オンラインから対面へ
明日は日本国憲法公布74周年である。菅政権の憲法蔑視の暴走が止まらない。日本学術会議をめぐる問題については、10月31日にアップされた拙稿「発禁、学説変更強要、担当外し…国家による学問への介入と大学の忖度――日本学術会議任命拒否事件の凄惨な前例」(講談社のサイト)を参照されたい。
この1週間で憲法関連の講演を3つやった。コロナ禍で延期されていたものばかりである。パソコンに向かって話すのとは違い、マスクをしているとはいえ、聴衆に対面で語るのは手応えがある。100分近く話しても、まったく疲れなかった。また、毎週木曜日は対面のゼミを2種類3コマやっている。先週は導入演習(1年ゼミ)で、入学してからずっとオンラインだった33人の1年生を6つの班に分けて準備をさせてきた、その最初の班の発表日だった。班員が独力でレジュメ(A4・38頁)を作成して、彼らだけで75分間の報告・討論の時間をもった(私は最後の15分のみ発言)。テーマは「同性婚から婚姻制度を考える」。現状や各国比較などの報告が続いたあとに、最後に「戦略的同性婚要求」(清水雄大)という議論を提示してきた。これは私も読んだことがなかったので、大変興味深かった。これから毎週、5つの班の報告が続くので楽しみである。ただ、欧州での感染急拡大を見ながら、再び完全オンラインに戻る日が来ることも想定しつつ、どのような状況でも学生に授業を続けられるように準備をしている。
核兵器禁止条約の発効
さて、今日の「直言」は、歴史的な出来事を記しておく。10月25日、核兵器の開発から保有・使用、威嚇までをトータルに禁止する「核兵器禁止条約」(外務省暫定仮訳「核兵器の禁止に関する条約」)の批准国が、条約15条にいう効力発生要件の50カ国・地域に達して、2021年1月22日に発効することが確定したのである。50番目は南米ホンジュラスだった。
この条約は、2017年7月7日、国連において122カ国・地域の賛成多数で採択されたが、「唯一の被爆国」の日本は、「核抑止論」の呪縛と米国に対する忖度・迎合により反対にまわった(保留や棄権ですらなかった)。この日本の姿勢は、核廃絶を求める多くの人々に失望をもって受け止められた。
条約発効が決まった翌26日付の新聞各紙の扱いは予想通りの分かれ方をした。冒頭左の写真にあるように、『朝日新聞』、『毎日新聞』、『東京新聞』が1面トップから第1、第2社会面までを関連記事で埋めた。これに対して、『読売新聞』は1面肩に3段。『産経新聞』は1面では完無視で、トップは中国を念頭に、「土地購入者に国籍届け出義務 政府検討」の提灯記事。2面肩にかろうじて小さな記事を載せた。産経読者の「フィルターバブル」(見たい情報しか見えなくなり、思想的に社会から孤立すること)は深刻である。
『読売』『産経』などは、批准国がアジア・大洋州、中南米の小国が中心で、核保有国や欧州の大国が一つも入っていないこと、北朝鮮などの核の現状から核廃絶は非現実的であること、条約の拘束力は非締約国には及ばないから、核保有国による核兵器使用などを禁止する法的拘束力がないことなどを挙げて、条約発効の意義をことさらに小さく見せようとしている。だが、核兵器の使用を単に人道に反するというだけでなく、明確に違法と断じた初めての国際条約が誕生する意味は、計り知れないほど大きい。「あらゆる核兵器の使用は、武力紛争の際に適用される国際法の諸規則、特に国際人道法の諸原則及び諸規則に反する」と。
また、「核兵器の使用の被害者(被爆者)が受けた又はこれらの者に対してもたらされた容認し難い苦しみ及び害並びに核兵器の実験により影響を受けた者の容認し難い苦しみに留意し」と、ヒロシマ・ナガサキの被爆者のことにはっきり言及して連帯するとともに、米国が行った核兵器使用を、国際条約に「被爆者」という言葉を用いて残した歴史的意味は大きい。
さらにこの条約の画期性は、第1条の禁止事項のdに、「核兵器その他の核爆発装置を使用し、又はこれを使用するとの威嚇を行うこと」を含ませたことである。これは「核抑止力」の基本を否定したものといえ、国際条約で、ここまで徹底して核兵器の否定を貫いたものは、これまでなかった。だが、ネット上でも映像メディアでも、「現実派」とされる専門家が登場して、北朝鮮や世界の核をめぐる後退状況に触れながら、無力感を演出しようとしている。
ICANを安倍・菅が完無視
この条約を実質的に押し進めたのは、国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)である。ICANは、採択から3カ月後の同年10月6日、ノーベル平和賞を受賞した。翌2018年1月にICAN事務局長ベアトリス・フィンが来日。16日と17日に東京に滞在して、安倍晋三首相との面会を求めたが、政府は完全無視を決め込んだ。首相動静欄を見ると、16日は東欧外遊中だったが、17日には帰国。夕方から初釜式や会食をして自宅直帰だったから、短時間のアポを入れることは不可能とは言えない状況だった。ノーベル賞受賞者やオリンピックメダリストなどと過剰にベタベタする安倍晋三からすれば、ノーベル賞関係者へのこの冷やかな対応は超異例であった。官房長官の菅義偉が、「日程の都合上難しいということで、それ以上でもそれ以下でもない」という表現を使ったところに、「会わない、会えない、会いたくない」のレベルではなく、「あえて会わない」という意志を感じる。
冒頭右の写真は、日本政府から面会を事実上拒否されたICAN事務局長である。安倍・菅コンビは、これまでの政府と違い、過度かつ過剰な「友だち重視」の反面、「異論つぶし」は徹底していて、意見の合わない人に対しては徹底排除の姿勢を見せてしまう児戯性を有している。沖縄県知事選後の翁長雄志知事(当時)に対する安倍・菅の仕打ちを想起させる。
同時に、米国への過剰な忖度が背景にある。この写真は、佐藤正久外務副大臣が、「日本がこの条約に参加すれば、米国による核抑止力の正当性を損なうことにもつながる」などと述べて、「唯一の被爆国日本」の看板を捨て去る、米国一辺倒の姿勢を示した。
ABCD禁止の国際条約
「軍縮平和におけるABCD」と私がいうのは、原子力兵器(Atomic Weapon、核兵器Nuclear Weapon)、生物兵器(Biological Weapon)、化学兵器(Chemical Weapon)、そして通常兵器の軍縮(Disarmament)である。一番早く禁止条約ができたのは、Bの「生物毒素兵器廃棄条約」(1972年)だった。旧日本軍の731部隊(細菌戦部隊)のおぞましい歴史を意識したかはわからないが、日本政府はすぐに署名した(批准は1982年)。
次いで、Cの化学兵器禁止条約(1993年)である。23年前の直言「化学兵器禁止条約発効によせて」では、当時広島大学にいて、全国シンポジウム「ヒロシマから生物・化学兵器を考える――過去・今・未来 全廃のシナリオ」のコーディネーターをやった話を書いた。大久野島の毒ガス工場で働き被毒した障害者と、原爆被爆者が同じ場で初めて議論する機会だった。ちょうどパリで採択された「化学兵器禁止条約」をきっかけにしたものだった。
Aの核兵器を正面から禁止する条約はこれまで存在しなかった。まずは核実験の場所の制限からと、大気圏内、宇宙空間、水中における核実験を禁止する条約が生まれた。「部分的核実験禁止条約」(1963年)である。これなら、地下核実験は可能だから、核保有国もすぐに賛成した。次は「核兵器不拡散条約」(1968年)、いわゆるNPT体制である。新たな核保有国を防ぐのが目的で、条約締結時の核保有国は安泰である(核軍縮の努力義務はある)。そして海底非核化条約(1971年)、包括的核実験禁止条約(CTBT)(1996年)と続く。ラテンアメリカ(1967年)、南太平洋(1985年)、東南アジア(1995年)といった地域限定の「非核地帯条約」も生まれた。核兵器については、生物・化学兵器と異なり、開発、保有、使用まで禁止する全面禁止条約が存在しなかったのである。その意味で、「核兵器禁止条約」が発効することは、核保有の正当性を揺るがせ、核兵器が国際法上非人道的かつ違法だとする法的基礎が生まれたという意味で歴史的一歩になったといえよう。
対人地雷とクラスター弾禁止
「軍縮平和のABCD」のうちのDは、通常兵器における禁止条約である。カナダ政府と国際NGOが連携して成立させた「対人地雷禁止条約」(1997年)は最初の一歩だった。対人地雷禁止をめざす国際NGOが1997年にノーベル平和賞を受賞している。「オタワ・プロセス」と呼ばれるもので、市民が特定の兵器を禁止することに寄与した画期的なものだった。この条約の意義については、直言「わが歴史グッズの話(42)対人地雷禁止条約20周年と自衛隊」を参照されたい。
2008年には、同じく国際NGOとノルウェー政府が連携する「オスロ・プロセス」によって、「クラスター弾禁止条約」が採択されている。これについても、直言「わが歴史グッズの話(46)不発弾をつくる「悪魔の計算」―クラスター弾(その2)」を参照のこと。
Dのこの2つの条約については、政府・外務省も米国に配慮して一貫して否定的な態度をとっていた。しかし、対人地雷禁止条約の場合は、小渕恵三外相、首相が重要な役割を果たして、米国とは違った道を進むことになる。他の首相なら、米国への「自発的隷従」に慣れっこになった外務省や、装備論では一歩もひかない防衛庁(省)・自衛隊を抑えることはできなかっただろう。首相のこだわりというのは、首相権限が強い分、こういうプラスをもたらすことがある(安倍晋三の改憲執着は逆の例)。
クラスター弾禁止条約の場合は、米国に従い態度保留をとってきたが、これが直前で賛成に転じたのは、連立与党公明党の浜四津敏子代表代行(当時)の執拗な働きかけに根負けした福田康夫首相の政治決断の結果である。私は小渕については対人地雷禁止条約、福田についてはこの条約と公文書管理法について高く評価している。
なお、私の研究室には、劣化ウラン弾の薬莢が2つある。直言「わが歴史グッズの話(37)劣化ウラン弾」で紹介した。戦車の装甲をぶち抜く機関砲弾などに使われ、弾着時に空気中に飛散して放射能汚染が広がる。こうした通常兵器だが、機能的に核兵器のような効果を発揮する兵器の規制も必要だろう。
厳しい現実のなかで核兵器禁止条約発効
この写真は、核保有国の首脳たちの顔を皮肉ったICANのキャンペーンである。世界の核兵器の大半を保有する米国とロシアのほか、中国、英国、フランスの5カ国は、核拡散防止(不拡散)条約(NPT)の枠組みのなかで核軍縮を進めるという立場をとっている。トランプ政権は、条約発効を契機に、この条約の批准国に書簡を送り、米国がこの条約に反対していることをわざわざ伝えた。トランプ流の恫喝手法である。ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)によれば、2020年1月時点の核兵器保有数は約1万3400発で、2019年より465発減ったものの、中国は30発増えて320発となり、北朝鮮も保有数を増やしたとみられている(時事通信2020年6月15日)。
核兵器禁止条約が発効しても、この現実がすぐに変わることはないだろう。重要なのは、核兵器を非人道的かつ違法なものとする国際条約が効力を発生するという規範と事実である。保有国やその「核の傘」に入っている国々がこの条約を無視し続けることは可能である。だが、いま、コロナ危機の只中に全世界がある。最大の核保有国の米国が最大の感染者を出している。核兵器はコロナには無力であることは自明である。核兵器の保有は莫大なお金がかかる。これを医療や福祉に向ければ、コロナだけでなく、コロナの次に人類を脅かす感染症にも対処できる。
8月の「直言」で紹介した中満泉国連事務次長(軍縮担当)の言葉をここで再度引用しておこう。「核兵器によって世界が安全に保たれると言う人たちが多いが、目に見えないウイルスによって、想像すらできなかった状況が瞬く間に広がった。世界はいかに脆弱かという教訓だ。75年前の教訓とともにもう一度原点に返り、世界を安全にするために核軍縮を進めることが必要だ」「軍縮は、国家間の不信感や緊張感を一つ一つほぐし、安全保障にも役立つ方策だ。コロナでその役割を再確認し、機運と捉えて進める必要がある。核の近代化は費用がかかるが、どの国もコロナ後の復興には多くの財源が必要だろう。対話と外交努力で世界を安全にしようという流れが、生まれるのではないか」と。
思考の惰性を超えて
日本は「唯一の被爆国」といいながら、この核兵器禁止条約に反対し続けている。それは核保有国の米国に忖度・迎合しているからだけではない。実は、60年代に日本の核保有について政府部内で検討したことがある。1967年、佐藤内閣当時の内閣調査室(現・内閣情報調査室)の研究報告書『日本の核政策に関する基礎的研究』である(直言「「核兵器は持てるが持たない」論の狙い」参照)。結論は、日本は核武装しないというものだったが、核保有についての飛び跳ねた意見が途絶えたことはない。「3度目の核攻撃を受けないため、日本は核武装すべきだ」という主張を、「8.6の広島」であっけらかんと語る人物も、日本会議系の人物のなかにはいる(直言「核時代のピエロ」)。
この8年近くの間で、安倍・菅政権のやることなすことは、日本が、「立憲主義からの逃走」を特徴とする「権威主義的ポピュリズム」の国の仲間と世界から見られることばかりである(最近では学術会議の問題)。
このフランスの雑誌は、「日本は戦争へ行った」「武装という選択」という見出しで安倍政権の軍備強化を伝えている。唐突に「敵基地攻撃能力」が前面に躍り出てくる状況は、核兵器禁止条約に反対するだけでなく、自らも核についての選択肢を広げたいというこの政権の姿をあらわしている。「敵基地攻撃能力」を持つことは、最終的に日本も核兵器を「保有」(米国の核兵器の配備を含む)しなければならないことになるからである。
核兵器禁止条約に反対する人々の言葉のなかに、「抑止力」という言葉が常に出てくる。だが、いかなる相手に、どのような手段が効果的か。脅威の客観的な検証なしに、一般的・抽象的な「抑止力」は成立しない。不安感をあおって、主観的な「安心保障」のために兵器を買い続けるのは「思考の惰性」である。いまこそ、日本の市民は、「抑止力」という思考の惰性から解き放たれて、核兵器禁止条約の批准を政府に求めていく必要があるだろう。
なお、「敵基地攻撃能力」が「抑止力」であるという妄想については、直言「「敵基地攻撃能力=抑止力」という妄想(その2)」を参照されたい。