京都弁護士会での講演と、国葬反対の弁護士会長声明
先週末(9月24日)、京都弁護士会で講演した。台風15号が接近しているということで、前泊することにした。23日(金)夕方に京都に着くと、大雨のため、新幹線が静岡県内で運転見合せになっていた。間一髪だった。24日の運転再開は11時54分だったので、前泊しなければ14時スタートの講演会は中止になっていただろう。なお、京都弁護士会の講演は過去にやった記憶があったので、「直言」のサイト内検索をやってみると、2004年5月21日に講演したことがわかった。そこには、「…台風2号が関東にきわめて近いところまでくるとの情報を受けて、大事をとって前日の最終列車で京都入りした」とある。講演におけるトラブルはいろいろ体験したが(函館弁護士会の講演は霧で飛行機が着陸できず、新千歳空港からタクシーを使った! )、二度とも「台風で前泊」は京都だけである。講演テーマは「ウクライナ戦争と憲法」だったが、3日後に迫った「故安倍晋三国葬儀」(以下、「安倍国葬」という)への関心が強く、参加された岩佐英夫弁護士(24期)は、首から「国葬反対」のプラカードを下げておられた。京都弁護士会は「安倍国葬」実施に反対する会長声明を出しており、冒頭の挨拶で鈴木治一会長もそのことに触れておられた。全国に52ある単位弁護士会のうち、「安倍国葬」に反対する会長声明などを出したのは、24日段階で、安倍の地元の山口弁護士会をはじめ20会が確認できた。52単位会すべてが反対した集団的自衛権問題とは異なり、合意のとり方がむずかしかったと推測される。弁護士法1条(基本的人権擁護の使命とその使命に基づく法律制度の改善(したがって改悪に反対))の観点から、強制加入団体としての弁護士会が、人権を侵害するおそれのある法律や制度に反対するのは当然のことである。だが、「安倍国葬」に反対するにはそれなりの論理が必要である。早い時期に声明を出した兵庫県弁護士会長のインタビューはその意味で参照されていい。
「弔問外交」の破綻
私は、直言「国葬にふさわしい人物とは誰か」および直言「「安倍国葬」はあり得ない―根拠・人物・警備・コロナetc.」をアップして、さまざまな観点から「安倍国葬」に反対してきた。ゴルバチョフ元ソ連大統領の死去との関連でも、「安倍国葬」はあり得ないことを明らかにした(直言「「安倍国葬」とゴルバチョフの「非国葬」――政治指導者の葬儀」)。さらに、9月19日、英国のエリザベス女王の国葬が先行して行われてしまい(その参加者については、ドイツの知人が送ってくれたケルンの地元紙(Kölner Stadt-Anzeiger vom 20.9.2022)参照)、岸田文雄首相が挙げた「安倍国葬4つの理由」(①8年8カ月という史上最長政権、②内閣府設置法4条3項33号、③弔問外交の機会、④選挙活動中の殺害)のうちの③は、音をたてて崩れてしまった。
海外からの参列者は約700人というが、現職の大統領(国家主席・首長)が5人、首相は16人にとどまり、外相や国会議長などが多い。当初名前が出た「大物」はことごとく参加せず、ハリス米副大統領とインドのモディ首相が目立つ程度である。G7唯一の首脳、カナダのトルドー首相には、24日にドタキャンされてしまった。ドイツはメルケル前首相の参加も取り沙汰されたが(私はメルケルは来ないと確信していた)、結局、ヴルフ元大統領になった。これには驚いた。ヴルフは、汚職事件(収賄罪)で検察の捜査が迫り、わずか1年7カ月で大統領職を辞した人物である。政治資金規正法違反など数々の罪に問われることなく死亡した安倍晋三にふさわしい人選といえるかもしれない。
「理屈じゃねんだよ」という空気
明日14時から「安倍国葬」が行われるが、『熊本日日新聞』9月23日付によれば、熊本県では、「安倍国葬」が決まった2カ月前より20ポイントも反対が増えて、メディアの世論調査では最も多い73.4%に達したという。保守の強い熊本県でこの数字である。しかも、20、30代をはじめ全年代で反対が多数となり、男女別では女性が78.4%という数字だった。海外からの参列者も、国民がここまで反対している儀式に参加していいのかと躊躇しているのではないか。
岸田首相が、党内の根回しも、閣議での事前の議論もなしに、安倍殺害の6日後に唐突に「国葬」を行うと発表してしまった。いま、その拙速さがすべて裏目に出ている。この短時日の「国葬」決定の背景には、いろいろな説がある。一つは「国葬=麻生説」である。軟派な雑誌ではあるが、「SmartFLASH」サイトの9月6日のところに、「無派閥の自民党議員」の話としてこうある。内閣・自民党合同葬で話が進んでいたところに、麻生太郎副総裁が岸田首相に対して、「保守派が騒ぎだすから」と3回も電話して、最後は「これは理屈じゃねんだよ」という強い口調で迫ったというのである。「国葬実施の方針が決まったのは、7月14日の記者会見の1時間前でした」とも。各紙が後追い取材をしていないので、「国葬=麻生説」はこの軟派雑誌にとどまる。ともあれ、理屈がここまで軽視されるのは、安倍第2次政権発足からまもなく10年、この間の最も特徴的傾向といえる。私は、「無理屈はさらに進化して、理屈をこねる前提そのものを否定する、まさに「反理屈」の域に入ったとみていいだろう」と書いた(直言「検察官の定年延長問題――国家公務員法81条の3の「盲点」」)。いまや、公金を支出する公的な行為についても、この国は「理屈じゃねんだよ」の世界に突入しつつある。侵害留保説で開き直らせてよいのか
それでも、公金を支出して、国の儀式としてとりおこなう以上、「理屈」は不可欠である。そこで岸田首相は先の「安倍国葬4つの理由」のうちの②の内閣府設置法4条3項33号をことさらに強調している。
憲法には「儀式」という言葉が2つ出てくる。一つは天皇の国事行為を列挙した7条10号の「儀式を行ふこと。」である。もう一つは、信教の自由を定めた20条2項、「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。」である。後者はここでは一応別と考えて、天皇の国事行為との関係では、宮内庁法2条(所掌事務)の8号に「儀式を行うこと。」とある。これは天皇の国事行為としての「儀式」(7条10号)に対応したものといえる。内閣府設置法4条3項33号の「国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること」には、皇室典範24条の即位の礼や25条の大喪の礼は当然含まれる。だから、内閣府設置法のこの規定は、天皇以外の政治家などの「国葬」を行う根拠規定なのではなく、行政事務として儀式を行うことを定めた規定なのである。
だが、「国に特段の偉勲ある者」に対して、天皇から「国葬を賜う」という「特旨」が勅書の形で出された戦前とは異なり、日本国憲法下で、いくら国に功労があるからといって、どのような人物を「国葬」の対象にするかを決めることは容易ではない。法律で国葬の対象となる人物の基準を定め、自治体の関わりや国民の弔意の表し方などまで規定すれば、憲法との関係でかなりハードルが高くなる。ドイツでも「国葬」と「追悼国家儀式」とがあり、誰をどう遇するかは議論のあるところである。
大正天皇の皇后だった貞明皇后の葬儀に際しては、当時の佐藤達夫法務府法制意見がある。冒頭右の写真は、内閣法制局第1部の『部外秘・憲法関係意見資料集(憲法編)』(1951年5月20日)である。その47頁にこうある。「国葬を行うことは、行政作用の一部であるから、憲法上内閣の所管に属する。従つて理論上は内閣の責任において決定し得る所であるが、実際上は国会の両院において決議が行われ、それを契機として内閣が執行するという経緯をとることが望ましいと思われる。」と。
戦後日本に「多大の功績」のあるとされた元首相の吉田茂についてさえ、かなり無理をして「国葬儀」を行ったが、元首相の佐藤栄作については断念した。最大のネックは、国葬対象者の基準だった。60年代の国会答弁からも、「国葬に基準が必要だ」ということは政府の共通の認識になっていたことがわかる(『東京新聞』8月2日付1面)。半世紀にわたり、「国葬法」が制定されてこなかったことには理由があるといえよう。岸田首相は、組織法たる内閣府設置法の規定を根拠として国葬の実施を閣議決定したが、ことさらに②の理由を押し出すのは実は得策ではなかったのである。この規定は、行政の事務配分を定めた規定にすぎない。国の儀式として「安倍国葬」を行うと内閣が閣議決定して、それを実施する規定が内閣府設置法4条3項33号なのであって、この事務配分規定をベースにして、「安倍国葬」の実体的根拠を導くことは誤解を招くことになった。政府は、国民の権利を制約したり、義務を課したりするような行政の行為については法律の根拠を要するが、国葬は国民の権利を制約するものではないから、法律の根拠を要しないという。ドイツ国法学経由で日本でも定着した「侵害留保説」である。行政の行為すべてに法律の根拠を求める「全部留保説」は非現実的だから、「侵害留保説」で事足りるということにはならない。
そもそも、今回の「安倍国葬」が、国民の権利を制限したり、新たな義務を課したりするものではないので法律は必要なく、行政権の範囲で可能(したがって閣議決定でも足りる)と簡単に断定してよいだろうか。「国葬儀」となれば「国」の儀式である以上、社会のなかで「構造的忖度」が作動する余地がある。弔意の表明(するかしないか、そのやり方等)についての閣議了解をしないからといって、地域や学校や職場などで息苦しい空気が流れないという保証はない。弁護士会の反対声明の多くが指摘するような、思想・良心の自由(憲法19条)に対する侵害の問題は生じないとするのは楽観的にすぎる。
ここで想起されるのは、教育委員会を飛び越して、文科大臣すら知らないうちに決まった首相による「全国一斉休講要請」(2020年2月27日)である。今回の「国葬儀」の対象者が行ったコロナ対策の数々の愚策のなかでも最大のものの一つ(「アベノマスク」は「給付」+財政の問題)と私は考えており、教育委員会を飛び越えた「首相による休講要請」が子どもたちの学習権をどれだけ侵害したか、当時の子どもたちも記憶鮮明だろう。あの愚策の本格的総括はまだなされていない。かりに「国民の権利を制約し、義務を課さない」と政府がいっても、地域や学校や職場で「構造的忖度」が権利の制約の問題を生み出していくおそれがある。そういう国や社会をつくることに最も「貢献」した人物の「国葬儀」なのは皮肉以上のものがある。
武道館周辺の厳重警備(上空半径46キロの飛行規制)のなかで、「国葬」批判のデモやちょっとした抗議活動に対して、警察官がロシア並みの対応をする可能性も捨てきれない。また厳重警備により周辺の学校が通常授業ができない状態になることも含めて、権利制約がないとはいえない。「侵害留保説」で居直る政府を専門家がそれはそうだといってしまっていいのか。その点については、弁護士会の反対声明のなかで工夫が加えられているものもあるので参照されたい。加えて、日本国憲法下においては、国権の最高機関たる国会が定める法律に基づいて行政が行われる。法律が行政の細部まで細かく規定はしないが、国葬が国民の権利を制約しないから法律の根拠なしにできると胸をはるのはどうだろうか。8.15の全国戦没者追悼式も法律の根拠はなく、閣議決定でやっているが、特定の人物について「国を挙げて弔う」ということならば、国民代表機関である国会の関与がなければならないだろう(憲法66条3項)。「侵害留保説」を大上段に振りかぶって、内閣だけの判断で実施できるとするのはいかがなものか。多額の公金を支出して、特定の人物一人について「国」の葬式を行うわけだから、普通の儀式とは異なり、「重要事項留保説」に準じて国会の関与を必要とすべきだろう。
『朝日新聞』9月8日付(デジタル9月7日 21時)は、国葬には「法制度がない」「三権の了承必要」という吉国一郎内閣法制局長官の見解が示されたため、三木武夫首相が佐藤栄作元首相についての国葬を断念。内閣・自民党・国民有志の国民葬とした経緯を明らかにしている。「安倍国葬」を閣議決定だけで実施できると意地をはり続けた結果、参加者を減らすことにつながった。もし、自民党の総務会にはかり、衆参の議院運営委員会の閉会中審査に早く応じて説明していれば、「安倍国葬」が6割以上の反対にはなることもなかっただろう。なお、これは法的観点からのコメントであり、「これが国葬にふさわしい人物なのか」という視点とは別であり、それは後述する。
「国賊」の「国葬偽」?
岸田首相が挙げた「安倍国葬4つの理由」のうちの②と③についてはすでに触れたので、ここで、①の「8年8カ月という史上最長政権」について述べておこう。
安倍晋三は、2015年に、総裁任期を連続2期6年までとする自民党則80条4項の改正に着手し、これを「3期9年」に延長した。その結果が「史上最長政権」であって(直言「安倍政権の滅ほろびへの綻ほころび――総裁3選党則改正の効果」参照)、「安倍国葬」を行う理由として①は成り立たない。
9月20日、自民党の村上誠一郎衆院議員(元行政改革担当大臣、自民党総務)は、「安倍国葬」に欠席することを表明した。その際、朝日新聞記者らに対して、「(安倍氏は)財政、金融、外交をぼろぼろにし、官僚機構まで壊して、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)に選挙まで手伝わせた。私から言わせれば国賊だ」と明言したという。21日になって、「(安倍氏の)責任は重いということを言いたかった。国賊という言葉を使ったかは覚えていない」などと答えた(『朝日新聞』9月22日付第4総合面)。「国賊」「売国奴」「亡国の輩」というのは、いわば右翼用語で、これに共感することはできない。安倍晋三が残した負の遺産は、このような俗語では表現し尽くせないほどの害悪をこの国と社会にもたらしている。安倍政権の「功罪」ではなく、「悪業」と「悪行」である。私は安倍政治を「クレプトクラシー」(「泥棒政治」)と表現したこともある。そんな人物に「国葬」を偽装するから、「国葬偽」という言葉がネット上にみられるわけである。
拙速な「国葬」をアドバイスしたのは?
岸田首相のいう「安倍国葬4つの理由」の④(選挙活動中の殺害)については、非常に気になることがある。それは、山上徹也容疑者が、あと2カ月も鑑定留置されることである。「安倍国葬」が終わるまで、その発言が外に漏れることを防ぐという意図が透けて見えるが、政治犯を精神病院に入れて薬づけで無害化するソ連のような手法がこの日本でとられることはあり得ないと信じたい。
そもそも「安倍国葬」を岸田に短期間に決断させた、前述の「国葬=麻生太郎説」があるが、これに加えて「国葬=下村博文説」もある。『朝日新聞』7月13日付によれば、安倍殺害の6日後に突然「国葬」を行うと発表した背景には、安倍派会長代理の下村博文(前政調会長)が、岸田首相に「安倍国葬」を強く進言したことが大きいという。下村は、安倍派を軽視すれば、保守層からの支持を失う可能性があるから、安倍国葬を行うべきだと主張した。派閥内で圧倒的に人望のない下村が、「保守層」といったのはどういう人々を想定したか。自民党支持者一般ではないだろう。なお、岸田首相に「安倍国葬」を決意させたのが、安倍「ブレーン」だった「文芸評論家」の小川榮太郎だという見方もある。この「国葬=小川榮太郎説」についてはコメントしない。岸田首相の「聞く耳」はこういう輩に対してはダンボのように大きく、国民の声には小さく閉じてしまうのだろうか。
さて、上記の下村こそ、統一教会の「世界平和統一家庭連合」への名称変更について、決定的な役割を果たした人物であることは、今や多くの国民の知るところとなった。統一教会の被害者の山上容疑者が安倍銃撃に向かうきっかけとなったのがこの動画とされている。安倍晋三はこの動画のなかで、「世界平和統一家庭連合」を絶賛している。それは、単に政治家が宗教法人を讃えるというレベルを超えて、安倍自身が「食口」(信者)になっているかのような気迫と勢いを感ずる。とはいえ、霊感商法と合同結婚式と多額の献金によって国民の反発をかう「世界基督教統一神霊協会」という名称を何とか変えたいというのが、文鮮明の執念だったようである。名称変更へのこだわりは、「家庭連合」のホームページにも出ている。曰く、「2015年8月31日付で「法人の名称変更告知」の公文を出しましたが、…この…名称変更は、創始者・文鮮明師がかねてから願っていたことです。特に、文鮮明師は1997年4月10日付をもって「世界平和統一家庭連合」の名称を使用するように語っておられます。」と。
文鮮明の肝入りで、統一教会は、宗教法人を所管する文化庁に名称変更を繰り返し申し入れている。しかし、1997年当時の文化庁宗務課長は、あの前川喜平である。TBSのnews23の8月2日の放送で、前川は語る。「そのときの我々の対応としては、それは“受理できない”と。名称変更を認証してしまったら文部省が社会的に批判されるだろうと」。以後、18年間、門前払いの状況が続く。しかし、2015年8月になって、一転して文化庁は名称変更を認める。文科大臣は下村である。文科審議官だった前川が認めるはずはない。事務次官は「たすきがけ人事」で旧科学技術庁出身者だったので、宗教法人問題にはほとんど関心がなく、まさに下村大臣の一存に近かったようである。全国霊感商法対策弁護士連絡会の川井康雄弁護士は、2015年3月頃、名称変更をしないよう文化庁に求めていたので、突然の名称変更は下村大臣なくしてはあり得ないと語っている(以上、news23 8月2日)。
2015年当時の統一教会会長の徳野英治の喜ぶ姿がこの写真である(news23より)。「本日、この日本におきましても家庭連合としての新しい出発ができることとなりました。未来への希望あふれる新しい出発をしていこうではありませんか」(拍手)である。news23は、名称変更前に下村が統一教会系のメディアにたびたび登場していることに注目する。下村本人は強く否定しているが、公権力による特定宗教法人の活動に対する援助、助長、促進を超えて、まさにその活動の一部を担っているかのような傾きがある。統一教会による違法な活動、被害者の増大と、この名称変更は実質的な関連性があるとすれば、下村の責任は重大である。それを促したのが安倍だとすれば、統一教会にとって安倍政権は「私たちの政権」だったわけである(直言「「反社勢力」に乗っ取られた日本――安倍政権7年の「悪夢」」の下の方を参照)。
安倍晋三が統一教会票を差配している具体的事例として、2019年参院選における宮島善文候補(当時の現職)のケースがわかりやすい(TBS 2002年8月20日)。2016年の参院選では、安倍の差配で、宮島は統一教会の支援を受けて当選したが、2022年参院選を前に安倍を訪ねて再度支援を訴えると、一転して「前回みたいな応援は難しい。…自分で頑張れないか」と告げられたという。元首相秘書官の井上義行に統一教会の票を集中することがわかり、自らは支援を受けられないと判断して宮島は立候補をとりやめた。議員の当落線を動かすことのできる、票の差配を安倍がやっていたことがわかる。安倍晋三こそ、統一教会による自民党支配の要石だったのである(直言「「反社勢力」に乗っ取られた日本(その2)――第2次安倍政権誕生10年を前に」)。
長年にわたり統一教会被害者を弁護・救済してきた札幌の郷路征記弁護士(霊感商法弁護団共同代表)は、「安倍国葬」が実施されることによって、「安倍元首相は、統一教会員にとっては、霊界で生きてい(る)」、「地上におけるサタンの勢力との戦いに、天から助けてくれる人として、位置付けられる」と指摘している。重要な指摘だろう。
「安倍国葬」は、「サタンとの戦い」を霊界で展開する安倍晋三を激励する場(少なくとも統一教会の関係者にとっては)となるだろう。外国からもたくさんの参列者があるというだけで、統一教会にとって十分である。メディアや臨時国会における野党の追及によって、安倍晋三と統一教会の関係がさらに明らかになっていけば、内閣だけでやれると言い張りすぎた岸田首相の一義的責任が問われてくるだろう。特定宗教団体に支えられた政党との連立政権の終わりの始まりであり、映画のタイトルではないが、自公政権の「葬送狂騒曲」となるかもしれない。 【文中原則敬称略】
《付記》これまで「旧統一教会」と表記してきたが、2015年の名称変更の異常性に鑑み、「統一教会」で通すことにした。タイトルも変更する。(2022年9月30日)