メディアがつくる「菅義偉内閣」――「政治的仮病」の効果
2020年9月14日

「8.28」で一変した政治の風景

8月28日の前と後で、この国の政治をめぐる「空気」は一変した。この日午後2時7分、「安倍首相 辞任の意向固める 持病悪化で国政への支障を避けたい」というニュース速報を流したのはNHKだった(YouTube)。突然のことで、民放と新聞各社は騒然となった(取材中の記者がスマホをみて慌てる姿をニュース映像にした局も)。「奇襲」ほど効果をあげるものはない。どんな情報でも、意表をつくやり方で、一気にしかも派手に打ち出すと、そのインパクトは想像した以上に大きい。辞任を「月曜日(24日)に自分一人で決断した」という安倍晋三は、その心のうちを17年来の「安倍定番記者」のNHK岩田明子だけに伝えたのだろうか(直言「メディア腐食の構造―首相と飯食う人々」)。緊急事態宣言やその解除などの記者会見は午後6時だったが、「辞任へ」のニュース速報を2時過ぎに流し、「5時の記者会見」で辞任発表という、メディア関係者の意表をつくには絶妙のタイミングである。ちなみに岩田は、新元号の決定過程でも、官邸深部からの情報を生かして、他社を寄せつけないリアルで詳しい解説を行っている(直言「統治技術としての「時間」―新元号の決まり方」)。

「世論」は、その時々のメディアの扱い方に左右される。メディアを通過することで、大切なことが大切でない形で無視され、また重要でないことを重要なことのように底上げして扱うことも可能となる。13年前に安倍が政権投げ出しをやったあと、福田康夫、麻生太郎と1年おきに首相が変わっていく過程で、直言「報道とともに去りぬ―メディアと政治」を出した。メディアの手法は特定の政治家に焦点をあて、2008年9月は「国民的人気の麻生太郎」という形で集中的にとりあげていたが、年末には内閣支持率も低迷し、2009年7月には、「国民的人気の東国原知事」という形で、宮崎県知事をやっていたタレント政治家が自民党総裁候補としてメディアの注目を浴びるようになった。こんなことは、もう誰も覚えていないだろう。それでも、政権に変動がおきる夏には、メディアは特定の政治家に焦点をあて、短期間にその人物を国の政治の頂点に押し上げてしまう。これがメディアの病理と生理である。

内閣支持率が急上昇?!

8月28日までは、「菅義偉首相」がここまで簡単に実現するとは正直思わなかった。実際、29・30日におこなわれた共同通信の世論調査でも、次期首相に「誰がふさわしいか」という設問対して、石破茂34.3%でトップ、菅は14.3%でしかなかった。どこの世論調査でも石破が他を圧倒していた。ところが、週明けからメディアのトーンは大きく変わっていく。冒頭左の写真は、『南ドイツ新聞』9月3日付である。9月2日に総裁選立候補を表明した菅の記者会見の様子だが、菅は「すでに首相のように話している」と書かれている。安倍首相と1ミリも離れていないが、ここ数カ月、関係が少し冷えていたこと、しかし、安倍政治を引き継ぐことを決意したとして、具体的に3つの課題、すなわち高齢化社会の解決策を見いだすこと、北朝鮮に拉致された日本人をとりもどすこと、戦後の平和憲法を改正して、日本が本物の軍隊を維持できるようにすること、を挙げる。9月8・9日実施の共同通信の世論調査では、次期首相に「誰がふさわしいか」という設問に対して、菅が50.2%と圧倒的に支持を伸ばしてトップに立ち、石破は30.9%に落ち込んだ。石破の減り方よりも菅の増え方が際立っていたわけである。

そして、8月29・30日の共同通信の世論調査については、22・23日の内閣支持率36%に対して、内閣支持率が56.9%へと急上昇したことが特筆される。内閣支持率は下落傾向だったのに、「8.28」後の突然の変化をどう見たらいいのだろうか。9月9日付「朝日川柳」に「安倍いない内閣支持率急上昇」(神奈川県 高橋貞子)という句が載った。ちなみに、8日付には「去った人はいい人にする悪い癖」(千葉県 村上健)と、「この国民ありてこの議員いるを知る」(三重県 石川進)が並んだ。いつの時代でも、民衆の「忘却力」が巧みに操縦されるのか。

「8.28」以前では考えられない現象だが、その「空気」に便乗するように、『毎日新聞』9月8日付の世論調査では、とんでもない聞き方がされていた。一般国民に向かって、「あなたが投票できるとしたら誰に投票しますか」と尋ねたのである。自民党総裁選は一政党の党首選びにすぎない。有権者は108万党員だけである(今回、地方票は固定3票だけと、「一票の軽さ」は著しかった)。かつては首相公選の議論もあったが、「安倍一強」が続くなかで忘れられてしまったかのようである。「総理・総裁」という言い方は日本でしか通用しないが、『毎日』の質問は、日本の有権者全員を一政党の党員とみなす発想であり、これではどこかの一党独裁国家と同じではないか。ちなみに、この質問の結果は菅が44%だった(『毎日新聞』9月9日付)。2週間足らずで、メディアの扱いの変化が「菅義偉首相」を作り上げつつある。

安倍政権の「継承」とは

すでに述べたように、菅義偉官房長官は9月2日の記者会見で、自民党総裁選への立候補を正式表明したが、その際、「安倍晋三首相が全身全霊を傾けて進めてきた取り組みをしっかり継承し」と、安倍政権の基本路線を引き継ぐことを宣言している。安倍の「珠玉の名言集」というのがあるが、憲政史上最長の総理大臣の言葉はお寒い限りである。そのもとで、史上最長の在任期間となった官房長官が菅義偉である(直言「全く問題ない」内閣官房長官―「介入と忖度」の演出」)。3年前のこの「直言」では、「木で鼻をくくる」しゃべり方、そっけなく冷淡で無愛想な対応について書いたが、その後の3年間で、その「木で鼻をくくる」しゃべり方に凄味が増してきたように思う。この際、菅政権になってさらに進むであろうことを3つだけ挙げておく。まずは沖縄に対する冷たい扱いの継続である。2つ目は官僚に対する統制の進化と深化、さらにメディアに対する統制の完成である。

沖縄への仕打ち

忘れもしない。2014年11月の沖縄県知事選挙で翁長雄志が圧勝したあと、菅官房長官の陰湿で冷酷、姑息な扱い方が目立った(直言「「沖縄処分」―安倍政権による地方自治の破壊」)。特に菅のやり方がよく出たのは、当選挨拶のため翁長知事が上京しても、居留守を使ったりして会わないという事態が5カ月も続いたことである。官邸を訪れた翁長の見えるところで、菅がこっそり外出しようとしているところの映像も、民放のどこかの局でみた記憶がある。安倍・菅の面会する相手選びのえこひいきは、これまでの首相や官房長官にはなかったものである。そして2015年4月。菅官房長官が沖縄入りして、那覇市内の曰く付きの場所に翁長沖縄県知事を呼びつけたのである。知事が上京しても一度も会わず無視を続けて、今度は沖縄に乗り込んで呼びつける。その場所がひどかった。沖縄の人々は激怒した。菅が滞在したハーバービューホテルは、復帰前、植民地総督のように振る舞った琉球列島高等弁務官、キャラウェイが、「沖縄の自治は神話にすぎない」と演説した米軍将校用社交施設「ハーバービュークラブ」だったところである。これは沖縄の歴史を知らない、政治家としてまったく誠意の欠如した対応といえるだろう。菅政権になっても、辺野古基地建設をはじめ、沖縄への高圧的な態度は続くだろう。むしろ、懐柔策も使って、より陰湿で粘着質な対応になっていくので要注意である。

陰湿な官僚操縦

菅は「史上最長の官房長官」だったが、官房長官は内閣官房の事務を統轄する(内閣法13条)。内閣官房の主任の大臣は内閣総理大臣である(同24条)。これが内閣官房長官の力の源泉となる。「最大の権力者の最側近」。「これは総理のご意向だ」と内閣や与党に大見得を切り、「俺に刃向かうことは、総理に弓を引くことだ」という台詞を吐いた官房長官もいるという(星浩『官房長官 側近の政治学』(朝日新聞出版、2014年)11、16頁)。執務室は総理大臣官邸5階にあり、閣議では進行係を務める。内閣官房の事務は行政のほとんどすべての領域に及びうるので、それを統括する官房長官の職務は極めて広範かつ多岐にわたる。とりわけ、① 内閣の諸案件について行政各部の調整役、② 国会各会派(特に与党)との調整役、③ 日本国政府(内閣)の取り扱う重要事項や、様々な事態に対する政府としての公式見解などを発表する「政府報道官」(スポークスマン)としての役割が重要である (以上、直言「「全く問題ない」内閣官房長官―「介入と忖度」の演出」参照のこと)。

官僚統制の手法を『朝日新聞』9月13日付第1社会面「官僚が見た安倍政権」という記事は、《官邸主導 異論許されず》《政策「一瞬で動いた」》《「文字に残せぬ雰囲気」》《「『ない』と強弁 慣れた」》と特徴づけている。とりわけ菅官房長官のメンタリティだろうか、意見する官僚を決して許さない。内閣人事局は官僚にとっての「忖度醸成装置」になっていった。

元総務省自治税務局長の平嶋彰英が、菅の官僚統制手法のモデルケースとして注目される。その平嶋の実名告発はリアルである(『週刊朝日』9月10日号)。平嶋は、菅が2007年の総務大臣時代に創設の方向を決めた「ふるさと納税制度」について、自治体間の返礼品競争を招くとともに、高所得者ほど節税効果が高まるとして批判的意見を述べた。事務次官候補の一人だったが、自治大学に異動となり、省外に出された。「菅さんとしては、役人の意見を政治家が押さえつけ、自らの政策を実現させることがリーダーシップだと思っているのかもしれませんが、ふるさと納税は、税制度に対する国民の不信感を高めることになります」。官僚としてのまっとうな意見が圧殺されたわけである。

こういう人事をやる人物が首相になったらどうなるか。元文部科学次官の前川喜平は、「私は安倍氏以上に危険だと思う。安倍政権の権力を支え、内政を仕切ってきたのは、実質彼だからだ。霞が関に対する締め付けはさらにきつくなり、安倍時代以上の官僚の官邸下僕化、私兵化は進むであろう」と述べている(「前川喜平の「安倍政治総括と体験的「菅義偉」論」『毎日新聞』9月10日)。前川の予想通り、菅政権の官僚統制は、エリート官僚のプライドと心理的弱点を巧みに衝いてくる、より執拗で粘着質なものとなるだろう。

写真1

メディアの「アンダーコントロール」

目玉の写真①

ご記憶だろうか。2015年6月4日、衆議院の憲法審査会に参考人として呼ばれた3人の憲法研究者全員が「安保関連法案は違憲」と陳述したとき、菅官房長官はその日夕方の記者会見で、「全く違憲でないという著名な憲法学者もたくさんいる」と発言したことを。冒頭右の写真はその時のものである。6月10日の衆院特別委員会で辻元清美議員は、「違憲じゃないと発言している憲法学者の名前を、いっぱい挙げてください」と迫った。菅長官は3人の名前を挙げたが、最後は、「私は数じゃないと思いますよ」と逃げた。私は当時、憲法研究者の全国学会である「全国憲法研究会」の代表をしていた。圧倒的多数の憲法研究者が「7.1閣議決定」安保関連法案を違憲もしくは違憲の疑い濃厚としていたから、「違憲でない」という見解をもつ人を探すのは困難だった。菅長官はかなり強引に、研究者の世界を色分けするような答弁をした。その後、安倍首相は、「憲法学者の7割が違憲というから」という憲法改正の理由にならない言い分を押し出すようになった。なお、先週8日、菅は「自衛隊の立ち位置というのが、憲法の中で否定をされている」と口走ってしまい、翌日、「若干、言葉足らずだったため、誤解を招いたかもしれない」、「憲法に違反するものではないというのが政府の正式な見解だ」と発言訂正した。後述の裏でのメディア統制能力は長けてしても、表のコミュニケーション能力は低い点に今後の落とし穴があるかもしれない。

2015年当時、テレビも新聞も、憲法研究者にアンケートをとったりして、安倍政権の強引な集団的自衛権行使合憲の動きをとりあげた。特にテレビ朝日「報道ステーション」とTBS「news23」はかなり詳しく伝えた。それが安倍政権にはおもしろくなかったようで、「news23」のキャスターだった岸井成格や膳場貴子らが降板させられた。菅官房長官絡みでは、NHK「クローズアップ現代」2014年7月3日放送が忘れられない。国谷裕子キャスターがゲストの菅義偉官房長官に、集団的自衛権行使についてたたみかけるように質問をしていった。通常は一呼吸おいて番組終了となるのだが、国谷はさらに一言質問したので、菅が一瞬苦しそうな顔で答えて番組は終わった。菅は腹の虫がおさまらず、結局、NHK会長などが謝罪したことが、『フライデー』7月25日号(11日発売)で報じられた。当時NHK会長は「政府が『右』と言っているものを、 われわれが『左』と言うわけにはいかない」とのたまう人物だったから、反応は早かった。国谷は23年続けたこの番組のキャスターを降板させられた(直言「安倍式「記者会見ショー」」参照)。

6年前の番組だったが、私は生で見ていて、菅のたじろいだ顔を鮮明に記憶している。菅は官邸にもどり、その屈辱と逆恨みを人事で「倍返し」したわけである。国谷はジャーナリストとして当然の質問をしたにすぎない。だが、これをきっかけに、菅の陰湿な人事対応が、メディアの深部を凍りつかせていく。放送法と放送分野の所管は総務大臣である。総務大臣経験者の菅は、当時の高市早苗総務大臣を通じて、「電波停止」の恫喝までする。おもだった物言うキャスターたちが降板した2年前の1月の時点で、私は、「メディア統制はここ2、3年で完了した。」と書いた。

「察して動く」メディアに

今後、菅政権のメディア統制はどんなものになるだろうか。AERA dot.の2020年9月7日掲載の水島朝穂「“菅首相”なら安倍政権以上に「メディア対策が徹底的におこなわれる」でも述べたように、安倍政権よりも菅政権の方が、証拠を残さず、緻密かつ陰湿な形になると考えている。菅はある意味でヤクザ的な凄味を使うかもしれない。「察して動く」という構造的忖度がより定着していくだろう。テレビ朝日の刑事ドラマ『相棒』や『ウルトラマン』(平成版)の脚本、小説『天上の葦』(角川文庫)などで知られる太田愛と雑誌『世界』2016年6月号で対談したが、そのなかから、メディア統制に関わる部分を抜き出しておこう(全文は直言「介入と忖度―『相棒』『ウルトラマン』の脚本家・太田愛さんとの対談(『世界』6月号)」参照)。

・・・

水島 太田さんは先のインタビューの中で、「今書かないと手遅れになるかもしれない」とおっしゃっていますけれども、この言葉の切迫性について聞かせてください。

太田 少なくとも、これまで70年余りなかったことが起こり始めています。特定秘密保護法案のあと、自民党が選挙報道に関して「中立」を求めました。すると、選挙自体を報道しない動きが出てくる。選挙に関する報道は、その前回の選挙時に比べて3分の2に減りました。街頭インタビューでも政権に対する批判的な言葉が一掃される。身の振り方の速さは、番組のキャストにも影響します。権力に批判的な発言をしてきたキャスターの方々が突然、画面から消えていく。

水島 『クローズアップ現代』の国谷さんがおっしゃるには、確かにNHKは中立性の観点からバランスを要求された。しかし同番組のような30分番組は少し尖った意見も紹介して良いというおおらかな視点があった。ところが安倍政権になると、単発の番組内で「公平」に扱うように変わった。結果として、安保法案は一回しか扱えなかった。公権力の監視というメディアの役割からすれば、「中立」と報道とは本当はどういうことかをもっと深く考えねばならなかったはずです。  総務大臣は、最終的に電波を止める権限を持っています。かつてはそれを言わない暗黙の了解があった。しかし、高市発言のように、この政権は何をするかわからない。そういう予測不可能な状況のなかで、結果として、当たり障りのない番組が増えてきた。局の側の自主規制です。

 『天上の葦』には「察して動け」という言葉が繰り返し出てきますね。上は命令という証拠すら残さず部下に意向を汲ませて動かす。ご執筆のときには今ほど忖度問題が顕在化していませんでしたが、予兆を感じておられたのでしょうか。

太田 「察して動く」という行為は昔からあるものだと思うのですが、それが権力構造の中で行動規範として求められるようになると、全く異質な強制力を持つのではないか。その強制力のもとでシステムが動き出したらと考えました。・・・

(2020年9月12日脱稿)
(文中敬称略)
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