オンライン授業で新聞を使う
学部のオンライン授業を始めて6週目に入った。2回目の授業風景について紹介したが(直言「ネバー・エンディング無責任―遠隔授業をやりながら考える」)、細かな操作を手さぐりでやっている。4種類のゼミなどのリアルタイム授業はパソコン画面の向こうの院生や学生と議論するが、教室でやりたいという思いが日に日につのる。400人を超える大講義2つの動画収録はけっこう大変である。「パワポに依存する講義や講演は邪道」というモットーに背いて、この4月からパワポも使っている。ただ、ライブ感を出すため、収録直前に入ってくる情報を、講義をしながら手動で書画カメラ上に出していくこともやっている(今回は「手の内」が画面に残ってしまった(汗))。
学生たちには、私の講義を受講している間だけでも、紙の新聞をとって、切り抜きを手元に準備するようにいっている(26年前の「体験的教育論」参照)。全国紙の3紙と東京新聞を定期購読しているが、6月11日朝刊各紙は、驚くほどの違いが出た。この日、講義冒頭10分間を使ってやる「今週の事件」で扱ったのは、6月10日に那覇地方裁判所で出された一つの判決である。憲法53条の臨時国会召集をめぐる訴訟で、紋切り型の判決が出るのではないかと思っていたが、どっこい、これが面白い判決だった。
「憲法違反常習首相」の常習性
本件は、憲法53条後段に基づき野党が臨時国会の召集を求めたのに対して、安倍内閣が98日間にわたって応じなかったことが憲法違反にあたるかどうかが争われたものである。憲法53条は「内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。」と規定する。憲法上、国会の臨時会の召集は内閣の裁量だが、衆参両院のいずれかの総議員の25%以上の議員が要求すれば、その召集は内閣の義務となる。一つの条文内に「できる」(may)と「しなければならない」(must)が書き分けられていることからも、野党の召集要求があれば、内閣としてもこれを無下に退けることは許されない。だが、安倍首相はまったく関知せずという態度をとり続けた。ここまでおおらかに召集のmustに応じないことがなぜできるのか。憲法軽視や憲法無視の首相はこれまでにもいたが、「みっともない憲法」と言い放つ「憲法蔑視」の域に達しているのは、安倍首相をおいてほかにはいない所以である。
これまで「直言」では23年間に、橋本龍太郎首相以来10人の首相についていろいろと批判してきたが、私が「憲法違反常習首相」と断ずるのは安倍首相だけである。集団的自衛権行使違憲の政府解釈を「7.1閣議決定」でひっくり返したことを最たる例に、検察庁法で決まっている検察官の定年を特定の検事長について閣議決定で変更する暴挙(「クロケン事件」という)に至るまで、憲法に対するリスペクト・ゼロの姿勢は驚くばかりである。「モリ・カケ・ヤマ・アサ・サクラ+クロケン」の問題を、野党は国会で追及し続けている。いずれについても完全否定を貫いているものの、首相自身の答弁はかなり迷走し、閣僚たちの答弁もボロボロである。閣僚たちの辞任が続いても、「責任はあるが、責任はとらない」という独特の「責任感」で乗り切ってきた。それでも、国会での審議、とりわけテレビ中継のある予算委員会での審議はできる限り避けたい。これが小心で狭量、狭隘な首相の本音だろう。
だから、違憲性を追及され、国民の批判も強かった安保関連法案が成立するや、野党の臨時国会召集要求を無視し続け、2015年秋に臨時国会を開かなかった。5年前の直言「臨時国会のない秋―安倍内閣の憲法53条違反」をこの機会にお読みいただきたい。ここには、今回の那覇地裁判決につながる論点がほとんど書き込んである。
続く2017年の通常国会は、森友学園問題や加計学園問題に関係した野党の追及が激しく、6月に国会が閉会するや、野党は引き続き事案の解明のため、憲法53条後段に基づき臨時国会の召集を求めた。しかし、安倍内閣は、6月から9月にかけ、98日間もの間、野党の要求に応じなかった (直言「「憲法違反常習首相」―安倍政権下の失われた5年」参照)。そして、9月28日、臨時国会を召集したその当日の冒頭で、衆議院を解散してしまった(私はこれを「暴投解散」と呼んだ[直言「「自分ファースト」の翼賛政治―保身とエゴの「暴投解散」」参照])。投票日の当日は台風が上陸し、避難勧告と投票呼びかけが同時になされる地域もあって、安倍与党が史上二番目の低投票率のなかで「圧勝」した。臨時国会召集から3カ月も逃げまわり、開会当日の冒頭解散で「論点ずらし」をやった結果でもある。
「憲法53条違憲国賠事件」那覇地裁判決
10日の那覇地裁判決は、この2017年の召集要求無視の違憲性を問う「憲法53条違憲国家賠償請求事件」である(判決全文PDFはここからどうぞ)。主文は原告らの請求棄却である。国会が開かれなかったことにより国会議員としての権能を行使する機会を奪われたことに対して各自1万円を支払えというもので、この請求が認められる可能性がほとんどないことは原告らも承知の上での訴えである。問題は、判決理由のなかで、裁判所がどこまでこの憲法53条後段に関連した判断を示すかにあった。
判決は、第1に、国会の召集のような事項について、裁判所の司法審査が及ぶかどうかという周知の問題にどう答えただろうか。衆議院の解散については、苫米地事件の最高裁判決(1960年)があり、「高度に政治性のある国家行為」については法律上の争訟となり、これに対する有効無効の判断が法律上可能な場合であっても、このような国家行為は裁判所の審査権の外にあるという、周知の「統治行為論」がとられている。「解散」がだめな以上、「召集」も同じ論理で退けることも十分可能だったが、那覇地裁は単純な統治行為論をとらなかった。衆議院の解散と異なり、憲法53条後段に基づく臨時会の召集決定は、「直接国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為」[統治行為]またはそれに準じるものとはいえず、司法審査の対象外であるということはできないというものだ。「解散」と「召集」とを分け、後者について司法審査の判断の余地を認めたもので、53条後段の一義的に明確な規定ぶりが背景にあるだろう。
第2に、憲法53条後段の召集義務の性格についてである。判決は、臨時会召集について、前述のように「高度に政治性のあることは否定できない」としながらも、53条後段に基づく要求があれば、その召集は単なる政治的義務ではなく、「憲法上明文をもって規定された法的義務」と指摘する。憲法が召集時期について具体的な定めを置いていないことについても、要求がされてから「合理的期間内に臨時会を召集する義務がある」と、ぶれることはない。
第3に、この「合理的期間」の判断について、「内閣に認められる裁量の余地は極めて乏しい」として、内閣の裁量の幅を「大きいものとは考えられない」「限定的なものといえる」として、通常、裁判所が国会や内閣の裁量を過度に忖度する傾向が強いなかで、判決は異例に厳しい態度をとっている。「合理的期間内」に召集を行ったかについては、合理的期間の解釈の問題であって、法律上の争訟として裁判所が判断することが可能としている。ちなみに、2012年の自民党改憲草案53条には、「要求があった日から20日以内に臨時国会が召集されなければならない」とあるから、自民党議員にとっては「合理的期間」とはこのくらいのはずだろう。98日はあり得ない。
第4に、憲法53条後段の意味(mustとした点)について、判決は、「少数派の国会議員の意見を国会に反映させるという趣旨」と解している。内閣が53条後段の要求に応じない場合には、「議院内閣制の下における国会と内閣の均衡・抑制関係ないし協働関係が損なわれるおそれがあるというべきであるから、司法審査の対象とする必要性が高い」としている点も注目される。憲法の権力分立の観点をしっかり押し出し、議会内の少数派保護の観点をもまじえたバランスのよい判断といえる。
第5に、臨時会召集がないことで個々の国会議員に国家賠償法1条の損害賠償義務が発生する余地はないからと、これを簡単に退けている。これは想定内の判断だろう。ただ、この結論を出す下りで、臨時会の召集を法的義務とすれば、「同条後段に基づく召集要求に対する内閣の臨時会の召集決定が同条に違反するものとして違憲と評価される余地はあるといえるものの」と一歩踏み込んだ認容文を付している点が注目される。判決は結局、53条後段に違反するとは断定しなかったが、上記の諸点全体を通じて、安倍内閣が98日間にわたって臨時会の召集をしなかったことについて厳しい目を向けていることは確かだろう。
『朝日新聞』の憲法53条事件の扱い
統治行為論で棄却と見られていた事件で、一地裁の一判決にもかかわらず、『朝日新聞』が翌11日朝刊の一面肩で「国会召集「憲法上の義務」」という見出しで大きく伝え(ウェブで一部)、第3総合面で「憲法53条の意義明確に」という解説記事を載せ、第2社会面で「画期的」と喜ぶ原告側の声を紹介しつつ、当日のうちに社説トップに「物足りなさと収穫と」というタイトルでこの判決の意味を書き込んだのは炯眼といえよう。『東京新聞』は1面でも2面でもなく、かなり奥まった第2政治面で簡単な解説を出したにとどまる。『朝日』をみて事柄の重大性に気づき、遅まきながら翌12日付政治面で、私のコメントを含む比較的大きめの解説記事を出し、「「憲法上の義務」なのに」という社説を1日遅れで出した。『毎日新聞』11日付は21面(総合・社会)の「原告敗訴」という9行の雑報扱いだったが、14日付で「国会召集めぐる判決 憲法上の義務明言は重い」と題する後追い社説を出している(ウェブでの記事と社説)。
他紙の読者はこの判決の存在すら知らないことになる。どの新聞を読んでいるかによるが、ネットばかりみているとわからないことがある。情報のフラットな羅列、垂れ流しではなく、情報の意味づけという点も大事であり、学生たちには、紙の新聞とその見出しに注意して情報に接することを説いている。冒頭左の写真にあるように、12日の授業では、書画カメラに各紙を出して説明した。
なお、『朝日』がこの事件をここまで大きく扱ったのには、この事件の弁護士などにしっかり取材し、ある程度事前に判決内容を予測して準備していた節がある。署名記事を書いた憲法担当の豊秀一編集委員は、17年前の保育所問題での論説委員コラムと4年前のドイツ政府の核シェルター取材で、この「直言」にも登場する。
砂川事件最高裁判決の調査官メモ発見
さて、11日付の上記の記事から2日後の6月13日付『朝日新聞』がまたすごかった。冒頭右の写真は、その一面ハラと、第2社会面肩に大きく掲載された記事である。「独自取材」のスクープで、またも豊編集委員の署名入り。あの砂川事件最高裁判決(1959年12月)の過程で、判決原案を批判する「調査官メモ」が最高裁判事の遺品のなかから発見されたというのである。
この「直言」でも砂川事件最高裁判決については何度も書いてきた。まずは、直言「砂川事件最高裁判決の「仕掛け人」」である。そこでは、1959年3月30日の東京地裁が旧安保条約に基づく米軍駐留を憲法9条2項に違反する「戦力」という判決を出すや、翌朝8時にマッカーサー駐日大使が藤山外相宅を訪れ、東京高裁に控訴せず、最高裁に跳躍上告するというアイデアを示す(左の写真参照)。1時間後の岸内閣の閣議で、その方向が確認される。マッカーサー大使は田中耕太郎長官にも会って、「少なくとも数カ月で」結論を出すという言質をとる(右の写真参照)。そして12月16日、最高裁は一審判決を取り消し、「高度の政治性」を強調する「統治行為論」的な論理を使って安保条約の憲法判断は控えるとしながら、「安保条約が一見きわめて明白に違憲無効とはいえない」という実質的な合憲判断を出す。1カ月後の1960年1月19日に新安保条約の署名が迫っていた。
そして、2013年の直言「砂川事件最高裁判決の「超高度の政治性」」では、田中長官が上告審公判前に、駐日米公使と非公式に会い、判決期日や一審判決を取り消す見通しなどを「漏らしていた」ことなどについて書いた。田中長官は、米公使に対して、砂川事件最高裁判決は12月に出ること、裁判官全員一致の判決をめざし、世論を混乱させるような少数意見を避けることなどの手の内を伝えている。「直言」では、この判決が、安保条約の憲法適合性の判断は司法裁判所ではできないとしておきながら、憲法に適合こそすれ、違憲無効であることが一見極めて明白であるとは「到底」認められない、と言ってしまっている論理矛盾をついた。そして、この無理は裁判官たちも気づいていて、3人の裁判官が反対しないが、賛成しないという態度をとった。だから、結論は「全員一致」だが、多数意見は相当な無理をして「つくられた」ことを指摘した。
今回発見され、朝日がスクープした「調査官メモ」が注目されるのは、最高裁調査官という判決形成上きわめて重要な役割を果たす人物が、統治行為論を採用した先例と言われる砂川事件の最高裁判決の内実を暴いていることである。メモによれば、統治行為論を述べたものは最多でも裁判官15人のうち半数に足りない7人に過ぎず、多数意見としてくくられた考えが「果たして多数意見といえるか否か疑問である」「相対立する意見を無理に包容させたものとしか考えられない。しかも、その包容の対象を誤っている」ということである。メモは「応急の措置」として判決の構成を変えることを提案したが、受け入れられなかった。論理矛盾をはらむ、わかりにくい判決が生まれた背景がよくわかる。田中長官が米大使と約束した判決期日もあり、また公使と約束した「全員一致」に見せるという必要性もあり、相当無理な判決文になったことがわかる。私が7年前に砂川最高裁判決の「超高度の政治性」について指摘したが、今回のメモで内側から裏付けられたように思う。
それにしても、安保関連法が国会で審議されていた2015年7月、私は自民党の高村正彦副総裁(当時)から名指しで批判された。「7.1閣議決定」や安全保障関連法は、砂川事件最高裁判決が根拠になるという主張で、「自衛の措置が何であるか考えるのは、憲法学者ではなく我々政治家だ」「100の学説より一つの最高裁判決だ」とかなり激しいものだった。私は直言「「100の学説より一つの最高裁判決だ」?!」を出して反論した。砂川事件で問われたのは個別的自衛権の問題であり、しかも、日本自身の防衛力の不足を在日米軍で補うことに主眼があり、自衛隊の合違憲性の問題はもちろん、集団的自衛権などまったく問題外だった。高村氏も安倍首相も何を勘違いしたのか、日本自身の集団的自衛権行使の根拠を砂川事件最高裁判決に求め、いまだにそれを撤回していない。今回の朝日の記事によって、砂川事件最高裁判決における論理矛盾の背景がより明確になったことで、この判決が、安倍政権の集団的自衛権行使の合憲化に、何の根拠にもならないことがさらに明確になったように思われる。
5年前は95日も会期延長
明後日、6月17日の会期末を前に、安倍首相は野党の会期延長要求を黙殺している。コロナ対策を「スピード感」をもってやるためにも、会期延長は不可欠だと思うのだが、自身への責任追及から逃げたくて国会を閉じてしまう。5年前の今頃、95日間の異様な会期延長をやったその同じ人物が、真に会期延長の必要があるときにそれを無視する。「自己チューの政権運営」としかいいようがない。石破茂元自民党幹事長は、新型コロナウイルス対策などのために会期延長を求めたが、こういう正論がなぜ連立与党から出てこないのか。「国会嫌いの安倍晋三」モードに忖度しているとしかいいようがない。