ユルゲン・ハーバーマス「戦争と憤激」──ドイツがヒョウでなくチーターを送る時代に
2022年5月2日

日本国憲法の75

日は、日本国憲法施行75年である。1986年の釧路以来36年間、憲法記念日に全国各地で講演してきた。コロナにより1年中止で、昨年は名古屋だった。今年は12年ぶりに静岡で講演する。憲法や憲法改正については、岸田文雄首相の憲法に対する姿勢について書いた直言「岸田さん、本音はどこですか──「政権維持装置」としての改憲?をお読みいただきたいと思う。

 

ドイツの安全保障政策の大転換

さて、ウクライナをめぐる状況がますます悪化している。市民の犠牲は増える一方である。日本も関与したイラク侵略戦争の開戦から来年で20年。「イラク・ボディ・カウントを見ると、今も毎日のように死者が出ている。終っていないのだ(直言「「馬鹿が戦車でやって来る」――イラク・ボディ・カウントは続く参照)。そして、北大西洋条約機構(NATO)の会議に日本が参加するという。NATOの「東方拡大」は、とうとう北東アジアにまで達したかのようである。

シアのウクライナ侵攻から3日後の227日、ドイツ連邦議会は異例の日曜日の特別会議(Sondersitzung)を開き、安全保障政策の歴史的大転換を行った。オラフ・ショルツ首相(社会民主党(SPD))は、ウクライナへの直接的な武器供与の方針を決めた(携行式の対戦車ミサイルと対空ミサイル)。ドイツは紛争地域への直接的な武器供与を禁じてきたから、これは従来の外交・安保政策の大きな転換となる。のみならず、ドイツ連邦軍の能力を向上させるため、1000億ユーロ(約137000億円)の特別基金を設けて装備を強化することも打ち出した。国内総生産(GDP1.5%ほどだった国防費を、今後毎年2%以上に引き上げるという、まさに「大規模軍拡」(massive Aufrüstung)の様相を呈している。ドイツ統一後、軍事予算の削減傾向が続いた。メルケル首相時代は、NATOが加盟国に求めるGDP2%に至らない抑制的な姿勢を維持してきた。連邦軍の装備の不足や老朽化は著しく、現EU委員長のウルズラ・フォン・デア・ライエンが連邦国防大臣の時にこれを問題にしていたことが想起される(直言「25年ぶりのドイツの「軍拡」――7次基本法改正60周年に)。今回の事態は、まさに大軍拡への「天の声」、「ウクライナ特需」といえるだろう。


「緑の党」の変身

連立与党の「緑の党」の、パシフィスト(平和主義)からベリシスト(好戦主義)への転換が際立っている。すでに19993月のコソボ紛争時に「家の前の戦争という見地から、党として方針転換はしていたが、今回は他のどの政党よりも前のめりの姿勢を鮮明にして、「ドイツの武器供与は第三次世界大戦のリスクを高める」として踏み止まるショルツ首相を激しく突き上げている。その急先鋒が、閣内では、アンナレーナ・ベーアボック外務大臣 (写真はexpress vom 9.2.2022)、「緑の党」内では、閣僚になり損ねたアントン・ホーフライター元共同代表(412日にキエフ(キーウ)に乗り込み、ウクライナ側に軍事支援を約束)である。

『南ドイツ新聞』(SZ)421日付の「平和主義とのドイツの大胆な別れ」という評論記事は、80年代の平和・環境運動のなかから生まれた「緑の党」の原点をトレースしながら、ホーフライターもその流れで「軍事作戦に対する彼の態度はかなり控えめだった」と書いている。彼は、「最前線の戦闘員の厳しい言葉にさりげなく切り替わるのは驚くべき」とされるような変身をとげる。最近では、ショルツ首相を「メルケル首相に非常に似ている」と激しく非難するに至った(SZ vom 23.4)。なお、私は、ベーアボックについて、外相就任時にその危うさを、直言「2022年の年頭にあたって――「力の政策」の突出は何をもたらすかで次のように指摘した。

EUにおいてメルケルが示した安定的な役割は終わり、むしろ、「緑の党」のアンナレーナ・ベーアボック外相のもとで、対ロ、対中で目立った強硬策に出てくることが懸念される。「緑の党」は平和の党ではない。1999年のコソボ紛争時のユーゴ空爆にドイツが参加したのは、SPDと「緑の党」の連立政権だった。「緑の党」は、「人権のための戦争」ということで、保守政権よりも時に過激に武力介入に賛成する傾きがある。ウクライナ事態におけるロシア対応では、メルケル前政権に比べると踏み込む可能性が高い。ショルツ首相は、功を焦るこの若い女性外相の突出をおさえることができるか。…

41歳のベーアボック外相だけではない。フィンランド首相(36)、スウェーデン首相(55)、エストニア首相(44)と、ロシアとの関係で、過去の歴史を踏まえた慎重な外交を展開すべき国々が、欧州の枠組み(EUOSCE)を踏み越えて、米国中心のNATOに前のめりでコミットしている。すべて比較的年齢の若い女性政治家である。ややドメスティックな例えをすれば、「「戦争を知らない子供たち」を知らない子どもたち」の世代である。そして、1999年のコソボ紛争時と同様、ほとんどが社会民主党・リベラル系の政権であることも共通している。あの時の米国務長官は、先月23日に亡くなったマデレーン・オルブライトだった。彼女は第二次世界大戦中、ナチスに追われてチェコから英国へ避難した経験をもつ。そのオルブライトが、ベトナム反戦運動の経験のあるドイツや各国の首相や閣僚たちに対して、「ノーモア・ウォー」ではなく、「ノーモア・アウシュビッツ」なのだと迫って、「ユーゴ空爆」に強引に参加させたのである(直言「オルブライトの戦争参照)。私にとって、19992022年が重なる所以である。なお、コソボ紛争へのNATOの介入によって、紛争がさらに複雑化し、憎悪の連鎖を深める結果となったことについては、直言「「コソボ戦争」5周年」参照のこと。


日本にいたショルツ首相──連邦議会を欠席

先週、ドイツのショルツ首相が初来日した。『南ドイツ新聞』429日付は、「私はオフだ」という皮肉をまじえた見出しで、比較的大きくこれを扱った。実はショルツ首相が来日してドイツを留守にしていた428日午前9時から連邦議会が開かれ、ウクライナに対する重火器の供与が、賛成586、反対100、棄権7の圧倒的多数で決まった。来日の初日、ショルツ首相は、日本語で会話をしたという。それを同紙は、「連邦議会の本会議場。オラフ・ショルツが日本でのスピーチの直前に最後に日本語の練習をしている頃、本国の議会の政府席一番の席は空席だった」と書いている。かくして、「ヨーロッパの平和と自由を守る、ウクライナへの包括的な支援」という形で重火器の供与が決まったなお、上の写真はDer Spiegel18号(4月30日)の表紙で、ベーアボックを真ん中に、左がホーフライター、右はロベルト・ハーベック財務大臣。ショルツを突き上げる「オリーブ・グリーン(好戦的緑の党)の面々である(5月4日追加)。



ヒョウ(レオパルト)ではなくチーター(ゲパルト)

この写真は、連邦軍の軍事史博物館(ドレスデン)にあるレオパルトⅡ戦車である。2016年の在外研究中に訪れた際のものだ。Leopardはヒョウ()のこと。ウクライナの大統領ゼレンスキーは、「もっと武器を」と西欧首脳に対して、半ば恫喝的に迫っている。ドイツにも重火器を提供せよというが、その場合、レオパルトⅠが想定されているようである。だが、ショルツ首相は重火器の供与に慎重な態度を崩していない。

巧妙な形でプレッシャーをかけたのは米国だった。先週の火曜日(426)、ドイツ南西部のラムシュタイン米空軍基地にNATO諸国の国防大臣らを集めた。NATO加盟を希望しているフィンランドやスウェーデンも参加。日本の岸信夫防衛大臣までオンラインで参加して、計40カ国になった。ドイツ連邦国防大臣のクリスティーネ・ランブレヒト(SPD)が、米国防長官や米統合参謀本部議長の隣に座らされ、在独米軍基地内で、まさに「針のむしろ」状態。56歳の女性大臣の表情は固かった(Tagesspiegel vom 26.4.2022)。会議では、ウクライナへの兵器供与の内容や軍事援助についての調整がなされたが、実際には、ドイツが重火器を出すか否かに注目が集まった。ランブレヒトはかなり厳しい表情で、35ミリ自走対空機関砲「ゲパルト」(Gepard)50両、ウクライナに供与することを表明した。ゲパルトとはチーターのことである。冒頭右の写真(SZ vom 26.4.2022による)は、チーターの迷彩をほどこした、博物館行きのものである。1973年から正式配備されてきたから、50年近く使用されている。ウクライナ側は「レオパルトⅠ」戦車を要求していたが、ショルツは首を縦に振らなかった。

「チーター」は、対空機関砲だが、地上の目標に対する戦闘にも使用可能とされる(水平射撃)。この種の自走対空機関砲は、日本の自衛隊では87式自走高射機関砲が、北海道の第7師団(東千歳)隷下の第7高射特科連隊(静内駐屯地)に配備されていて、海に向かって射撃訓練をするところに遭遇したことがある(直言「ヒトマル戦車と「防衛事業仕分け」)。師団防空用の装備で、対空ミサイルと異なり、狭い範囲しかカバーできない。ウクライナに「ヒョウ」を送れば「戦車を供与した」となるが、「チーター」ならば機関砲だから、「大砲」のついた「戦車」ではないというイクスキューズになると考えたのだろう。かなり苦しいが、米軍基地内での会議でドイツが示した苦渋の選択だった。連邦議会は428日、この自走対空機関砲のウクライナへの供与を承認したが、前述のように、ショルツ首相は日本にいたため、議会の討論には参加しなかった。とにかく前のめりの軍事支援とならないように苦労していることがわかる。しかし、これが、曖昧、鈍重、軟弱といった世論の批判を受けることになる。

 

軍需産業ラインメタルがロシアに

 保守系のDie Welt紙の調査ルポルタージュによれば、「ウクライナへの重火器の供与はすぐに増える可能性がある」として、軍需産業のラインメタル社は、連邦政府に88台のレオパルトⅠA5戦車をウクライナに提供するように申請したという。軍需産業は「ヒョウ」の供与にご執心である。加えて、この会社は、100台の歩兵戦闘車「マルダー」(Marder)も生産している(Hans-Martin Tillack,Ein Rheinmetall-Deal in Russland und der Verdacht auf Bestechung,in:Die Welt vom 23.4.2022 )。デュッセルドルフに本社を置くラインメタルはドイツ屈指の軍需産業だが、2014年、ロシア軍から戦闘訓練用シミュレーションシステムを1億ユーロで受注していた。モスクワの東330キロの訓練センターで、ドイツ製のシステムのおかげで、ロシア兵は市街戦や都市地形での軍事作戦(MOUT)の訓練を行うことができた。しかも、Die Weltのこのルポによれば、ブレーメンに本拠を置く子会社のラインメタル・ディフェンス・エレクトロニクスの2人の幹部が、ロシア側に538万ユーロの賄賂を送った疑いが浮上し、告発もされたが、取り下げられたという。ウクライナの戦争をめぐっては、30年以上にわたって積み重ねられてきた実に複雑な要素や関係、そしてバイデン政権の「不都合な事情」(2024年の返り咲きを狙うトランプとの関係も含めて)が背後に介在していることに注意が必要である。


 

「もっと武器を」と叫ぶゼレンスキー

ゼレンスキーを襲う「究極のジレンマ」──徹底抗戦か戦争終結のための妥協かによれば、「コメディアン上がりの44歳の大統領は政治の初心者と見なされ、ロシアの脅威が迫るなか、ウクライナ国民や欧米の首脳らは彼の手腕に懐疑的だった。ところが、いざ戦争が始まると、その勇気で国内外の人々を鼓舞し、ウクライナの歴史に名を刻む指導者へと進化した」。しかし、ここへきて、ゼレンスキーの武器供与を求める恫喝的な演説には、ほころびも見え始めている。「彼はこの戦争を続けるために強烈なナショナリズムの感情に頼ってきたが、それこそがこの戦争を終わらせることを極めて難しくしている。究極のジレンマ」というわけである(キース・ダーデン(米アメリカン大学))。ちなみに、各国指導者までも戸惑わせる演説は、英紙「オブザーバー」紙が突き止めたところによれば、38歳の元ジャーナリスト、ドミトロ・リトヴィンというスピーチ・ライターによるものという。ウクライナ側の「不都合な真実や、エマニュエル・トッドの鋭い指摘を受けて、今や北欧や東欧の国々の「希望の星」になったかに見えるNATOの本質に対する冷静な視点を失ってはならないだろう。


 ユルゲン・ハーバーマス「戦争と憤激」の問題提起

そのウクライナの戦争をめぐって、バイエルンの風光明媚なシュタルンベルク河畔に住む知の巨人、ユルゲン・ハーバーマス(Jürgen Habermas)が、注目すべき問題提起の文章を、『南ドイツ新聞』429日付(デジタル版)に寄稿した。冒頭左の写真がその1面トップであり、本文は文芸欄(Feuilleton)に全文掲載されている。タイトルは「戦争と憤激」(Krieg und Empörung)。リード文には、「甲高い口調、道徳的な恐喝:かつての平和主義者、ショックを受けた人々、そして慎重に検討する首相との間の、ウクライナ襲撃後の意見対立について」とある。

ちょうど23年前の春、コソボ紛争でドイツがユーゴ空爆に参加して1カ月が経過した時点で、ハーバーマスは、高級週刊紙Die Zeit1999429日付に、「獣性と人道性――法とモラルの間の限界線上の戦争」を公表した。当時、ボンにいた私は、すぐに「直言」の1999524で紹介した。あれから4分の1世紀近くが経過して、92歳(6月で93歳)の著名な哲学者が、このタイミングで重要な問題提起を行ったのである。全文を翻訳して紹介する仕事は、すでに取り組まれていると思うので、公表から2日の時点で、要旨を紹介することにしよう。鍵括弧で示した部分は原文の翻訳である。あとは要旨をまとめた部分もある。[  ]は訳者注。また、ゴシックで示した部分は小見出しで、これはすべて翻訳した。

「戦争のない時代から77年後、そして脅かされながらも恐怖の均衡の中でのみ維持されてきた平和が終わって33年後、我々の門前で、ロシアにより恣意的に引き起こされた戦争に関するかき乱されたイメージが還ってきた。この戦争という出来事に関してメディアの存在が、これまでないほどに我々の日常を支配している。映像の力を熟知したウクライナの大統領は、印象的なメッセージとなるよう気にかけている。生々しい破壊や心を揺さぶる苦悩を日々新しく映し出す光景が、西欧諸国のソーシャルメディアにおける反響を自ずと強めている。予測のつかない戦争という出来事を公表することと、この出来事が人々に与える推定上の効果の新しさは、メディア慣れした若者たちよりも、我々年配者の方がより深い印象を受けているのかもしれない。」

しかし、これが巧妙な演出であろうとなかろうと、我々の神経に障るものであることは事実であるし、この戦争が近接領土のものであるという意識が、この事実の持つショッキングな効果に貢献している。そのようにして西欧諸国の視聴者にあっては、死者が出るたびに不安が、殺害が起こるたびに動揺が、戦争犯罪が起こるたびに憤慨が、そしてこれらに対して何かをしたいという願望が強くなる。このような感情を国中に沸き立たせる合理的な背景には、大規模で国際法に違反する侵略戦争を引き起こし、組織的に人間を軽視した戦争遂行によって人道的な国際法を侵すプーチンとロシア政府には当然加担しないという態度がある。」


オラフ・ショルツを非難する人たちの自信(Selbstgewissheit)と攻撃が苛立たしい。

「このような一致した敵対にもかかわらず、西欧同盟諸国の政府においては、異なる措置が採られており、ドイツにおいては、苦境にあるウクライナへの軍事支援のあり方や程度をめぐって、新聞・雑誌の論評によって引き起こされた苛烈をきわまる意見の対立が生じている。

かつての連邦政府の政治的に誤った判断や誤った方針転換につけこみ、ただちに道徳へと訴えかける、謂われなく苦境に立たされたウクライナの要求は理解できるものである。」

「しかし私は、よく考え抑制的に振舞う連邦政府に対抗する、道徳的に憤慨した批判者たちの自信に苛立ちを覚えている。連邦首相は自身の政治について、シュピーゲル誌のインタビューで次のような言葉で言及している。すなわち、「我々は、ロシアがウクライナで引き起こしている苦悩に、あらゆる手段で立ち向かうが、大陸全土に、それどころか、おそらく全世界に途方もない苦悩をもたらすような、制御不能の拡大はしない。」と。西欧諸国が、この紛争に戦争当事者としては介入しない意を決した以上、ウクライナの軍備拡張に対して制御なく関与することを排除するというリスクの閾値(Risikoschwelle)が存在する。このリスクの閾値は、我々の政府とラムシュタイン[米軍基地]の同盟国との直近の団結[4月26日のNATO会議]を通じて、そして同様に、ラブロフ[ロシア外相]が新たに核兵器の投入を警告したことを通じて、まさに今ふたたび照らし出されている。この閾値を無視して、好戦的で自信に満ちた調子で連邦首相をこの方向性へと駆り立てようとする者は、この戦争を通じて西欧諸国が陥ったジレンマを無視しているか、誤解している。というのも西欧諸国は、戦争当事者にはならないという道徳的に十分に根拠ある決断によっても、自らの自由を自ら拘束しているからである。」


連邦首相はいみじくも政治的に責任を負うべき衡量を主張している。

・西欧諸国の陥ったジレンマ:ウクライナの敗北か、局地的な紛争の第三次世界大戦への拡大か?を選択しなければならない。

・一方、冷戦の教訓: 核保有国との戦争は、軍事力による「勝利」は不可能である。「核の潜在的脅威に伴う結果とは、脅かされている側は、自らも核兵器を使用できるかいなかにかかわらず、軍事力の行使によるあらゆる耐え難い破壊を、勝利によって終わらせることはできず、せいぜい双方にとっての面子を保ちうる妥協によって終わらせることができるということである。そうであれば、どちらの側にも戦場から「敗者」として退場させられる敗北を期待することはできない。目下戦闘と同時並行で進んでいる停戦協定はこの洞察をあらわすものである。」

・「ロシアの潜在的脅威は、西欧諸国が、プーチンは大量破壊兵器(ABC-Waffen)を投入しかねないと思うという点に依存している。」「このことにより、4つの核保有国の参加による終末的な規模の世界大戦となることを顧慮して、戦争当事者になりたくないNATOに比べ、ロシアが不均衡に有利となる。」

・「今やプーチンが、西欧諸国が国際法で定められた閾値をいつ乗り越えるのかを決めるのであり、その閾値を越えると、彼は、ウクライナへの軍事支援を西欧側による戦争参加であると正式(formal)にもみなすのである。」

・決定が不確実である以上、リスクの高いポーカーをしている余裕はない。「西欧諸国は、当初より徹底的な制裁を科すことにより、事実上戦争に関与したことには疑いがないが、それゆえ、軍事支援を一歩進めるごとに、次の点を入念に検討しなければならない。すなわち、プーチンの決定権限に依存しているがゆえに不明確な正式な戦争参加の境界を、軍事支援をすすめることによって踏み越えないかどうかである。」

・他方:西欧諸国は、思うがままに脅迫されることを許すことはできない。「西欧諸国がウクライナを見捨てるようなことがあるとすれば、政治的・道徳的な点でのスキャンダルとなるだけでなく、このことは自国のためにもならないであろう。というのも、もしそのようなことになれば、次はジョージアやモルドバ共和国の場合にも、同じロシアンルーレットに興ぜざるをえないことを覚悟せねばならないからである。次は誰であろうか?」

・プーチンが何でもできるようになるから、彼を追い込むべきではないという議論には、次のように回答しうる。「「恐怖政治」がますます敵対者に紛争の拡大を一歩一歩駆り立てる自由を与えるのだ」(ラルフ・フュックス)と。「この議論もまた、状況が予測困難である性格を持つことのみを確認している。というのも、我々が十分な根拠をもって、ウクライナを支持するため、新たな当事者としてはこの戦争に参戦しないことを決定する限りにおいては、軍事支援の態様と程度は、この観点からも判定されなければならない。合理的に支持できる方法で「恐怖政治」に対抗する者は、すでにオラフ・ショルツ連邦首相がいみじくも主張しているところの、政治的に責任を負うべき、そして事実的に包括的な情報を踏まえた検討に関する議論の余地の内部ですでに動き始めている。」


ドイツの主要メディアは、ソビエト最盛期のように、プーチンに関する推測を広めている

「その際に重要なのが、我々が自らに自分自身で課した、法的に定義された境界の、我々の目から見てプーチンにとって同意しうる解釈に注意を払うことである。」

・戦争当事者にならないという決定:西欧諸国がウクライナを見捨てることを意味しない。

西欧諸国の武器供給:ウクライナが多大な犠牲を払っている戦いの行方に、おそらく有利な影響を及ぼすことができる。「しかし自ら武器をとることなく、残忍なロシアの戦争遂行に対するウクライナの勝利に賭けるというのは、妄信的な自己欺瞞なのではないだろうか?」という声。「好戦的なレトリックは、それが雄弁に鳴り響く観客席とは調和していない。というのもこのレトリックは、一枚のカードにすべてを賭けることができる敵対者のもつ予測不可能性を晴らせていないからである。」

・西欧諸国のジレンマ:「西欧諸国は、万が一には核の拡大にも着手しかねないプーチンに対し、国際法上定められた戦争参加のレッドラインのこちら側に留まるウクライナへの、自分自身を自ら制限する軍事支援によってのみ、欧州における国家の境界の不可侵性を主張する原則を伝えることができる。」

・自己制限的な軍事支援を冷静に検討することは、明らかに誤った評価に基づく決定にロシア側を踏み切らせた動機を評価することを通じてさらに複雑となる。

「プーチンという人物に焦点を当てると、放埓な憶測が生じており、この推測を我らの主要メディアが、こんにち、憶測に基づくソビエト学の最盛期のように展開している。断固とした修正主義者たるプーチンというこんにち支配的なイメージは、彼の関心に関する合理的な評価と少なくとも比較する必要がある。」

・プーチンのイメージ:ソ連崩壊を大きな過ちと考え、ロシア正教会の祝福を受け、権威主義的イデオローグであるアレクサンドル・ドゥーギン[地政学者]の影響を受けて、大ロシア帝国の再確立を政治生命とする幻想を抱くプーチン。彼の性格の全容を反映しているとはいいがたいが、このイメージに基づいて、彼がさらなる攻撃の意図をジョージアやNATO加盟国たるバルト諸国、さらにはバルカン半島にまで及ぼすという想定が流布している。


それでは、核保有国に対する戦争は「勝つ」ことができるのか?

・このような妄想に駆られた歴史的懐古主義者の人物像:社会的昇進とKGBで訓練された合理的だと判断される権力者のキャリアと相容れない。

・ウクライナの西欧への転向、ベラルーシの政治的抵抗運動:プーチンの不穏さを強化。「この観点からすれば、度重なる侵略はまさに、プーチンの地政学に関するアジェンダ「特に、国際法違反の征服を国際法的に承認すること、ウクライナを含むことを意図した「アプローチ」の無力化についての交渉を、西欧諸国が拒否したことに対する不満に満ちた回答として理解されねばならないだろう。」

・しかし、それでは、ショルツ首相が繰り返し肯定した、EUNATOのパートナーとの合意に基づいて検討されてきたウクライナとの連帯政策に関する国内での激しい議論をどのように説明できるだろうか。

デタント政策(Entspannungspolitik)の継続、安価なロシアの石油輸入に依存したドイツ政府の過ちについては、ここでは扱わない。いつの日か歴史家が判断するであろう。

・状況は以前の議論とは異なっている。以前の議論:「新しいドイツのアイデンティティの危機」の名の下に、さしあたり冷静にドイツの東方政策(Ostpolitik)と防衛予算に関する「時代の転換」の帰結を扱う議論である。


感情的にとらわれた[ベーアボック]外務大臣はすでにアイコンになっている。

・このような見解は、規範的な問題に敏感であるよう教育され、感情を隠さず、強力な政治参加を声高に要求する若者たちの例に精神的に依存している。

・戦争という新しい現実が平和主義者の幻想を揺さぶったように見えた。このことは、開戦直後、信頼に値する身振りと告白のようなレトリックでショックを真正面から表現した、アイコンとなったベーアボック外相をも想起させる。

・「このように、我々は、自由、権利そして生活のために戦う国民の視点を感情移入しながら唐突に採る者と、冷戦の経験から別の教訓を学び、―街頭で抗議する者のように―他のメンタリティを形成する者との紛争の本質に触れる。ある者は勝利と敗北の選択肢の下でしか戦争を想起しえず、またある者は核保有国との戦争はもはや従来の意味においては「勝つ」ことができないことを知っている。」

・大雑把に言えば、ナショナルとポストナショナルの影響を受けた国民の精神性が、この戦争に対する様々な態度決定を一般的に形成している。

・ウクライナの住人と「我々」、より一般化すれば西欧の住人に期待されるものを比較すればこの違いは明らかである。我々の称賛の中には、勝利の確信と、軍事的に遥かに優位な敵から祖国を守ると決意した、この戦いのために徴募された者たちへの不屈の勇気に対するある種の驚愕が入り混じっている。「それに対して西側の我々は正規軍に賭けているのであり、万が一の場合には我々自らが武器を手に自分を守らなければならないのではなく、職業軍人によって守らせるように金を支払っている。」


まだ他にもウラジーミル・プーチンとは交渉しなければならない。

・ポスト英雄的な(postheroisch)メンタリティは、20世紀後半のアメリカの核の傘の下の西欧で形成することができた。

・国際紛争は外交と制裁によってのみ解決しうる。大量破壊兵器の使用を考慮すると、古典的な意味での勝利はありえない。

・アレクサンダー・クルーゲ:「戦争から学べることは、平和を創り出すことだけである。」

「あらゆる犠牲を払ってでも平和を」という原理的な平和主義を意味するのではない。

「破壊、人間の犠牲そして脱文明化(Entzivilisierung)をできるだけ早く終わらせるという方向性は、単に生き延びるために政治的に自由な生活を犠牲にせよとの要求とは同義ではない。」

・「時代の転換期の右派的な解釈者に歓迎された、我々のかつての平和主義者らの転向について、私は、同時に相互に衝突しつつも、歴史的には同時期ではない精神性の混同から説明する。」

「この特徴的なグループは、ウクライナの勝利への確信を共有し、至極当然のことのように国際法違反に訴えかけている。」 ブチャでの残虐行為の後、「プーチンをハーグに!」という声が広まったのはその一例である。このことは、人々が期待することや人道に関する感受性の変化を示している。

・「この歳になって、私はある種の驚きを隠せない。」「保守派のプレスでさえロシアと中国、アメリカも認めていない国際刑事裁判所への起訴を呼び掛けているとすれば、我々の子孫が生きる文化的な自明性はどれほど除去されているのだろうか。」残念ながらこのことは、ドイツの自制的態度を非難し、声高に道徳的非難を叫ぶ空虚な根拠となっている。プーチンは戦争犯罪人かもしれないが、それでもなお[安保理の]拒否権の座を占めているし、核兵器で相手を脅迫することができる。「戦争の終結、少なくとも停戦は、なおプーチンと交渉されなければならない。」戦争に参加しないという政策を危殆に陥れるような政策要求に正当性を見出すことはできない。


かつての平和主義者の転向は間違いと誤解をもたらす

・「歴史的に異なる時点で展開してきたことから説明される政策的・精神的な差異について、同盟国は自らを責める必要はなく、この差異を事実として認識し、協調する際に賢明に考慮すべきである。」

・「しかし、視座を形成する違いが背景にある限り、この違いは、連邦議会でウクライナの大統領が道徳的秩序を呼び掛けたビデオメッセージに対する国会議員の反応の場合と同じように、感情の混乱をまねくだけである。」

・戦争に対する感覚と解釈には歴史に根拠を持つ差異があることを無視することは、相互の関係に重大な誤りを招くだけではない(例:ドイツ連邦大統領のキーウ(キエフ)訪問に対する拒絶)。さらにゆゆしきことに、他者に思い、望むことを相互に誤解することになるのである。

・「この認識はかつての平和主義者らの転向をも冷静にとらえることになる。」 というのも、彼らの短絡的な要求を動機づける背景を形成している憤激、怒り、そして同情は、いわゆる現実主義者が常に嘲笑ってきた規範的な方向性に拒否を突き付けることからは説明がつかない。むしろ、まさにこれらの原則を過度に簡潔に読んだことから説明がつくのである。彼らは現実主義者に転向してはいないが、ほとんど現実主義の中で躍起になっている。すなわち、道徳的な感情がなければ道徳的な判断はないが、普遍化する判断は、彼らの側でも、近接した場所で奮い立った感情の限定的な範囲を修正させる。

・とにもかくにも、『時代の転換』(Zeitenwende) の著者たち(訳注)が、大国間の情勢が劇的に変化したことに直面して、時機を失した洞察を実現しようとする左派・自由主義者であることは偶然の一致ではない。すなわち、欧州連合がその社会的・政治的生活様式を、外部から不安定化させたり、内部からぐらつかせたりさせたくないのであれば、欧州連合が軍事的にも自らの足で立つことができる場合にのみ、政治的な行為能力を有することになる。マクロンの再選が示すのは猶予である。しかしまずは、我々は自らのジレンマからの建設的な出口を見つけなければならない。ウクライナは戦争に負けてはならないという慎重な目標の定式に、この望みが映し出されている。

(訳注)ミッシェル・フリートマン,ハラルト・ヴェルツァー『時代の転換─民主主義と人間の尊厳への攻撃』(Michel FriedmannHarald Welzer, ZeitenwendeDer Angriff auf Demokratie und Menschenwürde,2020


 ハーバーマス論稿への反響

今回の「直言」は思わぬ長文になった。今回のハーバーマスの論稿は、1999年のコソボ紛争時の論稿よりもわかりやすいように思う。ショルツ首相の姿勢と行動を直接支持するというのではなく、それに対する「道徳的に憤慨した告発者」を批判している。「緑の党」のかつての平和活動家たちの転向への厳しい眼差しは当然としても、ロシアという大国によるあからさまな侵略行為を前に、日々の市民の犠牲者の悲惨な映像を前に、「情動」「激情」「感情」を体現した政治家が結論を急ぐことへの警鐘は重要である。とりわけ、プーチンを戦争犯罪人としてICC(国際刑事裁判所)に起訴すべしという言説の無謀さへの批判は明快である。「この歳になって、私はある種の驚きを隠せない」と正直に吐露するのは、メディアが「ロシアと中国、アメリカも認めていない国際刑事裁判所への起訴を呼びかけている」ことである。これが、「ドイツの自制的態度を非難し、声高に道徳的非難を叫ぶ空虚な根拠」となっていることを嘆く。「プーチンは戦争犯罪人かもしれないが、それでもなお[安保理で]拒否権をもち、核兵器で相手を脅迫することができる。」「戦争の終結、少なくとも停戦は、なおプーチンと交渉されなければならない。」

429日朝に公表されたハーバーマスの論稿に対して、デジタル版には早くも当日に長い論稿が載っている。2年前まで同紙編集長をやっていたクルト・キスターの「ハーバーマスとウクライナ:攻撃への感情(Gefühle am Anschlagである。「今日、情動(Emotion)が重砲となっている」として、それがショルツ首相を悩ませている。「激情(Affekt)、効果(Effekt)、理性(Vernunft)の三角形のなかのドイツについて」とある。

キスターも書いているように、ハーバーマスは、ウクライナの戦争の対応をめぐってショルツ首相を結果的に擁護している。ウクライナのNATO加盟を「永遠の待合室」にとどめようしたメルケル前首相、それを継承したショルツ首相の「賢明な先延ばし者」としての姿勢が浮き彫りにされている。

というわけで、ハーバーマスの論稿が出て2日しかたっていない時点で、不十分ながらその内容を紹介した。

202251日午後1530分脱稿》

《付記》 ドイツ政府は、ウクライナへの武器供与として、PzH2000 155ミリ自走榴弾砲を検討しているというニュースが入ってきた(SZ vom3.5.2022)。「ひょう」戦車よりも大口径の自走砲の供与となると、これは本格的な軍事参入となりうる。関連して、この装備を運用できるようウクライナ兵の訓練をドイツ連邦軍が行うことも検討されているというから、これは「チーター」対空機関砲の供与とは質が異なってくる。(2022年5月4日午前11時30分)
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