10連休が終わった。この時期、このタイミングで、10連休という「非日常」がセットされたのは、新しい元号、新しい天皇、新しい紙幣、そして「新しい憲法」へと気分を盛り上げるための演出だったのではないか。そう考えたくなるほどに、この国のメディアは「祝典」モード全開だった。
4月に報道ステーションが行った世論調査では、10連休をすべてとれる人は22%だった。JTBの予想によれば、10連休中に1泊以上の旅行をする人は2467万人(総人口の19.5%)だった(『読売新聞』4月4日付)。テレビは混雑する東京駅や渋滞する高速道路を順番に映し、羽田空港や成田空港の「出国ラッシュ」「帰国ラッシュ」を伝えるが、海外旅行に出る人は66万2000人(同)で、日本の総人口の0.5%にすぎない。一事が万事である。
連休後半の5月4日、皇居の一般参賀にやってきたのは14万人だったが、この時期に一般参賀を行うことについて、『京都新聞』2019年5月5日付社説は批判的な社説を出した。「宮内庁は当初、平成の代替わりに倣い、10月22日の「即位礼正殿の儀」の後に行う計画だった。官邸サイドが方針転換し、押し切られる形で10連休中の前倒しが決まったという。夏の参院選を控え、代替わりの成功を政権浮揚に結びつけようという官邸の思惑が透ける。「皇室の政治利用と言われてもおかしくない」―宮内庁サイドからそんな声が上がるのも、もっともだと言わざるを得ない」と。この政権の特徴が「権力の私物化」であることを、ここでも確認することができる。
ただ、「私が、私が・・・」と「やってる感」全開で目立とうとするあまり、対応が粗雑になっている。その一例。退位礼正殿の儀で、「天皇皇后両陛下には、末永くお健やかにあられますことを、願って・・・、あらせられますことを願っていません」とやってしまった(内閣広報室動画・10分50秒あたりから参照)。事前に原稿の確認をせずに、ぶっつけ本番で臨んだのだろうか。これは、「未曾有(みぞうゆう)」の出来事だった。右翼団体の一水会も激怒したという(「明仁上皇と安倍首相の軋み」参照)。
さて、この10連休、私は、5月3日の名古屋での憲法記念講演を除いては、ひたすら自宅書庫の本の整理をやっていた。この2月からたくさんの本や雑誌を処分したが、1988年から定期購読しているドイツの代表的週刊誌『シュピーゲル』(Der Spiegel)のバックナンバーの整理はずっと後回しにしてきた。今回それを1週間かけてやった。この週刊誌はドイツのメディアを代表する高品質の記事や論説を出すので、日本の新聞でもしばしば紹介される。週刊誌なので年間52冊が航空便で届く。どれもこれも捨てられず、30年分、1500冊以上が書庫の一角に積んであった。たくさんの附箋がはさんであり、それぞれの時代の重要なことがらを記録していた。今回、これを書庫からすべて出してきて、取捨選択の上、重要な事件の特集は、その部分だけ切り取って表紙とセットで綴じる。その作業を朝から晩までやっていた。1年分が30センチほどの山になるので、すべて積めば9メートルにもなる。この作業で、最後に残ったものは、積み上げると30センチほどになった。30年間、ドイツと世界で起きたことのエッセンスである。
「平成が戦争のない時代として終わろうとしている」と前天皇が感慨を述べると、メディアも普通の市民も、「平成は戦争がなく、平和だった」と素直に語ってしまう。だが、前天皇は、日本が対外的な武力紛争に直接関わらなかったことを言っただけで、危ない局面は何度もあったことを十分に認識しているだろう(直言「「8.14閣議決定」による歴史の上書き」参照)。慰霊の旅の対象となる地域や場所の選択もポイントをついたものだった。
冒頭左の写真をご覧いただきたい。『シュピーゲル』誌の30年分のバックナンバー(1500冊)のなかから私が捨てないで残した表紙(+特集記事)の一部である。1989年6月4日の中国天安門事件を特集した「鄧のテロ」は生々しい。続いて、「モスクワの革命」、ゴルバチョフのこと。「ベルリンの壁」崩壊前の1989年8月頃から、国外脱出をする旧東ドイツ国民を描いた特集もある。まさか11月9日に壁が崩れるとは知らずに、東の民主活動家などヘのインタビュー記事などが続く。
冒頭の写真は、1989年から2004年くらいまでの表紙だが、ちっとも平和ではなく、戦争と紛争、テロによって彩られた30年だったことがわかるだろう。実際、イラクに派遣された自衛官のうち、帰国後にPTSDで自殺した隊員が29人もいる。その後も、海外の武力紛争に関わる場面が増えている。この30年間を世界の尺度で見れば、日本も「戦争」に関わって、犠牲者を出してきた歴史ということになる。
今回書いておきたいことは、「平成」の30年を通じて、この国の民主主義のありようが大きく劣化して、およそ民主主義国とは言えない水準に到達しつつあることである。その手始めが、平成元年(1989年)6月28日付の「諮問第1号」。内閣総理大臣から選挙制度審議会長宛の文書である。その時の首相は宇野宗佑。女性スキャンダルで失脚したため、1989年6月3日から8月10日までの「69日間の総理大臣」だった。冒頭右側の『シュピーゲル』の記事は、「モラルなき男?」というタイトルで宇野内閣の崩壊を伝えている。
その宇野首相の名前で出された「諮問第1号」には、「リクルート問題を契機として政治不信が広がり、今や国民の政治に対する信頼は大きく損なわれております。我が国の議会制民主政治にとってかつてない深刻な事態であり、一日も早く国民の政治に対する信頼を回復しなければなりません」として、選挙制度と政治資金制度の根本的改革が説かれていた。宇野首相が平成元年に諮問した内容は、平成2年(1990年)4月26日、「第8次選挙制度審議会第一次答申」として公表された。この答申は実に巧妙な言葉運びをしている。
まず、リクルート事件などのスキャンダルの原因を選挙制度(中選挙区制)に求める。その上で、小選挙区制と比例代表制のメリットとデメリットがそれぞれ指摘される。小選挙区制は「政権の選択についての国民の意思が明確なかたちで示される」「政権交代の可能性が高い」「政権が安定する」がメリットである。デメリットは「少数意見が選挙に反映されにくい」ことである。他方、比例代表制のメリットは「多様な民意をそのまま選挙に反映」できること、「少数勢力も議席を確保しうる」ことであり、デメリットは「小党分立となり連立政権となる可能性が大きい」こと、「政権が不安定になりやすい」ことである。最初から小選挙区制に傾斜した論じ方になっている。その結果、両方のメリットを活かす形で、「小選挙区制と比例代表制を組み合わせる方式」が適当とされる。「並立制」と「併用制」というわかりにくい表現のもと、結局、小選挙区制をベースにして、そこに比例代表的要素を加味した「並立制」が「民意の反映」とともに「民意の集約」を促進するのでベターとされる。
ここには巧妙なトリックがあった。そもそも選挙における憲法上の原則は、第一義的に「民意の反映」であって、「民意の集約」(政権の選択)は「民意の反映」の結果、あるいはその後に起こるべき政治的事象にほかならない。憲法が求める「民意の反映」を犠牲にしてまで、政権選択の要素を重視するのは正しくない。
1994年に衆議院に導入された「小選挙区比例代表並立制」は重大な欠陥をもっている。そもそもこの制度は小選挙区と比例代表の「並立制」ではない。「比例代表の要素を加味した小選挙区制」である。私はこれを、「小選挙区比例代表「偏立」制」と呼んでいる。
田中秀征氏(細川内閣の首相特別補佐、橋本内閣の経済企画庁長官)は、「政治劣化・停滞の30年」として、「平成」30年を特徴づける(『東京新聞』4月30日付インタビュー記事)。1994年に導入された現行の小選挙区比例代表並立制は、4分の1世紀もこの国の政治を歪め続けている。もはや限界である。「安倍一強」が続くのも、この選挙制度のおかげである。昨年は、ついに自らのお手盛りの定数増までやった。もはや「政治改革」の大義名分すら捨て去る愚行だった(直言「ゆがめられた選挙法――総裁3選の手段に?」参照)。
安倍首相は衆院予算委員会の質疑の際、質問する野党議員に対して、自席から、「選挙に5回勝っている!」としばしば野次を飛ばす。5回の選挙とは、2012年12月の総選挙、2013年7月の参院選、2014年12月の総選挙、2016年7月の参院選、2017年10月の総選挙である。確かに相対多数で勝ってはいるが、投票率がきわめて低いことに注目すべきである。直言「二人に一人しか投票しない「民主主義国家」」と、直言「低投票率と「低投票所」――二人に一人しか投票しない「民主主義国家」(その2)」をお読みいただきたい。この国の政治の劣化の到達点を確認できるだろう。
外交も内政も何一つ成果をあげられないばかりか、安倍流「5つの統治手法」のボロが次々に明らかになり、このままいけば7月の参議院選挙で勝利することは困難である。そこで、政界の一部で噂されているという流れ。すなわち、安倍首相が起死回生の一発、九回裏の大逆転とばかり、消費税率を5%まで下げるという奇策を宣言して、一気に衆議院を解散。衆参ダブル選挙を断行する。これに大勝して憲法改正に突き進む。2020年の東京五輪のどさくさにまぎれて「祭典便乗型改憲」を実現する。こういう運びになるのだろうか。だが、安倍首相の人望のなさと、胆力のなさ、短慮と焦燥、安倍流統治手法そのものが、政権内部の矛盾を拡大・深化させて、こうした計画を頓挫・失速させる可能性もある(「小さな独裁者」)。「ねじれ解消」の解消をいかに達成するか。これまで選挙に行かなかった有権者が投票所に向かったとき、「一票一揆」は始まる。