「改憲、三年おあずけ」
66年前の1956年7月8日は、第4回参議院選挙の投票日だった。当日の『毎日新聞』朝刊1面見出しは、「「憲法改正」が焦点 この一票で成否が決る」であった。同じ1面ハラには、「悲惨七千四百五人 ハルビン地区死亡者の名簿を発表」として、6面と7面を使って、1945年8月のソ連軍「満州」侵攻により亡くなった人々の氏名が列挙されている。社会面トップの受け記事は、「ソ連軍に包囲されて愛児も火の海に 自決した開拓団の人々」の記事。中国への日本の侵略で始まった戦争とはいえ、ソ連が行った民間人に対する暴虐を含め、「8.15」前後の出来事は決して忘れられてはならないだろう。そうしたことを含め、戦争の具体的な傷跡がまだ生々しい「戦後11年」を前にした選挙だったのである。
選挙戦では、鳩山首相が、6月27日、大阪の中之島公会堂で演説し、「憲法改正が問題になっているが、占領下でつくられた法律は、日本の勢力を弱くしようという意味が含まれているので独立後は当然改正すべきだ。とくに自衛力を持たずに平和は考えられない。憲法改正は絶対に必要である」と訴えた(『毎日新聞』1956年6月28日付2面下)。
選挙当日の『毎日新聞』7月8日付夕刊の1面トップ見出しは、「参院投票
にぶい出だし 東京は3時で3割程度 婦人の低調は相変わらず」だった。いまの新聞社の校閲デスクなら決して許さない見出しだろう。
当時、即日開票は都市部だけだったので、開票結果を伝える新聞は、翌々日付の朝刊となる。その7月10日付1面が冒頭左の写真である。「参院、革新派三分の一確実」「憲法改正を阻止」とある。選挙結果が確定した10日付夕刊のトップ見出しは「改憲、三年おあずけ」「鳩山内閣、責任問わる」である。選挙戦では、改憲推進の自民党に対して、社会党、労農党、共産党が憲法改正に必要な「3分の2」を阻止するため、「3分の1」を確保するために全力を傾注した。選挙の結果、参議院250の議席配分は、自民党122、社会党80、緑風会(参議院のみの無所属会派)31、共産党2、諸派1、無所属14となった。緑風会は1947年の結成時の「綱領」のトップに、「新憲法の基調たる人類普遍の原理にのっとり、愛と正義にもとづく政治の実現を期する」を掲げていたから、保守系ながら改憲には慎重だった。250の3分の2は167だから、無所属の一部を加えても、自民党は3分の2に達しなかった。警察予備隊、保安隊を経て自衛隊が発足して2年目の時点で憲法9条を改正し、これを「国防軍」とすることについて国民の支持を得られる状況ではなかったのである。
「おあずけ」をくらった自民党は、これ以降、「解釈改憲」路線へと転換していく。
第26回参院選も低投票率になるのか
来る7月10日は第26回参議院選挙の投票日である。前回の直言「有権者はいつまで「沈黙」を続けるのか――コロナで広がる「黙」の世界」の結びの言葉は、欅坂46「サイレントマジリョリティー」(2016年)にかこつけて、「「選べることは大事なんだ」。「物言わぬ多数派」よ、「人に任せるな」」とした。
投票日まで1週間を切ったが、メディアの選挙報道はことさら地味で、選挙戦が盛り上がらないまま投票日を迎える「選挙スルー戦略」が今回も成功しつつある。低投票率を作り出して「勝利」するのは、安倍晋三第二次政権以来の常套手段である。今回から、人口減を理由に全国でさらに1000箇所の投票所が廃止される(『毎日新聞』7月3日付6面)。今回も低投票率になれば、「二人に一人しか投票しない「民主主義義国家」」という不名誉な記録を更新するだけでなく、主要な国政選挙のない、岸田文雄政権にとっては「黄金の3年」を獲得することになる。この間に、憲法改正の発議から投票までやってしまおうという「スケジュール感」(茂木敏充自民党幹事長)が前面に押し出されている。
参院選は「民意の定時観測」――任期6年、半数改選の「効果」
参議院の第二院としての独自性は、解散がなく、3年おきに半数改選の選挙が確実に行われるという意味において、「民意の定時観測」の側面をもつことである。政権与党に対する批判は、しばしば参院選挙の結果にあらわれる。とりわけ消費税導入とその税率アップが端的な例である。消費税3%導入の3カ月後の第15回参院選挙(1989年)で自民党は大敗した。消費税5%増税後の第18回選挙(1998年)は、当時の橋本龍太郎首相をして「チックショー」といわしめた大敗北だった。税金ではないが、「消えた年金」問題で国民の批判を浴びた第一次安倍政権も、第21回選挙で惨敗。安倍は唐突に政権を投げ出した。民主党政権下でも、第22回選挙(2010年)の公示前に菅直人首相が「消費税10%」を安易に口にしたため、思わぬ大敗を喫した。「マグナカルタ(1215年)12条は、国王の決定だけでは課税できず、議会(一般評議会)の同意を必要とすると定めていた。「代表なければ課税なし」の元祖とされる。勝手に税金を新設したり、あるいは税率を唐突に上げたりした権力者は、まともな運命をたどっていない」(直言「税金について語るの「作法」」)。
第二次安倍政権は、第一次政権の時の参院選敗北の教訓から、できるだけ投票率があがらない工夫をしてきた。加えて、キャッチコピーの多用である。政権を「取り戻し」てから最初の参院選である第23回選挙(2013年)では、「ねじれ解消」という意味不明の言葉を前面に押し出し、投票日当日朝のNHKニュースでさえ、「ねじれ解消を最大の焦点とする参議院選挙が今日、投票日を迎えました」とやった。これはけしからん、とその時に思った。参議院は野党が強いので、「ねじれ」が生まれているわけで、その「ねじれ」の「解消」は参議院でも自民党が多数を占めるということにほかならない。これは「皆さまのNHK」にもとる偏向である(直言「「ねじれ解消」と「3 分の2 」の間」)。
第23回選挙では、投票率が戦後二番目に低く(52.61%)、自民党の圧勝だった。長期にわたって野党が強力だった参議院の見る影はなく、2013年以降、安倍一強とされる状況が続いた。いまから見れば、「ねじれ解消」は一強政治を確立するためのマジックワードだった。
ところで、選挙戦を盛り上げない戦略は、「2-5-3の法則」と呼ばれる。「有権者の2割が野党に、3割が与党に入れる。そして残り5割が選挙に行かないと、与党が3対2で勝つ」というわけである(「中島岳志教授に聞く参院選の焦点」『毎日新聞』6月28日付夕刊特集ワイド)。なかなかうまい表現である。
82議席をめぐる攻防
観測史上初の「6月の猛暑」に見舞われるなかでの選挙戦である。加えて、急速な円安と物価の高騰…。先進国で賃金は最低ランク、年金も減額され、国民生活が非常に苦しい状況のなか、防衛費GDP2%と憲法改正を前面に押し出す自民党岸田政権。『毎日新聞』6月23日付は、「「改憲」影潜め…参院選のメイン争点に「物価高」」という見出しで、「主婦ら有権者からも「物価高への対応を投票先選びの参考にしたい」と声が上がるなど、今の生活に密着する課題への関心は高まっている」と公示当日の風景を伝えている。
他方、メディアのなかの改憲派、産経新聞+フジテレビの電話調査によれば、自公+維新・国民民主などの「「改憲勢力」は、憲法改正の発議に必要な3分の2(166議席)の維持に必要な議席数を固めつつある」という(『産経新聞』6月27日付)。産経は、「改憲勢力は84の非改選議席を有しており、今回82議席を得れば3分の2に届く」と書き、現在、83議席が予測されており、「最大で100議席に迫る勢いを見せている」と筆が走っている。国民民主党は産経新聞では、完全に「改憲勢力」にカウントされている。
有権者の関心があろうがなかろうが、7月10日には明確な結論が出てしまう。「改憲4党」が82議席を獲得すれば、「スピード感」と「スケジュール感」をもって憲法改正に突き進むことになるだろう。改選議席124+1(神奈川県の欠員補充)のうち、改憲に反対(慎重)な政党が計44議席以上とれるかどうかが焦点となる。
「改憲勢力」の中身は
憲法改正に前のめりの政党は、いったい憲法改正で何を達成したいのか。ウクライナの戦争を持ち出され、不安に思っている有権者は、これらの政党に一票を投ずる前にちょっと立ち止まって考えてほしい。例えば、6月30日に共同通信の配信で知るところとなったのだが、自民党の国会議員による議員懇談会の会合において、「同性愛は後天的な精神の障害、または依存症」など、性的マイノリティーに対して差別的な内容の文書が配布されたという。こういう人々が憲法改正に熱心だということは、最高法規の章から基本的人権に関する97条を削除する改憲草案を公表していることとあわせて、国民のための憲法改正ではないことは容易に想像できるだろう。
昨年6月、憲法改正国民投票法が改正され、細かな事柄ばかりが改められたが、もともと憲法改正国民投票法自体が本質的な問題をもっているのである(『山梨日日新聞』2010年5月3日付拙稿参照)。本質的な問題をスルーして、憲法改正の「環境整備」ばかりが先行している。これについては、また別稿を用意しているので参照されたい。
こうした本格的な軍拡と改憲の流れに、岸田首相はどこまで本気なのか。「検討する」を連発して、党内の「大きな声」に引きずられているだけではないのか(直言「岸田さん、本音はどこですか──「政権維持装置」としての改憲?」参照)。
なお、今回の選挙で気になるのは、元首相の安倍晋三が露出度を高めていることである。「病気」を理由に二度までも政権を投げ出した政治家が、国政選挙の重要な場面で、現職と張り合うように飛び回っているのは異様である。石橋湛山(自民党第2代総裁)の見事な首相退陣の姿勢と言葉とは対照的に、安倍のそれは二度とも不自然でかつ見苦しかった(直言「「内閣総理大臣が欠けたとき」――石橋湛山と安倍晋三」を熟読されたい)。安倍政権誕生直後の2013年参院選における「ねじれ解消」のレトリックを想起して、同じあやまちを繰り返さないようにすることが肝要だろう。
【文中一部敬称略】
《付記》冒頭右の写真は、国会開設110年を前に、議事堂の外壁を高圧洗浄した際のもの(2010年10月26日、水島1年ゼミ長撮影)。