千葉が大変なことになっている。台風15号、19号、21号による「東日本大水害」の巨大な被害、この首都圏の事態に対して真剣に取り組む姿勢や気迫が安倍晋三首相にはまったく感じられない。台風の被害発生中のラグビーについての安倍首相のツィート、南ア戦直後の「夢のような一ヶ月間」というツィートは、まともな神経の人間とは思えない。真正の「タマネギ大臣」である経済産業大臣が先週末に辞任した。「飴と鞭(アベと無知)」を駆使した安倍政権の統治もそろそろ末期症状を呈してきた。北朝鮮のミサイル対処のためという「イージス・アショア」に2000億以上投ずるならば、その金を老朽化した橋梁や堤防やダムなどの整備に使うのが、豪雨や台風、地震とたたかう真の「国土防衛」だろう(直言「イージス・アショアの「もったいない」――「大根派」的発想のこと(その2)」参照)。論ずべきことが多々あるが、ここは「南京の旅」の連載3回をアップして、とりあえず完結としよう。連載第1回は「中国建国70周年」を前にした南京の様子をレポートした。第2回は「南京大虐殺」をめぐる問題について書いた。今回は、この旅の主要な目的である、南京の大学での講演と学会報告について書いておこう。
9月23日朝8時から、南京航空航天大学人文社会科学院で学生・院生に講演した。タクシーで大学に着くと、まだ教室が開いていないのに、廊下で学生たちが待っていた。女子学生が相対的に多い。学生たちにとって、日本国憲法は「平和憲法」として知られ、好意的に受け止められていると、通訳をしてくれた洪驥君から聞いていた。そこで、まず、「憲法とは何か」というところから話を始めた。憲法は国家権力を制限する規範であると説明すると、彼らの顔に驚きが走った。学校でこれまで教えられてきた憲法の意味とは明らかに異なるという。この連載でも見たように、「社会主義核心価値観」の12の柱のなかには「立憲」は存在せず、「法治」(英訳はRule of Law)はあるものの、その解説絵解きには、素行不良で、親孝行をしない息子に対して、警察官(国家権力)が私生活のど真ん中に介入し、親孝行するように指導する場面が例示されている(直言「中国建国70周年の「風景」―南京の旅(1)」参照)。そういうこともあって、「憲法とは何か」について時間をかけて話した。
次に、「平和憲法」といっても、「戦争と平和」をめぐる問題は基本的に、国家と国家の関係を律する国際法の問題であり、当然に憲法の問題になるわけではないことを説明した。一国の最高法規である憲法が国家の対外的権力行使(武力行使等)に方向づけを与え、これを規制する最も古い例として、フランス1791年憲法第6篇1条1項を挙げた。「フランス国民は征服を行うことを目的とするいかなる戦争を企てることをも放棄し、かついかなる人民の自由に対してもその武力を決して行使しない。」と。国家が行う特定の戦争の形態(征服戦争)が放棄されるとともに、国民の自由を抑圧するために軍隊を用いることが厳格に禁止されたことの意味を指摘した。だが、現実には、軍隊は自国民に銃を向けてはならないという規範命題が守られなかった例は、どこの国でも、いつの時代でも枚挙にいとまがなく、この国も例外ではないと語ると、学生たちは顔を見合わせて何やらつぶやいていた。私は「六四・天安門事件」を当てこすったわけだが、それが学生たちにも通じたようである。
憲法9条がなぜ生まれたのかについての歴史的な話にもこだわった。9条2項が戦力不保持にまで徹底した背景には、米国やそれをめぐるさまざまな国際政治的力学が働いていたことは間違いないが、しかし、その根底には、ヒロシマ・ナガサキの悲惨な結果と、中国をはじめアジア諸国への日本の侵略に対する反省があることについて述べた。警察予備隊から自衛隊へ、そして安倍政権による集団的自衛権の行使容認に至るまでを、政府の憲法解釈の変遷に即して時間をかけて話した。そして、日本国憲法9条の条文だけでなく、それをめぐる長期にわたる反復継続した憲法実践(学説、判例、運動等々)の蓄積のなかにいまの憲法9条があることを語った(「立憲的ダイナミズム」)。与えられた時間はトータル3時間だったが、通訳を介するので、実際は1コマ90分と同じである。ただ、通訳の洪君が私とは長い付き合いなので、私が話したことを何倍にもふくらませて説明するので、私は笑わせたつもりはないのに、何度も教室が笑いに包まれた。洪君が通訳を超えて、私の言いたいことを学生たちに伝えてくれた。
たまたまホテルを出る少し前に、スマホに安倍首相がオーストラリアの首相とラグビーのユニフォームを見せあっている写真をスマホで見つけた。背番号は「9」。ラグビーに便乗して、ちゃっかり9条改正を訴えていたように見えた。かつて「憲法96条先行改正」に熱をあげたときは、背番号96番の巨人のユニフォームを着てはしゃいでいたが、今度はラグビーである。安倍首相の改憲論の薄っぺらさとその政権がかなり特殊であることを説明しつつ、この異様な政権の先はそう長くはないので、日本との関係をより長期的に見てほしいと語った。そして、国としては対立・緊張関係にあったとしても、民衆レベルで、また、研究・教育という一点において共通する大学人の間では、豊かな交流と信頼関係を築いていくことが平和の構築につながることを訴えて講演を終えた。
質疑応答ではいろいろな質問が出てきた。(1) 憲法改正国民投票は実際に行われる可能性はあるか、(2) 9月の安倍内閣による内閣改造人事をどう評価するか、(3) 今後、政権交代が起きる可能性があるか、起きるとすればどういう形か、といったかなり日本の政治事情に関心をもっていることをうかがわせる質問が続いた。日本の大学院に留学したいが、どうしたらよいかといった実際的な質問や、ジャニーズ事務所の問題、AKB48や乃木坂46の「恋愛禁止」ルールは法的にどういう問題があるかなど、日本の芸能界についての質問も飛び出した。通訳の洪君がユーモアをまじえて通訳してくれるので、学生たちの反応や表情から、こちらの言いたいことはほぼ伝わったと確信した。
滞在4日目、宿泊先になっているホテルの会議場で航空関係の学会が開かれた。ここで報告することを依頼されていたので、朝一で参加した。この写真にある私の背後の横断幕には、「第二回中国航空産業法治フォーラム=2019年航空工業法治国際シンポジウム」とある。航空産業や航空行政の関係者、航空法の研究者などが中心で、私は何を報告していいのか少し迷ったが、「航空法特例法」と「横田ラプコン」について話すことにした。
会場に着いて、学会プログラムを開くと、私がトップバッターになっていた。タイトルは、「日米安保条約体制下の航空法特例法」。1952年制定の安保特別法である。旧日米安保条約のもとにおける行政協定の実施に関する国内法である。1960年の安保条約改定後の日米地位協定のもとでも、基本的な条文は改正されていない。条文はわずか3カ条。重要なのは第3項である。「前項の航空機及びその航空機に乗り組んでその運航に従事する者については、航空法第六章の規定は、政令で定めるものを除き、適用しない。」 つまり、米軍機とそのパイロットには第6章は適用除外になると定めている。
航空法の第6章(航空機の運航)は57条から99条までの43カ条からなる。夜間の灯火点灯義務、事故発生時の報告義務、離発着の場所の限定、飛行禁止区域、最低安全高度〔300メートル〕の保持、航空交通管制圏等における速度制限、編隊飛行の制限、粗暴な操縦の禁止、爆発物等の輸送禁止、物件の投下禁止、落下傘降下禁止、曲芸飛行等の禁止、計器飛行方式による飛行、飛行計画とその承認、到着の通知など、「空の道路交通法」とでも形容すべき、航空機の運航に関するさまざまな態様の規制がかけられていることがわかる。これがすべて米軍機とそのパイロットには適用されないわけである。だから、夜間、無灯火の飛行機が低空で飛んできて、轟音を響かせていくとすれば、それは民間機や自衛隊機ではなく、米軍機である。厚木基地や横田基地など、東京首都圏に存在する米軍基地では、毎日のように米軍機が好き勝手に離発着を繰り返し、また各種の訓練を行っている。その法的根拠が航空法特例法である。道路交通法の適用を免れた暴走族が、深夜、轟音を響かせて、100キロを超える速度で、蛇行運転を繰り返しながら、住宅街の狭い道路を爆走しているようなものである。これが日本では、半世紀以上、変わらずに続いている。
会場を見回し、「パソコンなどで“横田ラプコン”と入力して、画像検索をかけてください」と述べると、会場が少しざわついた。もうスマホで検索している人がいる。後に洪君から聞いたところでは、東京の空の異様な状況について、ほとんどの参加者が知らなかったという。東京のほか神奈川、埼玉など9つの県の空が、高度2450メートルから7000メートルまでの空間を6つのランクに仕切られて、米軍横田基地によってコントロールされている。日本の航空機はこの「空の壁」を迂回して、羽田や成田の空港を離発着しなければならない。
この写真は、日本テレビ系列のNNN『ドキュメント2012』の2012年11月25日(26日深夜1時)放映の「日本の空は今も占領下?」のものである。放映された時に録画してゼミで見せたことがある。録画した番組では、「嘉手納ラプコン」は19分あたりから、「横田ラプコン」は21分あたりから始まる。番組のなかで現役機長の高橋拓矢さん(航空安全会議事務局長)は自らの体験を語りつつ、「他国の軍隊に優先的に運用されている空域がこれだけ首都圏にあるのは、私の知る限りない」と明言している。
講演では、この「横田ラプコン」によって、羽田からの離発着に際して、航路の集中、ニアミスの危険、迂回することによる燃料の無駄づかいが起きていることを指摘し、「羽田空港を利用したことのある方は、着陸までけっこう大きく旋回して時間がかかったことはありませんか」と聞くと、来日経験があるのだろうか、なるほどという顔をして頷いた参加者がいた。
この「横田ラプコン」は航空法特例法の問題ではない。特別法律上の根拠があって設けられているわけではない。安保条約6条に基づき、いつでも、どこでも、期限なしに基地を置ける「全土基地方式」という日本に圧倒的に不利な仕組みの応用として、日米合同委員会(在日米軍副司令官と外務省北米局長)という実務的な機関の合意に基づいて設定されている(詳しくは、吉田敏浩『横田空域-日米合同委員会でつくられた空の壁』(角川新書、2019年)を参照されたい)。
講演では、ドイツとイタリアが日本とは異なり、自国の航空法や法的規制を基地内や米軍機の飛行に及ぼす努力をしていることを紹介した。参考にしたのは、日弁連基地問題調査特別部会(長・佐々木健次弁護士)の『ドイツ・イタリアのNATO軍(米軍)基地調査報告書』(日弁連、2018年)である。この調査には、三宅千晶弁護士(第二東京弁護士会、水島ゼミ14期生)も参加している。なお、より詳しくは沖縄県の「他国地位協定調査報告書(欧州編)(平成31年4月)」参照のこと。
ドイツはラムシュタイン空軍基地をはじめ、各地に米軍・NATO軍の基地がある。年間10万時間以上の低空飛行訓練が行われ、騒音などに苦しめられてきた。しかし、ドイツ統一後、1993年のボン補足協定の改定を通じて、米兵の基地外での犯罪にドイツ警察権が及ぶようになる。また市長・郡長の基地立入り権が認められ、騒音や水質汚濁についてドイツ環境法が適用されるようになった。自治体の首長と米軍担当者による騒音低減委員会も設置された。ドイツの航空管制権も回復していく。
イタリアは1998年2月、ドロミテ渓谷で低空飛行訓練中の米軍機がロープウェイのロープを切断。ゴンドラが落下して死者が出たことを契機にして、政府が米国側と交渉を重ね、1999年に、イタリア航空法を米軍も遵守することになり、低空飛行訓練も厳格に規制されるようになった。
日本はどうか。2020年東京五輪を前にして、羽田空港の発着便が急増するにもかかわらず、政府は「横田ラプコン」をスルーして準備を進めている。「迎合と忖度の日米安保」の本質が実によくあらわれているといえよう。私は講演の終わりをこうしめくくった。「第二次世界大戦における枢軸国、ドイツ、イタリア、日本のうち、ドイツとイタリアは、20世紀中に米軍基地と米軍の訓練に対してそれぞれの国内法が及ぶようにしてきたのに対して、日本は21世紀になり、東京五輪を前にしてもなお、自国の空の主権を回復するに至っていない。日本全国30都道府県に米軍基地が存在するが、そこは実質的に「治外法権」といってもよい状態にある。日本政府には、これらに国内法を適用させるための交渉をする意志も意思も、気合も気迫もない。東京の空の異常で異様な状況について、国民のほとんどは知らない。これが日本の「不都合な真実」である」と。
学会で報告した夜、ゼミ生との連絡用のラインを使って、中国の航空関係の学会で「横田ラプコン」について報告したことを流すと、航空会社に就職したゼミ生の一人からすぐに反応があった。「水島先生お久しぶりです。学会報告ありがとうございました。まずはそのような事実を世界中の皆さんに知っていただくということも非常に重要であると感じます。今も羽田空港では、ウインドシアで着陸出来ず、着陸復行の際などは、横田ラプコンを避けるべく急な高度変更や進路変更を強いられている様をよく見ます。また、もうすぐ新ルートが正式に導入されます。重大な事故、事件が起きないように安全を守っていくしかないのですが、縛りの多い航空業界、日本の領空とは、と日々感じるところです。先生、お気をつけてご帰国なさってください。」
「ウインドシア」「着陸復行」という専門用語を駆使した、短いながら、インパクトのあるコメントがうれしかった。航空の現場では「横田ラプコン」が障害になっているわけで、7年前に「日本を、取り戻す。」といって発足した安倍政権は、「日本の空を取り戻す」ことにはまったく無関心である。
というわけで、中国に行って、学生たちに日本国憲法をめぐる現下の状況について語り、航空関係の学会の研究者に、日本の空の異様な状況について情報提供をしてきた。わずか4泊5日の旅だったが、いろいろと得るものがあった。これで「南京の旅」の連載を終える。
10月7日:中国建国70周年の「風景」――南京の旅(1)10月21日:「虐殺」の現場を歩く――南京の旅(2)
10月28日(今回):憲法9条と「日本の空の非常識」を語る――南京の旅(3・完)