私にとって13回目の衆議院解散
10月14日午後1時過ぎ、衆議院が解散された。ちょうど3限の導入演習(1年ゼミ)の授業が始まったところで、学生に頼んでパソコンで「中継」してもらった。教室に「万歳」の声が流れた。大学で憲法を講ずるようになって来年で40年。13回目の衆議院の解散になる。もし今月31日の総選挙のあと、再び任期満了に近いところまで解散がなければ、あと2年5カ月で定年を迎える私にとっては、現役時代最後の機会になるだろう。
解散から投票日までの日数
憲法の授業の際に衆議院解散を体験した最初は、1983年11月28日の第一次中曽根内閣の時だった。38年前の手帳を見ると、その日は月曜日で、2限の講義の時間すべてを使って衆議院の解散について講義したとある。実はこの時の解散は、総選挙まで20日と、戦後最短であった。今回、岸田内閣は、解散から総選挙までわずか17日ということで、この記録を塗り替えた。そこにどんな問題があるのか。これまで「直言」で触れてきた数々の解散を振り返りつつ、この岸田内閣による解散について考えてみたいと思う。その際、解散から総選挙まで40日という最長記録を打ち立てた麻生太郎内閣の解散(2009年7月21日)について論じた直言「衆議院解散、その耐えがたい軽さ」のタイトルを再度用いて、「その2(完?)」とすることにしたい。「完?」としたのは、今後、日本の政治がどのように展開していくかにより、2025年までに再び解散権が恣意的に運用される可能性なしとしないからである。
なぜ、「17日」という最短記録になったのか(左の写真はnews23、2021年10月13日より)。「安倍の傀儡」(私は「安倍院政権」という)などと酷評されている岸田首相もさすがに許せないことがあったようだ。10月2日、臨時国会召集を2日後に控えて、岸田は「なんだ、この記事は!誰がこんなことを言っているんだ」と珍しく怒ったという(ダイヤモンド・オンライン)。彼が見た『読売新聞』10月2日付の1面トップの見出しは、「14日解散、来月7日総選挙 26日公示 岸田氏、意向固める」だった。おそらく安倍晋三が読売政治部記者にもらしたものだろうが、さすがの岸田首相も怒り、安倍も予測しなかった「10月31日投票」へと突っ走ったのだろう。私は「安倍院政権」と評したが、岸田-3A(安倍・麻生・甘利)の間でも、3A相互の間でも確執があることはさまざま指摘されおり、「理念なき野合」である以上、今後、意外な展開もあり得るだろう。
「17日」に法的問題はあるか
解散から投票日まで目下のところ最短の「17日」だからといって、岸田首相のその決断が直ちに違憲、違法の問題を生じるわけではない。憲法54条は、「解散の日から40日以内に、衆議院議員の総選挙を行ひ」とあり、公職選挙法31条3項に同様の定めがある。なぜ40日なのか。「選挙を行うに必要な期間を考慮しつつ、衆議院が欠けている期間をできるだけ短くしようとする趣旨」とされている(宮澤俊義・芦部信喜補訂『全訂 日本国憲法』(日本評論社、1979年)402頁)。過去に例のない短さについて、主要野党が岸田に問い質す場面は、私が知る限り見当たらなかった。日本維新の会の片山虎之助(86歳)がこの問題を取り上げた。維新は暴言政治家や、大阪を中心に地方自治破壊の罪深い政治家が多いが、参議院議員6期、自民党参院幹事長や総務大臣を歴任した経験豊富な保守政治家の片山には、長年の国会慣行や先例などを軽視してきた安倍・菅政権とは一線を画したいという「是々々々々々非々」の姿勢があるのだろう。10月13日、参議院本会議の代表質問で、次のように岸田首相に質した。
「今回の衆院選は、14日解散し、19日公示、31日投開票の日程です。当初の想定より一週間前倒しです。現行憲法下で解散から投開票まで一番短かったのは第一次中曽根内閣の20日間、今回は17日間ですから3日短い。日程は天皇の国事行為の一つなので、実質的な決定権は内閣にあり、したがって総理にあると言ってもよいのでしょうが、実はこれも解散権と同じように総理が全てを自由にすることには議論がないわけではない。相場観もあり、しっかりした理由が要ると私は思います。なぜ前倒しされたのか、選挙管理上問題はないのか、総理、明らかにしてほしいと考えます。」
後述するように、解散について首相が何でも自由に決められるわけではなく、長年の慣行(片山は「相場観」と表現)のなかで決まっていく。「17日」は前例のない短さであり、きちんとした説明が必要という当然の質問だろう。これに対する岸田首相の答弁はこうである。
「…コロナ感染症の状況は、現在落ち着きを見せているとはいえ、先行きについては不透明であり、多くの国民がいまだ大きな不安をお持ちです。このため、国民の信を問うた上で、一刻も早く大胆で思い切ったコロナ対策、経済対策を実現していきたいと考え、可能な限り早い時期に総選挙を行うことといたしました。また、選挙事務に問題のないよう、準備期間を考慮して、今月4日に具体的な選挙期日について表明したところです。政府としては、各選挙管理委員会と連携し、総選挙の準備を進めており、その管理執行に万全を期してまいります。」
安倍流統治手法の一つ、「論点ずらし」そのものではないか。「一刻も早く」コロナ対策などに取り組みたいという決意表明だけで、片山の質問に何も答えていない。岸田首相は、10月4日に解散を表明したのだから、27日も有権者に考える時間を与えたといいたいようである。だが、与党議員をも驚かせた「1週間前倒し」は、選挙管理委員会関係者をあわてさせただけでなく、野党に不利に働いた。
麻生内閣末期の解散との比較
12年前、麻生太郎内閣は、解散から投票日まで、憲法・公選法が「以内」と記した「40日」ギリギリまで引っ張った。この解散の評価は最悪で、自民党内からも「やけっぱち解散」、「後がない解散」などと自虐的ネーミングが飛び出すほどだった。麻生の祖父・吉田茂の「バカヤロー解散」(1953年) をもじって、「バカヤローの解散」(「バカタロー解散」!)とまでいわれた。国権の最高機関たる国会(憲法41条)の、その第一院の解散という「直接国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為」(最高裁1960年6月8日大法廷判決(「苫米地判決」))にもかかわらず、この時の麻生首相は、現職の再選だけを考えて解散を引き延ばすことにこだわった結果、「解散時期の選択から、投票日の設定に至るまで、これほど徹底して、政権維持のためだけに行われた解散はない」と激しく批判されたのである。「衆議院解散、その耐えがたい軽さ」というタイトルを付けた所以である。
安倍政権による解散権の恣意的運用史
このあとの解散は、2012年11月16 日の野田佳彦内閣による「近いうち(に)解散」というのがある(2003年は「今のうちに解散」)。これは、党首討論における議論の勢いで、野田首相が解散を断言してしまったことによるものである(直言「違憲状態の総選挙――「近いうちに解散」の結果」)。この解散の結果、きわめて低い投票率で第2次安倍晋三内閣が誕生した。安倍内閣の最初の解散は、2014年11月21日、「念のため解散」として、政権維持に有利なタイミングを露骨に選んだ解散だった。「アベノミクス解散」という意味不明のネーミングが付けられているが、「消費税を値上げしない」ということを争点としたので、投票率は劇的に低くなって、与党は圧倒的多数の議席を獲得した(直言「二人に一人しか投票しない「民主主義国家」 」参照)。
安倍内閣の2回目の解散は、2017年9月28日に行われ、これは「国難突破解散」と命名された。安倍首相は、北朝鮮のミサイル問題と少子高齢化を「国難」と位置づけ、これを「突破」するために解散した。こちらもまったく意味不明だった。憲法53条後段に基づき野党が臨時国会の召集を求めたにもかかわらず、これを98日間も引き延ばし、臨時国会を召集して、その冒頭で解散してしまった。私はこれを憲法蔑視の「暴投解散」と名づけ、「解散権の濫用という法的な言説で語るのも恥ずかしい、解散権の悪用、逆用、誤用、私用と言わざるを得ない」と厳しく断じた(直言「「自分ファースト」の翼賛政治――保身とエゴの「暴投解散」」参照)。
解散権の濫用を戒める長老たち
憲法は解散権の主体を明示していないが、解散には大きく二つの場合があり、一つは内閣不信任決議案可決の場合における「対抗的解散」(憲法69条解散)であり、もう一つは、内閣が裁量的に行う「7条解散」である。学説上、「制度説」や「行政説」、さらに「自律解散説」もあるが、「通説」・実例は7条内閣説をとる。ただ、7条解散については、衆院議長経験者などからさまざまな意見が表明されている。例えば、水田三喜男(初代・政調会長、蔵相)は、『読売新聞』1975年8月27日付特集で、7条解散否定論を展開し、「他律解散」ではなく「自律(自然)解散」を説いている。
岸田解散は「政権維持解散」
岸田政権は、新首相誕生(10月4日)から衆議院解散(10月14日)までの期間においても、戦後の憲政史上、最短の記録を作った。これまで新首相誕生から解散までの最短記録は、1954年12月10日に首相に指名され、1955年1月24日に衆議院を解散した鳩山一郎であり、45日だった。岸田首相はこれを一気に縮めて、わずか10日である。コロナ対策でも経済政策でもなく、まさに自民党政権維持に特化した恣意的、私的解散といわざるを得ない。それを安倍晋三は「コロナ脱却V字回復解散」などと恥ずかしげもなく語っている。安倍は、「政治的仮病」による「コロナ前逃亡」によって首相の座を投げ出した人物であり、その意向に忖度するような政策や主張しか展開できない岸田首相は、「ヘタレ」の一語に尽きる。
《文中敬称略》