先月末、午前中の授業を終えて、渋谷の「Bunkamura ル・シネマ」に駆け込み、ドイツ映画『僕たちは希望という名の列車に乗った』(2018年)を観た。その数日前に届いた映画通の藤井康博氏(大東文化大学)のメールに、「今年いまのところ一番観応えがありました。史実に基づきつつドラマ性もありました。細部の人物描写も興味深いです」とあった。彼の映画評は信頼しているので、これは無理をしてでも行こうと思った。映画終了後、昼食を抜いたのに空腹を感じなくなっていた。
映画のタイトルは、当日映画館で購入した原作のタイトル『沈黙する教室』(Das schweigende Klassenzimmer)の方がいい。物語の舞台は1956年、ポーランド国境に近い旧東のスターリンシュタット(現・アイゼンヒュッテンシュタット)、原作ではシュトルコーである。「ベルリンの壁」ができる5年前。二人の高校生(テオとクルト)は列車に乗って西ベルリンの映画館に向かう。鉄道警備隊員には祖父の墓参りに行くという口実だ。彼らは西の映画館のニュース映像で、ハンガリーの民衆蜂起でたくさんの犠牲者が出たことを知る。ショックを受けた二人はクラスメートに訴えて、クラス20人中12人の多数決で、全員が授業開始後の2分間(原作では5分間)、ハンガリー市民への黙祷を行う。これはソ連の支配下にあった旧東ドイツでは「社会主義国家への反逆」と見なされる行為だった。教育行政当局によって一人ひとりが査問され、首謀者を密告するように迫られる。大学入学資格試験(Abitur)を前にしていた彼らにとって、それは人生の重大な岐路を意味した。クラスメートを密告してエリートコースに進むか、信念を貫いて、底辺で労働者として生きるか。最終段階で、彼らは重大な決断をする。それはネタバレなのでここでは書かない。この映画のすぐれたところは、生徒と親との葛藤が深く描き込まれていることだろう。旧東ドイツが舞台のため、価値観の軸はソ連=正義になっているから、ナチ支配下で何をしていたのかをめぐっても、親の世代は複雑である。それを見つめる生徒たち(戦時下では小学生)の世代とのあつれきもある。特に、主人公たちと微妙な距離をとるエリック。「反ファシズム英雄」の父親への尊敬とその顛末は衝撃的である。
私が特に注目したのは、主人公のテオと父親の関係である。製鉄所の労働者として働いている父親は、息子には大学に行って、自分とは違うエリートの道を歩んでほしいと願っている。実は彼は「6月17日事件」に関与したため、自分の希望の道を絶たれた経験をもつ。社会主義国家では、反国家的というレッテルを一度でも貼られた者は一生差別される。その親子の別れの場面は心をうつ。そこでは、父親が運転するオートバイ(サイドカー)が効果的な役回りをする。映画の最初の方では、テオと小さな弟を載せて学校に送る幸福の象徴として、終わりの方では緊迫の別れのシーンで、弟を乗せたサイドカーが対比的に描かれる。映画は実話を採り入れ、原作はディートリッヒ・ガルスカ=大川珠季訳『沈黙する教室』(アルファベータブックス、2019年)。作者は、実際に黙祷をして西に脱出した高校生の一人である。なお、原作では、16人が40年後に同窓会を開くところまで描いている。
今日、6月17日は、この映画の背景にある「6月17日事件」66周年である。6年前に、直言「「6月17日事件」60周年 —立憲主義の定着に向けて(3)」を出した。ドイツ統一の4カ月後の1991年2月末から半年あまり在外研究で東ベルリンに滞在していた。その時、偶然入手した事件関係の文献を読んで、ずっと関心をもっていた。ソ連の軍事介入では、ハンガリー事件(1956年)とチェコ事件(1968年)がよく知られている。だが、それらに先行して1953年6月17日に旧東ドイツで労働者の全国的な蜂起があり、それがソ連軍戦車に押しつぶされたことはあまり知られていない。私が最初にこれについて書いたのは、16年前の直言「6月17日事件から半世紀」である。詳しくは、上記のリンクをクリックしてお読みいただくとして、ここではごく簡単に事件についてまとめておこう。
1953年3月に独裁者スターリンが死去すると、抑圧されてきた東欧諸国に変化が生まれた。その「最初の一突き」が、「労働ノルマ」引き上げに反対する旧東ドイツ労働者の職場放棄とデモであった。この写真を見ると、当初はベルリンの一工場だけのことだったが、一気に全国的に波及していったことがわかる。ソ連軍司令官は戒厳令を布告し、「3人以上の集会」を禁止した。しかし、民主化運動はじっくり、確実に旧東ドイツ社会の深部と芯部に広がっていった。旧東の指導者たちはデモにおされて、ソ連に向けて逃亡しようとしていた。そこでソ連は陸軍16個師団と戦車600両の投入を決意し、労働者・市民に向けて発砲した。多くの犠牲者が出たが、他方で、市民に発砲する命令を拒否したソ連軍兵士40人が軍法会議にかけられ、銃殺された。なお、この事件については、9年前に早大比較法研究所プロジェクト連続講演会で、「東ドイツ1953年6月17日事件の今日的解読」と題して報告したことがある(報告レジュメ参照)。
今回の映画『僕たちは希望という名の列車に乗った』でも、テオの父親の苦悩のなかに「6月17日事件」の記憶が刻まれている。壮年の俳優たちの多くが、旧東ベルリン出身ということも、映画にリアリティを与えている。それにしても、労働者や市民の平和的なデモに対して、権力者はなぜ戦車を差し向けるのか。
まったく偶然だが、映画を観た翌日の専門ゼミの時間に、教室で、23期生の一人が韓国の光州に行ってきましたと言って、「5.18光州民主化運動」についての本を私にくれた。『5・18民主化運動』(光州広域市5・18民主化運動記念館、2018年12月発行、1-169頁)。映画『タクシー運転手—約束は海を越えて』で描かれた光州事件についてはずっと関心をもっていたので、一気に読了した。写真や資料も豊富で、改めてこの事件の闇を実感した。
1979年12月、保安司令官の全斗煥中将らがクーデタを起こして権力を掌握するや、これに抗議する学生・市民の運動が起きる。光州市での学生・市民のデモは約20万人にまで増え、全羅南道一帯に拡大する。1980年5月18日。全斗煥は陸軍空挺部隊を投入して弾圧を始める。「忠正訓練」という攻撃訓練をほどこした空挺部隊は凶暴で、頭部や首などの急所を鎮圧棒や銃剣で攻撃した(前掲書65 –66頁)。道庁前では、空挺部隊は約10分間にわたって、「横隊膝撃ち」で市民に対して無差別の一斉射撃を加えた。公式に確認された数字で、死者155人、行方不明者81人、負傷者4634人とされている(47頁)。軍隊が戦場において敵に対して行うような横隊を組んで、膝をついて照準を合わせて射撃する方式で、市民の無差別殺戮であった。映画『タクシー運転手』では、その時に飛び交った弾丸のリアルな音が耳に残っている。『ハンギョレ新聞』2019年5月18日付社説「「5・18真相究明」は生き残った者たちの義務である」は、いまだに光州の学生・市民を「怪物集団」と罵倒する野党議員もいることを指摘して、真相究明の必要性を強く主張している。韓国でもまだ真相究明が終わっていない。「あったことをなかったことにする」動きはここでも健在だった。私はまだ光州には行ったことがないが、12年前に済州島を訪れたことはある。済州島「4.3事件」。人はどこまで残酷になれるかをつくづく考えさせられた(直言「済州島「4.3事件」の現場へ」なお、6月3日、韓国の国防府は、「4・3事件」から71年たって初めて遺憾を表明した。「済州4・3特別法の精神を尊重し、鎮圧過程において済州島民が犠牲になったことに対し、深い遺憾と哀悼を現す」(SBSニュース2019年6年3日)と。
さて、先々週の火曜日(6月4日)は「天安門事件」30周年だった。中国人留学生のいる授業でこれについて触れても、反応は鈍い。中国政府が徹底的に「あったことをなかったことにする」施策を周到にとっているからだろう。「どんなに経済的に発展しても、政治は一党独裁のまま。市民社会の政党の組織原則だった「民主集中制」をいまだ、国の運営にも適用している(中華人民共和国憲法5条)」(直言「立憲主義と民主集中制」参照)。また、北京オリンピックが中国にどういう影響を与えるかについて考えた直言「ベルリンと北京の間」でも、「表現の自由や知る権利、情報公開といったあたりまえのことがあたりまえでない国である。政治は共産党一党独裁体制。経済は、資本主義国も真っ青の、剥き出しの市場主義と格差拡大。とりわけ、チベットやウィグル自治区の問題は、現在進行形の「時限爆弾」である。・・・」と、かなり悲観的な展望しか出せなかった。それどころか、2カ月後には、ノーベル平和賞をとった劉暁波氏に対する抑圧的政策が際立ち、中国における民主主義と人権の状況はほとんど改善されていないというメッセージを世界に発してしまった(直言「ノーベル平和賞と「零八(08)憲章」」参照)。
今回の「天安門事件」30周年は、「あったことをなかったことにする」ような「情報隠し」と「論点ずらし」がより一層巧妙に展開されたように思う。ジャスト10年前の「天安門事件」20周年の直言「ハンバッハと天安門」では、「天安門事件を封印する「中華人民共和国」の政治体制が、いかに「人民」とかけ離れたものであるかをもあぶりだす。」と書いたが、今年はもっと狡猾な姿勢が目立つ。
そうしたなか、今月に入って香港が深刻な事態になっている。1997年に中国に返還されたが、「一国二制度」を50年維持するという合意があったはずである。中国政府は50年待たずに香港を完全支配しようとしているようだ。香港市民が危機感を抱いたのは、中国本土への容疑者引き渡しを可能とする「逃亡犯条例」の改正案だった。条例改正案は可決されれば、中国本土や台湾など、香港が犯罪人引き渡し協定を結んでいない国・地域にも、香港当局が拘束した容疑者の引き渡しが可能になる。
6月9日、これに反対する市民が103万人も中心部を埋めつくした。これはすごい人数である。人権団体は、中国政府が香港の自治に介入しているさまざまな事例を指摘しているが、近年では、香港の書店員が次々と姿を消した事件は記憶に新しい。香港政府のトップ、行政長官は1200人からなる選挙委員会で選出されるが、これは有権者の6%に過ぎず、しかも中国政府寄りの人々が多いといわれている。今回の抗議デモの参加者は、逃亡犯条例の改正案が通ってしまえば、こうした人権と民主主義と自治に逆行する直接統治が早まるという危機感である。
2003年の「国家安全条例」に反対する50万人のデモが行われ、この案は撤回に追い込まれた。2014年、行政長官の民主的選出を求めて、学生たちが20万人のデモを行い、「雨傘運動」と呼ばれた。この運動は成果を得られなかったが、その蓄積の上に立って、今回、香港市民はSNSをフルに活用して、条例撤回を求めて粘り強いたたかいを展開している。
6月15日になって、行政長官が記者会見で自らの非を認め、「開かれた態度で逃亡犯条例改正に関する社会全体の幅広い意見に耳を傾ける。そのためには期限を設けない」と述べた。条例案を撤回はしない立場だが、月内の可決を目指していた姿勢からは大きな転換で、条例改正に反対香港市民にとっては一定の「勝利」とされている(『毎日新聞』2019年6月16日付)。
ところで、香港ではさすがに戦車は出て来ないが、6月12日に、デモ隊に対して警察機動隊が催涙弾やゴム弾を発射して79人の負傷者を出した。11日までと警察の態度がガラリと変わったので、人民解放軍の兵士が機動隊のかっこうをしてもぐり込んでいるのではというツイッターが流れたほどだ。香港には人民解放軍の1個旅団(6000人)が駐屯している。
旧東ドイツの「6月17日事件」でも、5.8光州事件でも、6.4天安門事件でも、戦車が市民や学生に対して使われている。戦車の重量と重武装(戦車砲と機関銃)が生身の市民に向かってくるのは恐怖である。3年前、ドイツ軍の戦車に触れたが、キャタピラも、すごく硬い。旧東ベルリンや天安門、光州でも、市民や学生は戦車に生身で立ち向かっている。これが体を押しつぶす場面を想像するだけで身震いがした。
しかし、それでも希望は捨てない。どこの国でも、未来は若い世代のものである。「ベルリンの壁」崩壊を描いたNHKスペシャル「ヨーロッパ・ピクニック計画—こうしてベルリンの壁は崩壊した」(1993年) を毎年5月に、私の導入演習(1年ゼミ)の学生に見せて感想を書かせている。5年前のゼミ生の文章を今回再読してみた(直言「「ベルリンの壁」崩壊から4分の1世紀 ——1年ゼミ生の視点」。そのうちの一人の感想(本文中では下の方に掲載したGM君)を今回再読してみた。彼は、5年前の香港の学生・市民の運動に注目してこう書く。
「・・・私は、映像を見ているとき、今回の話がどことなく現在の中国と被っているかと思いました。別に私は、中国が崩壊すればよいとか、見るに堪えない根拠のない「○○国の経済崩壊」とかそのようなことを論じようという気は全くありません。しかしながら、中国は強大な軍事力を有し、社会主義を掲げ共産党が一党独裁をしながら、実質的には資本主義であり、貧富の差が甚だしい上に、言論の自由がない国です。現在中国では、民主化を求めるデモ、政府の政策に反対する抗議活動が至る所で起こっているそうです。その典型例が香港の選挙を巡った学生らによるデモ活動かと思います。中国政府もいつか(そう遠くない将来)に民主化をしなければならないということは、念頭に置いているかもしれません。しかし、今回の一件が中国の民主化に火をつけるかもしれません。他の不満分子に影響し、中国全土に飛び火し、民主化の発端になるかもしれません。ピクニック計画が、ベルリンの壁の崩壊に繋がり、ソ連の崩壊に繋がるとは誰も考えていなかったと思います。つまり、香港の一件が、大きな歴史の転換点になるという可能性はゼロではないわけです。もちろん、中国で民主化が起これば、日本に対してもとても大きな影響が及びます。そう考えていくと、香港の一件は、「単に隣国で起きているデモ」と片付けてはならず、より慎重に、詳細に観察していく必要があると考えるようになりました。・・・」
この学生は昨年卒業して社会で活躍しているが、彼の5年前の予測はすぐには実現しなかった。しかし、1997年に「一国二制度」を50年間続ける約束をここで反故にすることのリスクを考えると、中国政府は強硬策だけで押し切ることは困難と考え始めているかもしれない。まだまだ流動的だが、行政長官の「審議無期延期」の方針の「無期」に注目したい。香港で「第二の天安門事件」が起きることだけは避けなければならない。
《付記》
本文中の「6月17日事件」関係の写真は、2016年の在外研究時にライプツィヒに行った時、そこの「現代史フォーラム」(ボンの「歴史の家」(Haus der Geschichte))が本家)の常設展示である。また、本文中のレオパルト2戦車の写真は、ドレスデンにあるドイツ連邦軍軍事史博物館の野外展示である。