なぜ、憲法改正に「スピード感をもって」なのか── マレー半島コタバル上陸作戦から80年
2021年12月6日

真珠湾攻撃の1時間50分前に

後日の8日は、太平洋戦争開戦から80年である。2年前に直言「過去の歴史といかに向き合うか――第二次世界大戦開戦80周年と「満州事変」88周年を出した。今週からメディアは「真珠湾攻撃80の特集を組む。127()午前755(日本時間:128()午前325)、日本海軍機動部隊から飛び立った第1次攻撃隊の99式艦上爆撃機が250キロ爆弾の初弾を投下した。国民は、朝7時のラジオの臨時ニュースで、「帝国陸海軍は、本8日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり。」という大本営発表(ここからクリック)を聞かされたが、これは映画やテレビドラマにもしばしば登場する(NHKの連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」は第10回(1112日)にチラッと)。

  この日をきっかけに、国民の間の「空気」は一変し、歓喜や明快な肯定の感情が強まったという(川島高峰「開戦と日本人─128日の記憶)。背景に、新聞やラジオによる戦争鼓吹があることは間違いない。当時11歳だった作家の半藤一利氏も、この日、「思わず拍手喝采した覚えがある」と吐露している(『戦争というもの』(PHP研究所、2021)56)。冒頭左の写真は『読売新聞』1941129日付で、目をむくような見出しとともに、ド派手なイラストを使うなど、戦争賛美・鼓吹の手法はかなり露骨だった。
     実は、真珠湾攻撃の1時間50分前(日本時間の午前135分)に、タイ国境に近い、マレー半島北東部のコタバルで、5300人からなる「佗美(たくみ)支隊」(歩兵第56連隊(久留米)基幹)の上陸作戦が開始されていた。支隊長の佗美浩少将の手記を読むと、英国軍のトーチカ正面に上陸したため猛攻撃を受け、大隊長の一人が戦死、一人重傷、大隊長代理も立て続けに負傷、連隊長も片腕を失うなど、上陸部隊は惨憺たる状況に陥っていたことがわかる。支隊長自らも「海底に脚が立たない」状況で海に飛び込み、やっとのことで海岸にたどり着く(佗美浩『コタバル敵前上陸』(プレス東京、1968年)50-60頁参照)。水際で多数の死傷者を出して、128日の上陸作戦は、「表向きは成功裡に終了したことになったが、実際は最優秀商船1隻損失、各種上陸用舟艇の過半数の25隻損失、上陸部隊将兵、輸送船乗組員、上陸用舟艇担当工兵、船舶砲兵など合計1100名戦死傷という予想外の大損害を受けた」(『菊歩兵第56聯隊碑)とされている。佗美支隊長の手記には、死傷者の数字が出てこない。映画『プライベート・ライアン』(スティーヴン・スピルバーグ監督、1998) のすさまじい冒頭シーンと重なるような惨憺たる状況だったのだが、「国民の熱狂」を煽る報道に水をさすのを避けるために伏せられたのだろう。 

 作家や分筆活動に従事する人たちの128日の日記にも、「感涙」「興奮」「歓喜」などの言葉が出てくるように、国民は明らかに冷静さを失っていた。「真珠湾」の1346日後に、ヒロシマ・ナガサキを経て、「815日」を迎えることになることなど、その時は誰一人想像できなかったのだろう。


憲法改正の「スピード感」とは?

  80年前は新聞とラジオが中心だったが、現代においては、テレビやSNSの影響が大きい。テレビのワイドショーは衆院選よりも多くの時間を自民党総裁選にあてた。テレビを使った「総選挙の事前運動を経て、この国の政治的「空気」は短期間に一変した。与野党の政治配置も劇的に変わった。何より、総選挙でほとんど争点にならず、むしろ与党側もあえて争点にしなかった節のある憲法改正問題が一気に浮上してきたのである。

  「党是である、憲法改正に向け、精力的に取り組んでいきます。…国民の皆さんの声に応えるための政策を、スピード感を持って断行していきます。」 岸田文雄首相は、111日、総選挙の結果を受けてこのように語った。総裁選が終わるまでの美しい主張は消え去り、岸田が会長を務める宏池会が慎重だった憲法改正に対して、安倍晋三が憑依したかのような前のめりの姿勢に変わった。どこまでが本気なのか、政権安定までのポーズなのかは断定しかねてきたが、ここまでくると、これは本気と見ざるを得ない。

    周辺の動きも急である。『読売新聞』1113日付は、茂木敏充自民党幹事長に対するインタビューを「独自」として掲載している。見出しは、「「緊急事態条項」創設を優先的に、自民・茂木氏が方針――改憲論議を加速」。「衆院選で憲法改正に前向きな日本維新の会や国民民主党が議席を伸ばしたことを踏まえ、改憲論議を加速し、緊急時に政府の権限を強化する「緊急事態条項」の創設を優先的に目指す方針を示した。」と、読売側の意図や結論先にありきのインタビューである。茂木は、「新型コロナウイルス禍を考えると、緊急事態に対する切迫感は高まっている。様々な政党と国会の場で議論を重ね、具体的な選択肢やスケジュール感につなげていきたい」として、「スケジュール感」という言葉を使っている。

  1119日、岸田首相は内閣記者会のインタビューで、「自民党が改正案として示している「自衛隊の明記」や「緊急事態対応」などの4項目を同時に改正することにはこだわらず、一部を先行させる形もあり得る」と述べた(NHK1119日)。「スピード感」を具体的に示すために「一部先行」という言葉を使い、茂木幹事長の「緊急事態条項」から始めるという「スケジュール感」に合わせたのだろうか。
 同じ19日、自民党は、「憲法改正推進本部」を「憲法改正実現本部」に名称変更するとともに、本部長に、「推進本部」の本部長代行だった古屋圭司政調会長代行を、事務総長に、新藤義孝・衆院憲法審査会与党筆頭幹事を就任させる人事を行った(『読売新聞』1120日付)。いずれも安倍晋三に近い議員である。


 「推進」から「実現」へ。名称まで変えて本気度を示したいというところなのだろう。611日に憲法改正国民投票法の改正法が制定された際、下村博文政調会長(当時)は、「憲法に緊急事態条項がないことが(コロナ対応の)スピード感を鈍らせている」と語り、「世論調査でも大勢が憲法上の対応を求めている」と述べた(時事通信621)。国民投票法の改正も行われ、「推進本部」から「実現本部」となって、憲法改正に向けて一直線という傾きである。

  松井一郎(「日本維新の会」代表)が、総選挙の結果が出た直後に、「来夏の参院選までに憲法改正原案をまとめて改正を発議し、国民投票を参院選の投票と同じ日に実施するべきだ」と口走ったのには驚いた(『朝日新聞』113日付 )。これが「スピード感」であり、「スケジュール感」なのだろう。だが、言語学者の金田一秀穂氏が「スピード感」という言葉の怪しさを的確に指摘しておられる。そもそも法律とは違って、ルールをつくる人々も拘束される「ルールのなかのルール」である憲法について、「スピード感」や「スケジュール感」という言葉はふさわしくないだろう。自らのコロナ対応の失敗を憲法のせいにするのはやめるべきである。緊急事態条項があれば、コロナ対応は的確にできたのか。「コロナ禍22カ月」の間に、2人の首相が途中で任務放棄して逃亡したではないか。そういう首相に権限を集中し、国会承認などの手続を省略し、国民の権利に特別の制限を課す緊急事態条項を憲法に設けることこそ、最悪の選択ではないか。  


どさくさまぎれの改憲
  東日本大震災から9カ月たった2011125日の直言「憲法審査会 「そろり発進」――震災便乗型改憲で、私は次のように指摘した。
「震災で人々の頭が真っ白になっているのを見計らって「改革」を行う。「惨事便乗型」手法(ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン――惨事便乗型資本主義の正体を暴く』〔上・下、岩波書店、2011年〕)の応用である。震災のどさくさ紛れで改憲を進めることは、ナオミ・クラインに倣って言えば、「震災便乗型改憲」だからである。…そもそも憲法については、それを改正する側に高い説明責任が存する。「変えなくていい」という側には、「なぜ改正しなくていいのか」を説明する必要はないが、「変える」側はその理由を十分に説明しなければならないのである。ところが、政界もメディアも、「変える」のが当然という「空気」が支配的である。…そろりオープンした憲法審査会は、開店と同時に閉店すべきである。」
  ちょうど10年たって、政治状況は完全に変わってしまった。いまや、与党+維新+国民民主で改憲勢力は3分の2を超えている。「火事場泥棒的改憲」が実現しそうな状況である。

「大政翼賛会」が生まれるのか

そこへきて、野党第1党の立憲民主党の代表に、小池百合子の「希望の党」に一時合流した人物が就任した。前国会までのような、予算委員会での立憲民主党議員による政権に対する鋭い質問を見ることはできないのか。これでは「大政翼賛」状態ではないか。

偶然だが、来年223日、「翼賛政治体制協議会」(翼協)が発足して80年になる。大政翼賛会の実働部隊で、阿部信行元首相が会長になった(直言「わが歴史グッズの話(22)大政翼賛会参照)。2人目のアベ元首相は、いまや元気いっぱいで、最大派閥の会長にも就任した。冒頭右の写真にあるように、121日の講演では、かなりぶっそうなことをいって、中国の反発をかっている。「台湾有事は日本有事、日米同盟の有事と。政治的仮病」を使って政権を投げ出したときも、「敵基地攻撃能力」の保持について「首相談話」を残していった。

違憲の集団的自衛権行使を閣議決定で行った「壊憲首相は、安全保障条約を結んでいない台湾を日本防衛と同置するのみならず、日米安保条約5条の適用範囲を勝手に拡大している。この勘違い元首相の暴走は、中国・ロシアの強引かつ強行な動きに冷静に対応することを妨げ、「自衛隊員のリスク」「国民のリスク」を高めているのではないか。


立憲民主党は立場を鮮明にせよ

立憲民主党は、9年近くになる安倍・菅政権の憲法破壊に対して、批判的姿勢を堅持してきたことを私は評価してきた。だが、総選挙後、政治をめぐる「空気」が一変するなかで、「批判ばかりしている」という形の批判がメディアで煽られるようになり、議員たちも「批判ばかりしていると誤解されないようにする」などと受け身の対応をしている。野党が政権与党に対する批判を控えるようになれば、それは健全な民主主義とはいえない。野党は具体的な政策の提案を行い、約8割の法案に賛成し、約2割の法案に対して理由あって批判している。批判がなければ立憲主義も民主主義すらも崩壊する。

ルールを壊し続けてきた政権与党に対して、野党の立場で、ことさら腰を引いたような対応をすべきではない。総選挙の結果は、政権与党に対する有権者の厳しい批判が反映していた。メディアでは、野党共闘の弱点ばかりあげつらうが、小選挙区で甘利明幹事長(当時)が落選したことに示されるように、国民の批判には厳しいものがある。それを比例区で吸収できなかったのはなぜかを立憲は深刻に総括して、次につなげるべきなのである。「野党共闘の見直し」ばかりにメディアが誘導するのは、参院選で自民が有利になるように今から仕掛けているようなものである。

1122日のNHKニュースの構成が特にひどかった。立憲民主党の4候補に対して、共産党との共闘の是非と憲法改正の姿勢を問うている。朝のニュースはこの2つだけだった。具体的な政策の提案もしていることについては触れない。岩田明子なきあとも政権寄り政治部は健在。主要メディアには、安倍政権時代の「首相と飯食う人々の毒素が全体にまわってきたようである。

そこで思い出すのが、憲法研究者の故・奥平康弘氏(東大名誉教授)のことである。201412月の民主党代表選における候補者の、憲法改正をめぐる態度について、死の間際にメモを残していた(直言「「君はこのごろ平和についてどう考えてる」――安倍流「積極的平和主義」に抗して)。民主党における改憲的傾向について危惧されていた。

雑誌『選択』の最新号(202112月号)52頁「政界スキャン」は興味深かった。10月の総選挙で明暗を分けたのは「宏池会」のブランド力だという。

「…立憲の枝野幸男前代表は、かねがね自分の政治信条を「リベラル保守である」と称し、「自民党では宏池会路線が一番近い」と親近感を広言してきた。どちらが首相にふさわしいか政権選択の決戦本番に、本家本元の宏池会会長である岸田文雄首相が登場しては出る幕がない。「左翼呼ばわり」されるのをかわそうと長年吹聴してきたつまらぬ気取り癖が、勝負どころにとんだ墓穴を掘った。…」


自由民主党第2代総裁、第55代内閣総理大臣の言葉

最後に、石橋湛山の言葉を想起しよう(「安倍晋三氏の改憲論を批判する(『論座』(朝日新聞社)20043月号184-191頁所収))。

米ソ冷戦時代、湛山はこう述べた。「わが国の独立と安全を守るために、軍備の拡張という国力を消耗するような考えでいったら、国防を全うすることができないばかりでなく、国を滅ぼす。したがって、そういう考え方をもった政治家に政治を託するわけにはいかない」と。そして湛山はいう。「全人類に率先して先見の明を示した日本人の熱情と誠意を、今こそ厳粛に、そして高らかに地球の上に呼びかけるべきであろう。…憲法を冷静に読み返す時、私は日本がそのような悪路を踏んで行くことに忍び難いものを感じる」(『石橋湛山評論集』岩波文庫、1984年)と。

  これが、自由民主党第2代総裁、第55代内閣総理大臣の言葉である。同じ早稲田大学出身の岸田文雄自由民主党第27代総裁、第101代内閣総理大臣は何と聞くか。
《政治家につき文中敬称略》
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