映画『戦争のはじめかた』(2001年)のリアル――軍備強化の既視感
2022年5月16日

「公開5度延期」の戦争映画

ヶ岳の仕事場のある地域の「町内会」の代表をしていた。コロナ禍でほとんど行けず、ゼミ生とのおでん会2年間中止だった。連休前にようやく総会を開いて、新代表に交代した。日帰りだったが、仕事場に置いてあるクラシックのCDなどを少し持ち帰った。そこに1本のDVDを加えた。『バッファロー・ソルジャーズ――戦争のはじめかた』(英国・ドイツ合作、2001年)。17年前に見た映画で、10年ほど前にDVDでも入手していたが、その後見ていなかったものである。自宅に持ち帰って久しぶりに見て、実におもしろかった。「ポスト冷戦」の空気のなかで見たのとはまた違った意味での発見、というよりも強烈なリアリティがあった。戦争映画についていろいろ書いてきたし、名作も多い。この作品はB級映画にみられがちだが、名優エド・ハリスやスコット・グレンなども出演していて、いい味を出している。DVDのケースには、「「911」のアメリカが最も恐れた真の戦争映画! 前代未聞の公開5度延期! 悩めるアメリカの真実がここにある!!」という派手な文章が。ウクライナの戦争が「勃発」して、「冷戦終結後の終わり」となったいま、公開された2001年以上に「本質的問題作」になっているように思う。なお、冒頭左の写真はこのDVDのカバーで、最近入手した「プーチン1ドル紙幣と重ねてみた。

 

軍隊の生理と病理

   映画の内容については、直言「映画「戦争のはじめかた」の「おわりかた」で紹介しているが、簡単にまとめれば次の通りである。なお、これは、加筆して志田陽子編著『映画で学ぶ憲法』(法律文化社、2014年)に所収。

  この作品の上映寸前に「9.11」が起きて、アフガン戦争、イラク戦争と続いて、全米公開が5度も延期になった。米軍基地内部の話なのに、英国とドイツの合作で、しかも米軍・ドイツ連邦軍、全面非協力である。舞台は、ドイツ南西部、シュトゥットガルトにある米欧州軍の基地(第317補給大隊)。ソ連崩壊により「戦う敵」がいない兵士たちの「退屈な日常」を、怠惰で退廃的な空気のなかで描く。無意味な軍務や訓練の合間に(否、任務遂行中ですら)、自己の欲望のおもむくままに生きている。巨大な軍隊にとって「最大の敵」は、実は「何もすることがない」ということらしい。そのことがわかってしまわないよう、たくさんの「任務」が存在する。海外駐留米軍、もっといえば「外征軍」の無意味さが、単なる士気低下にとどまらない、人間や組織の頽廃にまで及んでいるさまを、ブラックな手法で描いている。作品の終わり近くに出てくるニーチェの言葉は痛烈である。「平和な時、戦争は自ら戦争する」と。秋山登氏の読み解きでは、「戦争は軍隊の生理で、戦時も平時も存在しない、ということ」になる(映画パンフ9頁)。

この17年前の直言には、チャルマーズ・ジョンソン(元CIA顧問)の主張も紹介されている。沖縄に滞在したことのあるジョンソンの指摘は、いちいち鋭い。ちなみに、この写真は、各地の米軍基地内の将校クラブ(Officer's Club)専用マッチである20年ほど前に、マッチコレクターから入手したものだが、45の米軍基地のマッチがあり、空軍が多い。

《…危機や脅威に対処するために米軍が展開し、軍事基地が必要になるのではない。米軍にとって快適な居住条件のある基地を必要とするから、米軍の世界展開があり、危機や脅威が「作られていく」のである。東京の都心にもリゾートホテルをもち、全世界に234の米軍専用ゴルフ場をもつためには、危機や脅威がなくなっては困るわけだ。なぜ米軍は沖縄を手放さないか。ジョンソンはいう。「その答えは明白だ。旧ソ連の軍隊が東ドイツ駐留を楽しんだのと同じ理由から、アメリカ軍も沖縄駐留を楽しんでいるのである。自国の軍事植民地における生活は、ソ連の軍人にとってもアメリカの軍人にとっても、母国ではほとんど望めないほどすばらしいものなのだ」。沖縄は「ペンタゴンの軍事植民地」であり、軍人とその家族にとって、「アメリカでは決して体験できないことを体験できる巨大な隠れ家なのだ」という(『アメリカ帝国への報復』集英社、2000年)。この快適な「植民地」を維持するために、脅威や危機はいくらでも作れるわけだ。…》

これを受けて、「直言」では、こう指摘している。《…「圧制」を除去したあとの「民主化」は「アメリカ化」と同義…軍隊の海外出動とその拠点(基地)の海外展開は、軍隊と軍需産業にとって有効「需要」創出装置なのであり、逆にいえば、その「需要」がある限り、「テロ」や地域紛争の「供給」がなくなることはない。それは、「世界中の民主化(アメリカ化)」が完成するまで続く。映画『戦争のはじめかた』のラストは、私には、この「連鎖」を示唆しているように思えてならない。》


湾岸戦争以来の「特需」――「ウクライナ戦争」の効果

  6年前、ドイツのボンで3度目の在外研究(半年)をした際、研究テーマ(ドイツ基本法第7次改正60)との関係で、各地の軍事関係施設を訪れた。ドレスデンにある連邦軍の軍事史博物館には、旧東独国家人民軍(NVA)の装甲兵員輸送車T72戦車など、このところ毎日のニュースでおなじみになった旧ソ連製の兵器が並んでいる。ウクライナのゼレンスキー大統領がドイツに供与を求め、ショルツ政権が渋るレオパルト戦車も鎮座している

   ドイツ西部のコブレンツにある軍事技術研究蒐集館 も訪れた。一度書いたが2100坪ほどの敷地と簡易な建物に3万点の兵器が所狭しと並ぶ。ここまで徹底して集めて、これでもか、これでもかと密集して並べる展示には、とにかく驚かされる。冒頭右の写真がそのごく一部だが、さまざまな種類の大砲が、無造作に置いてある。スピンドル油の臭いが強烈だった。

 兵器というのは、戦争や武力紛争がなければ、「使用期限」が過ぎて使えなくなれば巨大な鉄くずになる。いわば「軍用廃棄物」である。30年あまり前にソ連邦が崩壊して、ワルシャワ条約機構(WTO)が解体して、これと対峙してきた集団的自衛権システムである北大西洋条約機構(NATO)も深刻な存立の危機に陥った。軍事予算の査定も、ソ連邦崩壊後しばらくは、各国とも大変厳しい状況だった(日本の自衛隊も同様である)。ドイツは旧東独国家人民軍(NVA)を吸収合併して、90年代はリストラの嵐だった。装備も老朽化の一途をたどった。高額な兵器を取得するのに、新たな存在証明が必要となった。米軍も同様である。だが、すぐに1991年湾岸戦争という戦車部隊を展開できるキャンパスを有し、かつ最新兵器を大量に消費できるすばらしい「需要」が生まれた(「つくられた」)。その事前準備的作戦が、199012月のパナマ侵攻作戦だった)。

    「イラクのクウェート侵攻(199082日)は、米国によって巧みに引き起こされたものという評価(「挑発による過剰防衛」)が有力に存在する(ラムゼイ・クラーク元米司法長官『アメリカの戦争犯罪』柏書房、1992年参照)。第一次湾岸戦争は、さまざまな意味で「過剰な戦争」であった (ジャン・ボードリヤール/塚原史訳『湾岸戦争はなかった』紀伊国屋書店、1991年) 。すわなち、「積荷をおろし、在庫を一掃するための戦争。部隊の展開の実験と、旧式武器のバーゲンセールと、新兵器の展示会つきの戦争。モノと設備の過剰に悩む社会の戦争。過剰な部分(過剰な人間も)を廃棄物として、処分する必要にせまられた社会の戦争。テクノロジーの廃棄物は、戦争という地獄に養分を補給する」と。私は 「飛んで火に入る夏のフセイン」と言ってきた。」(直言「湾岸戦争20周年と「意図せざる結果)。30年たって、今度は、「飛んで火にいる冬のプーチン」というところだろうか。


中古兵器の在庫一掃――リユースとリサイクル?

   直言「わが歴史グッズの話(49)「プーチンの戦争」の不条理」において、研究室にある対戦車兵器を紹介しながら、中古兵器の在庫一掃と新兵器の新規発注や開発について書いた。「ウクライナ戦争」という、ウクライナの人々にとってはとんでもない奇禍であるが、「軍事部門」(軍隊(将校団・OB)+軍需産業)にとっては、テロとの戦いにネタ切れし、アフガン撤退で地域紛争への介入を控える動きのなかで、大規模支出を可能とする「奇貨」にほかならない。ロシアの国際法違反の侵略行為がきっかけとなっているが、米国バイデン政権の対応は実に不思議だった。「ロシアの全面侵攻」をさんざんあおっておきながら、それを真剣に止めようとはしなかった。そして、レイセオンとロッキード・マーチンの共同開発の対戦車兵器「ジャベリン」を大量に供与している。422日の時点で米国は34億ドルの兵器をウクライナ側に供与したが、そこには5500発以上のジャベリンが含まれている。ロシア軍の侵攻後、ロッキード・マーチンの株価は15%高、レイセオンは9%高という。「古い」タイプの兵器が改めて脚光を浴びたことは、「正規軍同士の地上戦へと戦争の形が回帰したことも意味している」(『週刊エコノミスト』2022517日号特集「防衛産業&安全保障」14-15頁参照)

  スウェーデンのストックホルム平和研究所(SIPRI)報告書によれば、2021年に世界の軍事支出は、7年連続で増加し、ついに2兆ドル(260兆円)の大台を突破したという(SZ 25.4.2022)。軍拡においては「リデュース」(減らす)という選択肢はない。ウクライナの戦争は、兵器の露骨なリユースとリサイクルが行われている。人が殺傷される事柄において、このような方法が用いられることの道義的な問題はないのか。ドイツでも、お払い箱扱いの35ミリ自走対空機関砲「ゲパルト」をウクライナに供与することが決まっているが35ミリ砲弾が足りないという事情も出ているようである。旧ソ連製の戦車や戦闘機をウクライナに供与し、そのあとを米国製の新兵器で穴埋めするというやり方が行われている。冷戦時代の中古兵器のリユースと、新兵器の発注と開発につながる「軍拡の連鎖」が生まれている。いずれにしても、軍需産業にとっては「神風」であることに間違いない。

 

クラスター弾と劣化ウラン弾

  最後に、「ウクライナ戦争」で気になる点を2つ挙げておく。一つは、国際法上禁止されているクラスター弾をロシア軍が使用している可能性があることである。この写真は、57日のTBSのnews23で放映されたもので、ロシア軍が投下したクラスター弾とされている。その横の写真が、私の研究室にある米軍のクラスター弾であり、形も似ている。落下速度を遅くする羽根もついている。ロシア軍は、多連装ロケット砲BM-21グラートを使って、都市部を攻撃しているが、その際にクラスター弾が使用された可能性がある(ロイター通信32日)。2008年のクラスター弾禁止条約には、ロシアも米国も加盟していない(直言「わが歴史グッズの話(46)不発弾をつくる「悪魔の計算」――クラスター弾(その2)。

      もう一つ気になるのは、劣化ウラン弾である。戦車の鋼鉄製の前面装甲をぶち抜く際にエネルギーを出すと、劣化ウランが周囲に飛び散る (直言「わが歴史グッズの話(37)劣化ウラン弾」)。通常兵器だが、戦車の装甲を貫くときに核汚染がおきる「機能的核兵器」ともいうべきものである。「ウクライナ戦争」では、ジャベリンがかなり活躍しているが、戦車砲で徹甲弾を使用するもののなかに、劣化ウラン弾が含まれていないという保証はない。実際、ロシアのT-72などが使用する徹甲弾は劣化ウラン製(APFSDS3BM48))とされているから、これが戦場で使われた場合、破壊された相手の戦車の周囲は放射能に汚染されている可能性がある。世界有数の穀倉地帯が戦場になり、不発弾や放射能汚染が残るとすれば一大損失であろう。

2022515日脱稿》

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