メルケル首相の「感情的な演説」
今日は『南ドイツ新聞』の二つの記事を比較しよう。一つは12月9日のドイツ連邦議会におけるメルケル首相の演説である(Süddeutsche Zeitung vom 9.12.2020)。23分間の一般演説のあと、続く12分間では口調を一変させ、「感情的な演説」となった。見出しは「そして、人間アンゲラ・メルケルは語る」である。記者は、感情を表に出した「今まで見たことのないような」首相について書いている (動画参照)。特に58秒あたりから、身振り、手振りで激しい言葉を発している(冒頭左の写真は、当日夜7時(現地時間)のドイツ第2放送(ZDF)のニュース番組「heute」のもの)。
メルケルはほとんどメモなしの12分演説の冒頭、「私たちはおそらくパンデミックとたたかう、おそらく決定的な段階にある」と述べ、「クリスマスまでの14日間」を感染が急拡大しないよう、できることをすべてしなければならないと訴える。すでにドイツでは10月、11月を経て部分的なロックダウンの状況(州ごとに違う)にあるが、1日あたりの新たな感染者数が急増している。クリスマスに向けて人々が集まって飲食を楽しむ状況について、メルケルは「本当に心から申し訳ありません」と詫びつつ、「1日に590人が死亡するような代償を払うなら、それは受け入れられない」として、市民に徹底した接触禁止を求めている。「今我々がクリスマス前に過度に多くの人と接触し、それに続いて祖父母と過ごす最後のクリスマスとなろうものなら、我々はかなりのものを失うことになろう」。常に距離を保たねばならず、「身を守る手段をもってのみ会うことが許されるというのは、確かにいささか酷なことではある」。「しかし、我々の生活を完全に破壊するものではない」とたたみかけるように語る(この記事は、演説後のメルケル首相がマスクなしで近くの閣僚と話してしまう脇の甘さも衝いており、日本のメディアとは違い、権力者との緊張関係は維持されている)。
沈着冷静なメルケル首相がここまで感情を露わにする演説をするのを初めて見た。コロナ危機が始まり、ロックダウンに向かう3月18日の演説が、第二次世界大戦以来、これほど市民による一致団結した行動が重要になるようなことはなかったという格調高い呼びかけだったのとは対照的に、今回の演説は、焦燥感と危機感からか拳を振り上げ、逆に胸に手を置いて懇願するようなポーズさえとっている。この異例かつ必死の呼びかけを行うことで、クリスマスを巨大な感染爆発にさせないという首相の強い決意が伝わってくる。
この「感情的な演説」のなかに理性の光をみた一瞬があった。それは、政府のコロナ対策に対して懐疑的な論陣をはる極右政党「ドイツのための選択肢」(AfD)のベアトリクス・フォン・シュトルヒ副議員団長が、「何も証明されていない!」と野次ったときのことである。メルケルは一瞬彼女の方を見て、「私は理性[啓蒙](Aufklärung)の力を信じている」と述べ、旧東独時代、物理学で博士号をとった学者の顔で切り返したのである。
そのメルケルは2005年11月に首相に就任した。その時の首相は小泉純一郎だった。菅義偉はメルケルが相手をする8人目の日本首相である。
ファントム戦闘機の菅首相
『南ドイツ新聞』のもう一つの記事は11月30日付である。この記事は、共同通信が配信して、日本でも新聞各紙で紹介されたのでご記憶の方もおられるだろう。タイトルは「輝きたくない首相」である(デジタル版は11月29日)。
菅首相は11月28日、航空自衛隊入間基地で開催された航空観閲式に出席した際、今年度末をもって退役するF4Eファントム戦闘機(301飛行隊所属) の操縦席に座って写真を撮らせた。安倍前首相はこういうパフォーマンスを好んだが(直言「バカが戦車でやってくる」)、菅首相がやると何ともぎごちない。『南ドイツ新聞』がこの写真を使い、右翼保守政治家の安倍晋三を継承するという菅の就任3カ月を、トーマス・ハーン東京特派員がドイツの読者向けに紹介していく。そのなかで、「国内では菅首相は悪いスタートを切った」として、日本学術会議の任命拒否事件に注目する。コロナ危機への対応でも、108億ユーロの予算で始めた「GoToキャンペーン」について、記事は「疑いの象徴」であるとする。一日の新しい感染者数が記録的なレベルに上昇し、政府の専門家諮問委員会がGoToの部分的停止を提言しても、菅首相にはGoToを中止する気配はない、と。
「危機」における指導者の言葉と所作
これまで3回にわたって、危機において、トップはどのような言葉を発し、どのような態度をとるべきかについて書いてきた。①自らの姿を見せて、その時点で求められている言葉を発すること、②刻々と変化する困難な事態のなかで、その事態に通じた専門家の意見を聞いて、国・地方、民間の特性に応じて、もてる力を最大限に引き出せるように調整に徹すること、③ともに危機を乗り切ろうという真剣さと信頼感があり、国民にさまざまな不便や負担を求める以上、自らを厳しく律すること、である。だが、実際にはこれは守られたことがなく、脱力するような情けない対応が続いている。
一番古いのは、2004年11月1日の「直言」で、新潟県中越地震の際の小泉純一郎首相(当時)の初動対応を批判したものである。安倍首相(当時)の災害対応もひどかった。2018年夏の西日本豪雨の際、「赤坂自民亭」という与党政治家の飲み会に出て対応が遅れたのは記憶に新しい(直言「西日本豪雨と「赤坂自民亭」」)。この時、飲み会を撮影してツイッターで飛ばしていたのが、西村康稔官房副長官、現在のコロナ担当大臣である。
2019年台風19号による大水害の際にも、安倍首相のやる気のなさは歴然としていた。どんな事態でも、「会食」と「ゴルフ」は欠かさない(直言「「東日本大水害」と政治」)。
安倍「コロナ前逃亡」と菅「経済優先コロナ無策」
コロナ危機における安倍首相の迷走と遁走は周知の通りである。直言「この国の「目詰まり」はどこにあるか―日独の指導者と専門家」でも指摘したように、安倍は、科学的根拠に基づく対応がとれず、「やってる感」を演出するのに懸命だった。この写真は、TBS「news 23」(5月8日放送)が整理したもので、安倍首相が科学的根拠もなしに、安易な決め言葉を多用してきたことがわかる。2月29日(1、2週間が瀬戸際)、3月23日(瀬戸際続く)、3月28日(瀬戸際状況が続く)、4月7日(2週間後にはピークアウト)。5月4日(出口に向かってまっすぐ進む1カ月)。根拠のない自信の裏返しは、記者会見を開かずに引きこもり、結局「8.28」(「コロナ前逃亡」)へとつながっていく。
コロナ担当が西村経済再生担当大臣というミスマッチが続くが、その西村大臣が「この3週間が勝負だ」と呼びかけたのは11月25日だった。ところが、菅や西村が呼びかけても、メルケルのような真摯さや真剣さが圧倒的に欠けているので、誰もついてこない。警戒心はゆるみ、人々はGoToで旅行を続ける。GoToを6月まで延長するために、3000億円の支出を決めたのには驚いた。一度ゆるめた手綱を再び引き締めるのは容易ではない。加えて、菅首相は安倍前首相と同様に、毎日のように会食三昧である。
「首相動静」欄を見ると、「勝負の3週間」を呼びかけた初日の11月25日、虎ノ門のホテルのレストランで与党議員と会食している。26日は「首相と飯食う人々」の常連、田崎史郎(元時事通信)との会食、27日は自民党幹部との会食、28日は虎ノ門ホテルレストランでフジテレビ解説委員長と会食…。きりがないが、自分をヨイショしてくれる人たちとだけ食事をする。これぞ「不要不急」の会食だろう。『南ドイツ新聞』12月8日付は、菅政権が73兆円の補正をくんだことを伝え、そのなかでは、国民の希望とは裏腹に、閣議決定された感染拡大防止対策費(コロナを含む)はたったの8%だったと驚きを隠さない。
科学(者)蔑視の“ガースー”首相
医療現場が危機に瀕しており、首相が先頭に立って医療現場の状況改善に全力をあげるべき時に、一体この首相は何をやっているのか。感染者が東京で600人を超える増加傾向の危機的状況下で「ニコニコ生放送」に登場し、ネット番組で顔をほころばせて「ガースーです」と自己紹介して、「携帯電話料金は半分以下になる」なんて語っている(『朝日新聞』12月11日デジタル)。選挙向け人気とりとしか思えない、「不要不急」の出演である。ドイツ語でGas(ガース)と発音すれば、(毒)ガスを連想する人もいるだろう。感染爆発の危機を前にした指導者の言葉と所作という観点から見れば、一国の首相の態度として許されるものではない。その反面、安倍にはなかった直接的な恫喝の言葉と態度が目につく。菅の「シュタージ」的体質についてはすでに指摘した通りである(直言「菅義偉政権、「恣意」の支配―「シュタージ国家」への道」)。
“ガースー”首相の際立った特徴は科学や学問に対する軽視を超えて、蔑視の姿勢だろう。日本学術会議問題における「総合的・俯瞰的」という「菅語」は、科学者、学者、研究者を見下した「上から目線」である。国語学者・金田一秀穂氏の「菅語を考える」(『毎日新聞』デジタル12月5日)は興味深い。「菅語」について、「つまりは姑息なんです。姑息は「ひきょう」という元々なかった意味で使われることが多いですが、本来の意味は「その場限り」。菅さんはその場限りの答弁を繰り返して当座をしのぎ、いずれ国民が飽きて聞く気がなくなるのを待っているんでしょう。」という。「姑息さは政策にも表れています。「やっている感」と言うんですかね。要するに何かやらないといけないというのが先立っている。その最たるものが「GoToトラベル」ではないでしょうか。あらかじめ先の見通しを立てていないから、ちぐはぐで、その場しのぎの対応を繰り返している。」と。まったくその通りである。
“ガースー”首相は、政府の感染症対策分科会(尾身茂会長)までもが停止の再提言をしているのに、「考えていない」と冷たく突き放す。専門家が必死にいうのだから、「提言を真剣に受け止め、検討したい」くらいは普通ならいうだろう。東京大学などの研究チームが出したGoToが感染拡大に寄与している可能性の指摘については、「査読がされていない」とか「エビデンス(証拠)がはっきりしない」などとして相手にしない。専門家の研究成果に対して、政治家が「査読がない」などというのは、博士号をもつメルケル首相が聞いたら仰天するだろう。安倍政権以来の8年あまりで、この国は学者、科学者、研究者の地位を急落させ、「科学的根拠」なしの恣意的支配が定着してきたようである。
GoToトラベルと感染爆発
知能情報学の大沢幸生東大教授によれば、「感染者数のピーク近くで制限解除すると、初めから制限しないよりもはるかに爆発的に感染拡大する」「人々が過去に接していなかった人と接する頻度が増すと、社会ネットワークの構造が変化して感染が爆発する」。これは感染者数が第2波のピークに達した7月下旬にGoToトラベルが始まったことと符合する。また、「すべての人が求め合って会う人同士には、感染の爆発的な拡大は起きにくい」が、「知らない誰かと接触する人が増えるほど、感染が爆発的に増える可能性が高まる」。一気に百倍、千倍増えるという(以上、『東京新聞』12月11日付「政権 欠ける科学的思考」による)。GoToトラベルを一刻も早く停止(実質的には中止)すべき根拠として十分だろう。コロナ対応の現場を防護服着用で視察して、「皆さんのご苦労にむくいるために全力をあげる」くらいのパフォーマンスもできないのか。
日本における感染拡大への「決定的局面」において、「ニコニコ生放送」で「ガースー」といって笑う姿は、「「危機」における指導者の言葉と所作」のなかでの最悪事例として記憶しておこう。