4カ月ぶりの「わが歴史グッズ」シリーズである。前回は「「自国ファースト」時代の指導者たち」だった。今回はクラスター弾の第2回をお届けする。第1回は、11年前の「わが歴史グッズの話(25)クラスター弾」である。「クラスター」(cluster)というのは「集束」という意味で、たくさんの子弾を束ねてばらまくタイプのものが「クラスター弾」(cluster munitions)と呼ばれる。銃弾や砲弾、爆弾の類は研究室にたくさんあるが、本物のクラスター弾はまだ持っていなかった。最近それを入手したので、今回紹介する。
冒頭左の写真は、米軍の多連装ロケットシステム(MLRS)から発射されるM26ロケット弾のM77子弾の現物である。半年ほど前にある人から譲り受けたが、“INERT”(火薬抜き)と表示されている。米軍の演習用だろう。M26は全長3.9mで、644個のM77子弾が8個の円筒形の容器(ポリウレタン)に納められている。このM77子弾は、鋼鉄製のケースに成形炸薬を入れ、先の部分に起爆装置解除用のナイロン製リボンと信管が取り付けられている。目標上空に達すると、M445信管が作動してポリウレタンの容器の炸薬に点火して、M77子弾が放出される。M77子弾はナイロン製リボンにより落下姿勢を安定させ、安全装置を解除して、弾着時の衝撃で起爆。成形炸薬は装甲板を貫通して、周囲に破片を撒き散らす。だが、M77子弾は不発弾の発生率が高く、約2~5%の確率で不発となるという(以上、「現代兵器を学ぶWeapons School」など参照)。
2001年3月のタイ・カンボジア・ラオスの取材で、米軍のボール爆弾とパイナップル爆弾を入手した。その経緯は、直言「家の柱に爆弾 カンボジア・ラオスの旅(5・完)」に書いた。クラスター弾の類は、ベトナム戦争で米軍が大量に使用した。当時はボール爆弾といわれていた。この写真のなかで大きい方がBLU-26/B、小さいのがBLU-61/Bというタイプである。親爆弾(CBU-24、CBU-49)に、小爆弾が数百個入る。小爆弾には、パチンコ玉よりも小さな破片がびっしり詰まっていて、爆発で飛散して人体を蜂の巣のようにする。背景の写真(『ジェノサイド 民族みなごろし戦争』青木書店、1967年のグラビアより)にあるように、被害者の体には無数の穴があいている。体に入った破片をすべて取り除くことは困難といわれ、実に残虐な兵器である。ベトナム戦争では、ボール爆弾が普及する前は、パイナップル爆弾が使われていた。冒頭右の写真がラオスで入手したパイナップル爆弾である(もちろん火薬抜き)。
これらの兵器は、ある一定割合で不発弾になることも織り込み済みのようである。爆撃の際に敵に直接打撃を与えるだけでなく、不発弾となってその地域一帯の敵の活動を制約する。そういう「悪魔の計算」のもとで不発弾が「製造」されていく。この写真は、M77子弾のナイロン製リボンが木々にひっかかって、そのまま不発弾として残っているものである。ヒューマン・ライツ・ウォッチによれば、クラスター弾は不発の子弾が一般市民への被害を拡大している。アフガニスタンだけでなく、イエメンにおいても同様である(Human Rights Watch)。「ヒューマン・ライツ・ウォッチは、通常は農地および放牧地として使われる野原に散在する不発子弾を発見した。これら不発子弾により、当該地域は使用できない危険有害な場所となり、地元農民の生計を脅かし、食糧不安も増すことになった。・・・M77子弾は、米軍のテストで23%という高い不発率を記録している。これは、不発子弾の位置が特定され安全に除去されるまで、当該地域は深刻な危険にさらされることを意味する」。
2003年12月13日、九段会館で「アフガニスタン国際戦犯民衆法廷第2回公判」が開かれた。市民団体・弁護士らが組織した市民法廷である。そこに判事役の一人として参加した。その時、「証拠」として法廷に提出されたのが、この写真にあるクラスター弾である。アフガンの現場から持ち込まれたもので、それを写真にとっておいたものだ(なお、この時の「判事補足意見」はここから)。
ところで、クラスター弾よりも10年早く、国際社会が全面禁止に動いたのが対人地雷である。対戦車地雷などすべての地雷が禁止されたわけではない。対人地雷という、もっぱら人間を狙った地雷の使用、貯蔵、生産、移譲等が全面的に禁止された。1997年の対人地雷禁止条約(オタワ条約)である(直言「わが歴史グッズの話(15)地雷と破片」)。この条約の20周年に、その到達点と今後の課題について書いたので参照されたい(直言「わが歴史グッズの話(42)対人地雷禁止条約20周年と自衛隊」)。
対人地雷禁止条約が実現する上で、英国のダイアナ妃が果たした役割は大きい。当初、英国政府は米国や日本と歩調を合わせて、この条約に反対だった。しかし、ダイアナ妃がアフリカのアンゴラを訪れて、防弾着姿で地雷源を歩いたことで、英国の世論が変わった。この写真は「地雷源のダイアナ」である(BBC2019年9月28日放送の映像)。地雷で足を失った子どもたちを抱きしめるダイアナ妃の姿が全世界に流れ、英国政府も条約賛成に動く。日本政府も、小渕恵三首相が外相時代から対人地雷禁止に積極的な姿勢をとっていたため、条約に賛成した(平成10年10月28日条約第15号)。2003年2月までに陸上自衛隊が保有する100万個の対人地雷が廃棄された)。なお、今年9月、ダイアナ妃の次男のヘンリー王子がアンゴラを訪れ、ダイアナ妃と同じ地雷源を歩き、地雷除去作業をまじかで見学している。
対人地雷禁止の国際NGOにカナダ政府が関わった「オタワ・プロセス」に続いて、クラスター弾禁止の国際NGOの活動にノルウェー政府が協力した「オスロ・プロセス」が成功して、2008年5月、ダブリンで開かれた国際会議の最終日、「クラスター弾禁止条約案」が合意された。日本政府は最終日直前、それまでの態度保留から賛成に転じた。福田康夫首相の政治決断の結果である。背景には、連立与党公明党の浜四津敏子代表代行(当時)の執拗な働きかけがあったとされている(『毎日新聞』2008年5月30日付)。この条約により、クラスター弾の使用、開発、製造、取得、貯蔵、保持、移譲が禁止された。日本もこの条約を批准した(平成22年7月9日条約第5号)。
条約発効後、陸上自衛隊が保有しているM26ロケット弾は、すべて廃棄された(『毎日新聞』2015年2月11日付)。陸自では多連装ロケットシステム(MLRS)の運用方法を変更して、M77子弾が内蔵されていない単一弾頭のM31GPS誘導ロケット弾に切り換えている。もっとも、MLRSは冷戦時代の発想に基づくもので、北海道にソ連の大部隊が上陸して、それを全縦深同時制圧するような想定の装備といえる。住宅が密集する狭い国土での作戦に、単一弾頭とはいえ、このような兵器が必要なのかは、別途議論が必要だろう。
さて、今回、陸自も廃棄したM26ロケット弾のM77子弾を入手したついでにいろいろと書いてきたが、このM77子弾では忘れられない事件がある。アンマン国際空港爆発事件である。2003年5月1日、毎日新聞写真部記者が、イラク戦争取材中に拾ったM77子弾を記念品に持ちかえろうとして、その手荷物が空港の手荷物検査場で爆発。空港職員1人が即死、近くにいた5人が負傷した。記者は、爆発物不法所持罪(最高懲役15年)で起訴されたが、ヨルダン国家治安法廷は1年6月の禁固刑を言い渡した。爆発物との認識がなく、使用の意思もなかったとして、過失致死傷のみの量刑だった。記者は控訴せずに服役したが、1カ月ほどたって、ヨルダン国王の特赦で釈放された(『読売新聞』2003年6月2日付)。このM77子弾の演習弾を研究室で初めて見せられた際、私は直ちに16年前のこの事件を思い出した。本体に大きく「火薬抜き」と書かれていたので大丈夫だと判断した。ちなみに、実弾もこの演習弾同様、内部が空洞になっているように見える。記者はこの空洞を見て使用済みだと判断してしまったそうだ。よく見ると円錐形になっているこの空洞は、モンロー/ノイマン効果(詳しくは検索されたい)を狙った成形炸薬弾には付き物だが、知らないと誤った判断の原因になりかねない。
それにしても、このクラスター弾禁止条約に署名した国は95カ国で、米国やロシアなどはまだクラスター弾を配備している。製造する会社もある。驚いたのは、世界の金融機関166社が2013年~2017年で310億ドル(3兆4000億円)もクラスター弾の製造のために融資をしており、そのなかで日本の4社が含まれていたことである。合計2100億円の投融資は条約加盟国では最多という(『東京新聞』2017年5月25日付)。兵器産業の「性」(さが)というか、加盟していない国がある限り、製造して儲ける。そこに投資する。この発想はなくならないのだろう。安倍政権は5年前に武器輸出三原則を撤廃し、先月、「武器見本市」が千葉・幕張メッセで開催されたるところまできた。世界20カ国から90社、日本国内からも60社が参加して、ハイテク兵器の売り込みをやった。主催者は「日本の憲法解釈が変わり、扉が開かれた」と得々と語っていたのが印象的である。「安倍政権、万歳」である。そのなかで、テレビニュースに流れたイスラエル軍需産業のブース担当者の言葉が忘れられない。最新の対戦車ミサイルについて映像を使って説明するのだが、「我々の兵器は実戦で証明済みです」と言い切ったのだ。胸くそが悪くなった。ちなみに、イスラエルはクラスター弾禁止条約に署名していない。