「パンデミック下の五輪」へ
「緊急事態宣言」が沖縄を除いて解除された。変異ウイルス「デルタ株」の感染拡大が懸念されるが、政府の対応は「五輪一直線」モードである。私は、コロナ禍での開催強行は、オリンピック憲章に反するのではないかと指摘したが(直言「「危険で不安な五輪」の開催強行」)、パンデミック下での五輪開催を礼賛する閣僚(官製談合防止法違反の疑いある人物)まであらわれ、「東京五輪は科学より、宗教的信念に近い言葉に支配されつつある」ようである(仏リベラシオン紙東京特派員「国民の不安も科学的な提言も無視―パンデミック五輪に猛進する日本を世界はこう見る」『ニューズウィーク日本版』6月17日 は秀逸のレポート)。
2月に自民党部会に出された要綱案
今回は、6月16日未明に参議院本会議で可決、成立した「土地建物調査・規制法」(メディアでは「土地利用規制法」)について書いておこう。
これは、2月中旬、自民党関連部会に提出され、了承された要綱案である。ピンクのマーカーで線を引いていると、冒頭の「目的」を見て驚いた。「安全保障の観点から…土地等の利用を規制する」とある。ちょうど3月29日に施行5年を迎えた安全保障関連法のことが頭にあって(共同通信配信の社説「説明なき拡大は許されぬ」)、これは安保関連法が市民の権利・自由に直接踏み込んでくる立法ではないかと直感で思った。安全保障関連法をめぐる関心は、「集団的自衛権行使の合憲化」や自衛隊の海外派遣形態に集まり、これが市民生活などに具体的にどのような影響を及ぼしていくのかについては必ずしも十分に理解されているわけではなかった。ついに財産権をはじめ、憲法上の権利を「安全保障」の観点からさまざまに制約する法案が登場したわけである。『北海道新聞』2月28日付(冒頭左の写真)は、私のコメントを交えて、次のようにそれを伝えている。4カ月前のものだが、この法律の基本的な問題点を早い段階で明らかにしている。
「…自民党国防族議員からは「いったん成立させれば、対象を広げるのは容易だ」との本音も漏れ、早稲田大学法学学術院の水島朝穂教授(憲法)は「戦前の要塞地帯法の再来とまでは言わないが、同じように拡大できる側面を持つ」と警鐘する。1900年(明治33年)に施行された要塞地帯法は、要塞を中心とした一定範囲の地域で立ち入りや写真撮影、建築物の増改築などに厳しく制限し、罰則も科した。度重なる改正で対象地域に指定される範囲も拡大。函館市史によると、要塞地帯に指定された函館山周辺では、何も知らずに記念撮影した市民や観光客の摘発が相次いだという。重要土地等調査法案でも、国が対象区域の土地・建物を不正に利用していると判断すれば、中止の勧告や命令を出し、従わなければ2年以下の懲役や200万円以下の罰金が科せられる。水島教授は「中国の動きは楽観できないが、安全保障を理由に過剰な規制の枠組みを作ることには、慎重な検討が必要だ」と指摘する。」
要塞地帯法とその運用
4カ月前、法案の要綱を見た際に私が想起したのは、明治の法律、要塞地帯法だった。これを記者に伝え、上記のような記事になった。コメントは「要塞地帯法の再来とまでは言わないが」とやや引いた表現になっているが、短期間に成立してしまったことを考えると、これは相当に危ない。明治の法律が現代に蘇るのか。
上記のリストは、『函館市史』にある要塞地帯法違反の事例である。1916年2月に桟橋から函館山を撮影して罰金10円(現在の約32000円)、カメラ没収に始まり、1929年7月には青函連絡船から要塞地帯を撮影した早大生が憲兵にカメラを没収されている。1939年4月には、函館駅前のラジオ塔を背景に児童数十人を撮影した会社員が要塞地帯法違反で処分されている。風景や人物を撮影しても、関係する施設物がその方向にあれば、写真に写っていなくても要塞地帯法違反を問われたわけである。戦前においては、家屋の新築や増築に対する規制よりも、ほとんどが写真の撮影に関連していた。
維新の会「国家安全保障上重要な土地等に係る取引等の規制等に関する法律案」
ちなみに、2015年11月26日に「日本維新の会」衆議院議員が議員立法(衆法)として提出した「国家安全保障上重要な土地等に係る取引等の規制等に関する法律案」、また、2020年11月27日に同党の参議院議員が議員立法(参法)として提出した同名の法案と重なるところがある。こちらは「国家安全保障」を前面に押し出して、その観点から徹底して土地等の取引等を監視・規制するものである。「第一種重要国土区域」として防衛施設と原子力施設を具体的に列挙しているのは、ストレートに本音を示したものといえるだろう。野党の「日本維新の会」は、6年前の安全保障関連法審議の際にも「独自案」を出して、「ゆ党」として与党の自民党を助けてきた「実績」があることが想起されよう。
今回の法律のポイント
ここで、今回の法律のポイントを簡単に書いておこう。
第1に、内閣総理大臣は、「重要施設」(防衛関係施設(自衛隊と米軍の基地等)、海保の施設、「国民生活関連施設」をいう)(2条)の「おおむね1000メートル」を「注視区域」に指定する(5条)。1000メートルは、改正要塞地帯法の「第1区」と同じである。内閣総理大臣は、この区域内において、土地・建物の利用状況についての調査を行い(6条)、地方自治体の長などに対して、当該区域内の土地・建物の「利用者その他の関係者」の情報(氏名、住所、政令で定めるもの)の提供を求めることができ(7条)、また、土地・建物の「利用者その他の関係者」に土地・建物の利用に関する報告や資料提出を求めることができる(8条)。報告や資料を提出しないときは30万円以下の罰金に処せられる(27条)。さらに、土地・建物の利用者が、その土地・建物を、「重要施設」の「機能阻害行為」の用に供する場合(おそれを含む)には、必要な措置をとるための勧告、さらにはそれを命ずることができる(9条)。命令に違反したときは、2年以下の懲役、200万円以下の罰金に処せられる(併科あり)(25条)。
第4に、この法律は、自衛隊や米軍の基地等とともに、「注視区域」に国境離島等を含めている。「特別注視区域」には、国境離島等の土地等のうち、特に重要性の高いものを「特定国境離島」とするが(12条)、自民党の部会に提出された概要には、「領海基線となる低潮線を有する無人国境離島」を例示している。尖閣諸島問題など、中国との関係悪化は10年前から進行していたが(直言「尖閣の切手とビデオ」 参照)、「仮想敵」をかなり明確にした法律の建て付けになっているといえよう。
立法事実は存在するのか
国会における審議を通じて、この法律の重大かつ深刻な問題点はかなり明らかになっていった。だが、首相をはじめ政府側の答弁は不誠実きわまるもので、十分な審議がなされないまま、国会の会期末 の当日未明に強行採決されてしまった。衆参合わせて審議時間はわずか26時間だった。
「注視区域」と「特別注視区域」――国土利用計画法の規制手法の真似?
規制対象区域に想定する国境離島が484カ所、防衛関係施設が650カ所あるとされるが、政府は、「注視区域」は四百数十カ所、「特別注視区域」は百数十カ所としている。何がそれにあたるのかは明らかにはされていないが、冒頭右の写真にある2月の要綱には、例として「司令部機能を有する自衛隊の駐屯地・基地等」とある。『しんぶん赤旗』5月27日付は内閣官房土地調査研究室の資料をスクープしている。それによれば、「注視区域」として、(1)部隊等の活動拠点(習志野、下関、立川等)、(2)部隊等の機能支援(大和、宇治、東北町等)、(3)装備品の研究開発(下北、目黒、相模原等)、(4)防衛関連の研究(土浦、富士、江田島等)が、「特別注視区域」として、(1)指揮中枢・司令部機能(市ヶ谷、朝霞、横須賀、横田等)、(2)警戒監視・情報機能(与那国、対馬、稚内等)、(3)防空機能(八雲、車力、霞ヶ浦等)、(4)離島に所在(奄美、宮古島、硫黄島等)が列挙されている。海保施設は174カ所で、第11管区海上保安本部(那覇)と石垣保安部が、「国境離島」として東京都八丈町、北硫黄島、臥蛇島等、「有人国境離島地域離島」として佐渡島、福江島、奄美大島、利尻島、壱岐島等が挙げられている。
この写真は、『東京新聞』4月25日に掲載された、「指揮中枢」の市ヶ谷を中心に周囲1キロのイメージ図である。この円内の区域に住む人が、たまたま相続で親の土地を売却することになったとしたら、名前や住所だけでなく、利用目的までいろいろと探られることになる。思想・信条や所属団体、交友関係、海外渡航歴など、「その他内閣府令で定める事項」が何であるか明らかにされていないから、今後、さまざまなことが調べられることを覚悟しなければならない。思想・良心や個人の表現行為に関連する情報も含め、広範な個人情報を取得することが可能となる。また、事前届出をしないで契約を締結すると処罰されるわけで、基地周辺に住む人々にとっては、このような負荷が新たにかかる分、「資産価値」が下がる可能がある。何よりも、土地の売買に関連して、国家機関が個人に関連するさまざまな情報を収集するという仕組みはこれまでなかったことで、「安全保障」を錦の御旗にしている分、際限なく広がっていく可能性がある。
国土利用計画法に、土地の投機的取引や地価の高騰が国民生活に及ぼす弊害を除去し、適正かつ合理的な土地利用の確保を図ることを目的として、「土地取引の規制に関する措置」が定められており、そこに、「事前届出制」である「注視区域」と「監視区域」の制度がある。これは目的が土地の投機的取引などであり、「安全保障」ではない。国土利用計画法の規制手法の安易で簡易な利用であり、「監視区域」という言葉をあえて避けて「特別注視区域」としたところにも、その狙いが透かし彫りになっているように思う。
「機能阻害行為」とは何か
とりわけ問題なのは、「機能阻害行為」という不確定要素が中心に座っていることだろう。土地や建物に関係する行為が、安全保障上重要な施設の「機能を阻害する行為」に該当するとは具体的にどういうことか。要塞地帯法は、「国防ノ為建設シタル諸般ノ防禦営造物」が見渡せるところに家を新築することを禁止していた。二階建てにすると、そこからみえるようになるということで、増築も改築も禁止行為である(改正法9条)。今回成立した法律も、土地建物の利用の仕方を問題にしているが、冒頭の写真にある概要には、例示として「電波妨害、ライフライン供給の阻害、施設への侵入等の準備行為」「施設機能に支障をきたす構造物の設置などを挙げるが、具体的な行為の態様などはすべて、閣議で決定される「基本方針」に丸投げされている。つまり、何が「機能阻害行為」なのかを明確にすることなく、それを処罰する規定が存在するわけで、構成要件の明確性(憲法31条)の観点からも重大な疑問がある。
調査にあたる機関のこと
「重要施設」周辺の土地家屋にかかわる関係者の調査は、どのような機関により行われるのか。関係行政機関の長や「その他の執行機関」に資料の提供などの協力を求めることができる(22条)。国会の審議を通じて、防衛省や警察、公安調査庁などが担うことが明らかになった(『東京新聞』6月16日)。収集した情報を内閣情報調査室などと共有する可能性についても、小此木大臣は「関係機関の協力を得ながら、必要な分析をすることはあり得る」とこれを認めた。記憶に新しいのは、陸上自衛隊情報保全隊である。ちょうど14年前の直言「情報の保全の保全の保全…」で書いたように、情報保全隊はイラク戦争に反対する市民の動向を克明に調査しており、集会やデモ、記者の取材活動まで事細かく調査して報告書にまとめていた。こうした機関が、この法律の成立によって活動の範囲を広げていくことだろう。
安倍政権以来、この国は「シュタージ(公安)国家」的傾向を強めている。それもこれも、官房長官時代からの菅義偉首相が公安を手足のように使う人事・統制手法をとってきたからである。今回の法律は、その方向を「躊躇なく」、「スピード感」をもって「加速していく」ことに貢献するだろう。
「普通の国」の「普通の軍隊」への道
8年前に成立した「特定秘密保護法」もそうだが、この種の法律ができても、直ちに目に見えるような「威力」を発揮するわけではない。だが、今回の「土地建物調査・規制法」は、安全保障関連法(「平和安全法制」)と連動しながら、あるいはこれを補充しながら、この国のなかで、軍事的合理性によって作動する領域を確実に広げていくだろう。憲法9条によって軍事力を普通に行使できる「普通の国」になれなかった(ならなかった)この国が、米国のようにそれを普通に使う国になるのか。市民が普通に土地を売買したり、家を建てたりすることが「安全保障の観点から」広範囲に捕捉される法律が制定された。しかも、この法律は具体的な事柄はすべて政令や内閣府令に委任されている。そんな「悪法」を短時間で作ってしまう国会(賛成した国会議員)をもつ国は、もはや「普通」の民主国家とはいえないのではないか。