「内閣総理大臣が欠けたとき」――石橋湛山と安倍晋三
2021年5月24日

大平正芳と小渕恵三の退陣

法70条は「内閣総理大臣が欠けたとき」、内閣は総辞職しなければならないと定める。死亡の場合はこれにあたるが、辞職(辞任)の場合は議論がある。国会法64条は「内閣総理大臣が欠けたとき」と「辞表を提出したとき」とを区別している。だが、辞職の場合も「欠けたとき」に含めることに問題はない(宮澤俊義『全訂 日本国憲法』(日本評論社、1978年)541-542頁)。病気の場合はまだ「欠けたとき」ではなく、「内閣総理大臣に事故のあるとき」として、あらかじめ指定する国務大臣(副総理、官房長官など)が臨時に職務を行う。

日本国憲法下において病気で退陣した首相は、安倍晋三の前に4人いる。突然の死亡で政権の幕を閉じたのは大平正芳と小渕恵三だった。大平は1980年5月30日の参議院選挙初日の演説中に倒れた。心筋梗塞だった。医師団が記者会見を開き、「首相の狭心症は一過性のもの」「さらに一週間、様子をみる」として軽めの説明をしていたが(『毎日新聞』1980年6月2日付)、10日後に容態が急変。死亡した。一過性の狭心症でないことは医師団も熟知していただろう。必ずしも雄弁ではなかった大平が、新宿駅西口で、全身を大きく揺らせて激しい演説を行う姿が記憶に残っている。

小渕の場合は、ドイツ在外研究を終えて帰国した翌日、2000年4月1日、国会内でのぶらさがり記者会見中に体調異変を起し、意識がもどらないまま死亡した。帰国後初めて更新したのが直言「内閣総理大臣が欠けたとき」だった。内閣法9条による総理大臣臨時代理の手続に疑問があったが、当時の青木幹雄官房長官は、「首相が意識不明で、近い将来に回復の見込みのないような場合には、憲法70条のいう『内閣総理大臣が欠けたとき』にあたる」という解釈を示した。このどさくさで首相になったのが、女性蔑視発言で東京2020組織委員会会長を辞任した森喜朗である(直言「俗物が語る「神の国」」参照)。

石橋湛山「切々と胸を打つ退陣の辞」

冒頭左の写真は、石橋湛山と池田勇人の病気退陣を報ずる新聞記事である。病気で辞任した首相は石橋が最初である。1956年12月23日に首相に就任するも、1カ月後に肺炎で倒れた。岸信介外相を首相臨時代理(内閣法9条)に指名したあとに、退陣の決断をした。在任期間はわずか65日だった。内閣総辞職当日の『朝日新聞』2月23日付1面には、岸信介首相臨時代理と三木武夫自民党幹事長に宛てた書簡(「石橋親書」)全文が掲載されている。そこには、医師団から2カ月の休養を申し渡され、「新内閣の首相としてもっとも重要なる予算審議に一日も出席できないことがあきらかになりました以上は首相として進退を決すべきだと考えました。私の政治的良心に従います。・・・私の総裁として、また首相としての念願と決意は、自民党にありましては党内融和と派閥解消であり、国会におきましては、国会の運営の正常化でありました。私の長期欠席が、この二大目的をかえって阻害いたしますことに相成りましては、私のよく耐えうるところではありません。…」とある。この親書には、「政治的良心に従って辞める」という見出しが付いている。これを官房長官が読み上げると、人の胸を打ち、身じろぎする者もなかったという。その記事には、「九週間の短命内閣 切々と胸を打つ退陣の辞」という見出しが付けられていた。

この日の『朝日新聞』1面肩にはまた、「医師団、診断結果を発表」とあり、東大医学部教授、聖路加病院長、杏雲堂病院長、主治医の4人の医師が精密検査の詳細な結果を提示して、2時間にわたり記者の質問に丁寧に答えていたことがわかる。そして、医師の総合判断として、全身衰弱はなはだしきものあり、「2か月の静養加療を要するものと認む」とある。病状が医師団によって具体的に説明され、記者からの質問にも長時間にわたり答えている点に注目したい。病気の原因を正直に伝えて辞任したのは石橋だけである。「このときの石橋首相の責任感にあふれた潔い態度は、ひとり政治家のみならず、一般国民にも深い感銘を与えました。」(「自民党のあゆみ」より)。

なお、石橋はその後体調を回復し、「日中米ソ平和同盟」の持論に基づき、党の反対にもかかわらず、訪中2回、訪ソ1回を行っている。もし、石橋がそのまま首相の地位にあったなら、対米一辺倒の岸信介とは違った、もっとアジアに軸足を置いた、バランスのよい国になっていたかもしれない。

池田勇人は病名を隠された

冒頭左の右側は、池田勇人首相辞任の記事である。1960年7月、岸内閣の退陣後、池田は「所得倍増」を唱えて、高度経済成長を推進した。小学5年生だったので、池田の独特の「ダミ声」はリアルに覚えている。1964年9月、「慢性喉頭炎の治療と検査」のためとして、国立ガンセンターに入院した。実際は咽喉がんだったが、これは明らかにされず、本人にも伏せられていた。東京五輪閉会式の翌日、池田は退陣を表明した。石橋と異なり、本当の病状はすぐには公表されず、辞任のタイミングは政治的に計算されたものだった。

国立ガンセンター長以下、同センター幹部5人と、東大医学部、慈恵医大、日大医学部の各教授と放射線医学総合研究所長の4人がそれぞれ診察して総合的判断を出したのが「療養1カ月」だった。記者会見で医師団は「乳頭腫という腫瘍で、がんではない」「前がん症状」と説明し、真の病名を明かさなかった。池田はその日のうちに「総裁談話」(『朝日新聞』1964年10月25日付夕刊)を出して退陣を表明した。そこには、「私は首相としての重責にかんがみ、総裁と首相の地位を辞任することを決意し、ただ今党首脳に円満かつ速やかに後継者を選考するように依頼しました。内外の情勢から国民の皆さまに少しでも不安を与えてはならないと考えたからです。」とある。党大会は開かず、両院議員総会で後継総裁に佐藤栄作を指名して、池田は1965年8月に死亡した。咽頭がんであることは本人にも告知されていなかった。

第1次安倍政権は「病気隠し辞任」

2007年9月12日、安倍第1次政権で、安倍首相は7月の参院選で大敗しながらも続投したが、9月の臨時国会で所信表明演説を行った2日後に突然、退陣を表明した(2007年9月12日各紙号外参照)。野党の代表質問を受けておきながら、答弁を放棄しての「敵前逃亡」である。無責任な「政権投げ出し」であった(直言「1年前、安倍晋三氏は何を語っていたか」)。持病の潰瘍性大腸炎が原因とされたが、当時の記者会見では、病気や体調について、安倍は一言も触れなかった。官邸のホームページをクリックすれば確認できる(首相官邸ホームページ(2007年9月12日))。

「・・・今後、このテロとの闘いを継続させる上において、私はどうすべきか。むしろこれは局面を転換しなければならない。新たな総理の下でテロとの闘いを継続していく、それを目指すべきではないだろうか。・・・今日、残念ながら党首会談も実現をしないという状況の中で、私がお約束をしたことができない、むしろ私が残ることが障害になっていると、こう判断したからであります。」と。

7月の参議院選挙で大敗した責任をとって辞めるという一言もない。8月最終週に内閣改造までやっておきながら、小沢一郎民主党党首との党首会談は「新総理」でやってほしいと泣き言のようなことをいっている。もし「潰瘍性大腸炎」でやむを得ず辞任するならば、医師団の記者会見があってしかるべきだった。石橋湛山も池田勇人も、医師団による診断と記者会見での詳しい説明が行われている(池田の場合は真の病名は隠したが)。第1安倍政権の結末は、「病気隠し辞任」といえよう。

二度目は「政治的仮病」――医師団の記者会見がない

「(昨年)8月24日、連続在任が憲政史上一位になったその日、厳重な警備をしいて、安倍の新型センチュリーは、箱乗りSPの黒塗り警護車両を前後に従えて、慶応大学病院に入っていった。そして7時間が経過し、出てくるところもしっかり映像でとらせて、再び車列を組んで官邸に引き返していった。あまりに大げさな通院だった。どう考えても、病気で大変なことになっているという雰囲気と空気を重々しく演出しているとしか思えない。…今回は、むしろ病気をあえて見えるようにしている。「潰瘍性大腸炎」の再発はなく、ストレス性の胃炎だという診断に納得せず、嘘の診断書を病院側に要求して断られたという話の真偽は不明なので、ここではこれ以上触れないでおく。いずれにしても、記者会見でも病名をしっかりと表に出し、しかもそれだけが辞任の理由であるとしているのが、[2007年の]第1次[政権の]辞任会見との決定的な違いである。つまり、今回、初めて、病気を前面に押し出して、それを唯一の理由にして辞任したのである。・・・」(直言「「政治的仮病」とフェイント政治」より)。

石橋や池田の場合と比較すれば、その不自然さ、異様さはすぐにも理解できるだろう。一国の首相が病気を理由に辞める以上、なぜ辞めざるを得ないのかを医師団が記者会見をして公表し、記者の質問にもしっかり答えるのが筋である。2007年、安倍は病気を隠して辞任したので、医師団が登場する余地はなかったが、2020年の場合には、自ら病気を前面に押し出し、それを辞任の第一義的理由にしている以上、医師団の客観的な説明が不可欠だった。うがった見方をすれば、潰瘍性大腸炎の悪化という診断書を出すことができず、それを記者会見で説明できなかったからではないか。つまり潰瘍性大腸炎の悪化ではなかった疑いが強い。医師団抜きで、自分の病気を自分で説明した辞任会見はこうである(首相官邸ホームページ(2020年8月28日))。


「・・・8月上旬には潰瘍性大腸炎の再発が確認されました。・・・治においては、最も重要なことは結果を出すことである。私は、政権発足以来、そう申し上げ、この7年8か月、結果を出すために全身全霊を傾けてまいりました。病気と治療を抱え、体力が万全でないという苦痛の中、大切な政治判断を誤ること、結果を出せないことがあってはなりません。国民の皆様の負託に自信を持って応えられる状態でなくなった以上、総理大臣の地位にあり続けるべきではないと判断いたしました。総理大臣の職を辞することといたします。
現下の最大の課題であるコロナ対応に障害が生じるようなことはできる限り避けなければならない。…7月以降の感染拡大が減少傾向へと転じたこと、そして、冬を見据えて実施すべき対応策を取りまとめることができたことから、新体制に移行するのであればこのタイミングしかないと判断いたしました。…任期をまだ1年を残し、他の様々な政策が実現途上にある中、コロナ禍の中、職を辞することとなったことについて、国民の皆様に心よりお詫びを申し上げます。」

「大切な政治判断を誤る」可能性のある病状とは具体的にどういうものか。医師団の説明がない以上、それは安倍個人の印象にすぎない。コロナ危機の真っ只中で政権を投げ出した「敵前逃亡」ならぬ「コロナ前逃亡」の安倍には、もはや国会議員であることも認められないと考え、直言「安倍晋三氏は議員辞職すべし(その3)」を書いたが、二度あることは三度ある。安倍は、再び政権に返り咲く色気すら見せ始めた。普通の政治家ならばあり得ない「無知の無知の突破力」のなせる技であろう。

改憲オタクとして復活

前述したように、「病気と治療を抱え、体力が万全でないという苦痛の中、大切な政治判断を誤る」というこの言葉は重要である。「大切な政治判断」を間違うほどに病気が深刻だったということである。それが、どうだろう。昨年秋頃から露出度を増して、最近では、病気辞任をした同じ人物には見えないほどに足どり軽く、お仲間にお呼ばれして話をしているようである。その一つのあらわれが、5月3日の憲法記念日、BSフジ「プライムニュース」に生出演したことだろう。相も変わらず、「押しつけ憲法論」をまじえた陳腐な「憲法論」を繰り返している。17年前に『論座』(朝日新聞社)で批判した議論からまったく進歩していないことに驚く自分のために自民党則80条4項(3選禁止規定)を改正して任期を延長しておきながら、なお1年も任期を残して途中辞任した人物とは思えぬ饒舌さである。少しはしおらしく振る舞ったらいいのにと感じることさえおせっかいに思えるほど、安倍の饒舌はとまらない。お仲間のフジ・サンケイグループの媒体のため、キャスターは安倍好みの素材をフリップで並べてくれるので、安倍は終始ご機嫌だった。コメンテーター役の研究者は、4年ほど前から憲法研究者に対する執拗な攻撃に執着している人物で、「安倍首相と二度、対談・共演させていただき、痛感した。「他人の話を聞くときの表情」が素晴らしい。」と、安倍を最大級に持ち上げている。単なる「御用学者」から積極的な「権力迎合学者」へと進化したようである。

まるでネトウヨの親分

新型コロナウイルスのワクチン接種の迷走のなか、菅義偉首相「肝入り」で始まった自衛隊主導の大規模接種センター。Web予約限定で、5月17日から開始されたが、架空の数字や65歳未満の生年月日を入力しても予約できてしまうという杜撰でいい加減なもの。それを朝日新聞社のAERA dot.と毎日新聞の記者が取材の過程で、予約画面に自ら入力してそれを確認した上で報道した。ところが、何を勘違いしたのか、センターを設置し、運用する主体となっている防衛省のトップ、岸信夫防衛大臣は、〈今回、朝日新聞出版AERAドット及び毎日新聞の記者が不正な手段により予約を実施した行為は、本来のワクチン接種を希望する65歳以上の方の接種機会を奪い、貴重なワクチンそのものが無駄になりかねない極めて悪質な行為です。〉〈両社には防衛省から厳重に抗議いたします。〉などとツイートしたのである。記者はデタラメな数字でも予約できることを確認するや、直ちに予約をキャンセルしているから、「65歳以上の方の接種機会を奪い」などということは起こり得ない。防衛省がメディアに抗議するというが、正当な取材活動への妨害であって、さすがに事務方が止めるだろう。そもそも予約のシステムそのものに重大な欠陥があるわけで、それをきちんと取材して報道することには高い公益性がある。岸信夫は安倍晋三の実弟である。「弟よ、よくやった」というノリだろうか。それにしても、安倍のツイートには品がない。〈朝日、毎日は極めて悪質な妨害愉快犯と言える。防衛省の抗議に両社がどう答えるか注目〉

思えば、5年前、大統領に当選したトランプのもとに飛んで行った安倍晋三は、こう切り出したという。「実はあなたと私には共通点がある」。怪訝な顔をするトランプを横目に安倍は続けた。「あなたはニューヨーク・タイムズ(NYT)に徹底的にたたかれた。私もNYTと提携している朝日新聞に徹底的にたたかれた。だが、私は勝った…」。これを聞いたトランプは右手の親指を突き立ててこう言った。「俺も勝った!」と。朝日新聞嫌いの子どもじみた言動は相変わらずだが、今回の「妨害愉快犯」なるツイートは度を越している。まるで「ネトウヨの親分」のようである。

第2代総裁と第25代総裁

首相辞任にまで至る病気がいかなるものかを、検査結果を提示して複数の医師が長時間にわたる記者会見で説明した石橋と、慶應大学病院関係者から病状についての説明が一切なかった(できなかった!?)安倍との違いは明らかであろう。自由民主党第2代総裁石橋湛山の「責任感にあふれた潔い態度」とは対照的に、第25代総裁安倍晋三の「無責任で見苦しい態度」は、後世の「自民党のあゆみ」のなかでどう叙述されるだろうか。「モリ・カケ・ヤマ・アサ・サクラ・コロナ・クロケン・アンリ・・・」についての新たな証拠や証言が次第に表に出てきて、公文書の改ざんや情報の隠蔽などによってかろうじて維持されてきた「安倍の嘘」が白日のもとにさらされるときが必ずくるだろう。なぜ、2020年8月28日に慶應大学病院の医師団による記者会見がなかったのかを含めて

《文中敬称略》

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