コロナ緊急事態下の東京2020の「予測」――IOCバッハ会長の博士論文
2021年7月19日

 

「どうにもとまらない」

学に入学した1972年の夏、テレビをつけると流れてきた歌がある。山本リンダの「どうにもとまらない」(阿久悠作詩、都倉俊一作曲)。その年の第14回日本レコード大賞をとった。そういえば、2003320日、世界中で反対運動が起こっていたにもかかわらず、ブッシュ大統領とチェイニー副大統領、そして、先日亡くなったラムズフェルド国防長官のコンビはイラク戦争を始めてしまった。その時、この曲を思い出して、直言「自由と民主主義のための軍事介入?を書いた。そこでは、「軍は勢いなり、止められない対イラク作戦」という元・陸自北部方面総監の言葉を引用した。そういえば、「軍の勢い」があって、「どうにもとまらない」という形で真珠湾攻撃が始まってから、128日で80年になる。

そういえば、今週、723日、コロナ変異株の感染拡大がとまらないにもかかわらず、また、国民の多数が反対しているにもかかわらず、「東京2020の開会式が「無観客」(ただし、「関係者」は参加)で行われる。もう「どうにもとまらない」。

 

「消極的平和の祭典」――オリンピックと戦争の深い関係

「戦争とは、他の手段による政治の継続である」というクラウゼヴィッツ『戦争論』の定義を応用すれば、「オリンピックとは、他の手段による戦争の継続」という側面をもっている。「略奪的気質からなる無反省な競争性向が人の支配的な衝動であることを媒介として、戦争と五輪が結びつく」ことは歴史の教えるところである。「停戦」(truce)の思想は近代オリンピズムの一側面であり、武器で戦う戦争を中断して、礼儀正しい競技でお互いを讃えあう。1992年のバルセロナ五輪を前に、国連とIOCが合意して、199310月にオリンピック停戦(The Olympic Truce)が国連で初めて決議された(藤田明史「オリンピックは平和的か―オリンピックの暴力性の問題をめぐって参照)。オリンピックも戦争と同じで、メディア産業とスポンサー企業、それに「五輪貴族」という「軍の勢い」によって、その開催・実施は「どうにもとまらない」ということだろうか。

 オリンピックが「平和の祭典」ということについては、少し限定が必要だろう。平和学者のヨハン・ガルトゥングによれば、「平和」には二つの意味があって、戦争がない状態(「戦争の不在」(absence of war))は「消極的平和」(negative peace)といわれる。他方、飢餓や貧困、疾病、抑圧、差別などの「構造的暴力」(structural violence)からの解放を意味するのが「積極的平和」(positive peace)である。東京2020は、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大のなかでの「五輪」という意味でこれは間違いなく「積極的平和」ではない。「消極的平和の祭典」でしかない。

 サッカー選手で、バルセロナ五輪の米国代表メンバーにもなったパシフィック大学教授のジュールズ・ボイコフ『オリンピック 反対する側の論理』(作品社、2021)を読むと、もともとオリンピックがもっていた本質的な問題性が見えてくる。私はコロナがなくても、東京2020には反対だった。直言「「幻の東京五輪」再び―フクシマ後9年、チェルノブイリ後34年の視点」を参照されたい。また、直言「「復興五輪」の終わり方も参照のこと。この機会にボイコフ教授の本を読んで、東京2020がコロナ危機のもとで強行されれば、「オリンピックの終わりの始まり」になるという確信を強めた。

 

世論は開催反対

世論調査会社IPSOS713日、米国やフランスなど28カ国を対象にした、東京五輪についての世論調査結果を公表した。開催すべきかどうかとの質問に、「反対」と答えた人は57%で、賛成は43%だった。特に反対が強いのはドイツ63%、英国66%、カナダ68%などで、日本は78%である。開催国の国民の圧倒的多数が開催に否定的というのは、五輪史上初めてのことだろう。

 冒頭右の写真は、『南ドイツ新聞』79日付である。「歴史的なゼロ」という見出しで、コロナ緊急事態下の東京で、無観客で五輪が行なわれることを伝えている。「日本のオリンピック主催者とIOCは、すべてが「安全」であることを常に強調してきた。トーマス・バッハIOC会長は78日に東京に入り、中心部にある5つ星ホテルで3日間の隔離に入った。・・・」。他の五輪関係者と異なり、隔離期間はわずか3日である。『東京新聞』によれば、7月14日、菅義偉首相はバッハ会長と会談した。その際、バッハは、「コロナのリスクをわれわれが持ち込むことは絶対にない」と言い切ったという。首相は「政府としても万全の感染対策を講じて、安全安心の大会にしたい」と述べた。二人のやりとりは、「政治漫談」ではないのか。菅首相は「安全安心の大会」(「安全」と「安心」を安易につなげて語る誤りについては、直言「「安全・安心社会」の盲点(3・完)参照 )と、相も変わらず、同じフレーズを繰り返す一方で、バッハ会長は、「絶対にない」という言葉を、これまた安易に使ってしまった。「安全安心」と「リスク絶対になし」はともに信用度が乏しく、言葉が軽い(直言「「危険で不安な五輪」の開催強行参照)。

 

爵位のないバッハが求める「名誉」とは

IOCの歴代会長の多くは爵位(侯爵、伯爵、男爵)をもつ。米国のエイブリー・ブランデージ(第5代)とドイツのトーマス・バッハ(第9代)にはそれがない。だが、IOC会長の貴族のような処遇と特権のゆえに、バッハについては「ぼったくり男爵」という「愛称」がつけられている。開会式の1週間前に、「都道府県をまたいだ不要不急の移動」の自粛が要請されているなかで、わざわざ広島まで移動している。「平和の祭典」に貢献したとして「ノーベル平和賞」を狙う際、「ヒロシマ」訪問は不可欠と考えたのだろう。「バッハ氏が広島訪問にこだわるのは、実利的な狙いがあるからだ。」「狙いはノーベル賞でしょう。バッハ氏は日本国内の反応ではなく、国際政治的な目で物事を見ている」(『毎日新聞』7月17日付2面「平和アピール訪問「強行」」「政治利用 懸念の声」デジタル版)。

 なお、ブランデージ第5代会長は、「親ナチ男爵」とはいわれていなかったものの、1972年ミュンヘンオリンピックの際、パレスチナゲリラによる選手村襲撃で、イスラエルの選手・コーチ11人が殺害されたにもかかわらず、翌日午前に簡単な追悼集会をやっただけで、すべての競技の続行を指示した人物である。スティーヴン・スピルバーグ監督の映画『ミュンヘン』(2005) では、イスラエル首相が、「世界中が五輪の競技に興じ、聖火が燃えているが、ドイツにはユダヤ人の死体。世界は気にもとめない」と、五輪続行と無関心への怒りを表明して、パレスチナゲリラへの暗殺命令を出す場面が印象的だった(拙稿「緊急事態下の五輪―半世紀前のミュンヘン、そして東京」(『東京新聞』2021719日付夕刊文化欄)参照)

 

バッハ の博士論文(1983年)をめぐる事情

バッハ会長は私と同じ1953年生まれ。旧西ドイツのバイエルン州ヴュルツブルク出身で、少年時代からフェンシングをやり、各種の大会で賞をとってきた。1973年にヴュルツブルク大学に入学。法学部で法律・政治学を学び、1979年に第一次国家試験(法学部卒業試験)に合格して卒業した。1982年に第二次国家試験(司法試験)に合格して弁護士に。1983年、論文「連邦憲法裁判所の判例への予測の影響」(Der Einfluss von Prognosen auf die Rechtsprechung des Bundesverfassungsgerichts,1983) で法学博士号を取得している1984年に個人で弁護士事務所を開設し、弁護士活動を始めている。大学入学から10年で司法試験合格と法学博士号取得というのは、日本ではあまり見られない。そもそも日本では、法学博士号(1991年から「博士」(法学))の取得者は少ない。ちなみに、近年「法務博士」(JD)などと経歴に書いている議員がいるが、これは厳密な意味での学位ではなく、タイトル(Titel)としてはまったく無意味であるので削除した方がいい(直言「学位が売られる?」参照)。近年の学位をめぐる規制緩和をめぐっては、大学人として忸怩たる思いがある(直言「「学位」をめぐる規制緩和の「効果」)

 それはともかく、614日の直言「「危険で不安な五輪」の開催強行で、私は、「ヴュルツブルク大学で論文「連邦憲法裁判所の判例への予測の影響」で法学博士号を授与され、弁護士でもあるバッハ会長は、世界のアスリートを「危険・不安な五輪」に参加させた結果、コロナ「五輪株」の感染拡大が起きたとしたら、それにどのような責任をとるつもりなのだろうか。」と書いた。今回、この博士論文を調べようと思ったが、未公刊のため断念した。ただ、表紙は入手できた。それが冒頭左の写真である。『スポーツと政治』(Sport & Politics)誌のサイトの2016725日の「トーマス・バッハ―最も非政治的なドイツ人IOC会長の多様な生活事情」という皮肉たっぷりの論稿に掲載されている(すでに「最も非政治的」というタイトルが皮肉を含んでいる)。

  この論稿によれば、バッハの博士論文は実際には政治について扱っているという。論稿の筆者が、ブエノスアイレスでIOC会長に選出される直前のバッハに取材して、「博士論文では、法と政治の接点が重要だった」という言葉を引き出している。博士論文が完成する3年前まで、バッハは、西ドイツ・フェンシング連盟(DFB)のスポークスマンとして活動していた。1976年、モントリオール五輪のフェンシング団体で金メダルを獲得、1977年のブエノスアイレスでの世界選手権で優勝するなど華々しい活躍をしている。

 1980年のモスクワ五輪のボイコットをめぐる政治にもバッハはしっかり関わっている。ドイツは西側諸国と歩調を合わせてモスクワ五輪のボイコットを決めたが、バッハはこれに反対した。これがバッハのトラウマとなり、彼は自らのスポーツ政治を目指すことを決断したとされる(Die Welt:Sport) 1981年にIOCに新設されたアスリート委員会の委員となり、1982年に西ドイツオリンピック委員会委員にも就任している。その間に司法試験の準備をして、同時に博士論文を執筆していたことになる。これは驚異である。一体、モスクワ五輪ボイコット問題という「政治」に直接関わっていたバッハが、連邦憲法裁判所の判例の分析という憲法学の研究をどのようにやっていたのだろうか。この写真はボイコットを決めたドイツオリンピック委員会に臨む27歳のバッハだが 、すでにスポーツ政治家の風貌である。

博論指導教授(Doktorvater)はゲオルク・ブルンナー教授(憲法、東欧法)で、ハンガリー生まれ、ソ連・東欧法が専門である。198377日にバッハに対する口頭試問が行なわれ、2週間後の722日に学位が授与されている。25年にわたり博士論文指導・審査をやってきた私の個人的経験からすると、論文提出から口頭試問、学位授与までの時間があまりにも短すぎるというのが率直な感想である。五輪金メダリストの博士学位に何らかの配慮が働いたとまでいうつもりはないが、一般に「有名人」の入学から学位認定に至るまでハードルが下がる傾向にあることについては否定しないでおこう。なお、ブルンナー教授は200210月に66歳で死去している

 憲法学の分野でバッハの博士論文が引用されているかを少し調べてみたところ、Julian Staben, Der Abschreckungseffekt auf die Grundrechtsausübung: Strukturen eines verfassungsrechtlichen Arguments, Mohr Siebeck 2016の第3章「議論の方法論的・経験的構成」のところで9箇所引用されている(116頁注507から120頁の注537まで)。特に120頁では、本文でバッハの博士論文について言及され、予測と立法者の裁量の関係が論じられている。

前掲『スポーツと政治』の論稿がバッハの博士論文に注目するのは、モスクワ五輪のトラウマから引き出される政治との関係である。「この論文は、この道へのパズルの一部である」と。この論稿によれば、バッハの博士論文は、「予測」が物事の進路をどのように決定できるかという問題に取り組んでいる。連邦憲法裁判所の判例なのか、それとも政治の決定なのか。この初期の論文のなかに、バッハのその後の30年のスポーツ政治家、ビジネスロビイストなどの仕事のパターンとストーリーを見て取ることができるという。バッハは、「決定のための予測制御の合理性」について説明している。この博士論文は、専門用語を駆使して、一連の引用と一般的なフレーズで書かれているが、著者の経歴を知っているものには、非常に個人的な感触を与えるという。バッハは論文のなかで、フランスの政治哲学者ベルトラン・ド・ジュヴネル(『純粋政治理論』)を広く引用している。「政治的決定は、世界の将来の状態に影響を与える試みである。そのような試みは、決定がどのような結果をもたらすことになるのかを事前に計算することを伴う。したがって、いずれ生じるであろう事実や偶然を考慮に入れる」と。そしてバッハは付け加える。「政治的論争は通常、将来の正しい評価をめぐって行われる。この論争を乗り越え、現代の政治の要求を満たすためには、広範な政治的先見性が必要である。政治家は、不測の事態という考えを持つと同時に、予期せぬ事態に備える必要がある。〔不測の事態の〕必然性は、常に新しい計画や政治プログラムを作成し、それらを継続的に更新することによって克服されるべきである。ただし、将来の計画には、将来の発展に関する知識も必要である」。 合理性、常に新しい計画と政治プログラム、絶え間ない更新。30年後、これらがIOC会長としてのバッハの宣言につながっていくというのである。

 

政治家たちの博士論文

  私はこの博士論文を読んでいないので隔靴掻痒の感もするが、そこにおける「予測」概念を、この論稿のように、バッハのその後の行動指針などに広げて解釈することについては何ともいえない。私にはむしろ、もっと初歩的なこと、すなわち、IOC関係の委員などの活動をやりながら、憲法裁判所の判例分析などをやって、決して大分ではない(211)とはいえ、博士論文を書き上げることがよくできたなぁという驚きである。好きな言葉ではないが、「文武両道」の天才なのかもしれない。そうである可能性は否定しないが、もし、バッハの博士論文が、現在のようにインターネットが発達した時代に書かれていたとしたら、ドイツの政治家たちと同様のリスクにさらされていたことは確実である。剽窃検知ソフトが発達して、10年前、国防大臣は博士論文の剽窃で辞任した(直言「コピペ時代の博士号参照)。政治家をやりながら、憲法と条約をめぐる米国やEU諸国の憲法上の問題を475頁の大分の博士論文にまとめるのは超人的と思われていただけに、結論はシンプルだった。その後も政治家の辞任は続く(直言「政治家の剽窃―ドイツでも政治不信が深刻参照)。博士号をもつ政治家が少ない日本の場合、こんな「高級な」心配は無用だろうが。

   というわけで、今回は、IOC会長の38年前の博士論文にこだわってみた。そこで使われた連邦憲法裁判所判例への「予測」の影響というテーマが、立法者の予測に対する事後的是正義務などの学問的問題とは別に、かなり生々しい「オリンピック政治」をめぐる「予測」の問題を背後にもっていたことは何とも興味深い。

  では、バッハ会長の、「コロナのリスクをわれわれが持ち込むことは絶対にない」という「予測」はどうなるだろうか 。先週来日した五輪選手のコロナ陽性が確認されたにもかかわらず、組織委員会は国名などを伏せている。宿泊先ホテルから失踪した選手もいる。開会式は4日後の723日である。

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