パラリンピックは中止すべきである――この国に「総理」大臣はいるのか
2021年8月23日
パラリンピックをやってはならない
明日はパラリンピックの開会式である。第5波の感染爆発が起きているなかで、世界中から、身体に障がいをもつ選手(障がいの種類・程度により参加条件に制限あり)と関係者1万6000人を集めて、オリンピック同様、「人と人との接触」の巨大な機会がつくられようとしている。
この写真は、「搬送困難」で画像検索をかけた際のスクリーンショットである。仰天の映像の数々がある。8月9日から15日までの間に都内で救急搬送ができなかったのは1414件に達し、病院が決まるまで5時間以上かかったケースが121件もあったという(TBSニュース8月20日)。救急・救命・救難・救助・救出・救護・救援をテーマとするドラマや映画が広く人気を得るのは、実際の医療や救急・救難の現場に対する信頼があるからだろう。だが、この夏のわずかな期間に、この信頼が失われてきた。「自宅療養」の名による公助の撤退。8月17日には、都内で、親子3人が感染し、「自宅療養」となり、母親が死亡するという悲劇も起きている。千葉県では同日、「自宅療養」中の妊婦が入院できず、早産した赤ちゃんが死亡するという悲惨なケースも出てしまった。東京都の場合、感染者の入院率は9.5%という「極めて低い水準」(都モニタリング会議)になっている(『朝日新聞』8月21日付1面トップ)。尾身茂が昨年5月頃まで「感染爆発・医療逼迫」の意味で使い、その後ピタリと使用をやめた、金融証券用語の「オーバーシュート」 の状態にすでになっているのではないか。
「一斉休講要請」時の感染者は210人
新型コロナの「デルタ株」「ラムダ株」への置き換わりが進み、子どもから親に感染が広がる家庭内感染も増えている。小池百合子都知事は、パラリンピックの「学校連携観戦プログラム」について、都教育委員会の5人中4人の委員が反対したにもかかわらず、「報告事項ですから」と冷たく無視して、これを強行しようとしている。新学期を前に、感染爆発のなかでの大量移動と大量集合。「学校連携感染」にならない保証はない。まさに教育委員会の最重要の審議事項ではないのか。安倍・菅的統治手法と親和的な小池的手法の本質をみた思いがする。
昨年2月27日、当時首相だった安倍晋三が全国一斉休校「要請」を行ったことは記憶に新しい。その当日の全国の感染者数は210人、東京都は1人だった。現在、全国の感染者は1日で2万5000人を超えている(東京都は5000人超)。「一斉休校要請」時の100倍の感染爆発である。この状態でパラリンピックの開催強行は許されない(オリンピックの開催については、直言「五輪史上の「汚点」―ミュンヘン1972と東京2020」参照)。
この国の首相は、いま・・・
菅首相は「安全で安心なパラリンピックの開催」を繰り返すだけで、もともとの言葉の貧困さがよけい際立っている。首相動静欄をチェックしても、コロナの感染爆発に全力を挙げるような動き方をしているようには見えない。まずやるべきは、オリンピック後の感染爆発を踏まえ、パラリンピックの中止を決断することだった。「どうにもとまらない」状態でオリンピックに突入し、「メダルラッシュが始まれば、世論は変わる」と楽観していたが、終わってみれば、このありさまである。「どうにもとまらない」状態で真珠湾攻撃を始め、悲惨な結果となった「戦争責任」との対比でいえば、コロナ危機のもとで五輪を強行開催して、たくさんの「救える命」を救えない状態を創出したのは「五輪責任」ということになる。
五輪開催による「人流」と「接触」の拡大こそ、いまの感染爆発に連動していることは明らかだろう。無観客でも、五輪という「最大イベント」を実施してしまったことが、人々の心の「ゆるみ」につながったことは容易に推測できる。明日から始まるパラリンピックは無観客だが、「学校連携観戦」で子どもたちと引率の教師(ワクチン接種が不十分)を参加させて、秋からの学級閉鎖や学校クラスターを生じさせ、医療崩壊を後押しするのか。「総理」大臣だったら、あらゆる事情を総合的に判断して、体面もメンツも捨てて、命と健康のために政治決断すべきである。「ここまできて中止はありえない」というセリフで、戦争を含む、どれだけの国家的誤りが繰り返されてきたことか。だが、菅首相にそれを期待することはできない。この国に、いま、総合的観点から決断できる「総理」大臣がいない不幸を思う。
2001年に、省庁のタテ割りをなくすとして行われた省庁再編だが、結局、安倍・菅政権の8年間で、歪んだ「官邸主導(手動)」によって、総合的な調整機能が果たされず、責任の押しつけと、政策の迷走が生まれている。例えば、ワクチン担当大臣を、内閣府特命担当大臣(規制改革担当)たる河野太郎にまかせたことから、ワクチン接種の迷走が始まったといってよいだろう。この「ワクチン太郎」の「俺が、俺が」言動が、ワクチン供給から分配、実施方法等に至るまでの混迷と迷走の要因となっている(「ワクチン調整「まず俺に」」朝日新聞デジタル8月20日)。菅首相の任命責任を問いたい。なお、豪雨災害や地震・台風に対応できない国土交通大臣もミゼラブルである。
「感染拡大を最優先」と言い間違えた首相
ところで、菅首相のお粗末さは政権運営能力や危機管理能力の欠如にとどまらない。政治家としての初歩の初歩である、まともな言葉を発することができないという致命的な弱点を持っている(直言「「~じゃないでしょうか」症候群―「トップの言葉」の貧困史」参照)。身振り手振りのオーバーアクション、冗漫で冗長な饒舌的しゃべり、「空気を吐くように」嘘を垂れ流した安倍晋三と比べれば、菅首相は表情にとぼしく、ワンパターンでモノトーンの語り口、最近は読み間違いが目立ってきた。例えば、8月6日の広島平和式典での挨拶では、広島を「ひろまし」、原爆を「ゲンパツ」と言い間違えただけではなく、この日、この場所にかかわる最も重要な一文を読みとばしてしまった。9日の長崎の式典では、「無事に」挨拶を読み終えたこと自体がニュースになるという情けなさだった。
「緊急事態宣言」の対象拡大と延長について、8月17日の記者会見で説明したが、これもお粗末だった。解散・総選挙についての産経記者のゆるい質問に対して、余裕があったにもかかわらず、「いずれにしろ、感染拡大を最優先にしながらそこについては考えていきたい」とやってしまったのである。動画にはっきり残っている。19日に加藤勝信官房長官が、官邸ホームページの文章だけは「感染拡大の防止を最優先」に修正したことを記者会見で公表したが、「タリバンの首都カブール」はそのままなので、官邸ホームページでご確認ください。
東京2020は誰のため、何のため…
直言「「危険で不安な五輪」の開催強行」では、コロナ危機のもとでの開催強行が、五輪憲章の理念に反することを指摘した。開会式の4日前、『東京新聞』7月19日付夕刊でも、「ミュンヘン五輪」と絡めて、「緊急事態宣言」下の五輪開催が、五輪憲章の理念に反する、「五輪史上最大の悲劇」の再来とならない保証はないと書いた。いまの日本に起きている事態は、開催の結果、開催国に医療崩壊と「自宅療養死」などの悲劇をもたらすもので、IOCのバッハ会長の責任も厳しく問われなければならない。
東京2020は決して「アスリート・ファースト」ではなかった。コロナと猛暑と豪雨など、最悪の環境のもとで競技させたわけで、自らの力を発揮できなかった選手、猛暑のため体調を崩して途中棄権したマラソン選手など、この期間に開催を強行しなければ別の結果になっていた選手もいたに違いない。日本の金メダル27個には「奇禍」のもとでの「奇貨」も含まれているのではないか。
明日からのパラリンピックも、断じて「アスリート・ファースト」ではない。基礎疾患をもつ選手も多く、コロナの感染リスクだけでなく、猛暑の影響も懸念される。東京の医療体制が崩壊しているなか、選手の医療に医師120人程度、看護師150人程度が想定されているという。8月19日の参議院内閣委員会で田村智子議員(共産党)がこの点を追及したが、丸川珠代五輪担当大臣からはまともな答弁はなかった。田村議員は、感染爆発のもと医師・看護師の確保が困難を極めるなかで、「これだけいたら、どれだけの命が救えるか」と述べ、パラリンピックの中止を迫まった(動画参照)。
パラリンピック開会式に参加するため、トーマス・バッハIOC会長が、隔離なしの特権を行使して再来日する。冒頭左の写真は、『南ドイツ新聞』2021年8月9日付論壇欄トップのイラストである。表彰台で金メダルは、バッハ会長らしき人物と利権。銀メダルは米国NBCなどのテレビ局の利権、そして銅メダルは人種差別反対を掲げるアスリートである。IOCを支配し、ドイツでも何かと批判の多いバッハ。五輪で金メダルをとり、IOCの活動をしながら法学博士号をとるスーパーマンにみえるが、本質は五輪利権政治屋にほかならない。その博士論文もクエスチョンが付くが、詳しくは、直言「コロナ緊急事態下の東京2020の「予測」――IOCバッハ会長の博士論文」を参照されたい。
そのバッハに忖度・迎合して、オリ・パラを自らのレガシーにしようとしたのは安倍晋三である。菅首相は何の理念もポリシーもなく、自らの政権維持のための手段としてこれを引き継ぎ、利用したにすぎない。この国には、残念ながら、内閣「総理」大臣はいない。
《文中敬称略》