入試繁忙期のストック原稿をアップする。昨年11月、早稲田大学校友会の『早稲田学報』(16万部発行)に取材された。2020年2月号の特集「教授の部屋」で、わが研究室を紹介したいという。今までもテレビや雑誌、新聞などで研究室の様子はいろいろな形で紹介されてきたが、ここまでインパクトの強い写真は初めてである。
15年前、朝日新聞社の雑誌『論座』2005年2月号「ニッポンの論客」で、着任から9年ほどいた29-6号館の研究室の写真が掲載された。それがこの右側の写真である。当時は、ブッシュ人形やサミットリカちゃん、旧東ドイツ国家人民軍(NVA)の毒ガスマスクなどを研究室中央の机の上に並べていた。私の横には84ミリ携行式無反動砲「カール・グスタフ」、背後には、ドイツ連邦軍の射撃訓練用標的やイラク戦争開始直後にハワイで売られたTシャツなどが見える。
2005年に新しい8号館ができて、研究室の引越しをやった。歴史グッズも増えてくるにつれて、びっしり本が詰まった書棚の前に掛けたり、張り付けたりするようになった。その結果、冒頭の写真のようなありさまとなった(写真には入っていない右側にも同じようにたくさん並んでいる)。
2011年3月11日の東日本大震災で東京は震度5。その大きな揺れにより、書棚にかけてあった「歴史グッズ」はすべて床に落ちた。そこに重い本が降ってきて、貴重な置物やナチス時代の提灯などを押しつぶしてしまった。歴史グッズの修復はまだ完全には終わっていない。破損した「ナチス提灯」については、愛媛県西条市の提灯工房に依頼して修繕していただいた。その経緯を『東京新聞』2015年6月3日付夕刊が一面トップ記事で伝えたのがこの写真である。日独伊三国同盟を、安保関連法制定に前のめりの安倍政権に意識的に重ねた、夕刊担当デスクの判断だろう。
この研究室の「わが歴史グッズ」は授業や講演などで積極的に活用している。2つ例を挙げるならば、まず、2005年7月、慶応義塾志木高校(井田良校長(当時))の講演会に、カンボジアで入手した旧ソ連製棒地雷POMZ-2M型を持参して、教材提示装置を使い、700人の全校生徒を前に映写した。本物の地雷の迫力に、高校生たちも驚いたようである。
もう一つは、2015年8月。「戦後70年」を契機として、東京弁護士会が「戦争資料展」を開いた。弁護士会館2階「クレオ」には、東弁の弁護士たちが、研究室から防空法関係「歴史グッズ」の一部を段ボール2箱分ほどにまとめて運び、説明を付して並べた。それだけでも、クレオの広いスペースいっぱいの展示となった。午後から中学生が招待されて、私が戦前の防空法制について説明した(その様子は、NHKの東京ローカルで放送)。もし、冒頭の写真の「歴史グッズ」すべてを解説付で展示すれば、かなり大きな平和展示室(資料館)になるだろう。
「わが歴史グッズ」を学生や聴衆に直接手にとって見てもらうことは効果的だが、他方、さまざまなリスクを伴う(直言「わが歴史グッズの話(44)番外編・グッズの可能性とリスク」)。分解されたり、壊されたり、誰かが持ちかえってしまい回収できなかったこともある。なので、講演の場合は、回覧している間、主催者に見守りをお願いしている。
ところで、「直言」ではこの23年間に、「わが歴史グッズの話」を46回にわたり掲載してきた(「わが歴史グッズの話」リスト)。まだ一部しか紹介しきれていないが、そのなかで最も貴重なものは何かと聞かれることがある。この写真は、4年前のドイツ在外研究中に訪れた旧スターリングラードで入手したソ連兵の水筒(名前と小銃弾の貫通痕あり)である。ヴォルゴグラード市中心部から北西37キロにある「ロソシュカ戦没者墓地」の管理人からもらったもので、「わが歴史グッズ」のなかでは、「ベルリンの壁」に次ぐ重要なものとなった。
さて、今回、早稲田学報編集室は、70人以上の教員に「研究室を見せてほしい」と依頼して、40人の研究室を見学して、最終的に10人の研究室の写真を撮影して掲載した(その経緯は、同誌2月号111頁の「編集後記」参照)。早稲田大学の専任教員数は約2000人。助手を加えれば2200以上の研究室があるわけで、そのなかの10研究室の一つに選ばれたことは大変光栄である。『早稲田学報』は16万の卒業生の自宅に届く。私の研究室の様子は、先月、多くの早大卒業生の目にとまったようで、ツイッターなどでいろいろな反応があって面白かった。私はSNSはやらないが、Facebookでも紹介されているようである。冒頭の写真を「直言」で紹介することを編集部に許可していただいた。これによって、早大卒業生に限らず、すべての読者の方々にご覧いただけることになった。なお、この研究室は4年後の2024年3月、私の退職とともに閉室となる。もし、学内外に平和展示室のようなものができれば、すべて提供するつもりである。
冒頭の写真に付されている早稲田学報編集部の文章は下記の通りである。関連する言葉に過去の「直言」のバックナンバーをリンクしておいた。少々読みにくいが、ご容赦いただきたい。これらのリンクをたどれば、「水島朝穂ワールド」を旅することができるだろう。
水島朝穂法学学術院教授/憲法学・法政策論博物館のような水島朝穂先生の研究室。壁沿いに置かれた本棚や机の上には、ガスマスクやヘルメット、手榴弾や地雷、焼夷弾や銃剣などのほか、歴史的事件を伝える当時の新聞・号外や、各国の指導者にまつわる物品など、数え切れないほどの所蔵品が並ぶ。軍事マニアのコレクションだと揶揄されることもあるというが、どれも先生の専門である「憲法」につながる史資料で、先生はこれらを「歴史グッズ」と呼んでいる。
「私の専門は憲法学と法政策論ですが、憲法の解釈だけではなく、法律が制定される過程を調べていくと、それを支える「事実」の奥にまで踏み込む必要がある」と語る先生の授業では、これらの「歴史グッズ」を学生に見せて、時に触れさせる。中でも「この一品」というのが、先生が自身で入手した「ベルリンの壁」の破片だ。壁の崩壊から間もない1991年の半年間、東ベルリンに滞在し、まだ残っていた壁を削ってもらって入手したもので、描かれていた西ドイツ国旗の模様が残り、鉄筋が露出している。ここまで完璧な破片はドイツでも珍しいという。「実物に触れると年表上の一行だった歴史が途端にリアリティを持つ。ベルリンの壁は28年余り存在したが、崩壊後ほぼそれと同じ年月を経て、今度はアメリカの大統領が別の『壁』をつくると言った。このような「歴史の繰り返し」に見えることがなぜ起こるのか。実物に触れて想像し、史資料で裏付けて議論していくことが大切なのです」。
このような授業スタイルを36年続け、所蔵品は増え続けている。「歴史グッズ」の紹介をする先生のウェブサイトを見て、世界各地の人から貴重なものが提供されることも多い。さまざまな出会いの連鎖の中で、歴史のリアルがここに集まる。