わが歴史グッズの話(50)軍用ヘルメット(鉄帽・鉄兜)――戦後77年と開戦172日に
2022年8月15日


815日」の直言

77年目の「8.15」である。17年前も月曜日だった。鹿児島と長崎で連続講演を行った当日に更新した直言「カゴシマ・ナガサキと戦後60は、移動にカナダ製双発機を使い、その機内で原稿を作成したことを思い出す。この時のように、直言を更新する月曜日が815日だったのは、2011年と2016年である。前者は、防空法をテーマとした直言「退去を禁ず――大阪空襲訴訟で問われたこと、後者は在外研究中のドイツ・ボンで、天皇の生前退位について書いた直言「象徴天皇の「務め」とは何か――「生前退位」と憲法尊重擁護義務である。

815日が月曜日となるのは、この25年間で今回が4回目となる。そこで、「わが歴史グッズの話」の50回目をここにもってくることにした。なお、このシリーズについては、直言「「わが歴史グッズ」の現場を参照のこと。

 

幼稚園児が「燃料廠の鉄兜」をかぶる

物心ついた頃から、私のまわりには「戦争グッズ」があった。P51ムスタング戦闘機の12.7ミリ機関銃弾が貫通した万年塀については何度も書いてきた。今回の新ネタは、私が幼稚園児の時に遊んでいた鉄兜(防空用鉄帽)である。冒頭左の写真の一番奥に見える。これをかぶって耳をふさぎ、友だちにバットや鉄パイプなどで叩いてもらって遊んでいた。内側には「燃」の文字がある。家から600メートルほどのところにあった旧陸軍燃料廠関係者の防空用鉄帽である。それがなぜ家にあったのかは不明である。燃料廠の跡地には戦後、米第5空軍司令部が置かれた。府中はそのためにB29の空襲を受けなかったと言い伝えられてきた(直言「体験的「米軍再編」私論(その2・完)参照)。

 

日独伊3カ国の鉄帽

1991年と1999年、2016年の3回のドイツ在外研究中にドイツ軍のヘルメット(Stahlhelm Modell 42)と旧東ドイツ国家人民軍(NVA)のそれを計5個入手した。それぞれの入手経路と経緯は異なるが、第一次世界大戦のスパイク付きヘルメット(Pickelhaube)はベルリンの骨董店で、それ以外はもっぱらボンのフリーマーケット(Flohmarkt Bonn Rheinaue )に現われる怪しげな古道具屋から入手した。また、ロシアの旧スターリングラードの戦没者墓地の管理人室には、両軍のヘルメットがたくさんあって、管理人から持っていけといわれたが、さすがに辞退した。そこでもらったソ連兵の水筒については、すでに書いた

 ところで、研究室にある5個のドイツ軍ヘルメットのうち、少なくとも2個については、命が確実に失われている。これについては、過去に次のように書いた(直言「わが歴史グッズの話(44)番外編・グッズの可能性とリスク)

「…数年前[2002年頃]、学部の大講義で、ドイツ軍兵士のヘルメットを見せたときのこと、5箇所の貫通痕があり、これをかぶっていた兵士は即死しているはずだ。授業が終わって教壇のところに学生がたくさん集まってきて、「先生、ヘルメット見せてください」といってきた。私が別の学生の質問に答えるために目をはなしたその一瞬、一人の男子学生が、ヘルメットを手にとってポーンポーンと転がし始めたではないか。私は大声でその学生を叱責した。学生たちは固まった。「君は人の命をどう思っているんだ。これをかぶっていたドイツ兵は亡くなっているんだよ」。私の剣幕に学生は青ざめ、最後には、「申し訳ありませんでした」と頭を深く下げて帰っていった。私は研究室に行くたびに、このヘルメットの前でお香を焚いてきた。…」

右上の写真は、日独伊三国同盟の締結を伝える『朝日新聞』1940928日付号外とともに、ドイツ、日本、イタリアの鉄帽を並べたものである。一番右のお碗型がイタリア軍のものである。先週撮影したこの写真は、三国同盟を象徴するものとして、けっこうリアルにできたと自負している。

 

軍用と防空用

日本軍の戦闘用ヘルメットは90式鉄帽が一般的で、これと防空用鉄帽が各種ある。冒頭左の写真のなかで、軍用のほかに、警察のマークがついているのが警防団のものであるその手前には、三菱のマークが付いているものが見える。これを入手した時、私の問い合わせに対して、愛知県の古道具屋は、零戦を製造していた三菱重工業名古屋航空機製作所の防空用鉄帽だとメールで回答したきた。内側に部署名らしきものも書いてあり、おそらくそうだろう。

戦闘用に比べると、防空用のなかにはかなり軽く、脆弱な作りのものもあり、実際、どれだけ防禦効果があったかは疑問である。そもそも戦闘用の鉄帽も、砲弾の破片などを防ぐ効果はある程度あっても、小銃弾の直撃には効果は薄かった。スナイパー(狙撃手)ものの映画でも、かなりの距離から、鉄帽をかぶった頭部を射抜いている。

自衛隊には66式鉄帽と88式鉄帽があり、米軍のものはM1ヘルメットである。熊笹迷彩の覆い(ヘルメットカバー)が付いているものもある。左の写真のようにひっくり返して、裏から見ると、頭に金属部分が直接あたらないよう、3本の太めのバンドが交差して衝撃を和らげるようになっている。ただ、どこの国の鉄帽もジレンマを抱えている。小銃弾をはじくほどの分厚い鉄板でつくれば、重すぎて長時間かぶることは困難であろう。強度と重量は、鉄帽における難問である。なお、近年のものは軽量でも強度が工夫されているようである(「戦闘用ヘルメットの強度と安全性の改善」参照)。

 

軍隊以外のヘルメット、ヘルメット以外の軍帽

  右の写真は、消防や警察などのヘルメットである。手前左はフランスの市民防衛隊(protection civile)のもの。その右の白いヘルメットは、台湾の憲兵隊である。その後ろのブルーのヘルメットは、警察機動隊の鉄帽である。裏側に「熊機16」とあり、熊本県警機動隊のうちの一人が使用していたものだろう。

 左の写真は、研究室にある、ヘルメット以外の軍用のキャップやハットなどを撮ったものである。戦後のドイツ連邦軍のベレー帽が2種とパトロールキャップ、旧東ドイツ国家人民軍のキャップ、国連PKOのベレー帽、米軍のブッシュハット(ジャングル仕様と砂漠仕様)、民間軍事会社(PMC)ブラックウォーター社のキャップ、ボスニアに派遣されていた平和安定化部隊(SFORのドイツ軍兵士の「パッチアームバンド肩章」。それに、米軍憲兵(MP)の肩章である。

 

日独はウクライナに軍用ヘルメットを送る

今日は「終戦」77年であると同時に、「ウクライナ戦争」の開戦172日である。東部を中心に戦闘が激化し、原発をめぐって緊張が高まっている。
  開戦12日目の38日、ドイツ第二放送(ZDF)の夜7時のニュースで流れた映像がこれである。武器供与の圧力のなか、まずは軍用ヘルメットを5000個、直ちに増加されて23000個を送ることが決まった。武器供与をしぶる女性国防相(社民党(SPD)は徹底して馬鹿にされた。だが、好戦的で前のめりの女性外相(緑の党)に比べれば、この鈍重さが、「普通の国」に紙一重で成りきれない(あえて成りきろうとしない?)、現代ドイツを象徴しているようにも思われる。

 ロシアの侵攻が始まってから、ドイツのショルツ政権は、武器供与を五月雨式に行っている。これについては、ハーバーマスの議論とともに紹介した(直言「ユルゲン・ハーバーマス「戦争と憤激」──ドイツがヒョウでなくチーターを送る時代に)。

 日本政府も、316日、米軍のC17輸送機で、自衛隊で使用している防弾チョッキと88式鉄帽をウクライナに送っている。なお、421日、ウクライナ周辺諸国に人道支援物資を運ぼうとした自衛隊機が、インド政府により、着陸を拒否されるという実に興味深い事態も起きている(上空通過と民間機はOK)。インドは、米・G7と距離をとって、ロシアや中国との外交カードを維持するためにさまざまな手を使っている。

 

軍用ヘルメット(鉄帽)の「思想」

 今回の「歴史グッズ」は軍用ヘルメット(鉄帽、鉄兜)である。研究室のロッカーの上に並べてあったものを廊下に出して並べてみると、けっこうな数になった。だぶり分を除くと21個になった。私が研究室に入って、廊下が無人になった一瞬の間に、女性警備員が巡回にきていたが、足早に去っていった。「こんにちは」と声をかけたが、返事はなかった。驚かせてごめんなさい。

  88式鉄帽をウクライナに供与するのは、「防衛装備品移転三原則に違反しないというのが政府の立場である。旧「武器輸出三原則等」からすれば、紛争当事国への輸出は許されない。非常に形式化された「移転三原則」では、抑制力は圧倒的に下がったわけである。ヘルメットや防弾チョッキという「盾」から始めて、パンツァーファウストなどの「矛」にまで広げるのには、「移転三原則」でもなおハードルは高い。ただ、今後の展開次第では、「ヘルメットから対空機関砲へ」、さらには自走榴弾砲までいったドイツを周回遅れで追うのか。軍備拡大のスパイラルに終わりはない

 

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