雑談(131)音楽よもやま話(30)チャイコフスキー交響曲第2番「小ロシア」or「ウクライナ」
2022年6月6日

「機能的停戦」下のドンバス地域における住民投票が戦争終結の鍵?

クライナの戦争が100日を超えた。先の見えない泥沼化の様相を呈している。64日、アメリカの国際政治学者エドワード・ルトワックが、Die Welt紙に寄せた刺激的なタイトルの一文に接した。「この戦争から脱する唯一の道が存在する」。ルーマニア生まれのルトワックは79歳。英仏軍やイスラエル軍にも所属したこともあり、戦略理論、軍事史などの専門家である。彼は、ウクライナの勝利は不可能という。ウクライナの勝利を主張する人々は、ドイツの緑の党を含めて、「ロビー」(軍需産業のための圧力団体?)である。ルトワックは「機能的停戦」下のドネツクとルハンスク(ドンバス地域)の住民投票が、戦争終結の唯一の道という。  Focus誌のオンライン版(65)でも同様の主張を展開している。1919年の歴史的先例もあり、プーチンもウクライナも認めざるを得ないだろうとみる。そのためには、Swift国際決済システムに対する制裁の解除も必要という。かなり大胆な主張であり、新たな武器供与に邁進するバイデン政権とNATOの一部諸国からは受け入れられないだろう。「直言」ではこの間、メディアに頻用される戦況評論家たちとは異なる見解として、フランスの人口統計学者で歴史学者のエマニュエル・トッド とシカゴ大学教授のジョン・ミアシャイマーの見解を紹介してきたが、3人目として、今回ルトワックの議論に注目しておこう。また、機会があれば言及する。

  さて、ちょうど1年前からこのホームページの管理人となって52回の更新を自力でやってきた。53回目となる今回は、雑談シリーズ「音楽よもやま話」(30)をアップする。前回はアナログレコードの話だった。今回は、「ウクライナ」という別名をもつ、チャイコフスキーの交響曲第2番の話である。


チャイコフスキーの交響曲

 学生オーケストラの会長をやっているが、コロナ禍での演奏会活動は大変神経を使っている(直言「雑談(128)音楽よもやま話(28)コロナ禍のコンサート(その2)」参照)。学生たちはチャイコフスキーの交響曲がけっこう好きで、演奏頻度は比較的高い。私が会長になってから17年間で、第4番ヘ短調、第5番ホ短調、6番ロ短調「悲愴はすでに複数回演奏されている(最近のパンフはここから)

 第1番ト短調「冬の日の幻想」については、雑談シリーズの直言「第1交響曲を聴くで簡単に触れた。この第1番と第2番ハ短調「小ロシア」、第3番ニ長調「ポーランド」については、17年前、原稿書きの際に流す「ながら音楽としてはふさわしくないとだけ書いている(失礼)。冒頭右の写真は、初めてチャイコフスキーを生で聴いた演奏会のパンフレットとチケットである。1973530日 、エフゲニー・ムラビンスキー指揮のレニングラードフィルの演奏で、交響曲第5番ホ短調である。その後もいろいろなオーケストラで聴いてきたが、第1番から3番までは、まだコンサートで聴いたことがない。今回第2番に注目したのは、その標題に関連している。


第2番ハ短調「小ロシア」or「ウクライナ」

 私が所蔵しているのは、ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団とヘルベルト・フォン・カラヤン(私の好みでないことは「直言」でしばしば言及)指揮ベルリンフィルの全集版の1枚である。YouTubeには、イーゴリ・マルケヴィッチ指揮ロンドン交響楽団の演奏があるが、これには「小ロシア」ではなく、「ウクライナ」という標題がついている。また、ソ連時代のエフゲニー・スヴェトラーノフ指揮ソ連国立交響楽団の演奏は、ジャケットらしきものに、戦車や大砲、軍艦などが並んでいて物騒である。

この曲は、チャイコフスキーが18726月、ウクライナのカミヤンカに住む妹を訪ね、そこに半年ほど滞在したときに作曲された。初演は翌年2月にモスクワで行われたが、民族的で親しみやすいと好評で、モスクワ音楽院の同僚である音楽評論家のニコライ・D・カシュキンから、「小ロシア」という「愛称」をもらったという。なお、以下の叙述は、カラヤン・チャイコフスキー交響曲全集(グラモフォン)の楽曲解説(トーマス・コールハーゼ=寺西春雄訳)を参考にした。

   第1楽章はウクライナ民謡「母なるヴォルガの畔で」の長い導入部がついている。冒頭からホルンのソロで7小節演奏され、すぐにファゴットが引き取り、同じ小節数繰り返し、弦のピチカートが加わって変奏されていく。第2楽章の中間部にも、ウクライナ民謡「さあ紡ぎなさい、わが紡ぎ女さん」という歌のメロディがそのまま出てくる。第3楽章のトリオにもウクライナ民謡が使われている(タイトルは不明)。第4楽章のフィナーレの主要主題は、ウクライナ民謡の「鶴」に対応している。ネット上では3曲のウクライナ民謡が使われているという記述もあるが、コールハーゼによれば全4楽章すべてにウクライナ民謡が使われていることになる。なお、第4楽章のコーダに向かって、ムソルグスキーの組曲『展覧会の絵』の「キエフの大門」を彷彿とさせるところがある。

  この交響曲の標題を「小ロシア」ではなく、「ウクライナ」としているものがある。ウラディーミル・フェドセーエフ指揮のモスクワ放送交響楽団の映像テープで、国立国会図書館のチャイコフスキー・コレクションに保存されている。そこには、「小ロシア」のタイトルはない。独自のメッセージを音楽活動に活かしている指揮者として知られ、Wikipediaの記述からなので留保が必要だが、リトアニアで独立運動が高まりをみせていた198912月、リトアニアの作曲家のチュルリョーニスの作品をモスクワで録音したり、19918月のクーデター当日、ショスタコーヴィチの交響曲第5番第4楽章を、戦車が包囲する放送局のなかで録音したりしていたという。

  フェドセーエフが標題に「小ロシア」を意識的に使わなかったとしたら興味深い。コールハーゼの楽曲解説には、カシュキン『チャイコフスキーの思い出』という書物からの引用として、「北方の「大ロシア」の人びとは、南のウクライナ地方のことを、好んで「小ロシア」と呼んでいたが、それは、ウクライナの愛国者たちを、大いに憤慨させていた」という下りがある。「大ロシア」出身のチャイコフスキーは、ウクライナの人々が好ましく思わない「小ロシア」というタイトルについて、自らは否定することはしていない。

  ロシア史においては、10世紀のキエフ公国(キエフ=ルーシ)の成立が重要である。「小ロシア」とは、ウクライナ人(ルーシ人)の領土を指すウクライナの旧称のことで、20世紀以降は、ウクライナの立場からは否定的な意味で解釈される場合があるという。チャイコフスキーの交響曲のタイトルをめぐっても、ロシアとウクライナの間に微妙な問題が介在していることがわかるだろう。

 

ロシアの音楽家が排除される

このところ、ロシアのオーケストラの公演中止が続いている。72日に愛知県芸術劇場コンサートホール(名古屋市東区)で開催予定だったチャイコフスキー・シンフォニー・オーケストラ(旧モスクワ放送交響楽団)の公演が中止された。主催者は 、「新型コロナウイルス感染予防措置の影響と、今般のウクライナにおける事態を受け、総合的に判断した」としている(『中日新聞』2022316 )。「時節柄」、コロナよりも、総合衡量の要素として、「ウクライナ」の比重が大きかったのではないか。

イタリアのミラノスカラ座は、ロシアの著名な指揮者ワレリー・ゲルギエフが、オペラ公演の指揮をしないことになったと発表した。理由は、ロシアによるウクライナ侵攻を非難しなかったことをあげている(ロイター31)。スカラ座の理事長を務めるミラノのジュゼッペ・サーラ市長は、ウクライナ危機についてゲルギエフにコメントするよう求めたが、「マエストロはわれわれに返事をしなかった」と述べた。また、名誉指揮者を務めるロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団も、ゲルギエフとの関係を停止し、ロシア政府の対応から距離を置かない限り、今年9月のフェスティバルも中止すると発表した。ドイツ・ミュンヘン市も、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者からゲルギエフを解任することを決定した。彼はプーチン大統領の支持者で、ウクライナ侵攻に対する姿勢を示すよう市側から要請されていたが、期限までに返答をしなかったという(AFP 32)。

 ロシア人指揮者のトゥガン・ソヒエフが、ロシアのボリショイ劇場とフランスのトゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団の音楽監督をともに辞任した。ロシアのウクライナ侵攻について、トゥールーズ市から立場を表明するよう促されたためという(日本経済新聞デジタル320)。侵攻を非難も肯定もできない、苦渋の選択ではなかったのか。

 ゲルギエフの場合も、ソヒエフの場合も、いずれもウクライナ侵攻に対する態度が、指揮者としての地位に連動している。音楽と政治の関係は、古今東西、さまざまに問題となってきた。この「直言」では、『ショスタコーヴィチの証言』(水野忠夫訳、中央公論社、198010月)について書いたことがある

…それまでロシア革命を讃えた曲とされてきた交響曲第5番ニ長調が、スターリン体制で非業の死をとげた人々に対する墓碑としての祈りを込めて作曲されていた。また、ヒトラーとの戦い、反ファシズムの見本のように言われてきた交響曲第7番ハ長調「レニングラード」が、実は「スターリンが破壊し、ヒトラーがとどめの一撃を加えたレニングラードのことを主題としていた」等々。

  ショスタコーヴィチは、オペラ劇場を閉鎖したジノヴィエフ、労働者を鼓舞するような具体的な音楽ではなく、純粋音楽、抽象的な曲の存在を認めない文化担当人民委員、ジダーノフらの恣意的な芸術破壊を告発していく。特にレーニンは独特の音楽観をもち、「音楽を聞くと気が滅入ってしまう」と断言したため、労働者・人民の「役に立たない」「面白くない」曲を作った作曲家がまた一人、また一人と消えていった。ショスタコーヴィチ自身、「本日、人民の敵ショスタコーヴィチのコンサートが開かれる」と新聞に書かれたこともあったという。…

この本を紹介して、権力者(市長)が芸術の世界に土足で立ち入った事例を批判した。大阪の維新市長の話である(直言「権力者が芸術・文化に介入するとき―大阪市長と大阪フィル」)。そこでこう書いた。「文楽の鑑賞後、橋下徹市長は「僕なら二度と見にいかない」と言ったが、これは、ショスタコーヴィチが唾棄する、スターリン体制下の薄っぺらな党官僚の言動と重なる。今後、無邪気な「僕」たちの中央政界進出により、スターリン体制下の文化担当人民委員のような「僕の感覚」により、芸術・文化の世界に対する恣意的介入が強まっていくことが危惧される」と。
   この10年前の危惧が、ローマ進軍ならぬ維新の全国進出によって現実のものになろうとしている。


《付記》 本直言アップ後、早稲田大学フィルハーモニー管絃楽団の幹事長(インスペクター)からメールが届き、第87回定期演奏会の日程と曲目の概略が決まったと知らせてくれました。私が会長として参加する最後の演奏会になります。どなたでも参加できますので、近づきましたらホームページから申し込んでください。
日時:2022年12月26日(月)夜公演
場所:府中の森芸術劇場どりーむホール
指揮:喜古恵理香
曲目:チャイコフスキー/交響曲第5番ホ短調ほか。
https://wasephil.com/

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