追伸:「アベノグッズ」の店じまい
8月28日に突然、病気を理由に安倍晋三首相が辞任を表明した。私は直言「「政治的仮病」とフェイント政治」を出して、コロナの失策や河井案里事件の刑事責任追及などから逃亡するための「政治的仮病」と断定した。朝日新聞社のAERA.dotのインタビューでも、はっきり「政治的仮病」と述べている。「人が病気の時に仮病とは何事か」と非難する向きはわずかで、「私は病人であり障害者ですが、水島教授の仰っている事は正しいと思います。」(9月8日0時34分)という反応も頂戴した。病気であることに間違いはない。ただ、それを過度に重く、深刻そうに見せて辞任の主要な理由にすり替えたのが、「論点ずらし」「争点ぼかし」の安倍流統治手法の所以なのである。
トップの病気は伏せられるのが通例である。正直に病名を明らかにして辞任した首相は、過去においては、石橋湛山のみである。池田隼人は退陣後に咽喉がんを公表し、大平正芳は心筋梗塞で、小渕恵三は脳梗塞で在任中に死亡している(直言「総理大臣が欠けたとき」)。第1次の安倍首相も、辞任時の記者会見では、病気については沈黙した。歴代首相たちは日本国憲法を軽視したり、無視したりはしたけれど、安倍首相のように、日本国憲法を「みっともない憲法」として蔑視した人はいなかった。病気をことさらに強調し、人々の同情をかうことをあらかじめ想定しながら、責任を曖昧にしたまま逃亡する(2017年2月17日のこの答弁さえなければ、赤木俊夫さんの命を奪った財務省文書改ざん事件も起きなかっただろう)。安倍政権の7年8カ月は、そんな「みっともない首相」とともに終焉を迎えたのである。
さて、8月31日に、直言「わが歴史グッズの話(47)「アベノグッズ」の店じまい」をアップしたが、9月8日に「ありがとう晋ちゃんまんじゅう」が発売された。衆議院の売店に並んでいたものをゼミ出身記者がすぐに自宅に送ってくれた。箱の横には、「賞味期限2020年11月5日」とある。ついでに安倍ハンカチと、安倍名刺型ミントタブレット(と思ったらウコン味で劇的にまずかった)も添えられていた。これらを加えて、「アベノグッズ」の最終的な「店じまい」とする。
第99代総理大臣と憲法99条
9月16日、菅義偉が第99代内閣総理大臣となった。安倍が第96代の就任早々に「憲法96条先行改正」論 (憲法改正のハードルを3分の2から過半数に下げる荒技) に走ったように、菅首相は憲法99条(憲法尊重擁護義務)を大事にしない政治をすでに始めている(9月13日「政府に反対する官僚は異動させる」発言)。第99代は、立憲主義の根幹を、より巧妙かつ陰湿に空洞化させていくだろう(直言「権力者は「9」のつく憲法条文がお嫌い?」参照)。
右の写真は『秋田魁新報』9月16日付号外である。15日以降の同紙は、「郷土初の総理」ということで、イージス・アショア秋田配備の時の鋭い調査報道とは一転して、菅総理万歳のトーンである(もっとも15日付一面コラム「北斗星」だけは、翁長沖縄県知事(当時)への菅官房長官の対応を批判している)。左の写真は、16日に国会の売店に並び始めた「スガちゃん瓦割りせんべい」である。秋田米を3%使っていると右下にある。「たたきあげ」「苦労人」「秋田初」などと持ち上げられているが、7年8カ月に及ぶ「木で鼻をくくる」態度の官房長官は誰だったのか。首相になるや否や、手のひらを返すような持ち上げぶりは驚くばかりである。新内閣「ご祝儀報道」が続くなかで、いつの間にか重要問題が曖昧になっていく。急激な局面転換に弱いメディアの生理と病理を巧みについた政治ショーである。
発足した菅内閣の閣僚の顔ぶれがすごい。お友だちの使い回しと派閥間バランスはいうに及ばす、とうとう晋三実弟、岸信夫が防衛大臣、小学生時代の晋三の家庭教師をやった平沢勝栄が復興大臣、「自民党ネットサポーターズクラブ」(J-NSC)(会員1万9000人(2017年))の育ての親でネトウヨを培養してきた平井卓也がIT大臣とはもはやジョークである。
大臣ポスト増内閣の「縦割り110番」という茶番
思えば2001年の中央省庁再編(中央省庁等改革)の際、その目的には、「縦割り行政による弊害をなくし、内閣機能の強化、事務および事業の減量、効率化すること」などが挙げられていた。この構想が提示され始めたころ、私はNHKラジオ「新聞を読んで」で批判的に取り上げたことがある。1府22省庁が1府12省庁に再編されたのは、例えば、運輸省、建設省、国土庁、北海道開発庁は国土交通省となって、大臣は3人削減された。内閣法2条2項は、国務大臣の数を14人以内として、3人を限度に増加し、17人までとすることができると定めている。その後、東日本大震災の対応のため、2012年に復興庁法が制定され、その附則による改正後の内閣法附則第3項により「復興庁が廃止されるまでの間」、15人以内で18人までとされた。2015年の五輪特措法附則による改正後の附則第2項により、東京五輪が終わるまで16人以内で19人までとなり、さらに2019年に、万博開催の対応のため、附則第2項で、17人以内で20人まで、というように、ズルズルと増やされてきたのが実情である。
震災復興は未だ終わらず、復興大臣はそのまま存続。五輪も「延期」で大臣ポストは維持され、万博担当は単独で1人の大臣が充てられた。今回、菅内閣は、上限いっぱいまで20人の閣僚を任命したわけである。22省庁を12省庁に減らして、行政の簡素化や縦割りを克服するという「理念」を掲げてから20年。結局、その時とほぼ同じ、20人の閣僚に膨れ上がってしまった。有権者の皆さんには、内閣が変わったからといって、メディアと一緒になって「新閣僚に期待する」モードにならないことを望みたい。この中央省庁再編でいう「縦割り行政の弊害をなくし」を、20人もの閣僚を任命しておいて、「行政改革目安箱(「縦割り110番」)」なんて徳川時代の感覚でごまかそうとするこの内閣について、その本質をしっかり見抜いていただきたい。大臣ポストの恣意的な増加によって餌をまき、「お仲間」だけにそれを配分する。権力の私物化の体質は安倍政権の忠実な継承といえる。
菅政権は「第3次安倍政権」なのか?
にもかかわらず、発足直後の世論調査では、内閣支持率は74%(『日本経済新聞』9月17日)と、歴代3位で、その大半が「人柄」の評価だそうである。『朝日新聞』9月17日の調査では、内閣支持率は65%。第2次安倍政権の発足直後の支持率の59%を6ポイントも上回っている。10月まで在任していれば、河井案里への安倍マネー1億5000円の追及、「桜を見る会」首相招待のジャパンライフ元会長の逮捕、関連して「桜を見る会」の収支をめぐる資料や森友学園問題で隠蔽された文書が明らかになるなど、安倍首相への風当たりは一気に強まり、政権維持が困難になるところだった。トランプの対日要求は日を追って強まり、トランプとの「蜜月」の破綻も近づいていた。このタイミングで「病を理由とする辞任」によって、究極の「論点ずらし」を行って局面の打開をはかり、内閣支持率を7割前後にまで高めることに成功した。見事な「変わり身の術」といえるかもしれない。
菅政権は、「第3次安倍政権」「安倍首相なき安倍政権」という側面と同時に、実は菅義偉という人物を過少に評価してはならない、その危うさに注意する必要がある。坊ちゃん政治家にはない野性的な政治感覚と、硬軟とりまぜた人心掌握能力(公安警察の活用も)に着目するならば、改憲や右派イデオロギーの過度な強調はむしろ抑制して、竹中平蔵路線復活の「新自由主義政権」に大化けするかもしれない(郵政解散のあとの第3次小泉改造内閣の竹中総務大臣、菅副大臣の関係)。「自助と規制改革」が首相になって飛び出した最初の言葉であり、かつ携帯電話料金値下げという、首相にしては妙に具体的な各論が突出してくるのもその兆候かもしれない。閣僚の顔ぶれだけから「安倍亜流内閣」と即断してはならない固有の危うさをもっているように思う。今後、しっかり診ていく必要があるだろう。
安全保障関連法5周年で問われるもの
さて、前置きがかなり長くなったが、ここからが本論である。5年前の9月19日未明、参議院本会議において安全保障関連法が可決・成立した。左の写真は、その2カ月前の7月15日、衆議院の特別委員会で強行採決された際の各紙夕刊および翌日の朝刊一面である。2015年は夏の間、この法案に反対する市民のデモが国会前で何度も繰り返され、60年安保以来といわれた。9月に法案が成立すると、私はすぐに直言「安保関連法「廃止法案」を直ちに国会に―憲法違反を唱え続けよ」を出した。
「平和安全法制」あるいは、安全保障関連法における最も重要な論点は、それまで違憲とされてきた集団的自衛権行使を合憲とする政府解釈の変更を法制化したところにある。世間の注目もそこに集まった。直言「集団的自衛権行使の条文化」でも書いたように、個別的自衛権行使と集団的自衛権行使は、自国に対し発生した武力攻撃に対処するものであるか否かという点において、明確に区別される。その核心的な前提を壊して、日本への武力攻撃が存在しなくても武力行使を可能とする「存立危機事態」というレトリックの危うさについても、これまで指摘してきた通りである(詳しくは、拙著『ライブ講義 徹底分析!集団的自衛権』岩波書店、2014年参照)。安全保障関連法の違憲性については、自衛隊の評価や安全保障の方法論が異なっても多くの人が一致している。ここでは、安全保障関連法をもつ国になって5年が経過して、いま、日本がどのように変わったか、変わりつつあるかについて述べることにしよう。
「周辺」と「後方」が消えた効果
そこで少し古いが、20年ほど前のTシャツとジッポーをご覧いただきたい。2001年にテロ特措法でアラビア海に派遣されたヘリコプター搭載護衛艦(DDH)「くらま」(艦番号144)の隊員たちが記念につくったものである。「アラビア海にかかる虹」。立ち寄った港のなかにインド洋上の英領ディエゴガルシア島が含まれている。戦車や重砲、弾薬などを事前備蓄しておく、米軍の前方展開基地である。なぜ、この島に「くらま」が立ち寄ったのだろうか(直言「わが歴史グッズの話(30)くらま&あたご」参照)。20年前のテロ特措法の活動により、日本の安全保障政策の西方展開が始まっていたのである。 これとの関連で、5年前に成立した安全保障関連法のなかに、実はあまり知られていない重要な条文がある。周辺事態法改め、「重要影響事態法」7条6項と、唯一の新法となった「国際平和支援法」8条6項である。直言「捜索救助活動」のグローバル化―「周辺」と「後方地域」が外れた効果」をクリックしてお読みいただきたい。そこでの指摘の繰り返しを含むが、以下書いておく。
この写真は、1998年に私が広島市段原の骨董品店で入手した、朝鮮戦争当時の米空軍パイロットの「サバイバル・ハンカチ」である。「私は米国人です。遭難して途方にくれています。どうか私を加護して米国人のもとへ帰れるように取り計らってください」という趣旨の文章が、10カ国語で並んでいる。ビルマ語やヒンズー語まであるから、パイロットが落下傘で脱出する可能性のある地域は朝鮮半島にとどまらなかったことがわかる。これを入手した時、国会では周辺事態法が焦点となっていた。当時、国会では、「周辺事態」とはどの範囲なのかが大きな争点となった。小渕恵三首相(当時)は、「中東やインド洋で起こることは想定されない」と答弁してしまい、法律の適用範囲を実質的に枠づけることになった。この周辺事態法で可能となる主な活動は、日本「周辺」における「後方地域支援活動」と「後方地域捜索救助活動」などである。この「後方地域」という言葉がポイントである。日本「周辺」における「後方地域」の捜索救助活動であるから、「前方」の戦闘地域から離れていることが想定されている。実際、2003年の防衛白書は、海上自衛隊のヘリが、撃墜された米軍機のパイロットを救助するイメージを使って、この活動を説明していた。
ところが、5年前に成立した重要影響事態法7条の「捜索救助活動」には、周辺事態法にあった「後方地域」が消えている。その結果、「実施区域」は海域ばかりでなく、他国領土内の地上も含むことになった。しかも「重要影響事態」の認定如何によって、自衛隊の活動は限りなく広がる。また、唯一の新法である国際平和支援法8条も「捜索救助活動」を定めているが、これには地理的限定はなく、「地球の裏側まで」も可能である。国会審議を通じて、安倍首相は、「万が一、状況が変化していく、その可能性はもちろん全く排除されないわけでありますが、部隊等が活動している場所が現に戦闘行為が行われている現場となる場合等には、活動の休止、中断を行うことになる。」(衆議院安全保障特別委 2015年5月28日)と繰り返し答弁した。ところが、ここには重大な落とし穴があった。
「捜索救助活動」には「休止」「中断」しなくてよい場合が想定されている。「既に…遭難者が発見され、自衛隊の部隊等がその救助を開始しているとき」には、休止・中断せずに活動を継続するとされているのである(重要影響事態法7条6項、国際平和支援法8条6項)。不時着した米軍機のすぐ近くに武装勢力が重武装で接近しているところに遭遇した場合、遭難者を「発見」した以上、これを見捨てて「中断」は許されない。戦闘行為に発展する場合も出てくるだろう。周辺事態法の前提となった「日米防衛協力の指針」(ガイドライン)と異なり、安全保障関連法を規定する新ガイドラインには、「戦闘捜索・救難活動を含む捜索・救難活動」という用語が三度使われている。戦闘行為に発展する蓋然性が特に高く、かつ「自衛隊員のリスク」が圧倒的に高まることに注意したい。
インド重視と「ダイヤモンド安保」の先には
第2次安倍政権が誕生してまもなく、「安倍晋三」の名前で「ダイヤモンド安保」に関する論文が公表された(詳しくは、直言「「ダイヤモンド安保」と「価値観外交」」参照)。誰かに入れ知恵されたもので、本人が覚えているのか甚だ疑問だが、そこでは、「アジアの民主主義的安全保障ダイヤモンド」として、日本と米国・ハワイ、インド、オーストラリアの4点を結ぶとひし形(◇)になることから、海洋進出をはかる中国を牽制し、4カ国が連携して中国を封じ込めるというアイデアが打ち出されていた。5年前に成立した安全保障関連法は、この「ダイヤモンド安保」の法的具体化として、限りなく中国を意識したものではないだろうか。国民の「不安感」にはもっぱら北朝鮮の核を利用しながら、実際の安全保障政策は徹底して中国シフトになっているのも、8年前の「ダイヤモンド安保」の発想と関連しているように思われる。私は「インド」の先には「アフリカ」があると見ている。
2016年8月、安倍首相は、ケニアで開催された第6回「アフリカ開発会議」(TICAD) における基調演説において、「自由で開かれたインド太平洋」(Free and Open Indo-Pacific)の考え方を提唱した。そこでは、「自由で開かれたインド太平洋を介してアジアとアフリカの「連結性」を向上させ、地域全体の安定と繁栄を促進することを目指す」ことが強調されていた。「法の支配」を押し出して、中国を意識した「価値観外交」を狙いつつ、より実質的には、日本の経済権益の確保をこの地域に広げていくことが狙われているのではないか。
米アフリカ軍の代替へ?
安全保障関連法によって、自衛隊の活動範囲は広がり、かつそこにおける活動の中身についても大きな変化が生まれた。安倍政権7年8カ月の間で、自衛隊においてもっとも寵愛されたのは河野克俊統幕長(防大21期)である。通常はありえない3度の定年延長を繰り返し、2019年5月27日までその地位に付けておくという、自衛隊史上かつてない「お友だち人事」であった。本来なら統幕長になれた陸幕長や空幕長が無念の退職をしていったことは、『軍事研究』誌を創刊号から講読して「市ヶ谷レーダーサイト」をチェックしていなければ見えてこない人事のゆがみである。
安倍政権は安全保障関連法とともに、防衛省設置法12条を改正して、背広組の統制機能(「文官スタッフ優位制度」)を弱化させ、制服組の意向を官邸に直接つなぐようにしたことも、河野のような「政治的軍人」の跳梁につながっていった。
安全保障関連法の成立過程で、河野は米軍高級幹部に対して、法律の成立時期まで伝えるなど物議をかました(直言「気分はすでに「普通の軍隊」―アフリカ軍団への道?」参照)。だが、私が最も注目したのは、河野統幕長が米アフリカ軍(AFRICOM)と自衛隊との関係について何度も言及していたことである。米軍の世界規模の編制は、6つの地域統合軍からなるが、欧州軍、中央軍(中東)、太平洋軍(アジア・太平洋地域)と並んで、一番新しいのがアフリカ軍(AFRICOM)である。司令部はアフリカ大陸には置けず(54のアフリカ諸国が拒否)、ドイツ南西部のシュトゥットガルト近郊にある。「アフリカの角」などの地域は米中央軍(CENTCOM)の担任領域だったが、2008年からアフリカ軍の管轄下にある。このアフリカ軍司令部に、連絡官として佐官級の自衛官が常駐している。海賊対処活動のなかで、アフリカのジブチに自衛隊の海外拠点(基地)ができた。日本とジブチとの地位協定も結ばれている。河野は、アフリカ軍に今後とも日本が積極的にかかわっていくことを、ややフライングぎみに語ってしまったのである(直言「気分はすでに「普通の軍隊」」参照)。これが国会で問題にされなかったのは残念の極みである。
政治的軍人の発言
なお、退官した河野は安倍晋三との関係を維持し続け、今月7日に「長州正論懇話会」で講演している。演題は「国家の基本である国防は正面から議論を」(産経新聞サイト2020年9月7日)。そのなかで河野は、「現在の9条は欺瞞だ。国家の基本である国防について、正面から議論すべきだ」と訴えた。6年間もトップとして安倍首相に仕えたと語り、「首相には防衛省の制服組トップとして、基本的に週1回、さまざまな報告をしていた。制服組が官邸に足を踏み入れられない時期がずっと続き、自衛隊に何の関心もない首相も多くいらっしゃった。しかし、安倍首相は自衛隊の動きを頭に入れた上で、さまざまな判断をされた。」と述べている。そして、安倍政権の功績として、5年前の安全保障関連法の成立を挙げる。もう一つは、「敵基地攻撃能力」の検討をはじめたことだという。「攻撃は一切やらないと首尾一貫するのではなく、結局は米軍にやらせている。欺瞞だ。こんな品格がない憲法ではだめだ。」と「みっともない憲法」という安倍にならって、「品格がない憲法」というえげつない表現を使っている。
ジブチ大使は元海将
安全保障関連法の成立から5年、安倍政権の7年8カ月で日本の安全保障政策や自衛隊をめぐる状況は大きく変わった。それを象徴する出来事を最後に紹介しておこう。『毎日新聞』9月11日付(デジタル)によれば、安倍内閣は11日、ジブチ大使に大塚海夫・元海将を任命する人事を閣議決定した。大塚は防大27期で、第2護衛隊群司令や自衛艦隊司令部幕僚長などを務めたが、注目されるのは一海佐の時に情報本部統合情報部長、海将に昇進してから第9代の情報本部長を2年やったことである。情報本部は、北朝鮮のミサイル発射情報などを含む安全保障関係の情報を収集・分析する組織で、そのトップとして報告や協議のため、たびたび首相官邸を訪れていたという。昨年12月に情報本部長を退官するや、すぐに特命全権大使に任命されたわけで、河野の示唆を得た安倍の判断なしにはありえない。外務省は戦時中からの反省で、自衛隊出身の大使を出さない伝統があった。それを官邸力ですすめた人事といえるだろう。安全保障関連法をもった日本の変化を象徴するものといえよう。ジブチには自衛隊唯一の「海外基地」がある。アラビア半島とソマリア半島に挟まれたアデン湾にいる海賊対処部隊の活動拠点である。 ジブチ大使館に派遣される防衛駐在官(駐在武官)の一佐は、アフリカ諸国の大使館に派遣されるランクではない、相当ハイレベルの情報将校があてられるに違いない。
安全保障における「空間軸」と「時間軸」
私は、安全保障における「空間軸」と「時間軸」の変化を指摘してきた(拙著『平和の憲法政策論』日本評論社、2017年)。「空間軸」の変化は、「国防」の意味転換に端的に示される。領土・領海・領空を守る伝統的な「国土防衛」から、資源や市場、そのアクセスを「国益」として防衛する「国防」(国益防衛)へと、冷戦後の安全保障は「空間軸」においてグローバルな展開を示してきた。インド洋からアフリカへと、自衛隊の活動範囲が拡大されているのはこの脈絡で理解することができる。他方、「時間軸」の変化も大きい。自国に対する武力攻撃の現在性を要件とする国連憲章51条の枠組みは壊さないものの、解釈・運用によって、事前的、予防的、先制的な対応にシフトしている。「先制的自衛権」まで法的に正当化することは困難としても、さまざまな「先制攻撃」(preemptive attack)のかたちも追求されている。国際法違反の予防戦争となったイラク戦争以降、世界各地で「時間軸」の変化を私たちは目撃している。日本においてここ数カ月、にわかに高まってきた「敵基地攻撃能力」の問題も、安全保障における「時間軸」の変化が背景にある。菅政権は、安倍政権のこの二つの軸をどのように「継承」していくだろうか。「直言」でも引き続き、しっかりチェックしていきたいと思う。
(2020年9月19日脱稿)