ウクライナ軍に1万の死者
ウクライナ侵攻から109日になった。大変な数の人命が失われている。ウクライナ大統領の顧問が、開戦からこれまでに約10000人のウクライナ兵が死亡した事実をようやく公表した(SZ vom 10.6.2022)。ロシア軍の死者が1万5000人超というのは、かなり以前から報道されていたが、ウクライナ軍の死者の具体的数字が出たのは初めてではないか。100日あまりで、両軍合わせて2万5000人以上が戦死した可能性がある。ゼレンスキー大統領は開戦当日、徹底抗戦を打ち出し、国民総動員令を発して、18歳から60歳までの男性の出国を禁止した。リビウなどの西部では、キエフ(キーウ)や東部からの避難者を「非国民」だと敵視する住民もいて、避難者の居場所を徴兵事務所に通報するケースもあったという(『読売新聞』オンライン3月20日)。そうやって軍に召集された人々が戦場に投入され、命を落としている。
例えば、『朝日新聞』6月9日付は一面トップで、「「前線に立たない自由」とは」として、出国禁止が「自由や民主主義の原則に反する」という市民の声を紹介している。「戦時下にあって、人権の制限はどこまで許されるのか」という「重い問い」に向き合った記事である。4月11日のAP通信は、国外脱出をはかった男性が2200人、国境で拘束されたことを伝えた。「誰も殺したくない」というトランスジェンダーの女性が、国境の川を泳いで出国した例も報じられた。
偽情報を流した人権オンブズマンを、ウクライナ議会が解任
ウクライナの「不都合な真実」はそればかりではない。ブチャや各地でのロシア軍による虐殺やレイプなどをメディアに流していたウクライナの人権監察官(オンブズマン)リュドミラ・デニソワが、「ロシア兵による女性暴行の戦争犯罪を根拠なく捏造した疑惑」により、5月31日、ウクライナ最高会議(議会)により解任されたのである(Ukrinform01.06.2022)。解任の理由には、ロシア占領地において行われた、証拠が確認されていない「不自然な手段で行われた性犯罪」「児童への強姦」事例の詳細をメディアに拡散したことがあげられている。「ロシア軍が12万人以上の子どもを強制的に連行した」とする4月12日の発表も、デニソワによるフェイスブックへの投稿が根拠であり、各紙・各局とも続報はなかったのが不思議だった。ブチャにおいて25人の女性が地下室に閉じ込められ、組織的に性暴力を受けていたとする情報も、発信者はデニソワで、BBCが4月12日に伝え、日本では時事通信の受け記事が4月13日に流れたが、続報はなかった。4月5日、ブチャの集団墓地に300人の遺体が埋葬されている可能性があるとロイターに報道させたのもデニソワだった。ウクライナ議会はデニソワを解任したが、メディアは具体的にどの事件が捏造で、どれが実際に起きたのかについての詳報をその後も伝えていないし、検証記事もない。英米の主要メディア(それを受けて日本で報道した通信社、テレビ局)は、「ネタもと」が捏造疑惑により議会で解任された人物だったことについて、読者(視聴者)にきちんとその事実を伝えることを怠っている。
5月中旬、私の講演会に参加されたジャーナリストの方が、ウクライナに直接入った体験を話してくださったが、そのなかで、ウクライナの広報担当は、さまざまな現場にCNNとBBCだけを入れて、日本のテレビは入れてもらえなかったと怒っておられた。「大本営発表」はウクライナ側にもあることをしっかり心にとめて、日々の情報に接しなければならない所以である。なお、「ウクライナ公共放送」(6月8日)に登場したアゾフ連隊の指揮官の肩章が、ヴォルフスアンゲル(ナチスの第2SS装甲師団のマーク)から変更されていることに気づいた(3月28日のテレビ朝日モーニングショーがアゾフ連隊を持ち上げる伝え方をした時に映っていた右側の男である)。
ゼレンスキーをめぐる「不都合な真実」
この段階で、米国(軍部)は「長期戦」を唱えていたが、ここへきて、バイデン大統領の言動にも揺らぎがみえて始めている。そのあらわれが、6月10日のAFP=時事のニュースである。バイデンは6月10日、記者団に対し、ロシアがウクライナを攻撃する可能性があると事前に警告していたことに言及し、「(プーチンが)ウクライナに侵攻するつもりだったのは明らかだった」とし、「だが、ゼレンスキー氏は聞く耳を持たなかった。多くの人もそうだった」と続けたという(AFPBB 6月11日)。なぜこんなことをいったのか。おそらくバイデンはゼレンスキーに責任を押しつけて、そろそろ引きに入っているのではないか。昨年8月、バイデンがアフガニスタンから一方的に撤退したこととの関連で、来週の「直言」で述べることにしよう。
毎日新聞オピニオン「時の在りか」に、伊藤智永専門編集委員が「ゼレンスキー氏は英雄か」という一文を書いている。「米国の異常な兵器の供給ぶりを見ると、ウクライナが米露代理戦争に命と国土を提供している実態は誰の目にも明らかではないか」と問い、「開戦3カ月で民間人死者4000人超、国外避難民600万人…。非難されるべきはロシアであるにせよ、現時点でこれだけの被害を出した政治責任は重大である」と指摘している。「政治家の責任は、国民をいかに戦争へ引き込まないか、にかかっている。本物の智略と勇気と説得術を持っているのなら、平時の内政と外交に使わなければ。戦争になってから発揮されても遅い」とも。そして、「戦時指導者の人気はナショナリズムによるアドレナリンの作用であり、戦争が終われば消える」として、チャーチルも、湾岸戦争の父ブッシュも、「戦後の選挙であっけなく有権者に見放された」として、ゼレンスキーとプーチンの「先の運命は大差ないかもしれない」と書く。鋭い指摘である。
バイデンの関心は11月の中間選挙――敵はプーチンとトランプ
冒頭左の写真は、私の手元にある「歴史グッズ」を地図の前に並べてみたものである。ロシアで直接入手したものから、ニューヨークの街頭で売られていたものを水島ゼミ出身者が入手して送ってくれたものまでいろいろである。冒頭右の写真、「プーチン・トイペ」はキエフ(キーウ)土産物屋に開戦前に並んでいたもので、いまも西部のリビウで売られているという(『福島民報』3月28日付参照)。前から所蔵していた「トランプ・トイペ」と今回初めて並べてみた。それには、後述するように意味がある。
大統領のグッズはこれまでも紹介してきたが、今回の初顔は、プーチン1ドル紙幣とKGB職員のIDカードである。私の研究室には、クリントン、ブッシュからオバマ、トランプに至るまでのドル紙幣が20種類以上ある。今回これにプーチンが加わったわけだが、他の紙幣にはいろいろな皮肉が書き込まれているが、プーチンのものには面白みが欠けている。他方、
さて、この写真の右側は、トランプの2024年大統領選挙に向けた帽子である。2016年は “MAKE AMERICA GREAT AGAIN” 、2020年は “KEEP AMERICA GREAT” だったが、2024年は“SAVE AMERICA AGAIN”である。「再びアメリカを救おう」と、バイデン時代に落ち込んだアメリカのパワーを取り戻そうということだろう。左の帽子は、モスクワの普通の土産物屋で買ったものである。2016年の米大統領選挙では、トランプに有利になるようにプーチンがサイバー攻撃などをしかけたとされている。11月の中間選挙を見据えて、バイデンは、このトランプ・プーチン関係を意識した対応にとらざるを得ないのだろう。ウクライナの戦争もまた、米国の国内政治の継続といえなくもない。
戦争終結の条件について
「井上寿一の近代史の扉」(『毎日新聞』5月21日付オピニオン面)に「戦争の終結の条件――即時降伏でも徹底抗戦でもなく」が掲載された。そのなかで、歴史を踏まえて、この戦争の終結の条件として、①戦争目的の明確化、②「妥協的平和」、③タイミングの3つがあげられている。戦争の目的が、ウクライナ東部2州の「独立」の確保か、それ以上かで変わってくる。②では、どちらかが一方的に勝つまで続けると、地域紛争としての収束が見通せないので、ウクライナ側がクリミア半島の回復まで求めると「妥協的平和」は困難になる。③では、終結のタイミングはロシアとウクライナのどちらかが勝ち過ぎず負け過ぎない時であるという。