メディアを使った事前運動ではないか――総裁選から総選挙へ
2021年9月13日

 コロナと台風災害のなかの2度目の総裁選

ロナ禍の2度目の自民党総裁選である。政党の党首選びであって、憲法や公選法に基づくものではない。自民党党則6条および総裁公選規程による。だが、自民党長期政権の惰性が生み出したマスコミ用語、「総理総裁」が人々の間に定着してしまい、一政党の党首選びを、一国の首相を決める選挙と同じように考える傾向が強い。だから、各局のニュースでも、街頭インタビューをやって、「どの候補が首相にふさわしいか」なんて聞いている。勘違いも甚だしい。毎度のことだが、この選挙に参加できるのは自民党員・党友113万人のみ。これは有権者1658万人1%にすぎない。コロナの感染拡大で医療が危機的状況にあり、患者の命を守るために全力をあげるべきときに、現職のワクチン大臣までもが支持拡大のために奔走する。かくして、大災害の真っ只中で、中央政治は事実上ストップする。

 1年前を思い出していただきたい。昨年828日、コロナの感染拡大が進み、超大型の台風10号が沖縄・九州に迫るなか、安倍晋三は「政治的仮病」を使って政権を投げ出し 中央政治は総裁選一色になった。コロナや台風災害に国民が苦しんでいるときに、唐突に総裁選が始まった。共同通信世論調査(2020829/30)では、次期首相に「誰がふさわしいか」という設問に対して、石破茂34.3%で、菅義偉は14.3%にすぎなかった。だが、10日後の共同調査では、菅が50.2%と3.5倍に跳ね上がった(詳しくは、直言「メディアがつくる「菅義偉内閣」――「政治的仮病」の効果)。「叩き上げ政治家」「パンケーキが好き」など、メディアによる反復継続した刷り込みが、アナウンス効果を発揮したのだろう。916日に発足した菅義偉内閣の支持率は、『日本経済新聞』917日付によれば74%に達した。これが、コロナ禍で1回目の自民党総裁選の効果であった。

   とはいえ、もともと官房長官としては凄味を発揮できた菅も、すべてをさらされ、明確な言葉を求められる首相となって、明らかに自己の不向きを感じるような、戸惑いの言葉と表情が目立つようになった(直言「「~じゃないでしょうか」症候群――「トップの言葉」の貧困史参照)。お得意の人事権と「シュタージ」的手法を駆使した官僚操縦には、首相となってからは少しずつ綻びが見えてきた。日本学術会議会員の任命拒否事件における無様な国会答弁あたりから支持率が下がり始め、緊急事態宣言の「逐次投入」の愚、「安全・安心の五輪」開催強行による感染爆発の結果、地元の横浜市長選挙で惨敗。支持率は20%台に落ちた。政権発足からわずか11カ月のことである。

 

党利党略、個利個略、菅利菅略・・・

そして、去る831日夜、菅首相が「9月中旬に解散に踏み切る」という情報が永田町を駆けめぐった。自民党内は一斉に反発。安倍晋三が菅に電話して、「解散して総裁選を先送りしたら、選挙でぺんぺん草も生えなくなる」と説得したという(『週刊文春』916日号)。菅は、翌91日には「総裁選前には解散しない」といわざるを得なくなり、3日午前の役員会で、「次期総裁選には出馬しない」と表明するに至った。明かりが見え始めていると発言して国民の批判を受けた菅自身、「明かり」を見失ったようである。

 ところで、解散を口にして自沈した首相には既視感がある。1991年の海部俊樹首相である。こだわりの政治改革法案が廃案となって「重大な決意で臨む」といってしまったのである。永田町で首相が「重大な決意」という時は衆議院の解散を意味する。当時は中選挙区制で、自民党の派閥が強い影響力をもっていた。弱小派閥出身の海部は動揺して、辞職に追い込まれた。菅も「総裁選前の解散」を口にしたため、菅を支えていた党内力学が一気に変わった。菅は93日のぶらさがりで、「新型コロナ対策に専任(文章では「専念」になっている)したい」ので総裁選に出馬しないという、わけのわからないことを述べた(官邸ホームページをよく聞いてください)。このぶらさがり記者会見では、コロナ対策に「せんにん」と3回もいっているので、単なる言い間違いではないだろう(817日の「感染拡大を最優先」に続くもの)。コロナ対策の担当大臣、つまり「専任」は西村康稔である。この国には、各省庁を指揮監督して(憲法72)総合的に調整する機能をもつ「総理」大臣が存在しないようである

 加えて、菅の場合、驚くべきことは、8中旬からのアフガニスタン情勢の緊迫のなか、日本のさまざまな機関に協力したアフガニスタンの人々をいかにして救出するかというミッションに、まったく関心を寄せなかったことである。自衛隊機を派遣しながら、500人近い関係者を乗せて帰国することができなかった(この派遣には、「日米防衛協力の指針」V A-5(グローバルな非戦闘員退避活動)による米国の要請にこたえるという別の狙いもあった)。空港周辺でのテロなど、さまざまな困難が重なったとはいえ、一つだけはっきりしていることは、菅首相が官邸の危機管理センターに入って指揮をとる気配すらなかったことである。これまで何度も「危機における指導者の言葉と所作について書いてきたが、トップの態度一つで、省庁間の協力に勢いが生まれ、アイデアも出てくる。首相が816日から数日のうちにアフガン対応を指示していたら、少しは流れが変わったかもしれない。不幸なことに、菅首相は、総裁選の党利党略に加えて、自らの「菅利菅略」で頭がいっぱいだったようである。815日から17日にかけてのアフガニスタン情勢の急展開のなかで、与党から「現地職員は退避させなくていいのか」との意見が相次いだが、菅首相は「ほとんど関心がなかった」(政府関係者)ということである(『中日新聞』829日付)

 

26人の首相たちの総裁選

私の人生で内閣総理大臣(首相)を最初に意識したのは岸信介だった。それ以降今日まで、26人の首相をみてきた。安倍が第1次政権をわずか1年で投げ出したあと、毎年9月に政権が変わっていく。9月は「台風と総裁選の月」になったかのようだった。安倍の後任の福田康夫首相が在任1年で突然辞任したあとの総裁選の風景はこうだった。

 「・・・福田康夫、麻生太郎と1年おきに首相が変わっていく過程で、直言「報道とともに去りぬメディアと政治を出した。メディアの手法は特定の政治家に焦点をあて、20089月は「国民的人気の麻生太郎」という形で集中的にとりあげていたが、年末には支持率も低迷し、20097月には、「国民的人気の東国原知事」という形で、宮崎県知事をやっていたタレント政治家が自民党総裁候補としてメディアの注目を浴びるようになった。こんなことは、もう誰も覚えていないだろう。それでも、政権に変動がおきる夏には、メディアは特定の政治家に焦点をあて、短期間にその人物を国の政治の頂点に押し上げてしまう。これがメディアの病理と生理である。・・・」(前掲直言「メディアがつくる菅義偉内閣」より)

 

総裁選を総選挙の事前運動に

端的にいって、今回の自民党総裁選は、総選挙(比例代表の部分)の事実上の事前運動として機能しているのではないか。自民党の主張や政策を、メディアは総裁候補を通じて毎日、集中的に伝える。そして、選挙運動期間わずか12日間の総選挙が始まるのである。自民党の主張や政策の情報量と国民の認知度は、野党に比べれば圧倒的なものになっている。

  かつて自民党総裁選は両院議員総会での選出が中心で、無投票の場合もあり、また副総裁の裁定(「椎名裁定」による三木武夫、「西村裁定」による鈴木善幸)もあった。だが、2001年の総裁選で地方票である都道府県連の持ち票が1から3に増えると、総裁選の街頭演説が行われるようになる。これにメディアが飛びついた。小泉純一郎の「自民党をぶっ壊す」という演説は記憶に新しい。このあたりから、自民党総裁選にメディアは強い関心を向けるようになった。

 これまで、総選挙前、半年以内に総裁選が行われたことは、1955年の保守合同(自民党発足)以来3回ある。第29回総選挙(19601120日投票)-総裁選(同年714日、池田勇人)、第31回総選挙(1967129)-総裁選(1966121日、佐藤栄作)、第43回総選挙(2003119)-総裁選(同年920日、小泉純一郎)である。前2回において、総裁選と総選挙の近接関係は、選挙結果に直接の影響を及ぼしていない。第43回総選挙でも、自民党は議席を減らし、民主党が躍進している。その後、総選挙の前に総裁選が行われることはなかった。今回、任期満了で総選挙が確実という状況下での初めての総裁選である (任期満了日の解散・総選挙の可能性については、直言「任期満了日の解散をにらんで」の末尾参照)。菅首相が「総選挙前の総裁選」を口にして1日でつぶされたのも、菅首相の「顔」(支持率20%台)で総選挙をすれば、自民党大敗(菅首相の神奈川2区での落選)がほぼ確実視されていたからだろう。

 そこで、総選挙前の総裁選をやることによって、「菅カラー」を一掃して、「リフレッシュした自民党のフレッシュな総裁」のもとで総選挙をたたかうという奇策が打ち出されたわけである。これにメディアは無批判に乗っている。つまり、公職選挙法129条で禁止されている事前運動が、メディアを使って大規模に展開されているわけである。小さな違反は公職選挙法2521項で摘発されるが、政府・与党がメディアを使って大規模にやる選挙違反は摘発しようがない。主要ニュース番組に総裁選候補者が出演して、長時間質問に答える。総選挙の選挙運動期間は12日間しかない。総選挙の直前の総裁選を使えば、一方的に自民党の主張を国民に浸透させることのできる、大規模かつ組織的な事前運動として機能していると指摘する所以である。

 野党が憲法53条後段に基づいて召集を求めている臨時国会を、自民党は一貫して拒否し続けている。なぜか。コロナ対策でも、政治家のスキャンダルでも、アフガン退避の失敗でも、国会を開けば、予算委員会での追及により、菅首相は立ち往生するだろう。ワクチン接種をめぐる不都合な真実が明らかになって、ワクチン大臣も苦しい答弁を強いられるだろう。だから、国会を開かない、開けない、開きたくない。それを「臨時国会の召集は見送る」などと居直る。憲法的にいえば、「見送る」などということは許されない。「いづれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。」からである(直言「臨時会召集義務53条違反を問う判決…」)。憲法53条違反の状態を続けながら、総裁選という究極の論点ずらしをやって、責任追及から逃げる。議院内閣制では、内閣の存立は議会(国会)に依存する。それを説明するのに、均衡本質説と責任本質説とに分岐してさまざまな議論があるが、この8年の現実を見ていると、現実があまりにひどいので虚しさすら感ずる。橋本行革あたりから始まった内閣の機能強化は、安倍・菅政権の8年で完全に歪み、デイヴィッド・ランシマン『民主主義の壊れ方』(白水社、2020)にひっかけていえば、「議院内閣制の壊れ方」を論じなければならないところまできている。

 

日本のルペンかヴァイデルか

冒頭右の写真を掲げた 『南ドイツ新聞』97日付は、高市早苗が「日本初の女性首相」になりうるという予測をしている。つい1カ月前なら「冗談でしょ」といいたくなる人物である。キャプションには、「かつて髪の毛はピンクだった」とある。記事には、高市がヘビーメタルバンドのドラムを担当し、髪の毛をピンクに染めて、バイクを乗り回していたことも紹介されている。高市が首相になるかもしれないということは、ヨーロッパの感覚では、フランスの大統領選挙で極右政党「国民連合(RN)(旧「国民戦線」(FN)) マリーヌ・ルペン(Marine Le Pen)が、ドイツの総選挙では極右「ドイツのための選択肢」(AfD) の首相候補、アリス・ヴァイデル(Alice Weidel)が優勢であると伝えられるようなものである。とはいえ、高市の場合、閣僚段階では当時の安倍首相のガードでクリアした「身体検査」も、総裁選ではどうだろうか。「政治は、一寸先は闇」といわれる。これからどんな「個人情報」が飛び出すか見物である。高市早苗著『30歳のバースディ』(大和出版、1992)が話題である。『週刊ポスト』91 参照のこと。

 

  自民党総裁選の候補者のなかに、 安倍・菅的統治手法と一線を画することのできる候補者はいない。極右の高市は論外としても、ワクチン太郎も危ない。官僚の扱いがひどすぎる。自分を「ウルトラマン太郎」としてツイートしたこの写真を見ても、河野の自己中心的で独善的な政権運営が予測されるツイッターを駆使して豊かなコミュニケーションをはかるというよりは、批判されるとすぐに「誹謗中傷」といってブロックする。外相時代の記者会見で、「はい、次」「はい、次」と記者の質問を露骨に無視する場面は忘れられない。この種の人物がトップになることは何としても避けねばならない。そのためには、かりに自民党総裁になっても、父親同様、野党の党首として、党首討論をおもしろくしてもらう。これしかないだろう。

  メディアの報道では、河野が優勢のように見えるが、流出した自民党総裁選情勢調査を見ると、党員の支持1位は石破茂である。東京など31都道府県で単独トップに立ち、全体の得票率は29%だという。2位の河野は、神奈川など8県でトップだが、21%、岸田は19%、高市は8%にすぎない。新聞の調査とはかなり落差がある。今週17日から29日まで、総選挙と同じ12日間の選挙戦に入る。総選挙前の長い事前運動は先週からすでに始まっている。

 

消去法と「選択しない選択」で

こうなれば、有権者は、過去2回、総理でなかった総裁(河野洋平と谷垣禎一)のことを想起して、総裁選と総選挙を切り離し、しっかりと熟考・熟議の上で一票を投じるしかない。支持する候補者や政党に入れるのではない。この国の民主主義の壊れ方、議院内閣制の壊れ方は深刻である。贅沢をいっていられない。直言「「権威主義的立憲主義」の諸相――安倍・菅政権はクレプトクラシー(泥棒政治)からの脱却が求められている。そのためには、最低限、安倍・菅的な5つの統治手法」をとらない候補者・政党を選ぶ以外にない。直言「どうやったら投票率はあがるか――「マニフェスト」+「選択しない選択」をお読みいただければ幸いである。

《文中敬称略》

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