ヴェルダンの戦いから見えるもの
6年前の今日、2016年5月30日、在外研究中のドイツ・ボンで定期購読していた『南ドイツ新聞』(Süddeutsche Zeitung)に「相合い傘の男女」の写真が載った。後日、この記事とパンフレットを組み合わせて撮影したものを、直言「過去といかに向き合うか、その「光」と「影」(その2・完)――ヒロシマとヴェルダン」)で使った。オバマ大統領(当時)の広島訪問とセットで下の方に出したので、あまり目立たなかったので、今回、改めてトップに出すことにした。写真を拡大して、左上をご覧いただきたい。「相合い傘」は、ドイツのメルケル首相とフランスのオランド大統領(いずれも当時)である。
「ミンスクⅡ」に尽力したメルケルとオランド
実は前年の2015年2月11日、両首脳はウクライナ東部の紛争(「ドンバス戦争」)を解決するための「ミンスクⅡ」に尽力していたのである。両首脳の仲介と欧州安全保障協力機構(OSCE)の枠組みのなかで、ロシアのプーチン大統領とウクライナのポロシェンコ大統領が署名した。この合意を得た翌年、ヴェルダンで、ともに尽力したオランド大統領とともに、ヨーロッパへの決意の表明につながったのだろう。なお、この「ミンスクⅡ」の重要性について、侵攻の3日前にアップした直言「ウクライナをめぐる「瀬戸際・寸止め」手法の危うさ――悲劇のスパイラル」で次のように書いた。
…2015年2月11日、ベラルーシのミンスクで再交渉が始まった。これには、プーチンとウクライナのポロシェンコ大統領、ドネツクとルガンスクの指導者のほか、ドイツのメルケル首相とフランスのオランド大統領が加わった。メルケルの自伝、Ralph Bollmann, Angela Merkel: Die Kanzlerin und ihre Zeit, 2021によれば、18時30分に始まった協議は延々と続き、翌12日朝6時30分に一端合意したが、メルケルによればその後もプーチンとの電話を含む細かな対応が続き、2時間後にようやく、文書の修正なしに合意したという。メルケルとオランドが午前11時頃に記者会見をして、合意を発表した。「睡眠抜きで17時間の交渉」となった。プーチンが「人生のなかで最もハードな夜」と語ったほどだった(S.479)。
プーチンをしてそこまで言わしめた文書が「ミンスクⅡ」である。ロシア系住民の自治権を認め、軍事的な対立に終止符をうつとともに、ドネツクとルガンスクの自治権強化のためのウクライナ憲法の改正まで含むものだった。…この「ミンスクⅡ」はその後も遵守されず、今回、プーチンは武力を使って合意の前提を脅かしている。困難な道だが、この合意が重視されねばならない。…
NATOの東方拡大は、キューバ危機(1962年)と同根
「ミンスクⅡ」をまとめたメルケルは、現在のところ、「ウクライナ戦争」について沈黙を守っている。「ミンスクⅡ」をつぶしたのはプーチンだけではない。むしろ、ウクライナ政権側のボイコットも大きい(特にウクライナ憲法改正によるドンバスへの高度の自治権付与に対する)。
メルケルはまた、一貫して、NATOの東方拡大に慎重だった。実は、2008年4月、ルーマニアのブカレストで開かれたNATO首脳会議で、ウクライナとジョージアのNATO加盟が議論された時、ブッシュ米大統領(当時)は「NATOの扉は常に開かれている」という積極姿勢だったが、メルケルとサルコジ仏大統領(当時)はこれに反対だった。結局、首脳宣言では、これを押し切って、NATO拡大が宣言されたという経緯がある。
ミアシャイマーは、NATO東方拡大の理由として米国の「リベラル覇権主義」があるとみる。ウクライナの場合も、これが背景にあるという。「クリミア侵攻の2014年2月27日以前まで、ロシアの脅威はなかったのです。ということは、東欧の状況を変えたのは米国に他なりません。「西側が善人でプーチンは悪人だ」とういう言説は、米国自身が非難されないための作り話なのです」。ミアシャイマーは、ロシアのウクライナ侵攻の最大の勝者は中国だという。米国はウクライナに深く足をとられ、東アジアに軸足移動できないという戦略ミスをおかし、そこを中国につかれたというわけである。
北欧2国のNATO加盟も「火遊び」
ミアシャイマーはいう。「ロシアのような大量の核兵器を保有する大国を追い詰めるのは、きわめて愚かな行為」だと。ロシア軍を決定的に敗北させ、ロシア経済を崩壊させることは、ロシアの生存を脅かす「火遊び」だとして、フィンランドやスウェーデンのNATO加盟の表明についても、紛争をさらに深化させてしまうと危惧する。
長らく軍事的中立を維持してきたスウェーデンも、NATOに同時加盟しようとしている。そうなれば、NATOの「北方拡大」が完成するわけである。両国は、国民の不安感に押されて、他国にない絶妙な安全保障方式を捨てることになるのだが、NATO加盟が安全保障を確実なものにするのかどうか。これはかなり疑問である。すでにロシア安全保障会議副議長のメドベージェフ前首相は、フィンランドがNATO加盟すれば、NATO加盟国との国境が2倍以上になると指摘して、「バルト海の非核化はもう議論できない。(戦力の)バランスを戻す必要がある」として、核配備の可能性に踏み込んだという(『毎日新聞』4月19日付)。NATOに加盟すれば、フィンランドが平和仲介外交を担うことは困難になると同時に、ロシア国境で防衛力を高める「北欧の要塞化」が進むとする見方もある(ミカ・アールトラ(フィンランド国際問題研究部長)『朝日新聞』5月16日付)。
NATOの前科「ユーゴ空爆」
冒頭右の写真は、1999年3月の「ユーゴ空爆」の時に、セルビアにまかれた「伝単」(空襲警告ビラ)である。参加各国の国旗が並ぶ表面には、「我々は全面的に関与している。民主主義の武器は、深い。我々は、何年といわないまでも、何か月も戦うことができる。ヘンリー・シェルトン大将 米統合参謀本部議長 1999年4月30日」とある。NATOといっても、結局は米軍の指揮・命令のもとで作戦を展開するもので、米軍の制服トップの名前でセルビア市民を脅迫しているわけである。裏面には、ミロシェヴィッチ大統領が、コソボにおける大量虐殺や組織的レイプ、強制退去などの犯罪行為をやっていることや、セルビアが世界から孤立しており、それがNATOと国際社会を団結させていること、そしてロシア連邦でさえも、同盟国であると主張していないぞ、という趣旨のことが書いてある。しかも、上の「伝単」はB52の爆撃の場面の絵を使っており、1945年7月の中小都市空襲の際に日本にまいたB29の「伝単」と同じ発想といえる。裏面には、NATOの50周年を勝手に祝った文章が並んでいて、日本にまいた「伝単」の裏面にあった「御承知の様に人道主義のアメリカは罪のない人達を傷つけたくありません。」という日本語の傲慢無恥と重なる。「鬼畜米英」と教育された当時の日本人が、「人道主義のアメリカ」を「御承知」のわけがないからである。時空を超えて、空から爆弾を落とす側の傲慢さが見え隠れする。
…NATOはなぜ「空爆」に踏み切ったのだろうか。…組織保存と「存在証明」のための「NATO50周年の花火」だったのではないかという疑いは晴れない。1998年秋から欧州安保協力機構 (OSCE) 監視団がコソボで活動を行い、世界の世論をバックに、ミロシェヴィッチ大統領に方針変更を迫りつつあったまさにその時に、「空爆」は始まった。あたかもOSCEの成果を妨害するかのように。「それ以外の方法がなかった」といわれたが、78日間の「空爆」が終わってみれば、コソボ問題は解決に向かうどころか、憎悪の連鎖をさらに深める結果となった。戦後、NATO軍主体の国際治安部隊(KFOR)が約15000人駐留したが、そのなかにはアルバニア系のコソボ解放軍(KLA) 出身者がいた。彼らは紛争時にセルビア系住民の虐殺にも関わっただけに、セルビア系から反発をかった。言うまでもなく、NATOは国連ではなく、「仮想敵」をもつ集団的自衛権体制である。NATOは紛争の一方当事者に武器を与えるなど、新たな敵を設定して動く。国連のような中立性は期待できないのである。…
停戦に持ち込むために
日本の国会では、ウクライナの事態に便乗して、「敵基地攻撃能力」(「反撃能力」と言い換え)から防衛費GDP2%、憲法改正まで、歴史を知らない議員たちがはしゃいでいる。国会審議から緊張感が消えた。大政翼賛状態に近づいている。そうした時、岸田文雄首相はNATOの首脳会議に参加するという。NATOの東方拡大の終着点は、日本のNATO実質加盟なのか。15年前に1回目の政権投げ出しをやった安倍晋三について、直言「ナトー好きの首相――送別・安倍内閣(その2・完)」を出した。そこでは、安倍首相(当時)が、「片務的」な日米安保条約を、「双務的」なNATO型条約に変えたいという狙いがあったこと、「日米安保のNATO化」は祖父、岸信介元首相の「見果てぬ夢」だったことを指摘した。「「日本にもっと分担してもらえる」という期待は、従来の金銭的負担だけにとどまらず、文字通り「金だせ、人だせ、血も流せ」という水準になりつつあることを、市民は知るべきであろう。」とも書いた。岸田首相が同じことを考えているとすれば、ウクライナの事態に対応して、日本も積極的なコミットを求められるだろう。
15年前のこの「直言」では、「日本は、OSCEを軸とする「シビル・パワー」としてのヨーロッパともっと連携すべきだろう。」と指摘している。ウクライナの事態が6月中旬頃を目処に大きく動く可能性がある。停戦交渉の再開の条件も整いつつある。2月24日の侵攻に際して、プーチンが挙げた侵攻目的のうち、①ウクライナの中立化については、ゼレンスキー大統領がNATO加盟について一歩引いた態度をとるようになったし、②ウクライナの非ナチ化についても、ロシアは、マリウポリでアゾフ連隊を多数捕虜にできたので、しばらくすると「ネオナチ裁判」のようなイベントをやって、自己の正当化をはかるだろう。③ドンバスの住民の安全というのは、ロシア軍の東部制圧によってほぼ達成されつつある。なお、②のウクライナ政権のなかのナチス的要素については、ロシアのでっち上げではなく、米国政府も、2015年6月に、アゾフがナチスの標章を掲げていることを理由にミサイル供与をやめていたという