先週の直言「映画『新聞記者』を超えるリアル」は、通常の2倍以上のヒット数で注目されている。教育関係者の間では、ある人物の修士論文について書いた直言「「学位」をめぐる規制緩和の「効果」」が思わぬ反響をよんでいる。毎週、地道に更新しているが、こうやって突然ブレイクすることがある。
さて、参議院選挙の投票日が近づいている。ただ、今回はちょっと趣向を変えて、高齢者ドライバーと高速道路逆走の問題から始めることにしよう。
1991年の在外研究(ベルリン、半年)の時、夏休みで遊びにきた家族とレンタカーで南ドイツを走った。マニュアル車だから、右手でギアチェンジをする。なれるまで汗びっしょりだった。1999年の在外研究(ボン、1年)の時は、ドイツの運転免許証(Führerschein)をとり、中古のオペル・ベクトラを買って、欧州10カ国、3万2500キロを走った。この写真は、その時のナンバープレートである。スイスの大トンネル内で恐怖の体験をした時のタイヤキャップがこれである(直言「雑談(102) 焼き切れたタイヤキャップの思い出」)。それから17年後の2016年の在外研究(ボン、半年)の時や、その後のハンガリー(2017年)とデンマーク(2018年)の取材では、レンタカーを使った。20年で欧州12カ国、4万1107キロを走ったことになる(地球一周)。
その間、アウトバーンや一般道路での交通事故を目撃し、いろいろなトラブル(Stau(渋滞)、雪と霧、ポーランド警察のとんでもない交通取締など)も体験した。「幽霊ドライバー」(Geisterfahrer)接近中という警告があることも知っていたが、幸いにして一度もお目にかかったことはない。しかし、アウトバーンを120キロ超の速度で走っていて、右の写真にあるように、目の前に突然車が現れたらと思うと実に恐ろしい。
日本では、このところ高齢ドライバーの暴走事故がメディアをにぎわしているが、多くは「アクセルとブレーキの踏み間違い」である。ドイツではマニュアル車が圧倒的に多く、レンタカーを借りる際にオートマ車を予約しても、違うタイプの車が届くことを何度も体験した。ドイツでは90歳近い人でも、マニュアル車を普通に乗りこなす。マニュアル車では、「アクセルとブレーキの踏み間違い」はまず起きない。クラッチ操作がうまくいかなければ、エンストするだけである。
高齢者の場合、高速道路の逆走が若い世代よりも多く起きる。サービスエリア(SA)から本線に戻ろうとして逆走する例が多い。冒頭の2枚の写真は、左側がオーストリアのアウトバーンのSAにある標識であり、これは一度紹介したことがある。右側は、中央高速の初狩SA(上り線)の富士山が見えるポイントから撮ったものである。国土交通省によると、2011年~16年に逆走したドライバーの年齢層は75歳以上が45%、65~74歳が22%という(『朝日新聞』2017年7月3日付オピニオン面)。私のような「前期高齢者」以上が67%ということになる。
ただ、逆走事故件数が同程度のドイツでは65歳以上が32%、逆走の死亡事故のみカウントした米国では、60歳以上は20%で、海外ではむしろ若い世代の、飲酒による逆走事故が多いというデータもある(『毎日新聞』2016年10月29日付)。
ここ13年ほど、高速道路を使って自宅と仕事場の往復をしているが、5限の憲法講義が終わってから高速を走るのを最近は控えるようになった。40年近く車を運転してきたが、やはり年齢による限界というものを切実に感ずるようになった。
たまたま7月4日の1年ゼミ(導入演習)で学生が報告・討論したのが、「高齢者運転免許返納」問題だった。1年ゼミ生たちは、高齢者に運転免許返納義務を課すことに賛成か、反対かについて、それぞれの理由と根拠を示して議論していた。最終的に意見は割れたが、返納義務化に賛成がわずかに上回った。66歳の「前期高齢者」の私としては、高齢者に一律の返納義務を課すことには批判的だったが、学生たちの議論にはもっともなところもあり、自分の問題としてかなり考えさせられた。
「高速道路逆走」「ブレーキとアクセルの踏み間違えによる暴走」等々、高齢者ドライバーに対する風当たりは強くなる一方だが、ここで突然話は変わる。いま、この国の政治も「逆走」を繰り返し、あえて「ブレーキとアクセルを同時に踏む」人物によって運転されているのではないか。それを、4年前、直言「憲法政治の幽霊ドライバー(Geisterfahrer)」)としてアップした。今回は、「憲法政治の幽霊ドライバー」(その2)である。
4年前の上記「直言」で指摘したのは、「安倍晋三首相とその政権の特徴の一つは、その極端なイデオロギー性と狭隘かつ狭量な政治姿勢である。安倍首相は批判に対する耐性がない。自身に対する批判に対して「誹謗中傷」という言葉で切り返す」という点である。その際の例として、当時の沖縄県知事の翁長雄志知事に対するひどい対応を挙げた。
私は、安倍流「5つの統治手法」を、①情報隠し、②争点ぼかし、③論点ずらし、④友だち重視、⑤異論つぶしと特徴づけているが、全体を貫いているのが「前提くずし」である(直言「「アベランド」――「神風」と「魔法」の王国」)。2012年の政権復帰とともに、上位のルールであるメタ・ルールの憲法、さらにその改正手続を定める96条(「メタ・メタ・ルール」を破壊しようとするところから始まり、2014年の「7.1閣議決定」で集団的自衛権行使違憲の政府解釈を強引に変更して、2015年に安保関連法を強行成立させ、さらには、自民党総裁の3選禁止規定を撤廃した(直言「「総理・総統」へ?」)。繰り返し述べてきた安倍政権の特徴に加えて、今回は、この政権が、マックス・ウェーバーを引くまでもなく、官僚制の重要な特徴の一つであるところの「文書主義」を破壊していることを強調したい。ヴェーバーによれば、官僚制行政は「知識による支配」であり、その重要な標識の一つが文書主義である。
この政権は、文書主義を著しく軽視している。官邸を軸に、首相の面会関係の文書の作成・保存を否定している。『毎日新聞』6月3日付1面トップは、「首相の面談記録 作成せず-官邸、災害対策も」という見出しのもと、独自の情報公開請求によって、次の5点を明らかにした。① 官邸が議事概要など面談の「打ち合わせ記録」を一切作らない、② 内閣官房が47回の首相面談の打ち合わせ記録を作成せず、③ 官邸が面談で用いられた官庁作成の説明資料を面談終了直後にすべて廃棄、④ 全12府省が16件の首相面談の打ち合わせ記録の保有を認めない、⑤12府省が大臣日程表を即日廃棄する、である(『朝日新聞』6月4日付は1面肩でこの後追い記事を出す)。
官邸は、安倍首相と官庁幹部の面談記録を一切残していないと明言しており、「必要があれば官庁側の責任で作るべきもの」というのが官邸のスタンスだが、官庁側も十分に作成していない。首相が、いつ、誰と会い、何を話したのかが「ブラックボックス化」している。『毎日新聞』7月3日付は、首相だけでなく、官房長官面談も記憶なしの状態にあることを明らかにしている。この政権は立憲主義への逆走だけでなく、法治主義にも、官僚的合理性に対しても逆走する「暴走車」としかいいようがない。
元公文書管理委員会委員長代理の三宅弘弁護士はいう(7月16日に早稲田大学法学部で講演する)。公文書書管理法4条の「経緯も含めた意思決定に至る過程を検証できるように文書を作成しなければならない」という規定によれば、「首相面談は意思決定過程の中でも最も重要。4条の原則に従い作成すべきだ。未作成はガイドラインのみならず、4条にも違反している」との見解を示している(『毎日新聞』6月24日付)。
法律違反は重々承知の上で、かたくなに情報を隠そうとする。「モリ・カケ」問題のトラウマからの過剰対応という面もあるだろう。文書の隠蔽と改ざんが普通のことになっているのが、安倍政権であり、これを何とかしないと、日本は「健全な民主主義国」として世界から見られなくなるだろう。もうかなり怪しいが。
2年前の2月、安倍首相は、モリ・カケ問題についてこう答弁したことはご記憶のことだろう。すなわち、「私や妻が関係していたということになれば、まさに私は、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめるということははっきりと申し上げておきたい。」(衆院予算委員会、2017年2月17日)。首相自身も関係はあったとみられるが、どこかで妻がやったことと謝罪して、逃げて収めることも可能だったのに、ここまでいってしまうのが安倍晋三の狭量さのなせる技である。
安倍首相がやること、なすこと、語ることがいちいち憲法の理念に逆行するものであり、まさに「立憲主義への逆走」になっている。「車止め」である憲法の規定を突破して平気で走る。通常は、後ろめたさがあり、迷いも出る。しかし、この首相にはそれがないのが特徴である。これを「無知の無知の突破力」と私は呼んでいる。
この国は、いま、正念場である。「幽霊ドライバー」がすべてを蹴散らして逆走している。これを止める方法がある。それは7月21日までに、逆走の「車止め」になりそうなところに投票することである。支持する政党がないなどと、贅沢をいってはいけない。「政党」というのはpartyであり、しょせん、「パート」(部分)である。社会の一部しか代弁できない。いまの「安倍一強」は中国や北朝鮮とあまり本質は変わらず、「パート」が「オール」を要求しはじめている。全体主義の香りが、この政権から漂い始めている。いま止めないと危ない。逆走の有効な「車止め」となる候補者(政党は問わない)を選ぶことが大切である。
《付記》本文中で紹介した三宅弘弁護士が「情報公開と知る権利」という視点から日航123便事件について講演し、その123便と同じグループの客室乗務員でノンフィクション作家の青山透子さんや、日航123便の英国人遺族なども参加するシンポジウム(早稲田大学法学部・比較法研究所共催)が開催される。
情報公開と知る権利――今こそ日航123便の公文書を問う
日時:2019年7月16日(火)18時15分~20時15分
場所:早稲田キャンパス 8号館・B102教室(マップPDF)
第1部 基調講演
「情報公開と知る権利――日航123便を事例として」三宅弘(弁護士)
「日航123便墜落の解説」 青山透子(元日航客室乗務員、ノンフィクション作家)
第2部
「日本経済から見る1985年」 森永卓郎(獨協大学教授)
シンポジウム 日航123便公文書
日本人遺族と英国人遺族の視点から
共同開催:早稲田大学法学部・早稲田大学比較法研究所
世話人:水島朝穂(法学学術院教授)
問い合わせ:03-5286-1803(法学部)
03-3208-8610(比較法研究所)