もう一つの「緊急事態宣言」――「復興五輪」は死語
2021年3月1日

「3.11」10周年を前に震度6強

月13日に震度6強の地震が東北地方を襲った。福島県郡山市の降矢通敦さん(84歳)からメールが届いた。「10年前の揺れを再経験するものでした。我が家の「安全な場所」を決めていますので、そこの柱につかまり、棚からの落下物、軽い置き物などが横に吹っ飛ぶ様を見て、時間の長かったこと。まさに10年ぶりのことでした。そして最初に頭を横切ったのが、双葉の原発でした。…今後30年間は余震を覚悟しなければならないとのこと。日本のどこに、「核のゴミ」の「10万年の安全保管」の場所があるのだろうかと思いました」と。10年前、降矢さんのお世話で震災の現地800キロの取材が可能となり、拙著『東日本大震災と憲法』となった。この節目に、降矢さんと、「先生に事実を見て頂くためには、車をダメにしてもよい」という気迫で、地震と津波で破壊された悪路の運転と案内人をかって出ていただいた白土正一さん(元・双葉郡富岡町生活環境課長(原子力安全担当)に、心からのお礼と感謝の気持ちをお伝えしたいと思う。現地と原発を知り抜いた白土さんの案内がなければ、震災直後に東北電力女川原子力発電所に入って取材することなどあり得なかっただろう(直言「大震災の現場を行く(2)―「避難所」になった女川原発」参照)。









「石巻市立門脇小学校の10年

それ以降も、東日本大震災と原発事故について、何度か現地に足を運びながら「直言」を書いてきた(バックナンバー参照)。震災の翌年に宮城県の被災地を案内していただいた豊永敏久さん(宮城県高校教員)から先日、石巻市立門脇小学校の「いま」を示す写真が届いた。門脇小について、段落の上、左の写真は震災の翌月に訪れた際に撮影したものである。その右に表示した写真は、震災の翌年、108人の児童のうち74人、教職員13人のうちの10人が死亡・行方不明となった石巻市立大川小学校を訪れたおりに途中立ち寄った時の写真である。その翌年、2013年6月に仙台弁護士会で講演した後に訪れた際には、校舎は防音シートで覆われていた(直言「震災遺構と復興予算」)。そしてこの段落の左が今回、豊永さんが撮影して送ってくださったものである。「震災遺構整備工事」の最中で、校舎の中央部分のみが保存され、周囲は公園になる。いずこにおいても、「震災遺構」についてはそれぞれ事情があって、どこでも時間がかかっている(南三陸町の防災庁舎や町長以下幹部の多くが死亡した大槌町の町役場庁舎等々)。門脇小もまた、10年の時間を要したわけである。


「フクシマ」からの聖火リレー

3年前、南相馬市から国道6号線を南下して、双葉郡楢葉町にあるJビレッジ(サッカーのナショナルトレーニングセンター)の近くを通った。原発事故対応のための中継基地として機能していたところだが、来月25日、そこから聖火リレーが出発する。昨年春からドイツでは、「放射性オリンピック」反対の署名運動も起きているが、「オリンピック聖火リレーは…原子炉廃墟の近くの放射性汚染地区を走り抜く」というトーンである。新型コロナウイルス感染症の全世界的感染拡大の「収束」が見通せないなかで開催が危ぶまれているだけではない。そもそも「復興五輪」の名のもとに原発事故を無理やり終わったことにして、原発再稼働に進む日本の異様さに対する厳しい眼差しはドイツのみならず、世界各国にもあるはずで、この根本問題を曖昧にしたまま、「東京2020」が開催されようとしていたわけである。

10年間続く「原子力緊急事態宣言」

新型コロナウイルス感染症の「緊急事態宣言」が3月7日に解除されようとしている。首都圏以外では2月28日にも「宣言」が解除されて、「Go To男」が前面に出てくる気配である。コロナ特措法32条の「緊急事態宣言」は解除されつつあるが、10年も解除されていない「もう一つの緊急事態宣言」がある。それが、冒頭左の写真にある、2011年3月11日16時36分に発出された「原子力緊急事態宣言」 である。「3.11」で3653日になるも、一度も解除されたことはないし、今後も解除される見通しはない。同じ「緊急事態宣言」なのに、なぜこちらの解除が語られないのか。

逢坂誠二議員の「原子力緊急事態宣言に関する質問主意書」(2016年3月3日提出、質問164号)を見ると、原子力災害対策特措法15条2項による「緊急事態宣言」は現在も継続中であるが、「同法同条第4項の規定に基づくこの宣言の解除は、どの程度の時期になるのか、その見通しに関する、政府の考えを明示願いたい。」とズバリ問うている。これに対する答弁書(内閣衆質190(第164号、2016年3月31日)はそっけないもので、「原子力緊急事態解除宣言については、…現時点において確たる見通しを述べることは困難である。」と。

「原子力緊急事態宣言」の解除はおくびにも出さないで、野田佳彦政権は2011年12月に早々と、原発事故の「収束宣言」を行った。これに対して、安倍晋三首相(当時)は政権奪還後最初の「3.11」直後に、「安倍政権として収束という言葉を使わない」と述べて、「収束宣言」を事実上撤回した(『産経新聞』2013年3月13日デジタル)。この言葉はしっかり覚えておこう。

「アベのコントロール」のフェイク性

だが、安倍首相はその半年後の9月7日、国際オリンピック委員会(IOC)総会で、「アンダー・コントロール」(under control)という言葉を使い、「東京は世界で最も安全な都市の一つです。それは今でも、2020年でも一緒です。フクシマについて案じる向きには、私から皆さんに保証いたします。状況は、統御されています。東京には、いかなる悪影響もこれまで与えたことはなく、今後も与えることはありません」と大見得を切った(直言「「復興五輪」というフェイク」)。ほとんど知られていないが、安倍演説の6日後、9月13日に、東京電力・山下和彦フェロー(原子力・立地本部〔福島第一担当〕、執行役員待遇)は、「今の状態はコントロールできていないと我々は考えております」と明確に述べていた。もっとも東電は、同日夕方になって、「首相の発言を否定する意図はなかった」と「釈明記者会見」を開いてこれを打ち消した(『朝日新聞』2013年9月14日付)。

原子力災害対策特措法15条 に基づく「原子力緊急事態宣言」が解除できないなかで、「アベのコントロール」の怪しい言葉を頼りに、聖火ランナーはJビレッジを出発し、新型コロナウイルス感染症の「緊急事態宣言」が解除された東京に向かうのだろうか。

「復興五輪」は死語に

10年というのはすごい年月だと思う。「3.11」の翌月に生まれた私の孫はもうすぐ小学校5年生になる。それだけの年月がたったのに、まだ「復興五輪」などといって、この国の政府は東日本大震災の被災地の復興を妨げることばかりする。まずはこの言葉を死語にすることから始めるべきだろう。

気仙沼市でK-portというカフェを開くなど被災地復興に力を入れている俳優の渡辺謙さんは、「経済効果だけを考えるオリンピックになっている気がします。東京だけ盛り上がって、東北が全然そっちのけっていうかね。」と批判している。「復興予算」の流用問題はいうに及ばず、被災地に「寄り添う」政治家たちのおかげで、いっこうに復興しない。10年も経ってまだ「仮設住宅」(災害救助法に基づく応急対策)に1000人近くの人々がいること自体を問うべきである(震災1年目については、直言「「復興」と「仮の町」―東日本大震災から1年(その2)」参照)。

原発は人災だから、田中正造流に「合成(複合)加害」という視点に立ち、「フクシマ」の責任の所在とその解決の方向性を見いだしていくべきである(直言「田中正造と「3.11」と憲法」)。その際、法律学の果たす役割は重要である。東日本大震災からの復旧・復興の法的課題、原発事故における損害論と責任論等々の問題については、『法律時報』2021年2月号特集「東日本大震災後の10年と法律学(上)災害対策・災害復興の課題と展望」および同3月号特集「同(下)原発事故責任・原子力規制の到達点と将来像」がきわめて有益である。

「故郷を求める権利」の実現へ

震災の翌年、ドイツの憲法学者(小説『朗読者』などの作家でもある)ベルンハルト・シュリンクのいう、「故郷を求める権利」(Recht auf Heimat) について書いたことがある。基本権としての「故郷を求める権利」は、ある場所で法的に承認され、法的に保護されて生きる権利、かつ単に生きるだけでなく、住み、働き、家族や友人を持ち、思い出や憧れを抱くことを求める権利だという。ここでは詳しく立ち入らないので上記「直言」をお読みいただきたいが、この間の福島原発事故賠償訴訟のなかで、裁判所が出した判決理由中に注目すべき指摘がいくつも見られる。「故郷の喪失または変容による慰謝料」を認容した、いわき避難者訴訟控訴審判決(仙台高裁2020年3月12日)では、「…地域における住民の生活基盤としての自然環境的条件と社会環境的条件の総体について、これを一応「故郷」と呼ぶこととし、法的保護に値する利益と評価」して、この侵害による賠償について「地域社会全体が突然避難を余儀なくされて容易に帰還できず、仮に帰還できたとしても、地域社会が大きく変容してしまったという本件の被害の実態に即して損害の評価の在り方として適切である」とした点は重要である。また、生業訴訟控訴審判決(仙台高裁2020年9月30日)が、損害の認定にあたって、「生存と人格形成の基盤」の破壊・毀損による損害と、「日常的な幸福追求による自己実現」の阻害による損害の2点から慰謝料を認容したこと注目される。その際、「生存と人格形成の基盤」に、帰るべき地、心の拠り所となる地、思い出の地などとしての「ふるさと」という要素を挙げている点は重要であろう。こうした多様な視点を加えることで、控訴審判決の慰謝料の額は二倍に増えているという(『法律時報』3月号吉村良一論文等参照)。

前述した「故郷を求める権利」について語ったシュリンクが、「法的承認と法的保護を提供するが故に、ある場所を故郷にするという「故郷の権利」(Recht der Heimat)と、何人に対してもある場所を与えるという、人権としての「故郷を求める権利」(Recht auf Heimat)は、それ自体としてユートピアであるわけではない。権利はしばしば侵害されるが、それは権利の運命である。ユートピアとなるのは、「故郷の権利」や「故郷を求める権利」が、法の世界にその居場所がないときだけであろう。」と述べていたことが想起される。日本においても、裁判所の判例の蓄積という「法の世界の居場所」は着実に拡大しており、その意味で、「故郷を求める権利」はユートピアではなくなってきたといえるのではないか。

「東京2020」の終焉

東日本大震災・福島原発事故から10年。昨年の直言「「幻の東京五輪」再び」で紹介した核戦争防止国際医師会議(IPPNW)ドイツ支部の意見広告のアピール項目を改めて見てみると、「オリンピック大会を政治的に濫用することは許されない。」という主張も含まれている。「蜃気楼」(森喜朗)の女性蔑視発言に始まる、オリンピック組織委員会の会長人事の迷走をみても、アスリートや五輪を楽しみにしている人々のためではなく、まさに「五輪メンツ」と「五輪利権」にまみれた人々のための五輪開催ごり押しであることが見えてしまった。「東京2020」に中止以外の選択肢は残されているだろうか。

《文中・一部敬称略》

トップページへ