政権投げ出し元首相が総裁に
この国の不幸は、2012年9月26日(水)から始まった。2007年9月12日に政権を投げ出した人物が、本来なら議員辞職して政界から引退すべきところ、ゾンビのように蘇ったのである。以来9年間、この国は「アベなるもの」(ドイツ語でDas Abe)に支配され、振り回され、多くのものを失ってきた。直言「「アベランド」――「神風」と「魔法」の王国」で指摘した安倍晋三流「5つの統治手法」(①情報隠し、② 争点ぼかし、③論点ずらし、④友だち重視、⑤異論つぶし)+「前提くずし」は菅義偉政権に継承されてきた(菅の場合、「論点ずらし」以前の「応答拒否」という手法に拍車がかかった)。それもこれもすべて、9年前のこの日に始まったのである。
2012年自民党総裁選の風景
ご記憶だと思うが、9年前の総裁選は、野党の党首選びだった。当選しても「総理・総裁」ではない。
9月26日朝、47都道府県の党員・党友票(地方票)の開票が始まった。午前中の開票状況を踏まえて、『朝日新聞』9月26日付夕刊4版(締切りは午後1時)は、「石破氏、地方票の過半数:安倍氏と決選投票へ」という見出しを打った(冒頭右の写真参照)。正午頃に都道府県連が開票結果を党本部に報告。午後1時から、永田町の自民党本部8階ホールで、両院議員総会が開かれた。NHKのほか、民放ではテレビ朝日が「ANN報道特番」を組んだ。議員の投票が始まり、午後1時50分頃から投票結果の発表となった。YouTubeに全体が収録されているが、39分44秒あたりから結果の発表を見ることができる。国会議員票(衆議院116、参議院82)198(実際は1名欠員のため197)と地方票 300の計497票の投票先は、下記のように分かれた(冒頭左の写真参照)。
国会議員票 地方票 合計
石破 茂 34 165 199
安倍晋三 54 87 141
石原伸晃 58 38 96
町村信孝 27 7 34
林 芳正 24 3 27
国会議員票では石原伸晃が1位で、会場からは「オーッ」という声があがった。安倍晋三は2位だった。一方、地方票では石破茂がダントツの1位で、この時も会場からより大きな声があがった。安倍はいずれも2位のため、会場からの反応は皆無だった。注目されるのは、47都道府県のうち、安倍が石破を上回ったのは、地元山口県など5県だけで、得票数が同じだったのは大阪など6府県。石破は36都道府県でトップとなったことである(『朝日新聞』9月27日付)。全国の自民党組織の7割以上は、石破を総裁に選んでいたわけである。ちなみに、麻生太郎内閣の圧倒的不人気とその結果起きた政権交代により、自民党員数は史上最低を記録し、100万人を切っていた。2009年から2011年は党員数が非公表という惨状だった(『毎日新聞』2017年6月27日付のグラフ参照)。地方の自民党組織の危機感が、石破への数字に反映していたといえよう。
秋田県連4役が抗議の辞任表明
翌9月27日付の『朝日新聞』大阪本社版は、「安倍氏逆転 地方ため息」「永田町の理屈・民意映してない」という見出し(冒頭右の写真参照)。前述のように、石破は36都道府県でトップに立ったため、『朝日新聞』9月27日付の地方面の多くには、「安倍総裁」誕生への何ともいえない空気感、いわば「ため息」が感じられた。
「劇的な逆転劇」はなぜ起きたか
自民党の47都道府県連に組織された党員たちの多くが、石破茂を総裁に選んだ。だが、国会議員は、第1回投票で議員票も地方票も第2位だった安倍晋三を選択した。この「劇的な逆転劇」がいかにして起きたのか。これについては、直言「在任期間のみ「日本一の宰相」――「立憲主義からの逃亡」」で書いたので、ここに引用しておこう。
…両院議員総会が開かれた自民党本部8階ホールでは、あるドラマが起きていた。事前の票読みで石破に入れるつもりの議員たちが、投票をするために壇上にあがった際、一瞬会場の中程に座る石破をみた。すぐ隣に座る女性議員と親しげに話している。「石破政権になれば、あの女性が官房長官になるかもしれない。あいつにこき使われることだけはごめんだ」。そんな思いから、自分くらいは石破に入れなくてもいいだろうと投票先を変更した議員がいたようである。壇上から同じ光景を目撃し、同じ行動をとった議員も複数人いたようで、彼らは結果が出てから仰天した。投票先を変えた議員が自分以外に何人もいることを知ったからだ。彼らはこれを表に出すことはしなかった。もしも、例えば10人が安倍ではなく、石破に入れていたら、安倍98、石破99で石破総裁が誕生していた可能性があった。以上は、某全国紙の政治部記者に直接聞いた話であるが、実際のところはわからない。ちなみに、安倍政権誕生の鍵となったかもしれないその女性議員は誰か。その議員が旧大蔵省主計官時代にやったことがこれだ(直言「「片山事件」と北海道―― 自衛隊「事業仕分け」へ」参照)。…
この写真は、投票の状況を見守る石破茂である。右隣は三原じゅん子、左隣のピンクのスーツが、片山さつきである。決選投票の待ち時間に、左隣の片山が石破にやたらと話しかけていたようで、それを投票記載台に向かう議員たちに見られていたわけである。もし、隣が片山でなかったら、10人ほどの議員は予定通りの投票を行っていた可能性があるというのが記者の見立てだった。決選投票では、1票を失うことは、2票の差となってあらわれる。「自分だけ安倍に入れても、結果は変わらないだろう」という軽い気持ちが、複数の中堅議員たちの頭に去来したのかもしれない。後の祭りとはこのことである。
「アベなるもの」の例:憲法蔑視とシュタージ(公安警察)的手法
『朝日新聞』9月18日付社説は、「満州事変90周年」と「総裁選告示 「負の遺産」にけじめを」である。「9年近く続いた安倍・菅政権の功罪を総括し、「負の遺産」にけじめをつけることが、国民の信頼回復には欠かせない。」と書きつつ、「公文書の改ざんという前代未聞の不祥事であるにもかかわらず、真相解明が不十分で、政治家は誰も責任をとらなかった森友問題への対応は試金石といえる。」として、安倍・菅両政権で閣僚・党幹部を歴任した4候補に、「その責任を自覚するなら、負の遺産も直視し、その清算に指導力を発揮すべきだ。」と指摘する。基本的に正論だが、私はこれではまだ甘いと思う。安倍政権、それを「継承」した菅政権の9年について、一般的に「功罪」を語ることは許されないのではないか。メリットとデメリットに分けて論ずることができるようなレベルの政権ではなかった。
総裁選で問われる「アベなるもの」
9月29日の投票日を目指して、現在、自民党総裁選が行われている。運動期間は、衆院選の選挙運動期間と同じ12日間である。菅首相のもとでの総選挙は敗北必至だったが、総裁選を先行させることにより、テレビにも新聞にも総裁候補が派手に露出して、大規模かつ組織的な事前運動を展開している。小さな事前運動は取り締まりの対象になるが、あまりに巨大な事前運動はそうとは感じられず、国民に「新しい自民党」が刷り込まれる。だが、3人の候補者はすべて「アベなるもの」に呪縛されている。河野太郎は「突破力」を強調しているが、その主張と行動は振幅が激しく、変説と変節を重ねており、まったく信用できない。方向と内容抜きの「突破力」は危ない。野党の党首として、党首討論を面白くすることに期待したい。岸田文雄は、安倍の不祥事への批判をトーンダウンさせており、「ヘタレ」総裁になるか、それとも大化けして「アベなるもの」を切るか。これはあまり期待できないだろう。高市早苗に至っては、「強靱な国、日本」から「アベノミクス」まで、「アベなるもの」をすべて継承しており、「女アベ」であって、有害無益である。ネトウヨ方面に絶大な人気のようだが、安倍がその支援にまわったのは軽率だった。ここは「中立」を装った方が、「キングメーカー」としての影響力を保持できただろうに。「アベなるもの」の終わりの始まりになるかもしれない。
この国は「二人に一人しか投票しない「民主主義国家」」である。自民党の党首選びの結果がどうあれ、これまで選挙に行かなかった10%の有権者が投票所に向かうだけで、この国は大きく変わる。「アベなるもの」の克服には、国民の「気づき」が必要である。
《文中敬称略》