「危険で不安な五輪」の開催強行――任期満了日の解散をにらんで
2021年6月14日

ワクチン接種をめぐる迷走続く

週、2回目のワクチン接種を受けた。対面授業を3コマ連続でやったあと、唐突に脱力感のようなものが襲ってきた。2回目の副反応には注意が必要だと思った。

517日の「直言」でも書いたように、私の住んでいる東京・府中市では、428日、6万人いる65歳以上のなかから4000人分、ネットで予約を始めた。開始とほぼ同時に終了となり、68歳の私は、運良くそのなかに入ることができた。市は511日に2回目の予約を再開したが、予告なしに年齢が「85歳以上」に引き上げられたため、家族は予約できなかった。一方、325日の「3補選全敗」を受け、「政権メンツ」のために菅官邸が思いつきで始めた国(自衛隊主導)の大規模接種は、高齢者からそっぽを向かれ、7割も予約があまったあげく、ついに611日、全国に接種対象を拡大した。遠方から大手町までくる高齢者がいるだろうか。自衛隊に大きな負担をかけて、「官邸主導(→手動?)」の施策は迷走を続けている。

 

なぜ、この国ではワクチン接種が進まないのだろうか。それは、自治体や医療現場の必死のがんばりにもかかわらず、トップが「五輪メンツ」「政権メンツ」にとらわれているからである。予防接種法に基づく定期の予防接種は、地方自治法上の「自治事務」として市区町村を実施主体として行われるが、新型コロナのワクチン接種は、予防接種法29条の規定による「第一号法定受託事務」とされ、特例的な臨時接種として、国の指針に従い実施される(改正予防接種法附則7条)。市町村主体なので接種のやり方から予約のとり方までいろいろになるのは当然だが、首相の表情からも言葉からもまったくやる気を感じないため、地方丸投げで始まり、途中から国による唐突な集団接種の開始で、予約の重複なども発生した。先週からは、大学や企業に職域接種が呼びかけられ、早いところではすでに始まっている。不思議なのは、「新型コロナワクチンの職域接種の総合窓口」が、首相官邸のホームページから申し込む形になっていることである。どこの国でも司令塔は厚生大臣相当が務めるが、日本では、厚生労働大臣だけでなく、ワクチン大臣、コロナ担当大臣、官房長官の4者が入り乱れて、調整機能がなきに等しい。「7月末まで。1100万人」という首相発言と平仄を合わせるため、総務省幹部が自治体に電話で圧力をかけるというおかしな現象も起きた。中央政府の官僚たちも、自分がやっている仕事にやりがいと確信を持てないだろう。安倍・菅政権の8年半にわたって続いていることが、この国の官僚機構の劣化を促進しているように思う。

 

直言「「危機」における指導者の言葉と所作」で何度も書いているように、真剣に取り組む「トップの声と姿を見たとき、人々は事柄の重大性を感じ、それぞれの立場で行動を起こすきっかけをつかむ。各官庁のどんな「指示待ち公務員」でも、「いつもと違う。これは大変だ」という気分になる。その気分の無数の重なりが、その後の組織の動きと勢いを決める」。そうならないところに、指導者の実質的不在というこの国の不幸を思う

 

自治体の創意・工夫

  この間、ワクチン接種に関連して、47都道府県、1718市町村、23特別区のなかで、さまざまな創意と工夫がみられたのが救いだった。例えば、和歌山県がなぜ接種トップなのか。腰が据わった知事の姿勢もあるが、それを支える県福祉保健部技監が有能で、コロナ対処の早い時期から、国とは違って、徹底したPCR検査を実施。得られたデータに基づく「和歌山方式」で成果をあげてきた(『朝日新聞』デジタル版2021216参照)。記者会見でも知事の横にはこの女性技監が座り、アドバイスしている(野尻孝子「和歌山県の保健医療対策--コロナを中心として」参照)。また、福島県相馬市と南相馬市では、行政が地区ごとに日時を指定し、接種順は、地区代表者のくじ引きで決める独自方式を採用し、順調に進んだ。電話やネットの予約で高齢者をいらだたせる他の自治体とは大違いである。日時変更の電話は5%程度だったという

 

兵庫県明石市は9月中に全市民接種を終える予定という。3カ月前倒しで実現する。認知症の人を接種会場まで同行支援したり、接種が困難な視覚・聴覚障害者のため、専門スタッフが待機する特設会場を開設したり、若年層を対象とした夜間接種も検討していて、平均接種人数も引き上げている。「ワクチンさえ供給されれば、地方自治体はそれぞれ接種する体制を整えている。国より地方自治体の方がよっぽど頭を使い、汗をかいている。」という指摘はその通りだろう。

 

無理やり盛り上げ五輪、何のため 

「安全・安心のオリンピック」とは正反対の「危険・不安のオリンピック」まであとわずかになった

橋本聖子五輪組織委員会会長は611日の定例会見で、「安全は何なのかということが明確に発信できない限り、安心にはならない。安全であるんだということがしっかり伝わらない限り、安心にならない」と語った(12日付各紙)。直言「「安全・安心」五輪の危うさ」などで指摘しているように、「安全・安心な」(safe and secure)五輪という言い方は要注意である。私は16年前から「安全・安心」という言葉は使うべきではないといってきた。日本語の場合、「安全」の対語は「危険」であり、これは客観的なものである。それに対して、「安心」の対語は「不安」であり、主観的性質が強い。橋本会長が会見で述べたことからは、結局、この五輪に「安心感」をもつ人はいないということになるのではないか。菅首相のいう「安全・安心な五輪」はすでに破綻している。

『南ドイツ新聞』(Süddeutsche Zeitung)69日付総合面では、「日本の五輪 :雰囲気のでない競技」という見出しで、代々木の国立競技場を一人で歩くトーマス・バッハIOC会長の写真が象徴的に使われている。「海外のファンは入国できず、外国人は監視される。日本の専門家がコロナの危険性を警告。東京大会は五輪史上最低のものとなる可能性がある。」というリード文で、東京特派員の記事を伝えている。長文なので、概要を紹介しよう。ちなみに、この「五輪貴族」はバイエルン州ヴュルツブルク生まれなので、ミュンヘンが本社のこの新聞の読者だったかもしれない。

 

記事には、宇都宮健児弁護士の顔写真が左の端に使われ、宇都宮氏が始めた五輪反対のオンラインキャンペーンに注目している。5月初旬の2日間で、「東京オリンピックはやめてください」というオンライン嘆願書の署名20万人に達した。この夏、世界最大のアスリート・フェスティバルを開催することに対して常に警告が発せられている。東京都医師会の会長・尾崎治夫は、「オリンピックは、ウイルスのさまざまな変異体の世界的な広がりを引き起こす可能性がある」という。「東京はコロナの緊急事態下にある。週の初めの時点で、1 2600 万人のうち、予防接種を受けているのは 3.6% だけである (ドイツでは約 22%)。世論調査で日本人の過半数がオリンピックに反対していることを考えると、東京オリンピックは歴史上最も人気のないものになる可能性がある。そして、オリンピックの結果、日本がコロナの第5波を経験するリスクは大きい」と書く。

 

では、それは一体何のためか。記事は、「テレビとスポンサー契約である」という。IOC(国際オリンピック委員会)は、日本のビジネス、政治、メディアをネットワーク化する巨大な広告代理店である電通の顧客である。したがって、ポイントはビジネスにある。しかし、政府はそれを認めていない。菅義偉首相は、国際理解の重要性を再認識して「安全なイベント」にすることで、世界に希望と勇気を与えることができると信じている。だが、それは感染防止と両立しない。菅政権はオリンピックに向けてのコースを維持している。感染者数は当初ほど多くはない。ワクチン接種も進んでくると、新聞はスポーツについてより報道するようになる。日本では意見がすぐに変わる、と。

 なかなか鋭い観察である。私も参加した「どうか日本に来ないでください!」lという声明は、この新聞には残念ながら掲載されなかったが、上記の記事を読んだドイツのアスリートは、日本にくる気持ちになるだろうか。

 

同じく『南ドイツ新聞』61日付は、「自己のリスクでパンデミックゲーム」という厳しい表現で、アスリートが、コロナ感染による健康への損害に対するIOC責任を免除する条項に署名することを伝えている。アスリートは、「Covid-19やその他の感染症の伝染や、極端な暑さなどの健康上のリスクによる深刻な身体的障害や死亡」に対して責任を負う必要がある。それは、アスリートの健康よりもテレビの契約が重要だからと記事は書く。コロナと東京の夏の蒸し暑さ。オリンピックは、日本で最も暑く、最もスポーツに不向きな季節である 7月と 8月に開催される必要はない。IOCは、テレビの視聴率が向上することを約束するため、日付を強調している。2020年春に、専門家は、オリンピックを1年ではなく2年延期する方が賢明であると示唆していた。だが、テレビの契約がより強力なため、そのままになった。「パンデミックにもかかわらず、ほとんど予防接種を受けていない国で、世界中から数万人が参加するスポーツフェスティバルを開催するというのはあり得ない…」。

 

ヴュルツブルク大学で論文「連邦憲法裁判所の判決への予測の影響」で法学博士号を授与され、弁護士でもあるバッハ会長は、世界のアスリートを「危険・不安な五輪」に参加させた結果、コロナ「五輪株」の感染拡大が起きたとしたら、それにどのような責任をとるつもりなのだろうか。バッハ会長やIOC幹部の言動は、オリンピック憲章との関係で大いに問題がある。

 

コロナと猛暑下の開催強行は憲章違反?

オリンピック憲章(2020717日版)を改めて読んでみた。根本原則の第6項は、「このオリンピック憲章の定める権利および自由は人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治的またはその他の意見、国あるいは社会的な出身、財産、出自やその他の身分などの理由による、いかなる種類の差別も受けることなく、確実に享受されなければならない。」と定める。コロナ危機により、医療が十分でない国々で多くの人々が死んでいる。それらの国々におけるワクチン接種の割合は低い。そういう状況下では、代表選手を選ぶ機会をつくることさえ困難である。だとすれば、コロナの感染拡大が止まらない現段階では、第6項は実質的に守られないことになる。

憲章第2章 国際オリンピック委員会 (IOC)15「法的地位」では、「IOC は国際的な非政府の非営利団体である。」とある。WHO(世界保健機構)などの国際機関ではない。一介の「非政府組織・非営利団体」である。パンデミックのなかで、WHOが感染防止に努力しているときに、感染拡大に資するような巨大な「人流」を作り出す積極的作為を行うIOCは、WHOからすれば不届きものということになる。憲章第12IOCの使命と役割」の第10項では、「選手への医療と選手の健康に関する対策を促し支援する。」、第11項では「スポーツと選手を政治的または商業的に不適切に利用することに反対する。」とある。アスリートやホスト国の国民を感染力の強い変異株の感染リスクにさらす行為は、この第10項に反しないか。また、放映権を重視し、スポンサー企業の利益を最重視するような商業主義は、第11項の「スポーツや選手を…商業的に不適切に利用する」ことにつながらないか。パンデミック下の開催強行は、オリンピック精神とは相いれないといえよう。東京オリンピックを開催してはならない(直言「「幻の東京五輪」再び―フクシマ後9年、チェルノブイリ後34年の視点」)

 

任期満了日の衆院解散?

さて、69日の党首討論において、菅首相は「安心・安全のオリンピック開催」を繰り返した。ただ、そのなかで、ワクチン接種について「10月から11月にかけて必要な国民、希望する方すべてを終えたい」 (22分15秒あたりから)と明確に言い切ったことが気になった。高齢者を「7月末までに1100万」というのと、これはどんな関係があるのか。「10月から11月」という首相の言葉は、「政権メンツ」の観点から最重要なポイントである衆議院の解散・総選挙との関係で注目される。現職の衆議院議員の任期満了日は1021日である。公職選挙法311項によれば、任期満了による総選挙は、議員の任期が終る日の前30日以内に行うことになっている。任期満了選挙の投票日は926日から1017日までの日曜日のどこかである。では、任期満了当日、つまり1021日に衆議院を解散することは法的に可能か。「衆議院選挙の日程に関する質問主意書」(2009514) がこの点を問題にしたが、政府答弁書(同年522)は、任期満了日の解散を可能と解釈し、その場合、公職選挙法313項により、解散の日から40日以内に総選挙が行われるとして日程を明示した。今回の場合に応用すれば、投票日は最短で1114日、最大で1128日となる。ワクチン接種の見込みがついたという形で支持率を回復させて、総選挙で勝利するためには、投票日をギリギリまで後ろにもってくるというのは得策かもしれない。オリンピックの強行開催による第5波が起きようが、6月末のドタキャンという仰天のシナリオになろうが、いずれにしても、11月末まで引っ張れば「政権メンツ」は保たれるということだろう。こういうとんでもない人々が政権を握っている不幸を国民が自覚すれば、20211226日の政権9周年を迎えさせることはないだろう。


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