「緊急事態宣言」はなぜ失敗したか――コロナと焼夷弾
2021年3月29日

コロナ禍の聖火リレー

ロナ「変異株」の感染が拡大するなか、3月21日に「緊急事態宣言」が解除され、25日、福島のJビレッジから聖火リレーがスタートした。戦争やテロ、原発事故と違って、相手はウイルスである。直接目に見えないという点で放射能の恐怖と似ているが、ウイルスの場合、いつ、どこに、どのような形であらわれるか予測できない。「コロナとのたたかい」には、真の「総合的、俯瞰的」視点が求められる。にもかかわらず、「東京五輪、人類がコロナに打ち勝った証に」 (菅義偉首相施政方針演説)だの、「勝負の3週間」)、「勝負の2週間」だのと、政治家の口をついて出てくる言葉は、根拠のない自信にあふれている。ワクチン接種が全人口の1%にも満たないなか、PCR検査を異様なまでに抑制したため、科学的根拠に基づく政治判断が困難になることはある意味で当然だろう(直言「科学的根拠なき政治―議事録も記録も、そして記憶もない」参照)。

官報に掲載された「緊急事態宣言」

冒頭左の写真は、安倍晋三首相(当時)による最初の「緊急事態宣言」の公示(2020年4月7日号外特第44号)と、菅義偉首相による終了の公示(2021年3月21日)を掲載する官報の現物である(終了の官報は3月18日号外特第24号)。上記写真は、昨年4月7日の宣言が当初の7都府県から4月16日に全都道府県に拡大(形式は全部変更)された時の官報、今年1月7日に1都3県について緊急事態を宣言してから、1月13日の2府5県の区域追加の変更、2月2日の期間延長(3月7日まで)と10都府県に変更、そして2月26日に2府5県先行終了、3月5日の1都3県の期間延長(3月21日まで)、そして今回の1都3県の終了までを時系列に並べたものである。これらは、ちょうど10年前に休刊となった三省堂『新六法』の編集者の方のご好意により、継続的に送っていただいている。

官報なので、「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」(2020年3月28日)が改定につぐ改定を繰り返し、変更されていく箇所が逐一確認できる。日本政府のコロナ対応のクロノロジーである。ここでは、この3月18日の「緊急事態宣言」終了について、官報では、「感染状況や医療提供体制・公衆衛生体制に対する負荷の状況について分析・評価を行い、全ての都道府県が緊急事態措置区域に該当しないこととなったため、緊急事態措置を実施すべき期間とされている3月21日をもって緊急事態措置を終了した。」とある。前後に、なぜ終了するのかの直接的かつ明確な理由は示されていない。専門家のご意見を聞いて政府が判断したという形にするわけである。

忖度する専門家会議(分科会)

コロナ対応にあたった安倍政権の「専門家会議」は、「最先端の専門研究者が不在で、尾身茂氏らの「昭和の懐メロ」(東大先端研・児玉龍彦氏の言葉)的な専門家が仕切ってい」た(直言「何のための「緊急事態宣言」なのか」参照)。菅政権下のコロナ対策分科会の会長も尾身氏である。政権が出した結論先にありきで、それをいかに「専門的」に説明するかという傾きが強い。このところ尾身氏は少し政権に厳しめな意見をいうという見方もあるが、トランプとも渡り合った米国立アレルギー・感染症研究所(NIAID)のアンソニー・ファウチ所長や、ドイツのロベルト・コッホ研究所(RKI)のロタール・ヴィーラー所長とは雲泥の差である。日本の不幸は、政権が、自らに忖度する学者や官僚、医系技官を重用してコロナ対応にあたっているところにある。いまからでも遅くない。政権に忖度しない有能な専門家を集めて、コロナ対応にあたることだろう。

さすがに安倍政権から菅政権になって、しかも政権の不祥事で国民の批判も高まってきたことに合わせるかのように、コロナ対応にあたる専門家たちが政府の方針に微妙な距離感を示すようになってきた。例えば、「基本的対処方針等諮問委員会」で「首都圏4都県で2週間延長」を決めた際にそれが見られた(『毎日新聞』2021年3月26日付)。毎日新聞の見出しは「「なぜ2週間延長」諮問委専門家、整合性に苦心」だった。「新規感染者数や病床使用率などは解除基準を満たしており、諮問委では延長の理由や期間を巡る議論に多くの時間が割かれた。これまでの政府判断との整合性や妥当性を巡り、専門家が苦心する様子が浮き彫りとなった」。政府の方針に批判的な意見を出しづらい空気が感じられる。

3月17日、菅首相が先行解除に伴う感染拡大の懸念を記者団に指摘された時、「ぶらさがり」で「基準はクリアしてるわけでありますから」と気色ばむ様子が報道された。首相が言ってしまったので、その辻褄合わせをする。「[国有地払い下げに]私や妻がかかわっていたら、総理も国会議員もやめる」と大見得をきった安倍前首相の答弁(衆院予算委2017年2月17日)があったから、財務省の文書隠蔽・廃棄・改ざんが始まり、赤木俊夫さんの命が失われたことを忘れてはならない。菅首相が「基準はクリアしている」と言ってしまったから、「専門家」がそれに合わせて理由を見つけるというのは本末転倒である。日本のコロナ対応の不幸は、国民の命と健康よりも、政権の維持が第一義とされているところにある。

実際、この先行解除後、諮問委員会で専門家が示した懸念の通り、東京や埼玉では新規感染者数が微増に転じた。にもかかわらず、政府は3月18日、「病床使用率の改善」を理由に、21日での宣言解除を正式に決定した。3月18日官報の先に引用した数行(「感染状況や医療提供体制・公衆衛生体制に対する負荷の状況について分析・評価を行い、全ての都道府県が緊急事態措置区域に該当しないこととなったため、...」)の向こう側に、専門家たちの一定の抵抗はありつつも、結局、「異議なしで了承」となる忖度構造が見えてくる。

安倍・菅政権の8年あまりで、この国は、議論の経過を議事録にも残さず、当事者も記憶がなくなって、「あったことがなかったことに」「なかったことがあったことに」できる国になってしまった。コロナ対応についても、決定の判断過程を見せようとしない。「前例のない自由制限には、前例のない透明性が必要」であるにもかかわらず。加えて、この国では、世界のコロナ対応の基本手段となっているPCR検査を意識的に回避する方針がとられてきた。それがいかなる事情によるものかは諸説ある。安倍政権下での一度目の「緊急事態宣言」の開始、変更、終了、菅政権下での2回目の「緊急事態宣言」の開始、変更、終了のそれぞれについて客観的な検証が必要だろう。

「コロナに勝つんだ、勝つんだ」

この1年あまりの日本政府のコロナ対処の迷走については、太平洋戦争期の「インパール作戦」「ガダルカナル作戦」「ノモンハン事変」に例えられることがある。だが、私は、政府のコロナ対応は、1941年11月の防空法改正で米空軍の空襲に備えようとした大日本帝国政府のそれと重なる。これについては、何度か述べてきた(直言「大空襲から75年―防空法と新型コロナ特措法」、また直言「日本議会史上の汚点ではないか―「黙れ」事件から82年」参照)。

冒頭右の写真は内閣情報局編『写真週報』328号(1944年7月5日)の表紙である。「銃後の国民」は米軍の空襲に対して、「焼夷弾恐れるに足らず」の精神で、「勝て、勝て、勝つんだ」と煽った。「空襲を恐れない国民像」を現実化する必要があって、政府・軍部は、戦争遂行と防空体制堅持のために、空襲の破壊的な効果を隠蔽、改ざんし、空襲や焼夷弾は怖くないと喧伝し、空襲被害をできる限り小さく見せようとしたわけである(水島朝穂・大前治『検証 防空法』法律文化社、2014年参照)。

戦時下においても、「焼夷弾恐れるに足らず」という政府の態度に対して批判的な研究者もいた(前掲・拙著参照)。科学的、合理的な思考の持ち主ならば、防空法的発想はとうていとることはできないだろう。ただ、7月29日の大垣空襲の際、防空法に反して住民を避難させていた例もあった。8月2日の八王子空襲の際にも、浅川大橋上で、住民避難を阻止する警防団員との衝突あった (「八王子空襲の謎」(多摩探検隊2016年1月。私のコメントは4分30秒あたりから始まります)。まともな感覚があれば、何よりも命が大切だということは皆、わかっていた。だが、かの時代は、命よりも「国家のメンツ」が優先されたのである。単に空襲で焼け死んだのではなく、防空法による消火義務のために避難が遅れて亡くなった人たちもいた (詳しくは、「「人貴キカ、物貴キカ」─防空法制から診る戦前の国家と社会」立命館大学参照)。

戦争や空襲の犠牲一般とは区別される、この防空法制による犠牲から引き出される教訓は何か。「人貴キカ、物貴キカ」である。首相の「肝入り政策」との整合性を斟酌しながら、アクセルとブレーキを同時に、しかもいいかげんに踏む(直言「「複合災害」にいかに対処するか」参照)。これでまともなコロナ対処ができるわけがない。安倍政権の「5つの統治手法」(菅政権も継承)によって壊されてしまった優秀なる官僚たちと、この国の民間や市民のエネルギーを総合的に発揮するには、「魚と政権は頭から腐る」の例え通り、何よりトップを変えることが最短である。日本では想像できないことだが、コロナ対応で苦しむドイツでは、首相が正面から国民に謝罪した。

コロナ危機下のメルケル首相の謝罪

3月24日(水)夜7時のニュース(heute)の冒頭、キャスターは「これまでなかったことですが、危機のなかで、首相が個人的な誤りを認め、[方針を]修正し、謝罪しました」と切り出した。ドイツのメルケル首相はこの日、4分間のスピーチにおいて、22日の連邦州首相オンライン会議の決定を1日で覆した。「率直に言って、復活祭(イースター)のロックダウンのアイデアは、パンデミックの第3波を減速させて逆転させる必要があるため、最善の意図を持って設計されましたが間違いでした」と。この決定は「復活祭の静寂」と形容される。新型コロナウイルスの感染拡大を抑えるために、4月のイースター休暇の時期にロックダウンを行い、食料品店を含む店舗営業を禁止するというのだ。休日前に食料品を買い込もうと人々が店に殺到するから、「密」になるし、物流にも支障が出るという批判が与党からもあがった。

メルケル首相は24日の記者会見の冒頭、この措置について、わずか1日で撤回したのである。その上で、「すべて私の誤りである。混乱をよんだことは極めて遺憾である。すべての市民に謝りたい」と謝罪した。ドイツ滞在時に3回、復活祭を体験した(一度はベルリンで、二度はボンで)。花々が咲き乱れる快適な季節で、多くの人が旅行に出る。家族とすごす。この期間に人々を家にとじこめる試みは失敗したわけである。なお、昨年の英国政府の「復活祭ステイ・ホーム」の呼びかけ)については「直言」で紹介したが、ドイツで二度目はなかった。復活祭はクリスマスに次ぐ大きなイベントの機会であり、人々の楽しみを奪った首相への反発は強かった。政権支持率も30%をわり、直近の2つの州議会選挙で与党が連続敗北したこともあって、一切の責任をとって辞任するという流れにもっていくのかもしれない。もっとも、感染防止というコロナ対応では、メルケルの「1日で撤回」自体が間違いの可能性もある。事実、3月26日のドイツの感染者数は若い世代を含めて急激に増大している。だが、メルケルは国民に率直に謝罪した。メルケル首相のように誤りがあれば認め、謝罪する姿勢が安倍・菅の新旧首相には決定的に欠けている。第三波の感染が地方からも広がっている。東京五輪の中止を、聖火リレーの中断を決断すべきときである。ジュールズ・ボイコフ(元プロサッカー選手、パシフィック大学教授)がいうように、「パンデミックのさなかの東京[五輪]聖火リレーは、オリンピックの華やかな行事のために公衆衛生を犠牲にするリスクがある。[聖火リレーは]ナチスのプロパガンダに根ざした伝統であって、これは消滅すべきである」(米国NBCニュース「オピニオン」欄2021年3月25日)。

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