのを回避するための地元紙の「逆忖度」かとも思ったが、号外配付の時間短縮のため、予定稿をそのまま使っただけのようである。さて、授業も始まり、新たな原稿を書く余裕がないので、今回は「雑談」シリーズをアップする。

この4月3日で66歳になった。「緑寿」(ろくじゅ)という言葉を最近知った。還暦と古稀の間で、「介護も必要なく、現役世代と高齢世代の節目となる年齢で、新たな社会活動への参画を促すスタートラインに位置づけられた」年齢だという(『語源由来辞典』)。

定年退職まであと4年11カ月。本学は70歳になる年度の3月31日をもって定年を迎えるので、4月生れの私の場合、71歳になる直前まで、あと5年近く現役である。講義もゼミも校務なども、これまで同様、すべてフルではたらくが、さすがに体にガタがきているので、少しずつ仕事をおさえている。22年間担当してきた政治経済学部の「法学(A/B)」を2018年度限りで閉じたので、1000枚を超える答案の採点が今期から700枚あまりに減る。ただ、政経学部の「21世紀生まれの1年生」と出会える機会がなくなり、一抹の寂しさもあるが(直言「雑談(118)今時の学生たち(3)—16021人の「法学」受講生」

還暦の時に、「雑談についての雑談」を出して、私の個人的な趣味、趣向、性格、こだわり等について書いたことがある(直言「雑談(99)雑談についての雑談」)いま改めて読み直してみて、何とも変な人間だと自分でも思う。中学3年の時に、父がたまたま居間に置いていった『ベトナム黒書』(労働旬報社、1966年)という本を見るまでは、特に政治や社会問題に関心が高いわけではなく、獣医の4代目になることを考えて勉強していた(だから獣医学部には特別の思いがある)。その『ベトナム黒書』には、米軍の「北爆」によって頭が吹き飛んだ子どもの死体や、ナパーム弾で炭化した親子の写真などが出ていて、ショックでしばらく落ち込んだ。中2の時の作文には、「ベトナム戦争は米ソが仲良くして解決すべきだ」みたいな優等生的なことを書いていたのが、中3から一変した。政治や国際問題についていろいろと本を漁るようになってきた。高校入学後、社会科学研究部に入り、基地問題や沖縄問題を調べるようになり、また、1969年の高校紛争もあって、獣医学部ではなく社会科学系の学部を目指すことになる。高校2年の夏に長野県の白馬大池のペンションにこもって『資本論』1巻を読み終えた(夜に飛んでくる虫がページの間で「押し虫」状態になっている)。レーニン全集まで高校時代に揃えてもらった。自宅で新聞を複数紙とっていたので、切り抜きを中学3年で始め、すごい量のファイルになっていった。獣医の祖父も蔵書家だったので、獣医学の専門書以外の蔵書の一部を引き継ぎ、大学生の時にプレハブ小屋一つの書庫をもっていた。

北海道の大学に就職が決まったとき、北広島に家を建てて、コンクリート床の10畳部屋に移動式書架を入れた。しかし、数年後に広島大学に転勤することになり、家も書架も売却。大量の本は東京の自宅と、広島の借家の倉庫に積み上げられることになった。1996年に早稲田にもどった時に、広島から送ったまま自宅書庫に収納せず、一度も開けていない段ボール(文献)を30個以上処分した。2005年にいまの研究室に移る「学内引っ越し」をやった時、さらに大規模に本を減らした(直言「雑談(42) 引越の効用—書物との再会」)。

2013年の還暦の時、「かつては新聞の切り抜きもたくさん保存していて、引越しの際、かなりの個数の段ボールに詰めて運んでいた。でも、近年は膨大な切り抜きのなかから、黄色く変色した貴重なものをほんの数枚保存し、あとはすべて捨てるようにしている。「無駄は無だ」と言わずに、「無意味の有意味」として続けているが、これもそろそろ「戦線縮小」に向かっている。」と書いた。あれから6年が経過した。

この2月から4月はじめにかけて、家庭の事情で、自宅書庫の大規模な整理をやっている。特に3月中、老骨に鞭打って、私はのべ14日間、妻はほとんど毎日片づけ作業をやった。八ヶ岳の仕事場での大学院合宿の際や、あるいは自宅に研究室出身者や院生を招いて、それぞれの専門にあった洋書や和書を持ちかえってもらった。それでも減らない。2カ月かけて書庫の不要な本や資料を外に出したが、例えば40年以上、段ボールや書庫の隅にあったレーニン全集には、真っ白にかびがへばりついていた。マスクをつけて開いてみると、書き込みと線が引いてある。昔はよく読んでいたのだなと、半世紀近く前の私の字をみて感心していた。1991年にソ連邦が崩壊し、レーニンの犯罪性も明らかになった。1990年のDer Spiegelの表紙に、「被告人」として縛り首になっているレーニン像があったので、処分する前にそれと並べて「記念撮影」をした。そういえば、映画『グッバイ、レーニン!』(ドイツ、2002年)と似た構図である。

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14年間、NHK ラジオ第一放送「新聞を読んで」のレギュラーをやっていたこともあって、ここ20年あまりの新聞の切り抜き資料も膨大なものになっていた。今回、それを大規模に処分した。古くて読まない本も、紐でしばって家の前に並べた。古紙回収と「燃えるごみ」で出した。ごみ収集車が拙宅の前に停車するたびに、毎回あまりのたくさんの袋が出ているので、作業員が驚いている。昭和天皇特集の写真グラフ誌の表紙を見たのだろう、「永久保存版だってさぁ」という声が聞こえた。

雑誌のバックナンバーもすごいことになっていた。30代の頃から週刊誌を毎週チェックしていた。月曜日には『週刊ポスト』(小学館)と『週刊現代』(講談社)、木曜日には『週刊文春』と『週刊新潮』が常である。北海道時代は『週刊ポスト』が創刊号から書庫にびっしり揃っていた。広島大学に移るときに必要な記事だけを切り抜き、すべて捨てた。このところ、『ポスト』と『現代』は年金、相続、病気、高齢者の性の特集ばかりで、まったく買っていない。読者層がサラリーマンから、元気な年金生活者ばかりになったからだろう。時代の推移を感じる。『文春』も『新潮』もおとなしくなったので、買う頻度は落ちている。献本される雑誌や法律専門誌もかなりの量になっている。『軍事研究』は創刊号から揃っている

ドイツの週刊誌 Der Spiegelを1988年から定期購読しているので、1700冊以上が書庫に眠っている。このほど、それを全部出してきて並べ、特徴的な表紙と特集のみを残して大規模に古紙回収にまわしている。月刊誌についても同じ様な作業を続けている。その作業の結果は、いずれこの「直言」でも紹介できると思う。特に「ベルリンの壁」崩壊30周年にあたる今年秋には、その表紙群を使った「直言」を書く予定である。

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娘が本の山をみて、メルカリやヤフオフで売ったらどうかといってきた。私はことわった。私の場合、赤線を引き、書き込みをするだけでなく、そこに関係する新聞切り抜きとなどがはさんであるので、他人様に読んでもらえるものは少ない。古本屋に売ることも考えたが、蔵書印が押してあり、かつ私の頭のなかがさらされるのでやめた。2016年のドイツ在外研究時に、ボンの南20キロ、ライン右岸のウンケル(ブラント元首相の家がある)の広場で、電話ボックス型の図書コーナー(誰でも借りられる)を見つけた(写真参照)。日本にこんなのがあればいいなとも思ったが、湿気が多いから無理だろう。

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膨大な本や雑誌、新聞切り抜きのなかから、思わぬ発見もあった。2005年の時と同様、「書物との再会」もたくさんあった。 新聞切り抜きをどんどん資源ごみの袋に入れていくとき、大きな事件の記事をまとめてファイルにしてあるものは、捨てるものと残すものにわけた。2割くらいを保存にまわした。その一つが、この2007年7月29日の参議院選挙翌日の新聞各紙である。自公が大敗して、安倍第1次政権の崩壊につながった瞬間を記録した新聞である。今年7月21日に、安倍首相のこの顔をもう一度見ることになるのか。

北海道、広島、東京と何度も引っ越しを繰り返し、その間、広島大時代を含めて通算2年のドイツ在外研究を加えて、本や資料の整理をする区切りが何度かあったが、今回は私にとって最終コーナーとなる。たくさんの本や資料を処分しながら、こんな重い本を北海道、広島、東京と引っ越しの度に運んで、何という運送費の無駄をしてきたのかと妻に何度も言われた。確かにその通りである。もっと早い時点で処分していれば引っ越し費用が少なくてすんだのは明らかだ。だが、10年前は、20年前は、あるいは30年前は貴重なもので、捨てがたかったのである。それが引っ越しの度に気持ちに区切りがついて、処分できるようになる。本や資料というのはそういうものだと思う。やはり「無駄は無だ」とはいわずに、「無意味の有意味」と考えたい。

4年後から始まる研究室の引っ越しにも備えなければならない。こちらは憲法や法律の専門書や洋書がびっしりある。私が長年にわたって収集してきた「歴史グッズ」をどうするかも課題である。ここにしかない貴重なものも少なくない。「平和資料館(室)」など何かアイデアがあれば、どうぞよろしくお願いします。

以上が私にとっての「終活」の一端である。だが、それは人生の終わりではない。新しい始まりに備えること、「充活」と考えたい。

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