内外ともに重要な事件が起きているが、9月17日から26日まで、ゼミの北九州合宿や中国南京の大学での講演などが続くため、ストック原稿の「雑談シリーズ」をアップする。私の趣味の世界であることをご了承いただきたい。
約1年ぶりの「音楽よもやま話」である。前回の第24回は「音楽における「帝王」?」というタイトルで、自らを「尊師」と呼ばせていた早稲田大学交響楽団の「永久名誉顧問」と、その「尊師」が崇拝する「帝王」ヘルベルト・フォン・カラヤンについて書いた。この間、「永久名誉顧問」は辞任し、年間コンサート回数は減らさずに、以前と変わらず練習に励んでいると聞く。学生らしく、自由に音楽を楽しむことを期待したい。
今回の「音楽よもやま話」は、コンサートの公演パンフレットについて書こう。家庭の事情と「終活」の一環として、今年に入って「捨」に重点を置いた「断捨離」を展開している。自宅書庫にある大量の文献・資料を処分すべく整理をしていたら、さまざまな興味深い資料が出てきた(直言「雑談(119)「断捨離」と「終活」」参照)。そのなかに、1970年代から約半世紀の間に私が参加したコンサートのパンフレットの山が出てきた。コンサートが終わるとほとんど見ることはなく、書庫の奥に積んでいくだけだった。今回、すべてではないが、保存してあるもののなかで、主なものを床に並べて一つひとつ見ていった。家庭の事情と「終活」絡みでなければ決してやらなかった作業である。
私が初めて外国のオーケストラのコンサートに行ったのは、高校2年生の時だった。1970年9月7日(月)、東京文化会館におけるニューヨーク・フィルハーモニック交響楽団のAプロで、指揮は52歳になったばかりのレナード・バーンスタイン。マーラーの交響曲第9番ニ長調だった。前売り開始と同時に列に並んで、やっとB席のチケット(4階C5)を入手した(冒頭右の写真の上参照)。ほぼ半世紀前のコンサートのことは、いまも「体」が覚えている。時間の感覚を失い、浮遊感のなか、特に第4楽章アダージョでは鳥肌がたった。コーダに向かうラスト34小節は低音のない弦楽器だけの演奏が続き、スコアにersterbend(死に逝くように)と書かれた最弱奏(ppp…)で終わった時は、音は一切消えているのに、バーンスタインは身じろぎもしない。無音の世界がどんなに長く感じられたか。手を目にあてて涙(汗?)を拭うような(と感じられるような)しぐさをして体をゆるめた瞬間、すさまじい拍手の嵐が起こり、いつまでも鳴り止まなかった。
なお、バーンスタインの生演奏を聴くチャンスはその後なかったが、1990年に札幌のPMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル)で若者たちを指揮したシューマンの交響曲第2番ハ長調の練習風景と本番のビデオを、非常勤講師をしていた音楽大学における授業で教材として使ったことがある。
大学生になって最初に聴いたのが、エフゲニー・ムラビンスキー指揮のレニングラード・フィルハーモニー交響楽団である。その公演パンフ(広告が多いのに、かなり高額!)を46年ぶりに開けてみた。1973年5月30日(水)東京文化会館。曲目はショスタコーヴィッチの交響曲第6番ロ短調とチャイコフスキーの交響曲第5番ホ短調である。2メートル近い長身で、威厳のある顔つき、長い指揮棒、ほとばしるオーラはいまも鮮明に覚えている。チャイコフスキーの交響曲は、指揮者によっては、クリームあん蜜にパウダーシュガーとチョコレートをかけたような演奏にもなりうるが、ムラビンスキーの手にかかると、妥協も誇張もない気高い端正なチャイコフスキーになって、居住まいを正すほどだ。公演パンフ34頁にフランスの音楽評論家ジャン・ルアールの言葉が紹介されている。「フランスではチャイコフスキーはときに低俗さの影を消せない、誇張されたペーソスをもって演奏されるのが通例である。ところが、指揮者〔ムラビンスキー〕の魔術的な意志によってわれわれはいまやデリケートな、けだかい音楽をきいたのである」と。ただ、吉田秀和によれば、「ムラビンスキーの指揮は、彼の胸を飾る勲章〔ソ連人民芸術家〕と同じように、すごくりっぱだ。が、もうちょっとロマンチックでもよかった」という評もあった(『朝日新聞』1973年5月30日付)。
私が忘れられないパンフレットがこれである。1975年3月17日(月)NHKホール、カール・ベーム指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会。メインはブラームスの交響曲第1番ハ短調である。この日の演奏は、歴史的名演奏としてCDにもなっている。この演奏については、会長をしている早稲田大学フィルハーモニー管弦楽団の10年前の公演パンフの挨拶で触れたことがある(直言「雑談(73)音楽よもやま話(12)私の音楽遍歴」)。そこにこのチケット入手した時のことが書いてある。「…薄汚れた手帳を見ると、〔1975年〕2月1日(土)の朝、日比谷でチケットを買ったとあります。ハガキを出し、抽選で当たった人だけが購入できる。NHKには16万枚の葉書が殺到したといいます。」と。
今回、この古い公演パンフを開くと、当時はさみこんでおいた新聞文化欄の音楽評が出てきた。44年ぶりに再読。口うるさい音楽評論家たちが珍しく一致してベタほめしている。柴田南雄「音楽の力だけで心を動かす」(『朝日新聞』1975年3月19日付夕刊)、丹羽正明「“伝統の力”まざまざ」(『読売新聞』同)、吉田秀和「陶酔のない指揮、すばらしい“ 音の誘導”」(『朝日新聞』3月24日付夕刊「音楽展望」)。そして、今回気づいたのだが、このベーム・ウィーンフィルの公演は「放送開始50周年記念」の行事の一環だった。1925年、日本放送協会(NHK)が発足。その半世紀を記念したコンサートだった。ちなみに、その44年後、「NHKをぶっ壊す」というN国党が国会に進出した。
さて、冒頭左の公演パンフレットの写真には、上記の3つのオーケストラのほかに、以下のものがある。アトランダムに並べたので、時系列になっていないが。
1977年10月18日(火)東京文化会館、セルジュ・チェリビダッケ指揮、読売日本交響楽団、バルトーク管弦楽のための協奏曲ほか。
1978年3月17日(金)神奈川県民ホール、セルジュ・チェリビダッケ指揮、読売日本交響楽団、レスピーギ交響詩「ローマの松」ほか。
1978年7月18日(火)日比谷公会堂、ロリン・マゼール指揮、フランス国立管弦楽団、フランク交響曲ニ短調ほか。
1982年9月15日(水)NHKホール、オイゲン・ヨッフム指揮、バンベルク交響楽団、ブルックナー交響曲第8番ハ短調。
1982年10月29日(金)東京文化会館、ズデニェク・コシュラー指揮、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団、ブラームス交響曲第1番ハ短調ほか。
1983年6月14日(火)東京文化会館、若杉弘指揮、ケルン放送交響楽団、ブラームス交響曲第2番ニ長調ほか。
1986年10月12日(日)北海道厚生年金会館、セルジュ・チェリビダッケ指揮、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団、ムソルグスキー組曲「展覧会の絵」ほか。
1987年5月18日(月)北海道厚生年金会館、クルト・マズア指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、ベートーヴェン交響曲第5番ハ短調ほか。
1987年10月26日(月)北海道厚生年金会館、岩城宏之指揮、メルボルン交響楽団、R.シュトラウスアルプス交響曲ほか。
1989年11月13日(月)広島郵便貯金会館ホール、エリアフ・インバル指揮、フランクフルト放送交響楽団、マーラー交響曲第4番ト長調「大いなる喜びへの賛歌」ほか。
1993年4月3日(土)東京芸術劇場、ロリン・マゼール指揮、バイエルン放送交響楽団、ブルックナー交響曲第8番ハ短調。
1995年9月15日(金)広島郵便貯金ホール、チョン・ミュンフン指揮、フィルハーモニア管弦楽団、ベルリオーズ幻想交響曲ほか。
2000年11月13日(月)東京オペラシティ、ギュンター・ヴァント指揮、ハンブルク北ドイツ放送交響楽団、ブルックナー交響曲第9番ニ短調ほか。
2003年11月6日(木)東京オペラシティ、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮、ザールブリュッケン放送交響楽団、ブルックナー交響曲第8番ハ短調。
2004年3月10日(水)東京オペラシティ、ゲオルク・クリストフ・ビラー指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団&聖トーマス教会合唱団、バッハ「マタイ受難曲」。
2013年4月18日(木)サントリーホール、ロリン・マゼール指揮、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団、ブルックナー交響曲第3番ニ短調ほか。
このなかでも特に思い出深いのが、セルジュ・チェリビダッケの演奏である。41年前に横浜で聴いたレスピーギ「ローマの松」の第4部「アッピア街道の松」は、これ以上ないというppppから、ここまでやるかというffffffまで、ダイナミックレンジの広さには舌を巻いた。この指揮者を知ったのは、30年前に急逝した父が、チェリビダッケが無名の時代からFM放送でカセットテープに録音してきたことが大きい(直言「雑談(59)音楽よもやま話(9)―レコードとカセット」)。全部で35本ある。父の手書きで演奏者などのデータが書き込んである。右の写真は、戦後すぐにベルリンフィルを指揮する34歳のチェリビダッケで、鬼気迫る。ドキュメンタリー映画「フルトヴェングラーと巨匠たち」(原題:Botschaft der Musik, 1954)にあるものだ。フルトヴェングラーなきあと、カラヤンによってベルリンフィルから追われる。
チェリビダッケは超個性的な演奏をする。好き嫌いもはっきりする。前にも書いたが、ブルックナーの交響曲第4番変ホ長調の、特に第4楽章の終わり近くは、他の指揮者のものとはかなり異なる。480小節あたりから、弦の彼特有の「刻み」が始まり、513小節あたりで「刻み」が浮き上がってくる(全体で65小節にもおよぶ)。このあたりから、チェリビダッケが指揮棒でピシッ、ピシッと譜面台を叩く音が入り、529小節の最初のffで「ヤーッ」という叫びが聞こえ、533小節(譜面番号Z)のfffでさらなる叫び声が入る。指揮者が演奏中に叫ぶ例はあまりなく、評価が分かれるところである。
札幌で聴いた1986年10月12日の演奏会について、地元の新聞に出た音楽評はかなり手厳しかった。「チェリビダッケの指揮では、その細部に対する執念のみが目立ち、音楽の全体像が見えてこないために一体この曲で何を表現したいのかが伝わってこない。」等々。「アンコールはドボルザークの「スラブ舞曲」。これは同じように指揮者の統率が行き届きながらも、開放感のある名演だった」と初めてほめている(『北海道新聞』1986年10月15日付夕刊〔大宮理〕)。アンコールだけ評価するというのは皮肉である。
ここまで書いてきて、書庫の別の棚からさらに公演パンフの山が出てきた。これを時系列で並べておこう。
1975年12月18日(木)NHKホール、ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮、NHK交響楽団、ベートーヴェン交響曲第9番ニ短調。
1978年11月7日(火)渋谷公会堂、オトマール・スウィトナー指揮、ベルリン・シュターツカペレ、ブルックナー交響曲第7番ホ長調。
1978年4月18日(火)東京文化会館、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮、ドレスデン・シュターツカペレ、ブルックナー交響曲第5番変ロ長調。
1979年1月29日(月)東京文化会館、朝比奈隆指揮、東京交響楽団、ブルックナー交響曲第8番ハ短調ほか。
1980年12月9日(火)東京文化会館、クルト・ザンデルリンク指揮、読売日本交響楽団、ブルックナー交響曲第3番ニ短調。
1982年3月30日(火)東京文化会館、クリストフ・エッシェンバッハ指揮、ウィーン交響楽団、ブルックナー交響曲第7番ホ長調。
1993年5月15日(土)広島厚生年金会館、ホルスト・シュタイン指揮、バンベルク交響楽団、ブラームス交響曲第1番ハ短調、シューマンのピアノ協奏曲イ短調(ピアノ:マルタ・アルゲリッチ)。
1996年10月11日(金)東京芸術劇場、マルティン・ジークハルト指揮、リンツ・ブルックナー管弦楽団、ブルックナー交響曲第9番ニ短調、「テ・デウム」ハ長調。
2000年11月3日(土)NHKホール、朝比奈隆指揮、NHK交響楽団、ブルックナー交響曲第4番変ホ長調。
2004年11月18日(木)東京文化会館、サイモン・ラトル指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団ほか。ベートーヴェン歌劇「フィデリオ」全2幕。
2006年5月6日(土)オーチャードホール、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮、NHK交響楽団、ブルックナー交響曲第7番ホ長調。
2009年3月16日(月)サントリーホール、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮、読売日本交響楽団ほか、ベートーヴェン「荘厳ミサ曲」ニ長調。
2009年11月23日(月)サントリーホール、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団、ブルックナー交響曲第8番ハ短調。
2010年3月25日(木)東京オペラシティ、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮、読売日本交響楽団、ブルックナー交響曲第8番ハ短調。
2010年3月31日(水)サントリーホール、エリアフ・インバル指揮、東京都交響楽団ほか、マーラー交響曲第3番ニ短調。
2010年4月10日(土)NHKホール、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮、NHK交響楽団、マーラー交響曲第9番ニ長調。
2010年6月16日(水)東京文化会館、エリアフ・インバル指揮、東京都交響楽団、マーラー交響曲第2番ハ短調「復活」。
2010年7月11日(日)サントリーホール、ユベール・スダーン指揮、東京交響楽団、ブルックナー交響曲第9番ニ短調、「テ・デウム」ハ長調。
2010年10月15日(金)東京芸術劇場、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮、読売日本交響楽団、ブルックナー交響曲第7番ホ長調ほか。
2010年11月29日(月)東京文化会館、エリアフ・インバル指揮、東京都交響楽団、ブルックナー交響曲第6番イ長調ほか。
2013年2月20日(水)東京芸術劇場、下野竜也指揮、読売日本交響楽団、ブルックナー交響曲第5番変ロ長調。
2014年10月8日(水)東京芸術劇場、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮、読売日本交響楽団、ブルックナー交響曲第0番ニ短調ほか。
2014年12月23日(火)NHKホール、フランソワ・グザヴィエ・ロト指揮、NHK交響楽団ほか、ベートーヴェン交響曲第9番ニ短調。
2015年2月24日(火)サントリーホール、クリスティアン・ティーレマン指揮、ドレスデン・シュターツカペレ、ブルックナー交響曲第9番ニ短調ほか。
2015年3月18日(水)東京文化会館、エリアフ・インバル指揮、東京都交響楽団、ブルックナー交響曲第4番変ホ長調。
2015年9月30日(水)ミューザ川崎シンフォニーホール、ベルナルト・ハイティンク指揮、ロンドン交響楽団、ブルックナー交響曲第7番ホ長調ほか。
2015年12月25日(金)NHKホール、パーヴォ・ヤルビ指揮、NHK交響楽団ほか、ベートーヴェン交響曲第9番ニ短調。
2016年2月16日(火)サントリーホール、ダニエル・バレンボイム指揮、ベルリン・シュターツカペレ、ブルックナー交響曲第7番ホ長調。
2016年3月12日(土)鎌倉芸術館、井上道義指揮、NHK交響楽団、ブルックナー交響曲第8番ハ短調。
2017年1月10日(火)サントリーホール、小泉和裕指揮、東京都交響楽団、ブルックナー交響曲第5番変ロ長調。
2018年12月23日(日)NHKホール、マレク・ヤノフスキ指揮、NHK交響楽団ほか、ベートーヴェン交響曲第9番ニ短調。
2019年3月17日(日)サントリーホール、エリアフ・インバル指揮、東京都交響楽団、ブルックナー交響曲第8番ハ短調。
2019年7月10日(水)東京芸術劇場、エリアフ・インバル指揮、ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団、マーラー交響曲第5番嬰ハ短調ほか。
ブルックナーとマーラーの演奏が多いことがわかるだろう(ベートーヴェンの第九は招待券)。かなり偏食ぎみの選択である。よく聴いた朝比奈隆やヴォルフガング・ザヴァリッシュなどの公演パンフは見つからなかったので、ここに並べていない。これはけっこうな数になるが、書庫のどこかに眠っているのだろう。家を建て替えるときに、この「直言」に追加しよう。
ここに挙げたなかで印象深いのは、エリアフ・インバルである。1989年の広島で、フランクフルト放送交響楽団(2005年からhr交響楽団)と演奏したマーラーの交響曲第4番を聴いたのが最初だった。東京都交響楽団との相性が抜群によくて、ブルックナーでもマーラーでも水準以上の演奏になる。特に度肝を抜いたのが、2015年3月18日のブルックナーの交響曲第4番変ホ長調。本人も驚くような熱演になったのではないか。都響の金管群がすばらしい出来で、特にホルンは特筆すべきものだった(この演奏については、直言「雑談(110)音楽よもやま話(21)コバケンのマーラーなど」で触れている)。後にこの生演奏のCDまで買ってしまった。
それにひきかえ、2019年7月10日に聴いた、ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団とのマーラーの交響曲第5番嬰ハ短調は、大枚をはたいてチケットを入手した割には、感動がいま一つだった。この夜、インバルは昂揚して指揮棒を落してしまい、ヴィオラ奏者が拾って渡していたのはご愛敬だったが、オーケストラがいま一つ精彩を欠いていた。このオケは旧東時代のベルリン交響楽団で、1991年の東ベルリン滞在中、何度も聴いたことがある。ベルリンフィルのような輝きがない一方、ベルリン・シュターツカペレのような渋さや滋味もなくて、やや中途半端でオケだったが、インバルとの熱いコラボはとうとう最後までなかった。インバルは東京都交響楽団の方が、はるかに火花の出る演奏をするのはなぜだろう。
インバルと都響のコンサートとして「幻」となったものがある。2011年の手帳を開くと、3月の予定の多くが×印(キャンセル)になっている。3月23日(水)19時、東京文化会館。インバル指揮の都響でブルックナーの交響曲第9番ニ短調が演奏されることになっていた。久しぶりのコラボだったのでS席を購入して、楽しみに待っていた。そこに東日本大震災が起きた。計画停電のため、電気の供給が不安定になり、また交通手段も完全ではなかったので、コンサートは中止になり、チケットは払い戻しになった。
3度のドイツ在外研究中は音楽三昧が可能だった。前述の1991年の東ベルリン滞在時は、週2回はコンサートに行っていた。歩いて10分のところに、旧シャウシュピールハウス(現在のコンツェルトハウス)があった。当日券が800円のときもあった。ベルリンフィルですら3000円くらいで聴けた。2度目の在外研究(1999年3月~2000年3月)の地であるボンでは、地元のオーケストラがいま一つで、かつホール(ベートーヴェンハレ)の響きが悪くて、かなり欲求不満だった。娘も連れて行ったので、学校のことが大変でコンサートはあまり行けなかった。
3度目の在外研究(2016年)は再びボンに住んだが、この時は夫婦だけで行ったので、ケルンやベルリンにも行って、けっこう音楽三昧になった(直言「雑談(114)ドイツでの生活(2-完)+音楽よもやま話(22)ドイツで聴いた音楽」)。翌2017年夏は車でオーストリアとハンガリーに行って、この時はザルツブルク音楽祭の一端にも触れることができた(直言「雑談(116)音楽よもやま話(23)ブルックナー・オルガン再訪」)。
というわけで、「終活」を兼ねて、自宅書庫にある文献・資料の整理をするなかで出てきた音楽関係の公演パンフの話をしてきた。頁を繰るごとに、過去の演奏会のことがよみがえってきた。公演パンフには当日のチケットとともに、コンサートの音楽評論の古い新聞切り抜きがはさんである。一行14字だからけっこう中身がある(いまは1行12字)。
さて、これらの公演パンフを資源ゴミとして出すかどうかはまだ決断していない。写真に撮り、こうして紹介したので、おそらく次は資源ゴミになるのだろう、とここまで書いてきて、ネットオークションで珍しい公演パンフがけっこうな値をつけていることを知った。でも、私は、SNSや「メルカリ」の世界には、今後ともかかわらないつもりである。