追記:中国武漢における新型コロナウイルスによる肺炎患者が拡大している。感染者数は2002-3年の「重症急性呼吸器症候群」(SARS)を超えた。WHO(世界保健機関)が1月31日になって「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」を宣言した。日本政府は新型コロナウイルス感染症の「指定感染症」指定を2月7日から1日に前倒しして実施した。安倍首相は、武漢市のある湖北省に滞在歴のある外国人らの入国拒否を表明した。ちょうど10年前の直言「新型インフルエンザと大学」をこの機会にお読みいただきたい。2007年5月に麻疹による全学休講・出席停止との関連で、前文をもつ感染症予防医療法(1999年)について書いている。伝染病予防法には「隔離」という言葉が使われていたが、この法律にはない。「患者等の人権を尊重しつつ」、病気の種類や度合いに応じた、段階をおった、きめ細かい施策が定められている。大変むずかしい事態だが、この法律の前文に書かれたハンセン病やエイズなどの感染症患者等への差別・偏見への反省を重く受け止めつつ、対応にあたる必要がある。いわんや、自民党内から出てきた、緊急事態条項を導入する憲法改正の「実験台」などは、まさに「惨事便乗型改憲」の動きである。政府の対応が後手にまわり、安倍首相の「やってる感」満載の対応は見飽きた感が強い(直言「大災害と「大災相」――北海道胆振東部地震」)。今後、必要に応じて、この問題はこの「直言」でも書いていくことにしたい。(2020年2月1日追記)
新年1月5日、山の仕事場にゼミの22期生を招いて、第14回「おでん会」を開いた。学生たちが来るまでの12月30日から4日まで、一人で映画(DVD)三昧とあいなった(元日は外に出て「紅富士」を撮影)。8年前は音楽三昧だった。今回みた8本のDVDのなかに、『タンク・ソルジャー重戦車KV-1』(ロシア、2018年)というのがあった。脚本の不出来から、ソ連製戦車がゴトゴト動いているシーンだけがメインで、ドイツのティーガー戦車はこんなチャチじゃないと思わずのけぞるような代物だった。空き時間にみたブラッド・ピット主演の映画『フューリー』(米国、2014年)と同じく、本物の戦車だけ走らせれば脚本はどうでもいいみたいな作品だった。そこで、口直しに、若き山田洋次監督の『馬鹿が戦車でやって来る』(松竹、1964年)をみた。戦車はチャチだが、話の筋はしっかりしていて、見応えがあった。
この作品は33歳の山田監督が脚本も書いたもので、戦車兵あがりのサブ(ハナ肇)の一家が、長年にわたり村人たちから差別され、ついに怒ったサブが、納屋に隠してあった戦車を暴走させて、復讐に乗り出す「アナーキーなエネルギーに溢れたスペクタクル喜劇」(DVDケース裏の解説)である。戦後間もない、地主・小作関係を軸にした差別としがらみが残る古い農村が舞台。庄屋の仁右衛門(花沢徳衛)の娘・紀子(岩下志麻)だけがサブたちの味方である。村八分への実力行動のなかで、弟の兵六(犬塚弘)が火の見櫓から落ちて死んでしまう。サブは兵六の遺体を戦車に乗せて、姿を消す。海岸には海に向かう戦車の轍が残されていた。サブが海岸まで走った轍の道(戦車道)は、紀子が慕う若い医者(高橋幸治)の診療所への近道で、二人はやがて結婚。この道を歩いて帰っていく。この戦車道に、新しい時代への希望を託した形で映画は終わる。なお、作品中に出てくる“愛國87号”は、旧陸軍の95式軽戦車に似ているが、だいぶ違う。
安倍首相も戦車でやって来た。2013年4月27日、戦車長の格好をして、陸自の10式戦車の12.7ミリ機関銃横の天蓋から手を振ってみせた。この写真は全世界に広まった。ドイツの週刊誌Der Spiegelは、首相公用車が警察車両などとの多重追突事故に巻きこまれたことを報ずるなかで、この写真を使っている(冒頭左の写真参照)。
安倍首相が乗った10式戦車は、冷戦時代の「ソ連軍、北海道上陸」に伴う戦車戦を想定した90式戦車が無用の長物となったあとに、開発・導入されたものである。直言「新型戦車のもったいない」でも書いたが、10式戦車は重量44トンと、90式(50トン)よりも軽く、120ミリ滑腔砲をもつこと、北欧やイスラエルの戦車に似た車体であることなど、「冷戦後」を少しは意識したものではあった。しかし、いまの時代、日本でなぜ戦車が必要なのかという点では、特殊部隊、ゲリコマ(ゲリラコマンド)、テロへの対応が主にあがっていた。例えば、街の四つ角などを封鎖するため、全周視界と強力な装甲防護力を持つ戦車は有効で、「自爆テロ」にも対応できるというのだが、かなり後知恵的な理由づけが気になる。
まず戦車の調達があって、後からその運用の問題がついてくる。軍需産業における「需要と供給」の特殊事情である。冷戦時代なら、ソ連の自動車化狙撃師団との戦車対決を理由にして調達予算が潤沢に獲得できたが、90年代以降はそれも困難になった。2009年のゼミ北海道合宿の際に知った「片山事件」は、そのことを象徴しているように思う。
北海道の自治体関係者の間で語り継がれている「片山事件」とは、2004年7月、財務省主計局主計官(防衛担当)だった片山さつき氏(現・自民党参院議員)が、旧ソ連の脅威が低下したことを受けて、防衛費1兆円減を打ち出し、北海道の4個師団・旅団を1個師団に縮小するなど、陸上自衛隊の編成定数(16万人)を10年間で12万人(4万削減)に圧縮する方向を提起したことに起因する。片山案(当時「片山ペーパー」と呼ばれていた)では、戦車は519両も減らすとされていた。いまも昔もパフォーマンス全開は変わらず、関係者は肝を冷やした。その後、「ポスト冷戦」時代の「専守防衛」相対化の動きが進み、「動的防衛力」構想も出てきて、無理を承知の戦車の運用がひねり出されていく(直言「戦車で「動的防衛力」?――北海道から」)。
ところで、ドイツ滞在中、車を運転してラインラント=プファルツ州を走ると、こういう道路標識をよくみかける。軍用車両・戦車の速度制限と優先走行の指示標識である。この州には米軍の第1機甲師団とドイツ連邦軍の装甲師団の駐屯地がある(その後、縮小・改編)。一度だけだが、演習場から戦車が出てくるところに出くわしたことがある。レオパルトII型。ドイツ連邦軍軍事史博物館の野外展示が、この写真である。
戦車が派手に使われたポスト冷戦期の最初で最後の機会がイラク戦争だったのではないか。2003年3月20日、ドイツに駐留していた米第1機甲師団を中軸とする戦車500両、兵員15万の米英軍が、クェートからイラクに侵攻した。「イラクの自由」作戦の開始である。ブッシュ・ドクトリンに基づく対イラク「予防戦争」だが、国連安保理決議もない、一見きわめて明白に国連憲章違反の侵略行為だった。フセイン体制転覆(体制転換)が直接の目的とされた(直言「国際法違反の予防戦争が始まった」)。イラク軍は多数の戦車と装甲車をもっていたが、圧倒的な火力と機動力、対戦車ヘリなどを総合的に駆使した米英軍の前に敗退した。
イラク戦争とは何だったのか。小泉純一郎政権は自衛隊を「復興支援」の名目でイラクに派遣した。私は一貫してこれに反対した。この戦争に加担した日本政府の責任とその総括がまだ十分になされていない。日本に好意的な中東諸国において、米国と一体となって軍隊を派遣したことで失ったものは大きい(直言「イラク戦争と日本――失われたものの大きさ」)。
「復興支援」の実態も、その後徐々に明らかとなり、名古屋高裁は、武装兵員を戦闘地域であるバグダッドへ空輸する行為が「他国による武力行使と一体化した行動」であり、それは「自らも武力行使を行ったとの評価を受けざるを得ない行動であ(って)」、その活動は、憲法9条1項に違反する活動を含むという、実質的な違憲判決を出した(直言「空自イラク派遣に違憲判断」)。
イラク戦争開戦とほぼ同時に、「イラク・ボディ・カウント」(Iraq Body Count)というサイトが立ち上がり、刻々と、イラクの民間人の犠牲者数を集計していった。主に英米在住のボランティアが運営している。集計の方法は、メディア報道、国際機関や政府、NGOの公式発表から、イラクで民間人が巻き込まれた戦闘やテロの情報を収集。複数の情報源で裏付けられた事例について、日時、場所、使用武器、死者・負傷者の人数、犠牲者の名前、性別、職業などを記録する。情報源によって人数などが食い違うため集計に幅を持たせている。開戦から1カ月後にアップした直言「ブッシュの「ブレジネフ・ドクトリン」」では、これから引用して、死者を2000人から3000人と書いている。
私がレギュラーを14年間務めたNHKラジオ第一放送「新聞を読んで」の2003年6月1日の放送で、次のように語った。「米国の市民団体が出している「イラク・ボディ・カウント」という、イラク民間人の死者の数を日々刻々とインターネットに流しているホームページがありますが、このスタジオ来る前、今から1時間前に確認した最新の数字では、イラク人の犠牲者は最低で5430人、最大で7046人でした。これだけの犠牲者が出ていることが、戦争が終わってしばらくするとこうやって明らかになってくるわけです。」と。
でも、私自身、その後、このサイトをチェックすることを怠っていた。この原稿を書くために久々にクリックして驚いた。死者の数がすさまじく増えている。この原稿を書いている2020年1月26日現在、184776~207645人、戦闘員を含めると288000人になる。これだけの命が、この17年間で、毎日のように失われてきたわけである。
このグラフは、このサイトのなかにある。ご自身で確認していただきたい。2003年から2020年までの17年間の死者数の推移である。プルダウン(選択項目)に、航空攻撃とか銃器などの手段や、バクダッドやファルージャとかの地域を選んでカウントし直してみると、被害の複雑さと深刻さがさらに見えてくるだろう。大規模な武力衝突はなくなったものの、小規模な戦闘や殺害などは恒常的に続いていることがわかる。ブッシュがイラク戦争を起こさなければ失われなかった20万近い命。これから失われる命。ブッシュ政権が始めたイラク戦争の罪深さは、大統領が代わっても続く。
いま、トランプ政権は、イランとの軍事的緊張を仕掛けている。きわめて危険である。イラク戦争によってフセイン政権を倒したことによって、IS(イスラム国)が誕生した。世界平和に対する脅威は、合衆国大統領が戦争を自らの支持率アップに利用しようとするときに生れる。トランプはまさにその路線を走っている。不動産屋のディール(取引)思考に支配されるので、気の利いた理由を必要としない分、危険度はより高い。このトランプにべったりの安倍晋三を取り替えない限り、中東における新たな軍事対立に、日本は確実に巻きこまれるだろう。