ウクライナの戦争は泥沼化の様相を呈してきた。テレビは同じ映像を何度も使い回し、ロシア側の主張はフェイクのように扱われるが、「戦争の最初の犠牲者は真実だ」という警句を忘れてはならないだろう。少なくとも確実なことは、人のかけがえのない命が、私たちの想像を超えて失われていること、これからも失われるであろうという悲しい現実である。今回の「直言」は、日々のメディアの報道とは距離をとって、戦争を始めたプーチンの異様な「こだわり」の背後にあるもの、そして、戦争という手段に踏み込むにあたって彼が行った「準備」の一つとしての憲法改正について考えてみたいと思う。
ドレスデンの若きプーチン――ウクライナの戦争の「原点」
プーチンは私より半年早く生まれているので、ほぼ同世代である。国は違っても、時代の空気を同じように吸ってきたと思う。私は「ベルリンの壁」が崩壊し、ドイツが統一した直後、東ベルリンに半年あまり滞在した。プーチンは「壁」崩壊を旧東独のドレスデンで迎えた。ソ連国家保安委員会(KGB)ドレスデン支部に、少佐として1985年から90年まで勤務し、北大西洋条約機構(NATO)の情報収集などの任務にあたっていた。柔道黒帯、語学力抜群、射撃や徒手格闘の名手、心理戦にも長けたアパラチキ(機関員)だった。
実は、この県本部から北に120メートルほど行ったAngelikastraße 4番地(現在は「ルドルフ・シュタイナーの家」になっている)には、ソ連国家保安委員会(KGB)ドレスデン支部が置かれていた。私は1991年当時、KGB支部までは気づかなかったが、「壁」崩壊後の1989年12月5日にそこで起きた出来事について、朝日新聞ブリュッセル特派員(当時)吉田美智子記者が「KGBの影:デモ退けた小柄な将校」として記事にしていた(『朝日新聞』2015年3月30日付)。この記事は後に駒木明義・吉田美智子・梅原季哉『プーチンの実像――孤高の「皇帝」の知られざる真実』(朝日文庫、2019年)に収録されている。この本はプーチンについて実に多くのことを教えてくれる。
ウクライナの戦争を遂行する建物群
2016年7月にロシアの取材旅行をしたが、モスクワ中心部で感じたのは、帝政ロシアからソ連を経由して現代ロシアに至るまで一貫する、権威主義的な造りと空気である。3泊したホテルは外務省の真ん前で、部屋から外務省の建物の全体が見える(上の写真参照)。いま、このどこかの階に、世界中から厳しい目を向けられているセルゲイ・ラブロフ外相の執務室があるのだろう。
右下の写真は、クレムリンのロシア大統領官邸が入っている旧元老院(カザコフ館)を、「赤の広場」側から撮影したものである。大統領旗が掲げられているときはプーチン大統領が滞在中とされているが、ほんとうのところはわからない。
冒頭左の写真は、旧国家保安委員会(KGB)、現在のロシア連邦保安庁(FSB) の本部である。正面の壁には、ユーリ・アンドロポフKGB元長官(党書記長になるも1年3カ月で急死。69歳)のレリーフが掲げられている。これらの写真は私が6年前に撮影したものだが、いま、これらの建物の主たちが関わった戦争がウクライナで行われているのである。
さて、ウクライナにおける「プーチンの戦争」に関連して、プーチンの精神状態がおかしくなったといった憶測も飛び交っている。アンドロポフ書記長はいまのプーチンの年齢である69歳で急死したが、ほぼ同じ年齢の私からいえることは、まだまだ彼は衰えていないのではないかということである。いや、もっといえば、一貫したイデオロギー的な観点から自分の目標をかたくな貫徹しているように思う。だから、手ごわいし、危ういのである。プーチン暗殺で戦争を止めることを期待する向きもあるが、暗殺や謀略のプロが、そこらの脇の甘い権力者のように不意打ちをくらう可能性は低い。実は、プーチンは、2020年の憲法改正によって、「戦争のできる国家体制」の強化をはかっていたのではないか。ここからが今回の「直言」の本論となる。
憲法の「改正」と「修正」
ロシア憲法は1993年12月25日に施行され、その後何度か改正されてきた。2020年7月4日施行の憲法改正は、プーチン体制を憲法的に補強するものであり、かつ、濃厚な保守イデオロギー色を帯びている(以下の叙述は、国立国会図書館立法情報(大河原健太郎執筆)。
では、プーチンはなぜ、国民投票が必要でない憲法の「修正」について、あえて国民投票を実施したのだろうか。「不要な投票の必要性」(永綱憲悟「2020年ロシア憲法改正プロセス──プーチン個人統治体制の完成」)としてプーチンがこだわったのは、国民投票で圧倒的多数の賛成を得たという事実に基づく、強力な正当性の獲得である。もっといえば、このプーチンの憲法改正に一票を投ずることで、プーチンの強権政治に疑似参加するという感覚を演出しようとしたのではないか。「この投票によりプーチンは、地方首長を含む幹部エリートたちの動員努力、つまりは自身への忠誠を確認し、あわせて今後の行動について国民から再度信任を得ることを目標としていた」とされる所以である(前掲・永綱参照)。
大統領権限の強化と3選禁止規定の空洞化
2020年の改正により、大統領の権限が一段と強化された。大統領は首相を解任することができる(83条)。閣僚に対する人事権についても、首相の関与が廃止された(83 条 5.1 号の追加)。とりわけ重要な改正点は、大統領の任期に関連する3選禁止規定である。「同一人物が 2 期を超えてロシア連邦大統領を務めることはできない」( 81 条 3 項)。81条3.1項が加憲され、この憲法改正時までの任期は、3選禁止規定の対象としてカウントされないものとされた。つまりプーチンは新人候補と同じ条件で次の選挙に臨むことができ、プーチンは2036年まで大統領職にとどまることができる。
2020年改正のもう一つのポイントは、国際法に対する憲法の優位の規定である(改正79条)。「ロシア憲法に合致しない解釈に従って採択された国際機関の決定は、ロシア連邦内では執行されない」となって、憲法の優位が明文化された。これは、ヨーロッパ人権条約や常設仲裁裁判所とロシアとの最近の対立を反映したものであり、いざという時には国際的な人権条約などの、ロシア国内への影響を憲法で遮断するということだろう。
北方領土交渉は違憲?
67 条に追加された 2.1 項は、「領土の統一性」を定める。そして、「領土の一部を譲渡しようとする行為及びそのような事態を煽動する行為は認めない」と規定され、政府がそのような交渉の場に就くこと自体を禁じている。国際法に対する憲法優先の原則を定めた79 条と連動して運用すれば、北方領土に関する交渉をすることは憲法に違反し許されないことになる。プーチンと27回首脳会談をやったと喧伝する安倍晋三の愚行は、単なる自己満足を超えて、結局、北方領土の開発費3000億円をとられた上に、違憲の交渉はしませんと、北方領土交渉を正面から拒否されてしまう結果となった(直言「安倍政権の「媚態外交」、その壮大なる負債」)。安倍はこの点に関して何の反省の弁も語っていない。そもそもトランプの落選とプーチンの戦争についてほとんど沈黙している。自らの関わりを踏まえて発言する責任があるのではないか(直言「安倍政権の「媚態外交」、その壮大なる負債(その2)——忖度と迎合の誤算」)。
保守的イデオロギー条項
2020年のロシア憲法改正のもう一つの際立った特徴は、保守的な愛国主義イデオロギーの憲法条文化である(67条)。ロシア連邦を「ソ連邦の継承者」と位置づけ(1項)、ソ連復古を押し出した。とはいえ、マルクス・レーニン主義のソ連につなげるのではなく、「千年の歴史」「神への理念と信仰」を伝えてきた「祖先の記録の保持」と「歴史的に形成されてきた国家の統一性の承認」という形で、大ロシア主義と接続させている(2項)。また、「祖国擁護者の追憶」「歴史的真実の擁護」という形で、特定の歴史観を憲法レベルに押し上げるとともに、「祖国擁護における国民の偉功の意義を貶めることは許されない」としている(3項)。さらに、家族に関する保守思想は徹底していて、「児童の愛国主義」「年長者への尊敬心の育成」「家庭教育の優先性を保障」などを条文化している。72 条 1 項 7.1 号は、婚姻を「男性と女性の結びつき」に限定して、実質的に同性婚を否定している。なお、67.1 条に追加された 2 項、3 項は、特定の歴史観・思想の統一を規定する。「歴史的団結」「祖国の防衛者の追悼」などを定めている。
「不滅の連隊」の具体化としての「特別の軍事作戦」?
冒頭右の写真は、プーチンが「不滅の連隊」に戦死した自らの家族の写真を掲げて参加しているシーンである(ロシアTV2019年5月15日より)。独ソ戦を「大祖国(防衛)戦争」と捉えるのはソ連時代から一貫している。第二次世界大戦で最も多くの死者を出したソ連・ロシアからすれば、その戦死者を顕彰することは、国家の正統性を明確にする効果がある(左の写真はヴォルゴグラード(旧スターリングラード)近郊のロソシュカ戦没者墓地)。戦争に参加した将兵たちの子孫がその写真を掲げて行進に参加する。これは2011年にシベリアのトムスク市で始まったとされるが、現在、世界110カ国、500都市以上(東京でも200人が参加)で開催されているという(Russia Beyond 10.5.2019 )。
《文中敬称略》
【2022年3月13日脱稿】