ヒロシマ・ナガサキの77年
先週の土曜は「ヒロシマ」、明日は「ナガサキ」の77年である。被爆者の高齢化は著しい。メディアは一応、原爆関係の特集を組んだりしているが、録画して保存したくなるような力作は減ってきている。今年の「8月ジャーナリズム」は例年とは違った趣をもつ(詳しくは、拙稿「戦後77年は新たな戦中と戦前に:武器供与ではなく即時停戦求める声を!」『週刊金曜日』1388号(2022年8月5/12日合併号)20-23頁参照)。
岸田文雄首相は、自身の選挙区である広島1区(中、東、南の各区)に住む被爆者たちの多くの思いに反して、先週(8月1日)ニューヨークで開かれたNPT(核不拡散条約)再検討会議での演説で、核兵器禁止条約に一言も触れなかった。米国の「核の傘」に入っているドイツやオーストラリアがオブザーバーとして参加しているにもかかわらず、日本は米国に過度に忖度して、この条約に対して冷淡な姿勢を貫いている。「ヒロシマ出身の政治家」をブランドとしており、先週の演説でも冒頭近くで、「被爆地広島出身の総理大臣として、いかに道のりが厳しいものであったとしても、「核兵器のない世界」に向け、現実的な歩みを一歩ずつ進めていかなくてはならないと考えます。」と語っていた(官邸ホームページ)。「現実的な歩み」のなかに、日本の独自スタンスを打ち出すという選択肢は含まれていないのだろうか。
「聞く力」の象徴、ブルーのノートはいずこに?
思えば、岸田政権が発足したのは昨年10月4日のことだった。2年前に「政治的仮病」により安倍晋三が政権を投げ出し、菅義偉政権が誕生して1年もたたないうちに、その菅も政権から退いた。史上最速で総選挙をやって、熟議も熟慮もない「スピード感」あふれる即席民主主義が定着した(直言「二人に一人しか投票しない「民主主義国家」(その3)」)。市民の声は政治に届かない。冒頭左の写真は、この2年間に国会内の売店で売られてきた首相お菓子である。2年前も、1年前も、コロナ禍の猛暑の8-9月は、権力を握る人々は「自民党総裁選」にうつつを抜かす。昨年の場合、衆議院議員の任期が近づくなか、総選挙の事前運動のような総裁選となったことは記憶に新しい。その時、「国民の声を聞く力」を強調した岸田の手には、この写真にあるブルーのノート(B罫6mm)が握られていた。彼はいまもこれを持ち歩いているのだろうか。首相番記者に是非、聞いてもらいたいものである。
大衆の「忘却力」を利用する
ヒトラーの『わが闘争』にこうある。「大衆の受容能力は非常に限られており、理解力は小さいが、そのかわりに忘却力は大きい」(平野一郎・将積茂訳〔角川文庫〕上巻238頁)と。この「忘却力」は、原文ではVergeßlichkeit(健忘症、忘れっぽさ)となっている(Adolf Hitler, Mein Kampf, 246./247.Aufl., München 1937, S. 198)。14年前にこの下りを引用して、直言「「忘却力」と憲法」を出した。「とにかくナチスは「動いていること」(Beweglichkeit)を重視したので、人々の心をつかむために、さまざまなグッズを活用しつつ、集会や催しものをさまざまなレヴェルで頻繁に企画し、演説で気分を昂揚させ、そして考える時間を与えることなく行進が始まる。こうして、人間理性はどこかへいってしまう。だからこそ、忘れないことが大切である。これしかない。」(直言「「忘却力」に負けない」)。
消費税は借金返しに?!
「忘れない」という観点からいえば、2019年1月28日、安倍晋三首相(当時)が施政方針演説のなかで次のように述べていたことが重要である。
「少子高齢化を克服し、全世代型社会保障制度を築き上げるために、消費税率の引上げによる安定的な財源がどうしても必要です。10月からの10%への引上げについて、国民の皆様の御理解と御協力をお願い申し上げます。8%への引上げ時の反省の上に、経済運営に万全を期してまいります。増税分の5分の4を借金返しに充てていた、消費税の使い道を見直し、2兆円規模を教育無償化などに振り向け、子育て世代に還元いたします。軽減税率を導入するほか、プレミアム商品券の発行を通じて、所得の低い皆さんなどの負担を軽減します。」
昨年の総裁選で、その安倍の後ろ楯で「善戦」した高市早苗は、政調会長の要職を得て、態度がきわめて大きくなった。その奢り・昂りによって、思わぬ墓穴を掘った。参院選を前にした6月19日9時のNHK「日曜討論」。維新の天敵として近年注目されている、れいわ新選組の大石晃子政審会長は、「数十年にわたり法人税は減税、お金持ちはさんざん優遇してきた」として、消費税減税を強く主張した。これ対して、不快感を露わにした高市は、「れいわ新選組から消費税が法人税の引き下げに流用されているかのような発言がこの間から何度かあったが、まったくの事実無根」と断定。その上で、「消費税は法律で社会保障に使途が限定されている」と明言して、「デタラメを公共の電波で言うのはやめていただきたい」と述べた。これに対して、ネット上では、どちらがデタラメだという批判が起こり、高市の「消費税は社会福祉のみに使われる」という言葉をとらえて、《♯平気で嘘をつく高市早苗》がトレンド入りした。
加えて高市は、この「日曜討論」で、過激に軍拡を語っていた。自民党の参院選総合政策集「Jファイル」には、「優れた正面装備品(艦艇、航空機)の数量を確保する」などとして、F35戦闘機(最終的に147機)の総額6~7兆円、スタンドオフ・ミサイル(12式地対艦誘導弾・能力向上型など)、新型護衛艦・哨戒艦、総合ミサイル防衛(すでに2.8兆円計上)、イージス・システム搭載艦(2隻)、以上で総額1兆円以上、国内軍需企業の支援、軍事研究の拡充、宇宙軍拡などが列挙されている。高市は「これらを積み上げていけば(GDP比)2%を目指すというメッセージになる」として、その金額は「おおむね10兆円」だと述べた。
現場からの異論――海自呉総監
こうした動きが国会での十分な議論も経ないまま進んでいくなか、現場から異例の声があがった。海上自衛隊には5つの地方隊(横須賀、呉、佐世保、舞鶴、大湊)があり、それぞれに地方総監部がある。そのトップである総監(海将ポスト)の一人、伊藤弘呉総監は、7月4日、定例の記者会見で、社会保障費を具体的にあげて、防衛費が特別扱いを受けられるのかと率直に述べたという(『毎日新聞』2022年7月5日付デジタル版)。
記者:参院選で、防衛費をGDP(国内総生産)比で2%まで増やすことも念頭にするとの議論がある。現場から見て、防衛予算の現状や2%という議論をどう考えるか。
伊藤総監:今、5兆円超の予算をいただいている防衛省として、それが倍になるということを、個人的な感想ですけれども、もろ手を挙げて無条件に喜べるかというと、私個人としては全くそういう気持ちにはなれません。というのは、社会保障費にお金が必要であるという傾向に全く歯止めがかかっていないわけです。どこの省庁も予算を欲しがっている中にあって、我々が新たに特別扱いを受けられるほどに日本の経済状態ってどうなんだろう、良くなっているのだろうかということを一国民としての感想ですが、思います。 そして大事なのは、何を我々自身が必要としているか、ということをしっかりと積み上げる。整理して国民に提示していくということなんだろうなと思います。
ロシアによるウクライナ侵略、これでミサイルや砲弾といった弾の数、それを十分持っておかないといけないという議論がしきりとなされていますよね。一方で、それに勝るとも劣らぬくらい重要な船、飛行機、潜水艦、これらを維持・整備していくということの重要性。通常艦艇も潜水艦も、実は塩の水につかっているんですよね。海水という。放っておくと基本、さびちゃうんです。航空機もたくさん持っています。固定翼もヘリコプターも。一般的な飛行機に比べると非常に低空を飛びます。海面すれすれを飛んでいる。基地に帰ると機体を洗っているんですね。そうやって塩水を落とすことによって、整備を少しでも楽にしようとしています。放っておくと、どんどん悪くなっていく。
極論ですけど、ミサイルや大砲の弾をたくさん仮に買ったとしても、それを撃つプラットフォームである船の手入れを怠ったら海の上に出て行けない。目を引かれる装備とか技術とかいろいろあるんですけれど、もっと地に足を着いたメンテナンスですとかロジスティクス、ここにももっと注目をしてほしい。その辺に対する国民、一般の理解をいただけたらなというふうに思っています。
高市らによる数字や派手な兵器名が一人歩きするなかで、現場からの冷静な発言といえる。だが、現職の自衛官が、しかも選挙中に政治に対する踏み込んだ発言をすることは異例中の異例である。過去に高級幹部の政治的発言が問題になったこともある。東京新聞論説委員の竹内洋一は、同紙2022年7月30日付「視点」欄「海自幹部の防衛費発言 覚悟の諫言を傾聴する」において、「財源の裏付けもない防衛費倍増論は現実的なのか。海洋国家を防衛する最前線からの異例の問題提起である。批判的な意見と煙たがるか、忠言として耳を傾けるかは、政治家の度量次第だ」と書いている。このように強く後押しをしてしまいすぎることには慎重であるべきと考える。
呉総監部のホームページには、伊藤総監の挨拶が掲載されているが、そこでは、「人への投資」が強調されている。
「…我が国日本が、「少子高齢化」などという生易しいものではなく、「人口減少社会」に突入しているという事実です。伝統の継承を通じて、より良い組織を構築するにせよ、変化に挑戦するにせよ、そのすべての基盤は「人」です。我が国の人口は2009年にピークを打ち、爾後、一貫して減少し続けています。昨年一年間の人口自然減は60万人を超えました。これは小さな規模の都道府県1県分に値します。人口減少社会にあっては、共に勤務する上司、先輩、同僚、部下、後輩、つまりすべての「他人(ひと)に関心を持つ」ことによって、一人ひとりを大事にし、その生産性を高め、海自が有する人的基盤を強化して行かねばなりません。このコンセプトを人口減少社会におけるキーワードを用いて言い換えれば、「人への投資」ということになると思います。私はそれに全力をもって取り組む所存です。」
少子高齢化や福祉への関心の高さを感じる。それが7月4日の発言につながったのだろう。過去の高級幹部の政治的発言とは異なり、ドイツ連邦軍における議論を踏まえていえば、いたって常識的な発言といえるだろう。現場からこのような率直な声があがるほどに、いまの政治がずれてしまっているということである。
なお、『中国新聞』5月18日付『この人』欄では、3月に着任した伊藤総監へのインタビューが掲載されている。そのなかで、このようなエピソードが紹介されている。
米留学中に、核兵器の悲惨さを十分に理解せずに議論している学生に対して、「被爆者の話を聞いたり、写真を見たりしたことはあるかと問いかけた。実際に使ったらどんな状況になるか、分かった上で議論しようと訴えた」と。
岸田首相には、地元の呉地方隊のトップの発言を直接聞いて、ブルーのノートにメモをする余裕があるだろうか。
【文中敬称略】