日本国憲法施行72周年の5月3日は、名古屋で講演した。1986年(釧路)に始まる私の「憲法記念日講演の旅」は28回目となった(昨年は松山市で、四国は全県で講演)。リニュアル初日の名古屋市公会堂(旧陸軍高射第二師団司令部)の前には、開場前から長い列ができていた。第1会場は3階まで満席。スクリーンで見せる第2会場もびっしりで、参加者は2515人。私が今までで講演したなかで一番多かった。第1部は私の講演「危ない日本の憲法診断——立憲か、壊憲か」、第2部は落語家・立川談四楼さんの憲法寄席である。今まで何度か「憲法くん」の松元ヒロさんとのコンビの企画はあったが、落語家の方とは初めてだった。談四楼さんの絶妙な風刺と語りを、私も客席で堪能した。
この名古屋の講演会と同じ時間帯、東京では日本会議系の「憲法フォーラム」が開かれていた。そこに安倍晋三首相が、2年前のようにビデオメッセージを寄せた。このフォーラムのことを報ずる『毎日新聞』5月4日付によれば、かの櫻井よしこ氏は、憲法が米国の占領下で作られたものだとして、「誰が読んでも現行憲法は日本民族の憲法ではない。どこに日本文化の薫りがあるのか」「この令和の時代、新しく大和の道を歩もう」と呼びかけたという。「民族の憲法」「大和の道」という特異な憲法観をもつ人々と親和的な安倍首相が、6年半かけて、この国を「安倍色(カラー)」に染め上げつつある。思えば、6年前に櫻井氏のシンポジウムに参加したが、控室にいた人たちが、西暦でも元号でもなく、「皇紀」を使って会話していることに驚いたことを思い出す。憲法について語ってほしいと依頼されて参加したものの、全体の基調トーンは「国民共同体の復元」という、およそ憲法の立憲主義とは無縁な、別世界だった。
頭が「皇紀」という人々のフォーラムにメッセージを送った安倍首相は、「2年前のビデオメッセージにおいて、私は「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」と申し上げましたが、いまもその気持ちに変わりはありません」と述べた。「総理は「平成30年4月開学」とおしりを切っていた」(萩生田光一)として無理やり開学させた加計学園獣医学部と同様、憲法改正についても、「総理は2020年施行とおしりを切った」わけである。
このメッセージのなかで安倍首相は、「一昨年、私は自民党総裁として、憲法9条に1項、2項を残して自衛隊を明記するという考え方を示し、議論に一石を投じました。波紋は広がり、平成29年の衆院選で自民党は自衛隊明記を真正面から公約に掲げ、国民の審判を仰ぎました。昨年の党総裁選でも私はこれを掲げて勝った。つまり党内の論争は終わったということです。」と語っている。ずいぶん勝手な言いぐさである。2017年総選挙で、自衛隊明記を公約に掲げたというが、全体のなかではきわめて地味な扱いで、候補者もそれを「真正面から」主張したわけではなかった。党内では石破茂氏をはじめ、この無理筋の提案に対して依然として異論がくすぶっている。
『読売新聞』5月3日付の世論調査でも、「戦力を持たないことを定めた9条2項を維持したうえで、自衛隊の根拠規定を追加する案」について賛否を問うたところ、賛成47%、反対46%で拮抗している。同様の質問を『朝日新聞』5月3日付世論調査もしているが、そこでは賛成42%、反対48%だった。『毎日新聞』5月3日付世論調査では、3択にしたため、賛成27%、反対28%、わからない32%で、積極的賛成は27%にとどまる。なお、『朝日』は、自衛隊明記の理由として安倍首相が、自衛隊違憲論争を終わらせ、自衛隊員に誇りをもって任務を遂行できるように改憲するということについても問うているが、「納得できる」40%に対して、「納得できない」が49%に達している。安倍首相の改憲理由にはいまも昔も説得力が乏しい。
5月1日、新天皇が即位した。「即位後朝見の儀」における新天皇の「おことば」には、「憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い」という下りがある。前天皇の30年前の「おことば」には、「皆さんとともに日本国憲法を守り,これに従って責務を果たすことを誓い」というフレーズがあった。「のっとり」と「守り」とでは微妙な距離感がある。安倍首相の「国民代表の辞」にも、「日本国憲法にのっとり」という言葉がある。「のっとり」とは「憲法に基づき」程度の意味であり、「憲法を守り、遵守・擁護し」のような強い構えは感じられない。しかし、言うまでもなく天皇と首相には憲法尊重擁護義務がある(99条)。
即位の2日後、「令和」になって最初の憲法記念日を迎えた。新天皇の憲法への姿勢は、「憲法にのっとる」ということである。だが、安倍首相が5月3日に日本会議系のフォーラムに寄せたメッセージは、「憲法をのっとる(乗っ取る)」という姿勢を明確にしたものといえよう。国民のなかで議論を喚起するよりも、とにもかくにも「2020年施行とおしりを切った」ことは要注意である。
下村博文・自民党憲法改正推進本部長は、『読売新聞』5月3日付のインダビュー(4面・憲法考)で、「安倍総裁が期間を具体的に主張したので、それに沿って我々も努力していきたい」として、「教育の充実」など「早めに合意が得られる」ものから改正案にまとめ、「夏の参院選に向けて、全ての党所属国会議員に演説の際には必ず憲法改正に触れるよう徹底をお願いしたい」と語っている。自民党は289の小選挙区支部ごとに憲法改正推進本部を設置して啓発活動をするとして、「2020年施行」に向けて動き出している。だが、安倍首相の焦りとは裏腹に、「安倍改憲 笛吹けど」(『朝日新聞』5月4日付)、「安倍改憲 なお霧中」(『毎日新聞』同)というのが現実のようである。自民党内にも慎重な意見がある。
例えば、中山太郎・元衆議院憲法調査会長は、『中日新聞』の書面インタビューに対して、「憲法はいかなる政党が政権に就いても守るべきルールを定めた国の基本法だから、憲法論議には与党も野党もない。幅広い政党の参加を得た上で、少数意見を十分に尊重して議論を尽くすことを常に心がけた」として、「政治的な思惑・党利党略から距離を置いて冷静に議論する」という共通認識を持つことが必要」と説いている(5月3日付3面)。中山氏については現役時代、私も厳しい批判を加えたが、94歳となったいま、その主張はきわめてまともである。中山氏は「2020年施行」を目指す安倍首相にこう釘をさす。「憲法改正は国会の仕事だから、これより先の議論は、国会での各党の取り組みに任せればよい。国会は期限を設けることなく熟議してほしい」と。ごく普通の議論だが、安倍首相の前のめりの改憲姿勢は、野党との関係だけでなく、与党内にもよどみやひずみを生んでいる。
安倍首相の改憲一直線の姿勢は、改憲を実現する方向に進む力よりも、むしろそれを妨げる力をさまざま生み出してしまっている。安倍首相は、人柄、識見、経験、胆力、共感力などあらゆる面で致命的弱点を抱える政治家であるが、「言い訳だけは天才的」というのが父・安倍晋太郎氏の晋三評価とされている(故・岸井成格氏の言)。カンナくずが燃えるような言い訳の乱射は、国会の審議をむなしくさせていることは周知の通りである。
ところで、名古屋の講演では、すでに何度も指摘している安倍流「5つの統治手法」(① 情報隠し、② 争点ぼかし、③ 論点ずらし、④ 友だち重視、⑤異論つぶし)に加えて、安倍首相が定着させてしまった3つの「裏切り」についても語った。
第1は、ルールへの裏切りである。ルールを決めた者がルールを守らない。これは子どもでも理解できる。これについては安倍政権の6年半そのものがリアルに示している(直言「安倍政権の「影と闇」—「悪業と悪行」の6年」)。
第2は、「公」への裏切りであり、公権力の私物化である。モリ・カケ・ヤマ・アサすべてに貫かれる特徴といえる。妻の暴走は、財務省の一職員の命までも奪った。国家的隠蔽と偽装、改ざんの連鎖がこの政権の大きな特徴となった。財政法9条に反する国有財産の不適切な払い下げや私的流用は枚挙のいとまがない。加計学園獣医学部の問題は、友だち重視がこうじた権力の私物化の典型である。首相夫人のため、学位の乱造まで行われた。さらに、叙勲の制度を悪用して、お友だちに勲章を乱発している。映画『バイス』に出てくる悪漢、ラムズフェルド元国防長官が旭日大綬章と聞いて、思わず東京大空襲を指揮したカーチス・ルメイへの授与を思い出した。恥ずべきことである。自らのために総裁3選禁止規定に手をつけ、3選されるや4選をうかがうという無節操。自衛隊トップにお友だちをすえて、定年延長を繰り返し、人事の停滞をきたすことなど朝飯前である。
第3は、時間への裏切りである。これにはいろいろあるが、統計不正問題によくあらわれている。今年1月に明らかとなった「毎月勤労統計調査」の不正。この調査は、雇用、給与、労働時間についての変動を全国的、あるいは都道府県別に毎月明らかにするもので、この結果で、雇用保険や労災保険などの給付水準が決まるのである。ところが、毎月やるこの調査について、全数調査が求められるのに、一部抽出調査でごまかしてきたことが明らかになった。しかも、抽出した東京都の事業所数を約3倍にする「復元」が行われ、前年比の伸び率が高く出るように操作された。これにより、給付額が低く見積もられ、もらえるものがもらえないできたのである。これは「時間への裏切り」である。食い物の恨みは大きいというが、もらえるものがもらえない状態でいるという時間の経過そのものが人を傷つける。「時間への裏切り」への怒りは深い。
というわけで、安倍首相はこういうことを繰り返し行ってきており、まったく恥じるところがない。このような「無知の無知の突破力」をもつ最高権力者が、憲法に則(のっと)らず、憲法を乗っ取ることを企てている以上、私たちは憲法に則り、権力者をしっかりと監視して、政権交代を求めていかなければならない。