雑談(133)音楽よもやま話(31)コンサートの余韻と「予韻」
2022年10月24日

合により、今週は「雑談」シリーズをアップする。前回の雑談(132)は、雑談のモノローグで、「「アラ古稀」の心境だった。今回は「音楽よもやま話」の31回目である。前回は「雑談(131)音楽よもやま話(30)チャイコフスキー交響曲第2番「小ロシア」or「ウクライナ」だった。ウクライナをめぐる状況は悪化の一途をたどっているので、雑談だが重い話になった。今回は本当の雑談で、私の個人的な音楽体験に基づく個人的感想にすぎないので、週1度の更新の「穴埋め」としてご理解いただけたらと思う。

 コンサートの余韻と「予韻」

  この52年の間に、外国のオーケストラを含めて、たくさんの指揮者とオーケストラの演奏を聴いてきた。最初の外国オーケストラ体験は、高校2年生の時、19709月7日(月) 、上野の東京文化会館、レナード・バーンスタイン指揮のニューヨークフィルによるマーラーの交響曲第9番ニ長調だった(その時のパンフレットとチケットがこれだ)。1991年と1999年、2016年の3度のドイツ在外研究時、特に1991年は、ドイツ統一から4カ月という混乱期だったので、旧東のオーケストラなどをふんだんに聴いた。とりわけ1991519日(日)、クラウス・テンシュテット指揮ベルリンフィルによるマーラーの交響曲第6番イ短調の壮絶な演奏の「余韻」は、30年以上前になるが、11616番のチケットとともに、まだ耳に残っている。ベルリン客演初日で、咽頭がんを患っており、翌々年に引退して、死亡した。生命の燃焼を感ずる演奏だった。

   私は中学生の頃からブルックナーのファンなので、朝比奈隆指揮の大阪フィルの演奏を聴きに新幹線で往復したこともある。冒頭右の写真は、今はもう存在しないブルックナー協会(朝比奈隆会長)の会員証(会員番号505番)である(裏側はその個人情報)。ブルックナーがオルガニストをやっていたザンクト・フローリアン修道院(ブルックナーの墓がある)にも二度行ったことがある

 ところで、ブルックナーの交響曲の演奏では、ホールの残響が重要になる。朝比奈が198010月に、東京目白の東京カテドラル聖マリア大聖堂で、5つの交響曲(4番、5番、7番、8番、9番)を、5つのオーケストラ(日本フィル、東京都交響楽団、東京交響楽団、大阪フィル、新日本フィル)を振って、5日かけて演奏したことがある。朝比奈はこのホールの長い残響が、ブルックナーの交響曲の響き、特にゲネラルパウゼ(総休止)を使った流れとうまくマッチすると考えていたようだ。私は大学院生だったが、バイト代を使って通し券を買い、すべてを聴いた。故・奥平康弘先生(東大名誉教授も毎回来ておられた。

 聖マリア大聖堂のなかの席について、開演まで目を閉じ、じっと待つ。ほとんどの人がそうしている。何ともいえない至福の時間だった。これを私は「予韻」という。もちろん、人の好みは多様だが、私はこの体験から、重厚長大なブルックナーの交響曲を聴く際には「予韻」が大事と考えている。そこで思い出すのは、200310月、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮のザールブリュッケン放送交響楽団によるブルックナーの交響曲第8番ハ短調を聴いた時の「予韻」である。当時、このように書いている

「…開演30分前に座席についた。聴衆はまばらだ。じっと目を閉じた。深呼吸をして、コンサートホールの空気を全身で感じていた。あまりの心地よさに、一瞬眠りに落ちた。目をあけると、いつの間にか周囲は人で埋まっている。雑談する人はほとんどいない。真剣な眼差しで、初来日のオーケストラと80歳の指揮者、やがて始まる90分近い大曲を待っている。マンネリ化した定期演奏会などにはない、独特の空気が漂う。みんな一期一会を求めて集まっている。しかも、ブルックナーの「通」ばかり。不思議な沈黙が支配する。…」

 コロナ禍の外国オケ体験

  2020年から新型コロナウイルス感染症のまん延で、外国オーケストラの演奏会がのきなみ中止になった。2年以上、外国オケのコンサートをあきらめてきたが、サイモン・ラトル指揮のロンドン交響楽団が来日して、ブルックナーの交響曲第7番ホ長調を演奏することを知り、すぐにチケットを入手した(チケットにリンク)。18年前、ラトルとベルリンフィルでベートーヴェンの歌劇「フィデリオ」全2幕を聴いていたが、今回はラトルのブルックナーを初めて生で聴く。CDでは何枚かもっているが、残念ながら私の好みの演奏ではない。ロンドン交響楽団は、2015930日、ベルナルト・ハイティンクの指揮で、今回と同じブルックナーの交響曲第7番を聴いている。同じ英国のオーケストラで、私が聞き慣れたハース版やノヴァーク版とは異なる、新しい版を使うというので、ラトル風のどんな演奏になるのか、楽しみにその日を待っていた。


 「予韻」を壊す大音響

 107日(金)。5限(1630分~18時)の大講義(憲法ⅡC)を終えて、雨が激しく降るなか、急いで会場に向かった。池袋の東京芸術劇場なので、25分前には着いた。私はいつものように客席に座って、いつものように目をつぶって待とうと思っていた。「予韻」である。これから始まる曲を頭のなかで鳴らして、この部分はどう演奏するかな、などと想像する。通常ならば、楽屋裏で練習するホルンの音などがかすかに聞こえてくるが、たいして気にならない。舞台では、ティンパニ奏者が音の調整をしたり、木管楽器の奏者が軽く音を出したりしている…。これがいつものコンサート前の風景である。冒頭左の写真は、ドイツのケルンフィルハーモニー(ホール)の開演30分前の風景である(直言「雑談(114)ドイツでの生活(2-完)+音楽よもやま話(22)ドイツで聴いた音楽参照)。この写真は、20167月にスマホで撮ったのだが、客の入りはまだ6割ほど。舞台では、一人のコントラバス奏者が調整しているだけである。開演の少し前になって、舞台の両側から楽団員がゾロゾロと入ってきて、所定の位置につく。ケルンでも、この段階で拍手がわいた。そしてコンサートマスターが入ってきて、音合わせ(チューニング)となる。そして静寂。ややあって大きな拍手のなか、指揮者の登場。演奏の開始となる。この流れを半世紀もの間、当たり前と思ってきた。だが、この日はまったく違っていた。

  まだ開演25分前なのに、楽団員が三々五々舞台に出てきて、勝手気ままに音を出しているのだ。昔、デモで「流れ解散」というのがあったが、これでは「流れ集合」ではないか。名手揃いのロンドン響なので、見事なフレーズを一瞬で吹いたりして、楽しんでいる。名人芸のアドリブに、ホーッという声が私の近くから聞こえた。いつもの開演前とは明らかに違う。いやな予感がした。楽団員の数がどんどん増えてきて、ほぼ全員が揃って、盛大に音を出している。場内アナウンスが流れるが、聞き取れないほどの大音響になっていた。静かに「予韻」を楽しむどころではなくなっていた。

   仰天したのは、開演5分前になったところで、トロンボーンとトランペットの奏者が入ってきて、何の遠慮もなく、おおらかに吹き出したことである。私は絶句した。とその時、コンサートマスターが立ち上がって、チューニングとなった。大音響が長く続いたので、その音が小さく感じるほどだった。普通のコンサートならば、本番前、チューニングが大きな音に感ずるのだが。ようやく舞台の照明が落ちて、指揮者登場。演奏が始まった。私の頭は開演前の大音響のために切り替わらない。

  ベルリオーズの序曲「海賊」作品21、ドビュッシーの劇音楽「リア王」から 「ファンファーレ」、「リア王の眠り」、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」がプログラムの前半。ラトルは指揮台から動かず、それぞれ拍手を短く受けただけで、3曲を連続して演奏した。これはこれでロンドン響の特徴を活かした多彩な音の饗宴なのだが、始まる前の音の「騒宴」が尾をひいて、私は十分に楽しめなかった。それでも、後半のブルックナーに期待をかけた。

  だが、いやな予感はさらに的中した。20分間の休憩なのだが、前半と同じような「流れ集合」になって、ほとんどの楽団員が舞台にあがり、勝手に音を出している。前半の開始前よりはまだ控えめだったが、それでもうるさい。ロビーに出て、頭を冷やそうとも思ったが、人が大勢立っていたので、戻って座席についた。ブルックナーの第7番第1楽章の冒頭は、第1、第2バイオリンのトレモロだけで静かに始まるのだが、開演前の「騒宴」が耳にこびりついて、どうにも気持ちがのらない。7年前にこのオーケストラを川崎で聴いたときには、こんなことはなかった。内外のオーケストラをたくさん聴いてきたが、初めての不快体験だった。

  実際の演奏については、これはもう書かないでおく。「B-G.コールス校訂版」ということで、ここぞというところの盛り上げ方やテンポの設定や動かし方など、私の好みとは距離があった。ラトルは主観的には、ブルックナーの原典版に近づけようと、音の強弱や表情、音の切り方などに特徴をもたせた結果、切れ味はよく、流れは鮮やかな感じである。だが、私からすれば、ブルックナーのよさはむしろ切れ味悪く、流れが不器用に止まり、そして驚くほど「空」と「間」が生まれる。その「隙間」によさがあると考えているので、切れ味よく快走してしまうと、ブルックナー本来の世界とは微妙に違ってくるのだ。私の場合は朝比奈隆的な保守的な立場である。ラトルの場合、かつての版や演奏が重厚すぎるブルックナー像を生んだので、それを現代的なものに読み替えようという斬新な試みとは思うが、この日の演奏は見通しがよすぎて、霧に包まれた巨大な「空」と「間」を感じることはできなかった。

  このスコアの写真(注)にあるように、第2楽章の177小節で、シンバル(Becken)とトライアングル(Triangel)を使うのがノヴァーク版である。私は、朝比奈隆が常用するハース版(BckTrglなし)を好むので、開始前に2人の楽団員が金管楽器の後ろの椅子に座った段階で、ノヴァーク版に近いと判断した。7年前にミューザ川崎で聴いた、同じロンドン交響楽団のハイティンク指揮のブルックナー7番も、ノヴァーク版だったと記憶している。ハイティンクの演奏は、ラトルのような切れ味鋭い、見通しのよい(übersichtlich)演奏と、朝比奈のように切れ味鈍重、見通しの悪い、でこぼこした質感の演奏との中間あたりにある。手帳には、この7年前の7番のコンサートの記録は残っているが、鮮烈な「余韻」を与えた演奏として記憶されてはいない。

  その一方で、ラトル=ロンドン響の演奏会評は絶賛である(プログラムは違うが、『朝日新聞』1013日付夕刊は「底知れない深み 痛快な演奏」という見出し)。私から見てもこのプログラム内容ならば、相当すばらしい演奏になっただろうと推測できる。ロンドン響とラトルのコンビにはぴったりの曲目だからである。この「雑談」で私は、ブルックナーの演奏についてだけ語っていることをご理解いただきたい。

 なお、音楽評論家の長谷川京介氏が、ご自身のブログで、私と同様の状況に置かれながら、違った評価をされているのを知った。その部分を引用する。この方が参加されたコンサート会場は、ミューザ川崎シンフォニーホールである。

  「…楽員たちは拍手を受けて入場することなく、ステージにどんどん現れ、各自チューニングに余念がない。その音を聴くだけで驚愕した。日本のオーケストラの倍くらいの音量が聞こえてくる。マネージャーらしき女性が、舞台袖をみながら指揮台の横に立っている。何をしているのか不思議だったが、どうやらマエストロが楽屋から出て、舞台袖に来ているかどうか確認していたようだ(ミューザの指揮者控室はサントリーホールよりも遠くにある)。彼女がコンサートマスターに合図をすると、正式なチューニングが始まった。…」

  この方が参加された川崎でも、開演前、「驚愕する音量」が出ていたようである。というわけで、今回は、開演前のオーケストラ側のマナーについて書いた。私が会長をしている早稲田大学フィルハーモニー管絃楽団では、どこのオーケストラとも同じように、開演前になると、舞台袖の両側から楽団員が入ってきて、全員が揃ったところでコンサートマスターが入場し、チューニングを行う。1226日に第87回定期演奏会が開かれるが、私が会長として臨む最後のコンサートとなる。参加を希望される方は、まだチケット販売のサイトが開いていないので、団のサイトで確認していただきたいと思う。お問い合わせはこちらに(wpo87winter[at]gmail.com)。会場でお出迎えをする役をやっているので、読者の方はお声をかけていただければうれしいです。

 最後は宣伝になってしまったが、これで個人的な雑談を終わりたい。



(注)スコアは、Anton Bruckner Gesamtausgabe, Ⅶ.Symphonie E-Dur, vorgelegt von Prof. Dr. Leopold Nowak, Wien 1954, S.69.

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