「安倍国葬」はあり得ない――根拠・人物・警備・コロナetc.
2022年8月29日



「長期戦略」の効果――「政治の力」

一教会(「世界平和統一家庭連合」)の問題で政界に激震が走っている。私は3年前の直言「「反社勢力」に乗っ取られた日本」に続き、今月1日に直言「「反社勢力」に乗っ取られた日本(その2をアップした。その末尾でこう書いた。「日本国憲法201項後段は、「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」と定める。自民党改憲草案 は、「政治上の権力を行使してはならない。」をバッサリ削除している。統一教会は長期戦略として、選挙運動員や秘書を自民党議員のもとに送り込み、信者の秘書を議員にして、まさに政治上の権力行使に深く関わってきたわけである。自民党改憲草案は、そのような実態に憲法を合わせるものといえる。」と。

  90年代くらいまでは、統一教会の反社会性はある意味では世間の常識に近かったといえる(例えば、94年の質問主意書参照)。だが、信者を秘書として政治家に仕えさせ、秘密や個人的弱点などを握り、最終的に自らが議員になっていくという統一教会の長期戦略は次第に「成果」をあげていく。19989月の国会で、その一端が明らかにされていた(直言「「7.8事件」は日本の「9.11」か」で紹介した参議院法務委員会質疑(中村敦夫議員)参照)。「統一協会が種々社会的な問題を引き起こしている団体であるということは十分承知しておりまして、…大いなる関心を持って…広く情報を集めております。」という公安調査庁長官の答弁も引き出している。

しかし、2007年に安倍晋三が首相になって以降、統一教会の問題がとりあげられる機会は減っていく。「霊感商法」や「合同結婚式」など、40代以降の人々にとっては常識的事柄でも、30代以下の若者たちはほとんど知らないということを改めて認識した。大学でも、「原理研究会」「勝共連合」といえば、かつてほとんどの学生は、少なくともその存在は知っていた。いまは「右」と「左」の区別もよくわからないネット世代なので、統一教会に対する「免疫」がないようである。

霊感商法による被害は35年間で1237億円にのぼるとされ、昨年度(2021年)も33000万円の被害が出ている(わかりやすい解説として、最近頑張っている日テレ729日放送参照)。違法な霊感商法については、裁判所も「その高度の組織性」を認定している(東京地判20091110)。それにもかかわらず、統一教会がいまだに組織的な違法行為を続けられるのは、端的にいえば、警察を所管する国家公安委員長や、宗教法人を所管する文化庁を外局とする文科大臣のポストを、可能な限り清和会(安倍派)が握り、統一教会への捜査に対する「政治の力」(有田芳生)が働いていたからだろう。また、文化庁による統一教会への聴取記録が存在しないという不思議(その時期の文科大臣は清和会の塩谷立)、さらに、「世界平和統一家庭連合」への名称変更時の大臣が下村博文であること等々、統一教会の長期戦略の「成果」は確実にあがっていった。

その戦略の要石となる人物が安倍晋三である。ある時は国政選挙における票の差配をし、またある時は、国の政策決定過程に統一教会の意向を反映させる(「選択的夫婦別姓」を止める、「子ども庁」を突然「子ども家庭庁」に変更)等々。「自民と旧統一教会、共鳴の半世紀」(『朝日新聞』87)とされるように、岸信介に始まり、安倍晋太郎を経由して孫の晋三へと、三代にわたる統一教会との見にくい(醜い)相互依存・共存共栄の関係が形成されてきた。その基軸となる人物がいなくなったことによって、その構造が徐々に見えるようになってきたというのが実態だろう。NHKも先週になってようやく、「時論公論で「旧統一教会と「宗教二世」問題」(清永聡解説委員)について掘り下げた解説を放送している。

ところで、2007年の第一次政権投げ出しによる失意からの安倍復活の背後に、元秘書官・補佐官ら「高尾山登山グループ」の支えがあったことはすでに指摘したが、実はこの登山には、統一教会の幹部も参加していたことを最近知った。ここから、安倍晋三自身が統一教会の「隠れ信者」ではなかったのかという推測もなされている。そのような疑いをもたれてしまう人物を、「国家の偉勲者」として「国葬」の対象にしてよいのだろうか。


「安倍国葬」への3つの疑問

826日、岸田内閣は、「安倍国葬」の経費を24900万円として、これを全額国費でまかなうことを閣議決定した。参列者の数は6000人程度を想定しているという。

この「安倍国葬」をめぐっては、3つの点で重大な疑問を指摘することができる。第1は、法的根拠が怪しいという点である。そもそも「国葬」というものが戦後の日本国憲法下において成立するのか。戦前は「国葬令」(大正151021日勅令324号)があって、20ほどの実施例があるが、「日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律」(昭和22年法律第72)1条に基づき、19471231日をもって失効しており、「国葬」の法的根拠は失われている。戦前に「国葬」の対象となった「国家の偉勲者」は維新の元勲や元老、軍人(山本五十六など)であって、日本国憲法の施行後は首相が筆頭ということになる。だが、「国葬令」が廃止された以上、首相経験者についても、「国葬」の法的説明に苦慮することになる。

196710月に吉田茂が死去した際には、「政府として国費によって葬儀を行なうことを閣議決定することによって事実上の国葬を行なえるものと結論」づけた。「事実上の国葬」という表現に注意すべきだろう。この解釈を示すにあたっては、貞明皇后(大正天皇の皇后)の大喪儀が「閣議了解」によって準国葬として行われたことが参考にされた。この時は、当時の佐藤達夫法務府法制意見長官(現在の法制局長官)の、国葬実施は「行政作用の一部」なので「理論上は内閣の責任において決定し得る」という解釈がベースとされた。ただし、この意見には「実際上は国会の両院において決議が行われ、それを契機として内閣が執行するという経緯をとることが望ましい」という指摘も含まれていた。だが、両院の決議を受けるという部分は参考にされなかったようである(前田修輔「戦後日本の公葬――国葬の変容を中心として」史学雑誌130763頁参照)。

政府は、「故安倍晋三国葬儀」について、内閣府設置法4333号をその法的根拠としている。だが、内閣府設置法は組織法であり、当該条文は、「国の儀式」に関する「事務」を取り扱うという所掌事務を明記しているにすぎず、「国の儀式」に「国葬」が含まれるという根拠もない。国会を軽視し、閣議決定で何でもできると勘違いした安倍政権の手法を継承しているとしか思えない。先の佐藤達夫長官の解釈では、閣議決定にあたり、「両院における決議」を伴うことが望ましいとされていたことを忘れてはならないだろう。だが、岸田首相は、国会を早々と閉じてしまった。野党が憲法53条後段に基づき、臨時国会の召集を求めた、岸田内閣はこれを拒否している。岸田首相は、「憲法違反常習首相」と私が名づけた安倍晋三を引き継ぐのか。「安倍国葬」にあたり、国会を開いて、首相自らが国会で説明する必要があったのではないか。

 

「国葬」に値する人物なのか

「安倍国葬」への第2の疑問は、安倍が全額国費を支出して行うような「偉勲者」ではないということである。もちろん、この点については異なる評価があるのは当然である。しかし、少なくとも世論調査によって過半数が「安倍国葬」に反対しているという事実は重い。世論調査では、一番早い共同通信(730-31日)が「賛成」17.9%、「どちらかといえば賛成」27.2%、「どちらかといえば反対」23.5%、「反対」29.8%で、賛成45.1%に反対53.3%だった。一番新しい毎日新聞(820-21日)の調査では、「賛成」30%、「反対」53%、「どちらとも言えない」17%だった。産経新聞/FNNの調査(8月20-21日)でさえ、「賛成」40.8%、「反対」51.1%、「他」8.1%と、反対が過半数になっている。私は先月25日の段階で、「安倍晋三の国葬はジョーク」と断じて、この人物は「国葬」にふさわしくないと指摘していたので、ここではこれ以上述べない(直言「国葬にふさわしい人物とは誰か――ゲンシャー元独外相の国葬参照)。



警備費用は別枠

 3の疑問は、莫大な警備費用がかかることである。苛烈な警備によって、市民の権利侵害が生じうる可能性もある。

冒頭左の写真は、吉田茂の「国葬」警備にあたった神奈川県警の警察官に、終了後に贈呈されたメダルである。「吉田茂国葬儀記念 神奈川県警本部」とある。メダルには吉田の肖像に、「国葬儀記念」と19671031日と彫り込んである。裏側は神奈川県の県花「ヤマユリ」である

 冒頭右の写真は、昭和天皇の「大喪の礼」警備のため、全国から動員された警察官に対して、警察庁長官名の記念品である。表は皇居二重橋の絵の下に「昭和天皇 大喪の礼」、裏には、平成元年224日という挙行日のほかに、「大喪の礼警備記念」とある。大喪の礼は、天皇または上皇の国葬であり、これについては皇室典範25条に基づき、国の儀式として執り行われる。1990年版警察白書では、第7章「公安の維持」のなかに、次のような記述がある。

「…平成元年224日に執り行われた大喪の礼には、各国の元首・弔問使節及び国内要人等約1万人が参列した。大喪の礼に参列した国は、過去最大規模といわれていた故チトー・ユーゴースラビア大統領の葬儀(昭和5558日、ベオグラード)に参列した119箇国を大きく上回る164箇国となり、さらにEC、27の国際機関の代表が参列したほか、PLO等からの参列もあった。これら諸外国等からの参列者のうち、国王、大統領等元首クラスは55人に、王族、副大統領、首相等は49人にも上った。
 大喪の礼当日、警視庁においては、天皇及び皇族と内外要人の御身辺の絶対安全を図るとともに、国民の哀悼の意に配意しつつ諸儀式の円滑な進行を確保することを基本方針として、大喪の礼の会場となった新宿御苑、陵所の儀が挙行された武蔵陵墓地及び御葬列沿道を中心に警衛警護警備に当たった。この日の大喪の礼警備には、全国からの応援部隊6,000人を含む32000人が従事し、1日当たりの動員数としては過去最大の体制で臨んだ。 このように、大喪の礼警備は、全国警察が総力を挙げて取り組んだ過去最大のものとなった。…」

 なお、「警備警察50年-- 現行警察法施行50周年記念特集号」『焦点』269号(警察庁によれば、その後の「即位の令」に際しては、「約37000人の体制で警衛・警護警備を実施しました。」とある。

立憲民主党の中谷一馬議員は、「内閣に問う「国葬儀」に関する100の質問を提起している。「「故安倍晋三国葬儀」における形式・費用・参列者・警備などに関する質問主意書」も提出して(質問第2983日付)、「国葬儀」の法的根拠から形式、警備、世論の評価など15項目にわたって質問している。だが、これに対する答弁書は、きわめて簡略で形式的なもの、「現在検討中」というものが多い。中谷議員は警備実施について、次のように質問している。

 質問主意書15項「国葬会場の警備に関してどのように万全を尽くすのか、所見を伺いたい。また、国葬会場以外においても「故安倍晋三国葬儀」に触発された事件が発生し、最悪の事態が起こることのないよう、全国的に警備を強化する必要があると考えるが、岸田文雄内閣はどのような手段で全国の国民を守るのか、所見を伺いたい。さらに、その責任は誰が担うのか、併せて所見を伺いたい。」。

  これに対して答弁書は、「警察庁において、「故安倍晋三国葬儀」に関連する警備に万全を期するため、各種の対策を進めているが、その具体的な内容については、これを明らかにすることにより、今後の警備に支障を及ぼすおそれがあることから、お答えを差し控えたい。」とするにとどまっている。

警備費用がどれだけかかったのかの記述はないが、大喪の礼では24億円、即位の礼では285000万円が支出されたという。「安倍国葬」では警備費用に35億円がかかるという見方もある

岸田首相は、安倍が銃撃で死亡したことを受けて、この「国葬」に、「民主主義を守り抜く決意を示す」という意義も挙げている。しかし、警察庁警備局警備課警護室長を経たキャリアが本部長を務める奈良県警が、78日にどのような警備をしたのか。その報告書が825日に公表されたが、お粗末なものだった。そして同日、警視庁刑事部長時代に、安倍と懇意の山口敬之に対する逮捕状を握りつぶした中村格が警察庁長官を辞任した。

世界各国の元首や元首級が、このような警察とそのずさんな警備を信用せず、大量の警護員を引き連れてやってくるというケースもあるだろう(米国)。その人数調整を含めて、警備の具体的な中身はなかなか決まらないだろう。警察庁としては、メンツにかけて、かつてない大量の警察官を動員するだろう。おそらく警備費用は即位の礼を上回るのではないか。「国葬」後に冒頭の写真にあるような「安倍晋三国葬儀記念」のメダルは作られるのだろうか。


コロナと皇室――2013年「主権回復の日」式典を想起

この写真はNHKの朝7時のニュース(826日)で放映された、1967年の吉田茂の国葬の写真である。たくさんの人々が密接・密集・密着して献花している。新型コロナウイルス感染症の感染拡大が止まらないなか、東京の中心部にたくさんの人々を集めて「大イベント」を行うというのは、コロナ対策に逆行するのではないか。全国戦没者追悼式(815日)の開催の仕方をみても、2019年は日本武道館に7000人が参列しているが、コロナの感染拡大のため2020年は5422021年は200、そして今年は約1000だった。人と人との間隔をあけるという要請に従ったものである。天皇皇后が臨席する全国戦没者追悼式を1000人で実施したそのわずか43日後に、同じ会場に6000を超える人々を集めることに矛盾を感じないのだろうか。

加えて、「国葬」にもかかわらず、皇室からの参加はまだ決まっていない(「吉田国葬」の時は皇太子だった)。宮内庁関係者によると、「国民の間に反発が広がっている行事に皇室が関わることについて」懸念が生まれているという

    そこで想起されるのは、2013428日の「主権回復の日」式典のことである(直言「「主権回復の日」?参照)。安倍内閣(当時)は、政権復帰後最初の428日に、サンフランシスコ講和条約で主権を回復したとする式典の実施を閣議決定した。しかし、周知のように、この日は、沖縄が本土と切り離された「屈辱の日」とされており、毎年沖縄では反対集会が開かれてきた。天皇(現上皇)は、この式典への参加を躊躇したとされている。天皇は「日本国民統合の象徴」(憲法1条)である。47都道府県のうちの一つの県が、県知事を先頭に「屈辱の日」として怒りをあらわにしている。そんな日を祝う式典に、象徴として参加できるか。それにもかかわらず、その式典で、安倍晋三は「天皇陛下万歳」をやってしまった。その時の天皇皇后の固い表情が印象に残っている。その後、安倍政権下にあっても、二度と「主権回復の日」が語られることはなかった。 

   国民の間で反対が強い安倍晋三の「国葬」については、今後、大きく動いていくだろう。日本ペンクラブ(桐野夏生会長)は、「安倍晋三氏の国葬について、まずは当面延期が望ましい」という声明を発表した(『毎日新聞』824日付夕刊)。「安倍国葬」に賛成の立場でも、反対意見が過半数のなかで強行することに躊躇する人は少なくないのではないか。

私の結論はこうである。「安倍国葬」はあり得ない。ただちに中止を内外に表明すべきである、と。

【文中敬称略】

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