岸田さん、本音はどこですか──「政権維持装置」としての改憲?
2022年2月7日

憲法改正の「推進」から「実現」へ?

知県中学校体育連盟主催の「憲法実施記念・学徒総合体育大会」の真鍮製バッチである。1947年に地方で開催された体育大会のバッジに注目したのは、「憲法実施記念」という文言が使われていたからである。「日本国憲法施行記念乗車券や施行記念50銭切手など、すべて「施行」となっている。「憲法実施」という言葉が使われたものを初めて知った。ネットオークションで見つけて落札した。特に深い意味があって「実施」という言葉を使ったわけではないとは思うが、「憲法施行」を、より日常的な言語感覚で「憲法実施」と表現したものと推測される。

  75年後、「憲法の実施」ではなく、「憲法改正の実施」を目指す人々の声が(かまびす)しい。昨年1031日の総選挙で与党が多数を占め、改憲に前向きな維新や国民民主などの「癒党」とも連携して、憲法改正への動きが急である。自民党は、党則79条に基づく総裁直属機関としての憲法改正推進本部を、1121日、「憲法改正実現本部」に改組した。最高顧問には安倍晋三。47都道府県連にそれぞれ「実現本部」を設置して、全国各地で開く対話集会の実動部隊となる「タスクフォース(TF)」が始動する。「夏の参院選後を見据えて国民的な改憲論議を盛り上げ、国会での議論を後押しする」とともに、「5月までの早い時期に全都道府県で1回目の集会開催を目指す」という。衆議院議員の任期満了が202510月なので、自公両党が夏の参院選に勝利すれば、その次の参院選が行われる2025年夏まで、国政選挙のない「黄金の3年」が手に入るというわけである(読売新聞オンライン2022131日)。1994年に改憲試案を出して以来、渡邉恒雄=読売新聞社は、安倍政権下の改憲を後押ししてきた。客観的な調査をよそおいながら、改憲に向けて世論を誘導する試みも意識的に行っている


「政権維持装置」としての改憲?

   岸田文雄首相が会長を務める宏池会は、伝統的に自民党内で「リベラル」的色彩をもつ派閥として知られてきた。20年以上昔のことになるが、加藤紘一会長時代に派閥の勉強会に招かれ、『日独裁判官物語』(1999年、木佐茂男監修)のビデオを持参してこれをご覧いただいた後に、ドイツの司法制度について講演したことがある。質疑応答のなかで、「ドイツの開かれた司法は大変参考になった」などの意見をもらった。200711月の早稲田祭では、加藤会長の講演のコーディネーターを引き受けたその際のツーショット)。宏池会出身の総裁は谷垣禎一以来、首相は宮沢喜一以来である。岸田は、元旦の年頭所感で、「自由民主党結党以来の党是である、憲法改正も、本年の大きなテーマです。国会での論戦を深めるとともに、国民的な議論を喚起していきます」と明言した(首相官邸HP202211)。

   だが、岸田の場合、憲法改正について、安倍ほどの(あぶら)ぎった執念もなければ、これまで特段に強いメッセージを出してきたわけでもなかった。総裁選の最中は、むしろ、「アベなるもの」(ドイツ語で Das Abe)から距離をとったかのような「民主主義の危機」や「新自由主義からの離脱を語っていたのが、総裁に当選し、首相になるや一変した 。首相になって以降、改憲に前のめりになっているように見えるのはなぜなのか。コロナ禍の国民の切実な声を細かく書き込んだ(はずの)ノート、PLUS NOTEBOOKB6mm(ネイビー)はどこへ行ったのか。

 与良正男・毎日新聞専門編集委員の、15日付夕刊コラム「熱血!与良政談」によれば、昨年12月、安倍は民放の番組で、「野党は安倍政権の間は憲法改正の議論はしないと言っていた。比較的リベラルな姿勢を持つ岸田政権だからこそ、可能性は高まったのかなと思う。私も側面支援をしていきたい」と語ったという。与良は、「改憲は首相と安倍氏をつなぐ接着剤」として機能し、「改憲を掲げている限り、安倍氏に足をすくわれることはない」という計算から、「改憲は政権維持装置」という評価を導き出す。興味深い指摘である。


改憲に「フレンドリーなフミオ」?

   『南ドイツ新聞』1月18日付に“Fumio, der Freundliche (フレンドリーなフミオ)という記事が掲載された。いわゆる「敵基地攻撃能力」に対して前向きな岸田についても紹介しつつ、他方で、「岸田は、1945年、初めて米国の原爆が投下された都市、広島の出身である」と書き、「実は、キャリア上の理由[党内多数派獲得のため]から、安倍晋三首相のような強硬派の側にいる、穏やかな保守派のように見える。それどころか、武装は彼のテーマではない。岸田文雄は、1945年に最初の米国の原爆が投下された広島の出身である。彼は核兵器のない世界のための戦士(Kämpfer)である」とも書いている。

   だが、広島の人々にとっても不幸なことに、岸田の「聞く耳」は国民の方でなく、安倍晋三らの要望を忖度して、むしろ聞き過ぎているのではないか。昨年1月に発効した「核兵器禁止条約」について消極的態度をとり続け、オブザーバー参加すら拒否しているNATO加盟国のドイツはオブザーバー参加)。これでヒロシマ出身の首相といえるのか。心の声と表に出す声の葛藤がまったくないとは思えない。そこで岸田の著書を読んだ。

   冒頭右の写真は、岸田文雄著『核兵器のない世界へ──勇気ある平和国家の志』(日経BP2020)と、同時期に発刊された、創価学会『第三文明』20209月号をあえて並べて撮影したものである。ともに古書店のオークションサイトで購入した。創価学会婦人部は伝統的に平和指向が強く、長期にわたって自民と連立政権を組んできた公明党でも、超えられない一線が、「敵基地攻撃能力」の保有だろう。

   岸田も、1年半前のこの著書のなかで、「宏池会のリアリズム」について書いている(87頁以下)。安倍晋三に忖度し過ぎている感もあるが、それでも、次のようにはっきり述べている。 

 自民党の良いところは様々な多様性を許容し、それらを抱き込む自由でリベラルな空気を醸し出すところにあります。ですから、我々とは違った思想・信条を持つ政治家も沢山おり、それはそれで結構なことだと思います。しかし、例えば自衛隊を「国防軍」にするとか、平和主義に基づく「専守防衛」の精神を放棄するといった考えには、党内の意見といえども私は安易に乗ることはできません。(99頁)。

  しゃべり方がソフトで、何を聞かれても一応は答える「誠意」を見せるところは前任者たちにはなかったものである。『南ドイツ新聞』が「フレンドリーなフミオ」と形容するものの、その中身は「改憲にフレンドリー」になり過ぎて、宏池会の伝統や著書で展開していた自らの「信念」に反する深みにはまっているのではないか。2カ月前の直言「なぜ、憲法改正に「スピード感をもって」なのかのなかで、私はこう指摘した。

「党是である、憲法改正に向け、精力的に取り組んでいきます。国民の皆さんの声に応えるための政策を、スピード感を持って断行していきます。」 岸田文雄首相は、111日、総選挙の結果を受けてこのように語った。総裁選が終わるまでの美しい主張は消え去り、岸田が会長を務める宏池会が慎重だった憲法改正に対して、安倍晋三が憑依したかのような前のめりの姿勢に変わった。どこまでが本気なのか、政権安定までのポーズなのかは断定しかねてきたが、ここまでくると、これは本気と見ざるを得ない。」

  ここでは「本気」と断定した。だが、いまは改憲に「フレンドリーなフミオ」が、政権が安定して、「アベなるもの」との党内力学が変化した場合、本気で改憲に突き進むかどうかは、にわかに断定できない。憲法9条の改正は掲げつつも、当面、「ハードな緊急事態条項」ではなく、議員任期の延長や、コロナにかこつけた「限定的」なものの導入を試みるかもしれない。


維新の会は「改憲の突撃隊」!?―人口比で感染最多の大阪

   昨年の総選挙直後の112日、日本維新の会の松井一郎代表は、「参院選挙までに改正案を固め、参院選と同時に国民投票を実施すべきだ」と早々とぶち上げた。改憲日程を優先して議論をという、中身よりも「改憲先にありき」の突出ぶりである。維新はこれまで改憲案として、①教育無償化、②統治機構改革、③憲法裁判所設置3項目を提唱していたが、新型コロナウイルスの感染拡大などを受け、「有事対応への国の役割を明確にした内容に更新すべき」だとして、緊急事態条項の創設と9条改正を柱とする新しい憲法改正案を策定する方針を固めたという(『読売新聞』202214日付)

   直言「自民・維新「改憲連立政権」の可能性でも指摘したように、自公政権の消費期限が到来して、公明党を切って維新に鞍替えをする可能性なしとしない。目下、参議院選挙における連立与党の候補者調整は、かつてなくこじれるだろう。参院選の結果次第では、改憲を軸とする「大政翼賛」状態が生まれるかもしれない。維新はさしずめ「改憲突撃隊(SA)」へ接近するか。 改憲よりも、人命・生活に直結する「直近1週間の人口10万人あたりの感染者数」が「927.27人」で47都道府県ワースト1「大阪府」(2月5日NHK放送)の維新は、コロナ対策・医療に力をいれるべきではないか。

  

「有事」に「ルールのルール」を変えるな

   効果的なコロナ対応ができるような法律改正に頭を使わずに、憲法改正のために憲法審査会を常時開けという勘違い。この国の「対案強迫(オブセッション)」は相当深刻である。直言「究極の「不要不急」は憲法改正――日本国憲法施行74でも指摘したように、何度も「緊急事態宣言」を出しても効果を発揮できない首相・官邸に、これ以上権限を集中したら、ろくなことはないということを、国民も実感し始めているのではないか。コロナ禍で広がる格差、生活の困窮、医療崩壊…。憲法改正の議論は、そうした危機の状態を克服した後の「平常事態」ですべきであって、危機のど真ん中で改憲を優先する人々には、何か別の事情と理由があるとしか思えない(直言「「フェイク改憲」に対案は不要――「改憲論戯」からの離脱を参照)。

  と、ここまで書いてきて、あえて問いたい。「アベなるもの」から離脱して、総裁選で主張していたところにもどる気持ちはないのだろうか。岸田さん、あなたの本音はどこですか。

《文中敬称略》
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