アフガンとウクライナ――大国が勝手に始めて、勝手に終わらせる戦争とは
2022年6月20日

軍事費、史上最高の2.1兆ドルに

ウェーデンのストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の報告書『SIPRI年鑑2022』が613日に公表された。ロシアと米国は合わせて、世界における核兵器の90%以上を保有していること、特にロシアについては、ウクライナの戦争のなかで核兵器使用の可能性を示唆したことが指摘されている。また、プレスリリース(425)の見出しは「世界の軍事支出が初めて2兆ドルを超えた」である 2021年、コロナ2年目にもかかわらず、世界の総軍事費は史上最高の2.1兆ドルに達した。7年連続の増加である。そのうち、米国、中国、インド、英国、ロシアが最も支出を増やしており、この5カ国で世界の軍事費の62%を占める。米国が最も多く8100億ドル、全体の38%にあたる。軍事研究開発のために米国の軍事費は、この10年間で24%増加している。「米国政府は、戦略的競争相手(中国とロシア)に対する米軍の技術的優位性を維持する必要性を繰り返し強調してきた」としている。ロシアは、3年連続で軍事費を2.9%増加させ、659億ドルとなり、GDP4.1%に達した。「コロナのパンデミックで経済が衰退するなかで、世界の軍事費は記録的なレベルに達している」。

 

ブッシュが始めた「アフガン戦争」

  2001107日、ジョージ・ブッシュは「これは戦争だ」として、アフガニスタンに対する「空爆を開始した。国際法に違反する行為だった。冷戦終結後、米国やNATO諸国では軍事費の削減の方針が示された。ちなみに、日本でも、2004年、財務省内で陸上自衛隊の編成定数を4万人削減して、北海道配備の4個師団を1個師団に縮減するという財務省原案が出されるほどだった
  しかし、「9.11」によって、米国の軍事費は、2001年度は2800億ドルまで削減されたが、アフガンに対する「ブッシュの戦争」(「対テロ戦争」)により急増。2006年度には5200億ドルまでになった。ブッシュが始めた「アフガン戦争」(「対テロ戦争」)は、軍備の「無限の需要創出装置として機能したのである。

「飛んで火に入る冬のプーチン」

  冷戦時代からの兵器の在庫一掃、新規発注、新兵器開発への動機づけとして、もはやネタ切れであった「対テロ戦争」に代わって用意された目的が、「体制転換」(レジーム・チェンジ)だった。「とりわけイラク戦争は、一見極めて明白に国連憲章違反の侵略であった。ジョン・ボルトンにかかれば、イランも危ういところだった。日本は、米国のどの政権との関係においても、最も忠実な支援者として行動し、外交上独自のカードを切ることもせず突き進んできた  2月24日日のプーチン演説を読んでみれば、「米英やNATOがやってきたことをやるだけだ」「悪いのはおれだけではない」という居直りの論理に満ちていることに気づかされる。だが、プーチンには重大な誤算があった。米英による周到なるウクライナ軍強化の事前準備を過小評価していたふしがある。フセイン・イラク大統領のクウェート侵攻(199082日)は、米中央軍が周到な準備をして待ち構えているところに、のこのこ侵攻して叩かれた、まさに「飛んで火に入る夏のフセイン」状態だったとすれば、今回は「飛んで火に入る冬のプーチン」というところだろう。

 

ソ連をアフガンに引き込む罠

  ブッシュが勝手に始めて、バイデンが勝手に終えた「米国のアフガン戦争」20周年に先行して、1979年から1989年までの「ソ連によるアフガン戦争」の10年があったことを想起する必要がある。私は直言「アフガン30年戦争」という視点でこれについて書いている。詳しいことは、『法律時報』202111月号の拙稿を末尾に添付したので、お読みいただけると幸いである。

  1979年に軍事侵攻したソ連軍は、アフガンのムジャヒディンなどの反政府組織・義勇兵と戦い、1万5000人の戦死者を出した。この戦争が一つのきっかけとなって、ソ連は国力を落とし、アフガン撤退の2年後にソ連邦崩壊を迎える。実は、ソ連がアフガン侵攻に至った経緯の背後には、米国による戦略があり、それを周到に準備した結果だったことが当事者のインタビューで明らかにされている。

 戦後米国の安全保障の歴史で、大統領に強い影響力を行使した人物として、ヘンリー・キッシンジャーとジノビエフ・ブレジンスキーを挙げることに異論はないだろう。カーター政権の国家安全保障問題担当補佐官だったブレジンスキーへのインタビューには、ソ連をアフガンに引き入れるための隠れた戦略が示唆されている(フランス『ラ・ヌーヴェル・オブゼルヴァチュール』紙参照。簡略化、斜字、ゴシックは引用者)

記者:元CIA長官ロバート・ゲイツ氏は回顧録のなかで、アメリカの諜報機関が、ソ連による軍事介入の6ヶ月前に、アフガニスタンのムジャヒディンへの援助を始めたと述べている。この時、あなたはカーター大統領の国家安全保障問題担当補佐官だったので、この事態に関わったわけですね。

ブレジンスキー:ええ。公式発表では、CIAのムジャヒディンへの資金援助を開始したのは1980年、つまりソ連軍が19791224日にアフガニスタンを侵略した後となっている。しかし、今まで極秘だったが、実際はまったく逆だ。カーター大統領が、カブールのソ連寄りの政権への対抗勢力に秘密の資金援助を行う指令に初めてサインしたのは、197973のことだ。その日、私は大統領へ手紙を書いて、この資金援助はソ連の軍事介入を誘発するだろうと説明した

記者:ソ連の軍事介入というリスクを犯しても、この秘密行動を支持したのですね。もしかしたら、ソ連の戦争参入を自ら望んで、挑発したのでは?

ブレジンスキー:そういう訳ではない。我々は、ソ連を軍事介入に追い込んだのではない。軍事介入の確率が高まることを知りながら、そうしたに過ぎない。

記者ソ連が、軍事介入はアメリカのアフガニスタンへの秘密工作と戦うために正当であると明言した時、だれもその言い分を信じなかった。しかし、それは基本的に真実を含んでいたのですね。今、何か後悔するところはないのですか?

ブレジンスキー:何を後悔しろと? 秘密作戦はすばらしいアイデアだった。結果として、ソ連をアフガンの罠へと引き寄せたのだ。それを後悔しろと? ソ連が公式に国境線を越えた日に、私はカーター大統領へ、こう手紙を書いた。「今、ソ連に彼らのベトナム戦争を始めさせるチャンスを得ました。」事実、それからほぼ10年にわたって、モスクワは自国の政府の手に負えない戦争を遂行しなければならなくなった。対立はソ連帝国を混乱に陥れ、最終的に崩壊をもたらした。

記者イスラム原理主義を支持したことも、未来のテロリストに武器と助言を与えたことも後悔していないのですね。

ブレジンスキー:世界史にとって、一番大事なのは何か。タリバンと、ソ連帝国の崩壊のどちらが大事だ? 訳のわからんイスラム教徒と、中央ヨーロッパの解放・冷戦の終結のどちらだ?

記者:訳の解らないイスラム教徒? しかし、イスラム原理主義は現在、世界の脅威の代表であると繰りかえし言われているのですが。

ブレジンスキー:ナンセンスだ。【以下、略】


   ソ連を崩壊させるために、米国がイスラム過激派に資金と武器の援助を行い、ムジャヒディンのなかにいたビン・ラディンが「9.11」を起こすことを、ブレジンスキーはまだ知らない。このインタビューについては、金成浩『アフガン戦争の真実―米ソ冷戦下の小国の悲劇』(NHKブックス、2002)90-91頁にも詳しい論述がある。
  バイデンはオバマ政権の副大統領時代、ウクライナの「レジーム・チェンジ」に深く関わった。そしてアフガン戦争を終えるとき、はっきりとこういった。「他国を変革するための大規模な軍事作戦の時代は終わった」と。
  だから、米国は、ウクライナでは、武器の供与と武器のノウハウの伝授、そして宇宙戦、サイバー戦、電磁波戦などすべてのドメイン(領域)を活用した「オール・ドメイン戦」(All-Domain Warfare)を展開している(『軍事研究』20227月号29(渡部悦和執筆))。米軍兵士が一人も死ぬことのない戦争である。ブレジンスキーと同じ問題意識で、ウクライナの極右勢力も利用してきたのだろう

   冒頭左の写真は、2021127日、バイデンとプーチンの米ロ首脳会談(オンライン)を伝える、その日夜のロシアテレビのものである。バイデンはプーチンに「次回は対面で会えることを期待している」と述べた(『毎日新聞』128日付、デジタルは7)。バイデンは首脳会談の翌日の8日、記者との「ぶらさがり」で、「ウクライナに米軍を派遣しない」と明言してしまった(冒頭右の写真。TBS news23 518日より)。これは、プーチンの侵攻を促進する「歴史的失言」だったのかもしれない。

  なお、侵攻開始から114日。618日にプーチンは、ウクライナのEU加盟には反対しないと表明して、「着地」の方向をほのめかす揺さぶりをかけてきた(テレ東BIZ 618日)。右の写真がそれである。NATO加盟は許さないが、EUならば認める。これは停戦交渉への一つのメッセージに違いない。ただ、プーチンがEUの「共通の安全保障」(EUの軍事化の側面)を知らないわけがない。その意味で、これからの展開を簡単に予測することはできない。

 以下、昨年11月に公表した「アフガン戦争20年と日本」をここに掲載することにしよう。

アフガニスタン戦争20年と日本

法律時評(法律時報9312号(202111月号))

 1 勝手に始めて、勝手に終えた「米国の戦争」

830日、バイデン米大統領は「20年間にわたるアフガニスタンでの米軍駐留は終了した」と、アフガニスタン戦争の終結を宣言した。2001107日から2021830日まで20年近く続いた「米国史上最長の戦争」ということが強調されたが、そのきっかけ、ないし口実とされたのが、いわゆる「同時多発テロ」である。私はその直後からホームページで論評を出し続けたが、5周年の時点でこう書いた1)。「ブッシュ大統領は、『9.11』直後、『これは戦争だ』(厳密に言うとThe Art of War)と叫んだ。そもそも非国家的主体(『テロリスト』)による攻撃に対して、それがどんなに規模が大きくても、これを『戦争』と呼び、軍隊を他国への攻撃に投入したのは重大な誤りだった。あの時、国際刑事警察機構などとともに、全世界の警察組織が連携して容疑者を追及すれば、少なくとも『テロとのたたかい』はアラブ世界にも支持を広げられたに違いない。ブッシュのやったことは、『世紀的な誤り』と言ってもいいだろう。」と。
  個々のテロ行為でも、国家による「武力攻撃」と同程度の効果を発生するような場合には、それを国家による「武力攻撃」に準ずるものとみなして、自衛権の発動を正当化する議論がある(「事態の累積理論」)。この議論でも、国家が「テロリスト」に何らかの形で関与していることが前提とされる。具体的にいえば、資金や活動拠点の提供などによる「直接的関与」のほか、警察力が弱くて、「テロリスト」の活動を十分に抑止できないような国もまた、「間接的関与」と評価され、自衛権行使の対象となりうるというものである。アルカイダの拠点を自国内に置かせていたタリバン政権に対して、米国はこうした論理に乗って「空爆」2)を行った。その後の世界が「暴力の連鎖」に向かうのは周知の通りである3)

  このアフガニスタンをめぐる状況を貫いているのは、戦争を一方的に始めて、一方的にやめた米国の身勝手さである。ブッシュもバイデンも、自国中心主義で判断したという点では共通している。欧州も日本も中東諸国も、米国(大統領の任期と人気)に振り回されてきたのが、この20年だったのではないか。

 
2 「価値の輸出」の終焉か

米ブラウン大学の研究チームが91日、「部分的なコストに過ぎない」と断りつつ発表した数字では、「9.11」後の「対テロ戦争」の費用は8兆ドル(約880兆円)、死者は90万人前後(米兵7052人、敵対した兵士30万人前後、市民3638万人、ジャーナリスト680人)に達するという4)。途方もない損失である。

  バイデンはいう。「他国の体制を変革するための大規模な軍事作戦の時代は終わった」と。この点で、ドイツのtageszeitung828日に掲載された、ヘルフリート・ミュンクラー(フンボルト大学)の評論「アフガニスタンにおける西側の挫折:価値の輸出の終わり」は示唆に富む。「テロとの戦い」がすべてならば、アルカイダの拠点は初期の段階で崩壊したので、「遅くとも2003年には撤退することができた」として、米国や西側同盟諸国の行動の基礎にあったのは「レジーム・チェンジ」(体制転換)と「ネイション・ビルディング」(国家(民)建設)であったと指摘する。旧ソ連も約10年間、同様のことを試みたが、失敗した。アフガニスタンへの西側介入の根本的な間違いは、旧ソ連の失敗の理由を慎重に分析しなかったことにあるとして、「価値に基づく世界秩序の終焉」を論じている。

  「9.11」後、NATOは、集団的自衛権行使の「同盟事態」(条約5条)を初めて宣言した。「同盟国の安全利益」は領土への武力攻撃だけでなく、「テロ行為やサボタージュ、組織犯罪並びに生活上重要な資源の供給断絶」によっても生じうるとして、かなり強引な目的と任務の拡大を行った。冷戦仕様の軍事同盟を、条約の改定なしに、ポスト冷戦仕様にヴァージョン・アップしたわけである。「国防」は「国土防衛」から「国益防衛」となった。当時のドイツ国防大臣ペーター・シュトルックの有名な言葉、「ドイツの安全はヒンドゥークシュ[アフガニスタンにある山脈]でも守られる」に象徴されるように、ドイツを含むNATOの防衛ラインも東(後に南)へと広がっていった。

  他方、日本もまた、19964月の「日米安保共同宣言」における「アジア太平洋地域の安全」(直近では、20214月の日米共同声明の「自由で開かれたインド太平洋」)と、日米安保の対象も内容も拡張・拡大されている。ノルウェーの平和学者ヨハン・ガルトゥングは20年前に、地球規模の軍事的構成として、NATOの東方拡大と「AMPO」〔日米安保〕の西方拡大に注目していたが5)、炯眼だった。アフガニスタン戦争の唐突な「終わり方」は、今後の地球規模の軍事的構成の方向と内容を示唆しているように思われる。


 3 自衛隊の海外出動の法的枠組み

  「9.11」後、自衛隊の海外出動(国際政治的利用)の法的根拠として、まず、防衛庁設置法518号(当時)の「所掌事務の遂行に必要な調査及び研究」が持ち出された。これに基づき、200111月に、インド洋に護衛艦と補給艦が派遣された。注目されるのは、その際の派遣命令に、別冊として、「部隊行動の基準」(いわゆる「交戦規則」〔ROE〕)が添付されていたことである。組織法上の所掌事務規定を使った中継ぎ的な対応だったが、国会におけるわずか2週間の審議で成立した「テロ対策特措法」による派遣に切り替えられた。この法律の問題性については、20年前の本誌「法律時評」において論じた6)。テロ特措法に基づく活動は、主として、インド洋上での各国艦艇に対する給油であった。この活動の本質は、米国などの「不朽の自由作戦」(OEF)の武力行使を燃料補給で支えるもので、海自部隊は、インド洋からアラビア海に至る全海域を担任する米第5艦隊の活動に組み込まれ、その軍事作戦のロジスティックの一部を担ったわけである。この法律は2年の時限立法だったが、再々延長を行った末に、政令による半年延長を可能とする法改正を行うなど、無理を重ねた。最終的に「補給支援活動特措法」(2008年)で法的根拠を付加されたが、法案段階で、参議院で一旦否決され、衆院の「3分の2再可決」(憲法592項)で成立するという事態になり、法的根拠を喪失した海自部隊が一時活動を中断するという事態も起きた(給油活動は、20101月終了)。20033月からのイラク戦争では、日本は「イラク人道復興支援特措法」を制定して、陸上自衛隊の復興支援群10個(各方面隊2回)と空自輸送隊をイラクに派遣した。特措法による場当たり的対応が続いたため、「自衛隊海外派遣恒久法」制定の声が政府・与党内から出てきた。2014年の「7.1閣議決定」によって、集団的自衛権行使を可能とする解釈変更が行われ、2015年に安全保障関連法(「平和安全法制」)が制定された7)。一般の関心は集団的自衛権行使に集中したが、唯一の新法である「国際平和支援法」が、自衛隊の海外派遣の一般法として機能しうる性格をもち、多国籍軍タイプの活動に参加する法的回路が開拓された(「国際平和共同対処事態」)。政府解釈の「他国の武力行使との一体化」論は大きく後退したが、米国等の軍事的ミッションへの関与に対する制約として作動する余地は消えてはいない。

  ところで、アフガニスタン戦争の最終局面において(815日以降)、米国や関係各国は、カブール空港から、それぞれの関係者や現地協力者などの救出活動を展開したが、日本は決定的に立ち遅れた。外務省の不手際と菅義偉首相の無関心(横浜市長選に専念)が重なった結果だった8)。「在外邦人等」の保護(自衛隊法84条の3)および輸送(同84条の4)の活動として自衛隊機が派遣されたが、日本人1名と「等」にあたる「アフガニスタン人14名」の輸送にとどまった。ここから憲法改正や武器使用の拡大などの主張が出ているが、「惨事便乗型」の議論の仕方には注意を要する。むしろ重要なのは、「日米防衛協力のための指針」(2015年)に明記されている、地球規模での「非戦闘員退避活動」(V-A-5)との関連である。「アフガニスタン人14名」は米国の関係者で、「同盟調整メカニズム」を通じた「活動の調整」として、米国からの事前要請に基づく対米協力だった可能性が指摘されている9)。眼前に悲惨な現実が広がるが、腰を据えた冷静な議論が求められる所以である。

  アフガニスタン戦争から20年。米中対立が一段と激化し、日本もこの国家間対立に巻きこまれようとしている。一方、欧州、NATO正面では、20142月のクリミア危機(ウクライナ東部紛争)以降、ロシアとの国家間対立の方向に軸を移し、伝統的な「国防」と「同盟」への回帰(「新たなパラダイム転換」)が指摘されている10)。元祖「対テロ戦争」の現場、アフガニスタンは忘れられていくのか。


4 アフガニスタンの人道危機と日本

  人権や民主主義の「価値の輸出」に基づく、外からの「国造り」に失敗した国際社会が、タリバン復権後のアフガニスタンとどう向き合うか。これは難問である。米国がかつてのように関わることはないだろう。それはバイデンの830日の演説で明確である。「米国人が死ぬことは決してない」と。

  アフガニスタン経済は崩壊した。米国政府は約90億ドルの政府資産を凍結し、世界銀行、国際通貨基金、各国政府も長期開発プロジェクトの支払いを停止した。他方、タリバンとイスラム国(ISKP)との武力対立も激化している。タリバンは、外交上の承認、資産凍結や制裁の解除に関心がある。どこの国と、どんな関係を取り結ぶか。これからタリバンも慎重に見極めていくだろう。

  日本は、タリバンもアフガン市民も殺していないから、タリバンから一定の信頼を置かれている。ここに日本がタリバンと国際社会を仲介する大義があるという指摘がある(日本ボランティアセンター〔JVC〕顧問・谷山博史氏11))。補給支援活動により、アフガンでの米軍等の戦闘行動に間接的にかかわっていることは否定できないが、日本への憎悪が欧米に比べて低いのは確かだろう。この点で、201912月に殺害されたペシャワール会の中村哲さんの存在は大きかった12)。武力で占領するというイメージとは正反対の中村さんの活動は、これからのアフガニスタンにおいても光であり続けるだろう。20011013日の衆議院テロ対策特別委員会の参考人質疑で中村さんは、「9.11」からまだ1カ月という時点で次のように述べていた。「現地におりまして、日本に対する信頼というのは絶大なものがある。それが、軍事行為に、報復に参加することによってだめになる可能性があります」「自衛隊派遣がとりざたされていますが、当地の事情を考えますと有害無益でございます」と。これからも、日本のスタンスは、中村さんが命をかけて示してきた方向と内容であるべきだろう。「日米同盟」一辺倒の発想から脱却して13)、日本国憲法の真の「積極的平和主義」の観点に立った対外政策が求められている。

  脚注

1) 直言「最悪の行為に最悪の対応」(2001917)参照。

2) 「空爆」と「空襲」の違いについて、直言「平和における「顔の見える関係」」(2013930)参照。

3) 加藤周一・井上ひさし・樋口陽一・水島朝穂『暴力の連鎖を超えて』(岩波ブックレット、2002参照。

4) 朝日新聞202192日付夕刊。

5) J.Galtung, Die Zukunft der Menschenrechte, 2000, S.126f. 拙稿「日本の『防衛政策』転換への視点」ジュリスト1192号(2001年)45で紹介。

6) 拙稿「『テロ対策特別措置法』がもたらすもの」法律時報74巻1号(2002年)1-3(水島朝穂『平和の憲法政策論』〔日本評論社、2017175-182頁所収)。

7) 拙稿「『7.1閣議決定』と安全保障関連法」法律時報8712号(2015年)46-52(『平和の憲法政策論』215-231頁所収)。詳しくは、水島朝穂『ライブ講義 徹底分析! 集団的自衛権』(岩波書店、2015年)参照。

8) 『選択』202110月号28-29頁参照。

9) 「軍事問題研究会ニュース」2021830日号参照。

10) S.G.von KielmanseggHrsg., Die Wiederkehr der Landes- und Bundnisverteidigung, 2020, S.27-32.

11) 『週刊金曜日』1342号(2021827日)13頁参照。

12) 中村哲さんの殺害直後に書いた拙稿「『武力なき平和』の実践者」『週刊金曜日』1261号(20191213日)16参照

13)直言「「日米同盟」という勘違い」(2019624)参照。

 

トップページへ