テレビは「五輪夢中」
オリンピックが始まってしまい、予想通り、メディア、特にテレビ、とりわけNHKの豹変ぶりが著しい。世の中がコロナと政治の迷走で「五里霧中」のなか、まさに「五輪夢中」になっている。 日本のメダルラッシュは、コロナ禍と猛暑という悪条件のもと、開催国の利点(長距離移動なし、生活環境の変化なし等々)を活かし、他国の選手がベストコンディションとはいえない状況のなかでもたらされたものであり、アンフェアな果実であって、手放しで喜ぶことはできない。猛暑やひどい競技環境(特にトライアスロン)のもとで五輪開催を強行した国際オリンピック委員会(IOC)と日本政府の責任がさまざまに問われてくるだろう。
「8.28」の1周年
まもなく「8.28」の1周年となる。もうお忘れだろうか。安倍晋三首相(当時)が、コロナ対応に行き詰まり、記者会見を長期にわたって行わず、二度目の政権投げ出しという挙に出た日である。直言「「政治的仮病」とフェイント政治―内閣法9条」で詳しく論じた通りである。首相の病気辞任ならば、医師団の記者会見があってしかるべきだが、それはなされなかった(できなかった)。石橋湛山首相や池田勇人首相とは大違いである。
なお、安倍晋三後援会が「桜を見る会」の前日に開いた夕食会の費用を政治資金収支報告書に記載していなかった事件で、安倍を不起訴とした東京地検特捜部の処分の一部について、東京第一検察審査会が7月15日に「不起訴不当」の議決をしていたことが30日に公表された(『朝日新聞』7月31日付)。この問題で安倍は国会で118回も虚偽答弁をしている。これを機会に国民は「もっと怒りを! 」、政治に「もっと光を! 」、である。11月28日までにその結論は出る。
安倍・菅政権が「言葉の貧困」をもたらした
来月、「9.16」は菅義偉内閣発足の1周年である。菅政権はメディアによって「作られた」といっていいだろう(直言「メディアがつくる「菅義偉内閣」―「政治的仮病」の効果」)。安倍・菅政権に共通することとして、憲法蔑視、国会無視、国民軽視に加えて、「言葉の貧困」がある。これには、まず、言葉そのものの欠乏で、言葉がまともに使われないという意味がある。何よりもそれは、まともに答弁しないという安倍・菅の姿勢に表現される。これについては、「ご飯論法」(上西充子法政大教授) に見られる、言い逃れや言い抜け、言い繕いの手法がよく知られている。
昨年の唐突な政権移譲によって、「言葉の貧困」は、「アベノコトバ」から「菅語(ガースー語)」へと変異した。菅は官房長官時代、「問題ない」「ご指摘はあたらない」「全く問題ない」という「木で鼻をくくる」という表現がぴったりするような態度をとり続けたが、さすがに首相になるとそうはいかない。政府のトップである以上、その言葉は政府を代表するとともに、外国から見れば、日本国の見解として受け取られる。だから、「全く問題ない」と突き放しておしまいではすまなくなった。首相になった瞬間から、菅という人物の本質が常に問われることになり、おそらく本人がこれに一番戸惑ったことであろう。
菅首相、ぶらさがりは大失敗ではないでしょうか
「ぶらさがり」という、記者に取り囲まれて行われる「イレギュラーの記者会見」で悲劇は起こった。「令和の2.26事件」と称されている。菅の場合、広報官の助け船なしに記者会見をすることができず、「ぶらさがり」でも広報官が記者を抑えて何とか乗り切ってきた。だが、今年2月26日、山田真貴子広報官が接待疑惑で辞任するため姿を隠しているなか、「丸腰」で記者に取り囲まれた菅は、この写真のように、「今日こうして、「ぶら下がり」会見やってるんじゃないでしょうか。」「必要なことには答えてるんじゃないでしょうか。」とまったく余裕のない態度をみせてしまった。「じゃないでしょうか」という言葉を13回も使ったと、「文春オンライン」は伝えている。安倍とは違った菅流として、「~じゃないでしょうか」という「不思議な口癖」がある。「いら立ちを抑えながら反論する場合に用いられる言い回し」として、菅の「言葉の貧困」の特徴として挙げることができよう。
なお、7月30日の「緊急事態宣言」拡大に関する記者会見が官邸1階の記者会見室で開かれた。内閣広報官が仕切る安心感からか、菅首相は1時間あまりの会見中、「~じゃないでしょうか」を一度も使わなかった。
ちなみに、「事実ではないでしょうか」「~も事実です」という「事実」という言葉もよく使う。立法事実もないのに「菅事実」がすべてにされている。
「させていただく」症候群から「じゃないでしょうか」症候群へ
20年ほど前から、コンビニやファストフード店などを中心に、「~でよろしかったでしょうか?」という言い方を耳にするようになった。私はこれが嫌いで、直言「雑談(28)以上でよろしかったでしょうか?」を書いて皮肉った。2009年の政権交代後、鳩山由紀夫首相がやたらと、「させていただく」という表現を使ったのが気になって、直言「「させていただく」症候群」を出した。これは、少し丁寧に言い過ぎているきらいはあるが、質問に答えないというようなものではなかった。これと比べると、「~じゃないでしょうか」は、政治家としての自らの決意や責任を棚上げして、常に結論を曖昧にしておく、不誠実な言語表現じゃないでしょうか。
(文中一部敬称略)