ドイツとロシアの「3.11」テレビニュース
ドイツとロシアの「3.11」前後のテレビニュースは対照的だった。当日のドイツ第2放送(ZDF)の夜7時のニュース(日本時間12日午前3時)は、大津波・原発事故の映像を流したあと、10年前、ドイツ政府が17の原発を2022年末までに終了させる決定をしたことを伝えた。現在、6つの原発が稼働中だが、女性の連邦環境相はインタビューで、 脱原発の決定は「絶対的に正しい(absolut richtig)」として、各国がソーラーや風力など安全なエネルギーに転換していることを語る。「フクシマ」以降、原発事故を重大事故として緊急対応すべく避難やヨウ素剤の備蓄を行っていることも伝えている。
一方、ロシアTVは正反対の内容だった。3月11日午前6時から放送されたニュースのトップ項目は、3月10日、トルコ南部の地中海沿岸都市メルスィンにあるアックユ原子力発電所の3号機の建設着工式のことである。トルコ初の原発となるアックユ原発は、2010年にロシアとトルコの政府間合意に基づき建設が始まり、すでに4つのうちの2つが完成している。この日は、現地とアンカラとモスクワを結んで、オンラインで着工式を中継した。この220億ドルの大プロジェクトは、ロシアの国営原子力企業ロスアトム社が受注している。冒頭右の写真にあるように、プーチン大統領とエルドアン大統領、ロスアトム社総裁とトルコの現地責任者が「点火式」を行った。1号機の着工式は現地で、両首脳参加のもと実施されたのに、3番目の着工式にわざわざ両国首脳が参加する。あえて「3.11」の前日を選んで、世界の脱原発の流れに水をかけようとしたかのようである。ロシアTVでは、このプロジェクトのロゴの入ったベストを着た女性記者に原発建設現場を詳しくレポートさせ、結びには、「3月8日は国際女性デーです。アックユは世界の原発で初めて、女性の所長になります」というロスアトム社総裁の挨拶をもってきた。
「“3.11”のゆえに」と「“3.11”にもかわらず」
冒頭左の写真は、『南ドイツ新聞』3月11日付紙面の一面トップである。「その後の10年。2011年3月、世界は「フクシマ」のメルトダウンに衝撃を受けた。原子力技術の未来に大災害は何を意味するか」。デジタル版と合わせて、多くの頁を割いて「3.11」について伝えている。「地震、津波、原発事故の結果、放射性放射線による死者は出なかったとしても、世界中で「3.11」と呼ばれる三重の大災害(Dreifach-Katastrophe)の象徴となった」として、「三重の大災害」という表現を使いつつ、やはりドイツにとっては「フクシマ」に重点を置いた報道になっている。ただ、避難生活の影響などで亡くなった「震災関連死」が福島県で2320人にもなることに触れた記事はない。「その後の10年」を語る上で、この「死」の意味は限りなく重い。
こちらの写真は、デジタル版3月11日午前11時にアップされた解説記事の写真だが、14時46分で止まった時計の前で「人々は無関心」という構図だろう。この記事では、「中国は原発を熱心に建設しており、ロシアは原発を輸出している。フランスは新しい原発を計画し、古い原発の運転期間を信じ難い50年に延長しようとしている。アメリカ人と多くのヨーロッパ人は、大量製造されたモジュール式の小型原子炉にこだわっている。フクシマ・ショックは長くは続かなかった。その代わり、低排出核エネルギーは、今や相当数の気候保護活動家にとってすら、地球温暖化とのたたかいにおける盟友と見られている。差し迫った気候大災害に直面して、彼らは原子力のリスクは甘受できると考えている。何たる錯誤か」という10年間の変化が描写され、「今世紀の半ばまでにこの追加の電力をすべて生成し、同時に化石燃料発電所を置き換えるには、数千とまではいかなくても数百の新しい原子炉が必要となろう」というリアルな現実を指摘しつつ、「気候にやさしい電気は太陽と風から来る」ことを結論する。
「3.11」のゆえに「脱原発」に向かったドイツ、「3.11」にもかかわらず、原発再稼働の道を進む日本。「3.11」のゆえに原発拡大に向かうロシア、中国、トルコ等々。なお、日本は、2015年に最初の原発が再稼働し、現在9基が稼働している。
『南ドイツ新聞』は、「東日本大震災10周年追悼式」を取材した記事(デジタル版3月11日13時18分)のなかで、「破壊された原子炉からの100万トン以上の濾過水はどうなるのかという問題がある。この水は、敷地内の1000の巨大なタンクに貯蔵されている。東京電力によれば、タンクは2022年秋に満タンになるという。除染時に発生した土壌、樹木、低木などの約1400万トンの放射性表土が、収集場所のビニール袋の山に保管されているが、それらは現在、「核遺跡」[フクイチ]のすぐ近くに建設された中間貯蔵施設に輸送されている」と書き、「夏に予定されているオリンピックの聖火リレーは、福島で2週間以内に開始される。[日本]政府は、五輪を利用して、世界に復興を示そうとしている。だが、多くの被災者にとって、それはまだ終わりではない。約2000人が未だに仮設住宅(Behelfsunterkünften)に収容されている」として、「復興五輪」を批判する。
「復興五輪」が首相式辞から消えた
この「10周年追悼式」における菅義偉首相の「式辞」はネットで話題となった。昨年の「献花式」で当時の安倍晋三首相が触れた「復興五輪」にまったく言及しなかったからだ (首相官邸ホームページ参照)。本文1351字のなかに、「五輪」「オリンピック」という言葉はまったく出てこない。福島県双葉郡楢葉町のJビレッジから聖火ランナーがスタートする2週間前なのに、これは不自然を通り越して、異様でさえある。この点を夕方の記者会見で、加藤勝信官房長官は記者たちから突かれた。その様子を、朝日新聞デジタル(3月11日18時39分)は、「官房長官しどろもどろ 式辞から「復興五輪」なぜ消えた」という見出しで伝えた。「なぜ「復興五輪」という言葉がなくなったかについては、「これは毎年の言葉を、なども踏まえつつ、作成されているものと承知をしておりまして、政府として、今後も、えー、しているものであり、ですね……」と5秒近く沈黙。「まさにそれに尽きるということであります」と続け、理由を説明することはなかった。」と。
ところが、翌3月12日付の『朝日新聞』東京本社14版のどこを見ても、「しどろもどろ」という見出しはない。これはデジタル版だけにとどめたようで、「5秒近く沈黙」という文章と合わせて、政府側の動揺が鮮明になっているのに、なぜ紙面には反映しなかったのか。当日の朝刊担当の局デスク(「本日の編集長」)は、デジタルで使った「しどろもどろ」という見出しを付けることに何を躊躇したのか。他紙では紙面とデジタルがここまで異なることはあまり見ない。
「復興五輪」はいつ、誰が言い出したか
そもそも「復興五輪」という言葉がいつ、誰によって使われたのか。新聞各紙の検索をしてみると、石原慎太郎東京都知事(当時)が五輪招致の言葉として、2011年6月17日の東京都議会において、「被災地をはじめ広く日本全体とスクラムを組んで、再び招致することを考えていただきたい」と述べて、「復興五輪」という理念を掲げた。それを『読売新聞』6月18日付が記事にしたのが最初のようである。一面見出しは「2020年東京五輪招致の意向 石原知事「復興」理念掲げ」。見出しに「復興五輪」はない。『朝日新聞』は同年6月23日付の読者投稿コラム「かたえくぼ」が最初で、タイトルは「復興五輪招致」。中身は、「まだ復興のメドもついていないのに・・・ ・・・ ―国民 石原慎太郎どの」だった。
東北の「復興」をエサやネタやサカナにして、シロアリが群がった。それを直言「シロアリ取りがシロアリに――復興予算」で批判した。特に復興基本法1条を問題にした。法律の目的に「被災地の復興」だけでなく、「活力ある国土の再生」も含められていたからだ。同法2条5項には、東北の復興だけでなく、全国各地に適用可能な「地域の特殊ある文化を振興し、地域社会の絆の維持及び強化を図り、並びに共生社会の実現に資するための施策」も挙げられている。まさに「悪のり」「便乗」「流用」を可能にする仕掛けだった。国民が負担した復興特別所得税(2013年から25年間、所得税に2.1%上乗せ)を含む復興予算も、肝心の被災地に十分行き渡っていない。9年前のこの「直言」では、「東日本大震災の復興予算がシロアリに食い散らされている現状をどう改めていくか」と問題提起したが、結果は惨憺たるものだった。
『毎日新聞』2021年3月1日付スクープ、「復興予算流用1兆円超」は、9年前の「直言」の危惧が現実化したものだろう。7割にあたる8172億円がもどらず、東北の被災地に使うことができない。また、岩手、宮城、福島の3県42市町村に毎日新聞社が行ったアンケートによれば、復興事業が2020年度中に完了しないと答えた自治体は76%にのぼるという(『毎日新聞』3月10日付)。
震災直後には、直言「大震災の現場を行く(6―完)」を出して、岩手県大槌町吉里吉里において、作家・井上ひさしさんの視点も交えて復興の方向について考えた。震災の翌年の直言「3.11と総選挙―岩手県沿岸部再訪」を出した際、「復興、復興」と簡単にいってくれるなという現地の思いを書いた。
復興庁という寄せ集めの惰性官庁と、内閣法で本来決まっている大臣ポストを、まだ復興していないという理由に「復興大臣」を置き続け、「大臣待ち議員」の要求にこたえている(だから、ろくな「復興大臣」はいない)。「復興増税」も含めて、「復興」をいえば通るという安易で簡易な手法が続く。
直言「「復興五輪」というフェイク―東日本大震災から8年」では、原発事故の影響をごまかし、復興工事の妨げになっている事実を覆い隠すために、あえて「復興」と「五輪」をくっつけて、「復興五輪」という怪しげな四字熟語にしてしまったことに触れている。また、新型コロナウイルス感染症が深刻化する前、2020年1月最初の直言「「復興五輪」から「安倍五輪」へ―「祭典便乗型改憲2020」に要注意」では、「復興五輪」を祭典便乗型改憲につなげることを危惧していた。だが、コロナ対応にしくじり、安倍は「政治的仮病」を使って「コロナ前逃亡」してしまった。
まだ「復興五輪」をいう安倍晋三
その安倍が3月4日、恥ずかしげもなくメディアに登場した、菅首相も口にできなかった「復興五輪」をおおらかに掲げているではないか。時事通信の「復興五輪「歴史に残る大会に」 安倍前首相インタビュー」である。「復興五輪であると同時に、人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証しとして開催できれば、五輪の歴史に残る大会となる。」といっている。まことに、ほんとうに、「よく言うよ」の世界である。安倍晋三といえば、根拠のない自己過信、誤りや不都合をなかったことにできる才能、過度な自己愛とその裏返しとしての異質な他者の徹底排除などの手法を駆使して、日本の政治を腐らせてきた。「モリ・カケ・ヤマ・アサ…」等々、権力私物化により激しい腐臭を発する政治腐敗の数々は、ここで指摘するまでもあるまい。いま、「安倍政治を継承」した菅首相のもと、総務省を皮切りに、続く国土交通省などへと、長年の膿をため込んだダムが決壊を始めている。「復興五輪」は死語と書いたが、3月11日の菅首相式辞からその言葉自体が消えたことから、「なかったことにする」動きが始まったようである。